ネオ階級社会はここから始まった
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ネオ階級社会はここから始まった
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商品説明
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一九七四年は、日本社会の転換点となるべき年であった。一九七三年のオイルショックを乗りこえ、その翌年、日本経済は世界に先駆けてV字回復を遂げたかに見えた。しかし、高度経済成長の記憶から離れられなかった当時の日本人は、「日本型」「日本人独自の」「日本らしく」といったやり方で危機を乗りこえられると思い込み、転機を見過ごしてしまったのだ。いかにして「会社主義」「総中流神話」が崩壊し、ネオ階級社会が広がっていったのかを検証する。
目次
- 第1章 この国の「戦後」のかたち
- 第2章 「会社主義国」ニッポン
- 第3章 夢の時代の終焉
- 第4章 それでも日本人は戦争から目をそらした
- 第5章 「みんな中流」だったのか
- 第6章 「日本型」の幻影を断て
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日本は生き難い階級社会である
2010/11/15 05:02
9人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:良泉 - この投稿者のレビュー一覧を見る
日本が階級社会であると言えば、どれだけの人が納得できるだろうか。それどころか、きっと多くの人は笑うであろう。
日本は、明治維新以降、着々と階級社会から脱する道を歩んできた。現代の日本は世界でも珍しいほど、生まれながらの身分にとらわれな自由な社会を形成している、というのが多くの人の実感ではないか。そう表面的には理解させられている。
だったら、一体全体、この社会の言いようのない重圧感、虚脱感はどこからくるのであろう。
秋葉原や広島マツダ工場での狂気的な暴走劇はなぜ起こったのであろう。「丸山真男をぶんなぐりたい」といった破滅的発想が、ここまで大衆に受けるのはなぜなのだろう。
そこには、きっと何かある。
私たちの社会は、個人個人の意欲や努力や向上心を、十分に尊重し、社会全体で受け入れ、養い育てるシステムを持っていると、はたして言えるのであろうか。
何か足りない、いや、大いに何かが不足している。
私たちの社会は、全然、自由で平等な社会とは言えない。
「自由主義」という耳触りの良い言葉に惑わされ、さらには「新自由主義」などといった、新鮮味まで加わった言葉にだまされ続けてきたのが現代の日本社会である。
結果、本来の「自由」から、どんどん遠ざかってしまった。
「自由主義」を唱えだまし続けてきた一部の人々の、まさに思惑通りに。
もう日本の社会では、個人の意欲や努力や向上心など、見向きもされない。いや、そんな夢や希望を持つことさえもが、ほんの一部の“特権階級”の方々以外には不可能となってきている。
こんな話は斎藤貴男氏などが、繰り返しくどいほど主張してきているとおりである。
階級の階級たる所以は、表面的な身分制度や門構えではない。ひとたび“落ちた”ら二度とはいあがることが許されない、そしてそのことから起こる、虚無・虚脱感。“落ちた”人間に、二度と「無謀」なチャレンジをさせないように。ひとたび作り上げた「階級構造」を崩されないように。
今の日本は、もう十分に、そんな社会になっている。
1974 年がターニング・ポイントってほんと?!
2012/01/03 04:46
3人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:Kana - この投稿者のレビュー一覧を見る
1974 年前後には日本でも世界でも,政治経済の方向を左右するおおきなできごとがいくつかあった. ニクソン・ショック,ニクソン大統領と田中首相の辞任,ニクソンと田中の訪中と中国との国交回復. そこにはさらに 1974 年前後におこったさまざまなエピソードがくわえられる. 長嶋茂雄の引退,横井軍曹と小野田少尉の発見と帰還,その他さまざまだ.
それらをもって著者たちは 1974 年をターニング・ポイントとみなしている. これらすべてが 「ネオ階級社会」 にむすびついているわけではないだろうが,こうしてそれらが織り上げられたかたちでしめされると,ターニング・ポイントがあぶりだされたようにみえてくる.