東本願寺(西浅草)
○東本願寺 台東区西浅草1-5-5 HP
東本願寺は、浅草東御門跡(あさくさひがしごもんぜき)と呼ばれていました。「門跡」(もんぜき)とは、皇族・公家が住職を務める寺院のことです。
東本願寺は、朝鮮通信使の宿館を務めました。築地本願寺と並ぶ名刹として繁栄しました。
「江戸名所図会 東本願寺」
かつては広大な寺域だったことがうかがえます。

「江戸名所図会 報御講」
挿絵には「平等に わたせるはしや お霜月 西山宗因」とあります。
報恩講がお見合いの場、男女の出会いの場となっていました。男性は「肩衣」を着て、女性は揚帽子に振袖で参詣します。
揚帽子に振袖の年頃のお嬢さんが多く見えます。見守っている両親も見えます。
東本願寺HPより川柳を一部引用します。
「いづもより御こうははでなゑんむすび」
「いい天気婿を見つけに七日でる」
「箱入りの出歩く御講日和かな」
「御こうへはにうわな顔てつれて行く」
「御講で見そめ御忌で逢ふ」
「恋御宗旨がみんな指さすいい娘」
「来る年も御講に目たつ縁遠さ」
「四、五年も御講で目立つ縁遠さ」

「東都歳事記 東本願寺」
堂内も広大です。

「江戸名所百人美女 東本願寺」(豊国・国久)
揚帽子に、水藻の間を泳ぐ金魚が描かれた振袖を着た、お見合いの装いのお嬢様が描かれています。

「絵本江戸土産 浅草御門跡」(広重)
挿絵には、「観音より西の方にあり これを東本願寺といふ 開山教如上人なり 十一月廿二日より廿八日まで開山忌 また御講といいて参詣群衆おびただし 当御堂の大いなることは世の人の知る処東都第一の大御堂なり」とあります。

「江戸名所 浅草東御門跡」(広重)
七五三の宮参りが描かれています。

(参考)
「七五三」の祝いは、天和元(1681)年11月15日に徳川綱吉の嫡男徳松の健康を願ったのが始まりだとされています。
「浄徳院殿(綱吉嫡男徳松)墓碑」が長命寺にあります。こちらで記載。
「富嶽三十六景 東都浅草本願寺」(北斎)
近景に東本願寺本堂の大屋根の側面。遠景に富士。屋根の上には職人たちがいます。凧が舞いあがっています。


「浅草東門跡」(井上安治)
関東大震災で焼失前の大伽藍が描かれています。

「最新東京名所写真帖 東本願寺」(小島又市 明治42(1909)年)
明治の頃の本堂です。

右下の屋根に架かる梯子が小さく見えます。

<本堂>
巨大な本堂は、1939(昭和14)年の建造。




※車椅子用エレベーター
本堂向かって左に、車椅子用エレベーターがあります。

<親鸞聖人像>

<蓮如上人像>

<憲政碑>
大きな憲政碑があります。

<朝鮮通信使/銅鐘>
朝鮮通信使と銅鐘の説明板があります。
東本願寺は、朝鮮通信使の宿所として利用されました。


<パンフレット>
牛久大仏は東本願寺の造立で、パンフレットにも掲載されています。

東本願寺は、浅草東御門跡(あさくさひがしごもんぜき)と呼ばれていました。「門跡」(もんぜき)とは、皇族・公家が住職を務める寺院のことです。
東本願寺は、朝鮮通信使の宿館を務めました。築地本願寺と並ぶ名刹として繁栄しました。
「江戸名所図会 東本願寺」
かつては広大な寺域だったことがうかがえます。

「江戸名所図会 報御講」
挿絵には「平等に わたせるはしや お霜月 西山宗因」とあります。
報恩講がお見合いの場、男女の出会いの場となっていました。男性は「肩衣」を着て、女性は揚帽子に振袖で参詣します。
揚帽子に振袖の年頃のお嬢さんが多く見えます。見守っている両親も見えます。
東本願寺HPより川柳を一部引用します。
「いづもより御こうははでなゑんむすび」
「いい天気婿を見つけに七日でる」
「箱入りの出歩く御講日和かな」
「御こうへはにうわな顔てつれて行く」
「御講で見そめ御忌で逢ふ」
「恋御宗旨がみんな指さすいい娘」
「来る年も御講に目たつ縁遠さ」
「四、五年も御講で目立つ縁遠さ」

「東都歳事記 東本願寺」
堂内も広大です。

「江戸名所百人美女 東本願寺」(豊国・国久)
揚帽子に、水藻の間を泳ぐ金魚が描かれた振袖を着た、お見合いの装いのお嬢様が描かれています。

「絵本江戸土産 浅草御門跡」(広重)
挿絵には、「観音より西の方にあり これを東本願寺といふ 開山教如上人なり 十一月廿二日より廿八日まで開山忌 また御講といいて参詣群衆おびただし 当御堂の大いなることは世の人の知る処東都第一の大御堂なり」とあります。

「江戸名所 浅草東御門跡」(広重)
七五三の宮参りが描かれています。

(参考)
「七五三」の祝いは、天和元(1681)年11月15日に徳川綱吉の嫡男徳松の健康を願ったのが始まりだとされています。
「浄徳院殿(綱吉嫡男徳松)墓碑」が長命寺にあります。こちらで記載。
「富嶽三十六景 東都浅草本願寺」(北斎)
近景に東本願寺本堂の大屋根の側面。遠景に富士。屋根の上には職人たちがいます。凧が舞いあがっています。


「浅草東門跡」(井上安治)
関東大震災で焼失前の大伽藍が描かれています。

「最新東京名所写真帖 東本願寺」(小島又市 明治42(1909)年)
明治の頃の本堂です。

右下の屋根に架かる梯子が小さく見えます。

<本堂>
巨大な本堂は、1939(昭和14)年の建造。




※車椅子用エレベーター
本堂向かって左に、車椅子用エレベーターがあります。

<親鸞聖人像>

<蓮如上人像>

<憲政碑>
大きな憲政碑があります。

<朝鮮通信使/銅鐘>
朝鮮通信使と銅鐘の説明板があります。
東本願寺は、朝鮮通信使の宿所として利用されました。


<パンフレット>
牛久大仏は東本願寺の造立で、パンフレットにも掲載されています。


萬隆寺 三猿主尊庚申塔と奉献石燈籠
○萬隆寺 台東区西浅草3-27-22
国際通りに面して、萬隆寺はあります。



<由緒石碑>
「曹洞宗 泰平山 万隆寺
萬隆寺は南朝元中五年・北朝嘉慶二年西紀一三八八年出羽国に創立後江戸湯島天神に移り 明暦三年 浅草田甫に換地を与えられて移転創立により尓来六百年 平成元年五月吉日」


<禁葷酒>
享和2(1802)年銘の「禁葷酒」です。


<三猿主尊庚申塔> 台東区指定文化財
三猿を主尊とする珍しい庚申塔があります。山門入ってすぐ左手です。
(掲示板)
「庚申塔
(板駒型三猿主尊)
寛文五年八月七日造立
(西暦1665年江戸時代)」



【庚申塔】




【石仏右から】



<奉献石燈籠(寛永寺)>
山門入ってすぐ参道の左右に、文恭院殿尊前奉献石燈籠が2基あります。文恭院は徳川11代将軍家斉です。
左は、天保12(1841)年に日向国飫肥藩13代藩主伊東祐相による奉献です。右は、奉献者名読めず。
(左燈籠)
「奉献石燈籠両基
東叡山
文恭院殿 尊前
天保十ニ辛丑年閏正月晦日
日向國飫肥城主
従五位下修理大夫藤原姓
伊東氏祐相」





(右燈籠)
「奉献石燈籠両基
武州東叡山
文恭院殿 尊前
天保十ニ辛丑年閏正月晦日
(奉献者名読み取れず)
両基とも、個人からの寄進で、裏面に寄進者の名前が刻まれています。




国際通りに面して、萬隆寺はあります。



<由緒石碑>
「曹洞宗 泰平山 万隆寺
萬隆寺は南朝元中五年・北朝嘉慶二年西紀一三八八年出羽国に創立後江戸湯島天神に移り 明暦三年 浅草田甫に換地を与えられて移転創立により尓来六百年 平成元年五月吉日」


<禁葷酒>
享和2(1802)年銘の「禁葷酒」です。


<三猿主尊庚申塔> 台東区指定文化財
三猿を主尊とする珍しい庚申塔があります。山門入ってすぐ左手です。
(掲示板)
「庚申塔
(板駒型三猿主尊)
寛文五年八月七日造立
(西暦1665年江戸時代)」



【庚申塔】




【石仏右から】



<奉献石燈籠(寛永寺)>
山門入ってすぐ参道の左右に、文恭院殿尊前奉献石燈籠が2基あります。文恭院は徳川11代将軍家斉です。
左は、天保12(1841)年に日向国飫肥藩13代藩主伊東祐相による奉献です。右は、奉献者名読めず。
(左燈籠)
「奉献石燈籠両基
東叡山
文恭院殿 尊前
天保十ニ辛丑年閏正月晦日
日向國飫肥城主
従五位下修理大夫藤原姓
伊東氏祐相」





(右燈籠)
「奉献石燈籠両基
武州東叡山
文恭院殿 尊前
天保十ニ辛丑年閏正月晦日
(奉献者名読み取れず)
両基とも、個人からの寄進で、裏面に寄進者の名前が刻まれています。





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tag : 奉献石燈籠
本然寺(西浅草)
○本然寺 台東区西浅草3-25-3


<お菊稲荷>
「お菊稲荷 番町皿屋敷」ののぼりが出ています。



<遠藤千元氏墓>
遠藤千元氏は、大正から昭和にかけての角海老楼のオーナーで、 東京府会議員(議長)、衆議院議員(与党立憲民政党から浅草3区トップ当選)も務めました。
以下は、「民政党の陣営より:政界人物評伝」(角屋謹一 文王社 昭和5)より引用
遠藤千元氏

遠藤家のお墓には、立派な海老が彫られています。




<お菊稲荷>
「お菊稲荷 番町皿屋敷」ののぼりが出ています。



<遠藤千元氏墓>
遠藤千元氏は、大正から昭和にかけての角海老楼のオーナーで、 東京府会議員(議長)、衆議院議員(与党立憲民政党から浅草3区トップ当選)も務めました。
以下は、「民政党の陣営より:政界人物評伝」(角屋謹一 文王社 昭和5)より引用
遠藤千元氏

遠藤家のお墓には、立派な海老が彫られています。



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浅草文庫
浅草文庫
○浅草文庫 砂利場 台東区浅草5丁目
幕医、板坂卜斎が砂利場に日本最初の公共図書館「浅草文庫」を設けています。
○浅草文庫 台東区西浅草3-25-16台東区立中央図書館
台東区立中央図書館に浅草文庫コーナーがあります。浅草文庫は昭和52(1977)年11月、浅草観光連盟によって設立されました。
旧東京電力浅草サービスステーション内、平成12(2000)年からはテプコ浅草館内で、30余年にわたり閲覧・展示が行われてきました。
平成23(2011)年、テプコ浅草館の閉館にともない、その図書資料が浅草観光連盟より台東区に寄贈されました。平成24(2012)年11月、台東区立中央図書館郷土・資料調査室内に浅草文庫コーナーが開設されました。




○浅草文庫 砂利場 台東区浅草5丁目
幕医、板坂卜斎が砂利場に日本最初の公共図書館「浅草文庫」を設けています。
○浅草文庫 台東区西浅草3-25-16台東区立中央図書館
台東区立中央図書館に浅草文庫コーナーがあります。浅草文庫は昭和52(1977)年11月、浅草観光連盟によって設立されました。
旧東京電力浅草サービスステーション内、平成12(2000)年からはテプコ浅草館内で、30余年にわたり閲覧・展示が行われてきました。
平成23(2011)年、テプコ浅草館の閉館にともない、その図書資料が浅草観光連盟より台東区に寄贈されました。平成24(2012)年11月、台東区立中央図書館郷土・資料調査室内に浅草文庫コーナーが開設されました。





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