プロレス ショービジネス
2022/08/21 09:37
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投稿者:令和4年・寅年 - この投稿者のレビュー一覧を見る
力道山、ジャイアント馬場、そしてアントニオ猪木。三人のプロレスラーと日米のプロレスの歴史が情熱的に語られる。プロレスのショービジネスとしての日米のあり方の違いが面白かった。
ジャイアント馬場を創ってきたもの
2020/06/12 11:49
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投稿者:姫路ねこ研究所 - この投稿者のレビュー一覧を見る
著者はこれまで様々なプロレスラーについて、特定の年を転機の年として取り上げて来た。ジャイアント馬場にとってのその年は、1964年。
そのあまりにも大きな体でコンプレックスにさいなまれながらも、商家の子息からプロ野球を経験してプロレス入りした馬場。当時の一般社会ならその後の生活には困ったかもしれないが、プロレスの世界ではすべてがプラスに働いた。誰よりも大きな体、ずば抜けた身体能力、そして頭脳。力道山との出逢い、アメリカでの師ともいうべきフレッド・アトキンス、渡米直後のマネージャのグレート東郷、アメリカの一流レスラーたち。温厚で素直な人格、そして非凡な能力を一気に発揮し、馬場は全米でもトップクラスのメインエベンターに成長する。その実力はもはや師力道山も一目置かざるを得なくなり、凱旋帰国を果たした。しかし力道山が絶対者だった日本のプロレス界にはまだまだ彼の居場所はなく、再度渡米。そこで事件が起こる。力道山死去。
日本プロレス界の皇帝の突然の死去は馬場をめぐる太平洋をまたいだ綱引きが始まる。日本プロレスと袂を分かったグレート東郷とフレッド・アトキンスたちは馬場をアメリカで活躍させたい。日本プロレス側は次のエースとして馬場を日本に戻したい。それぞれの思惑が渦巻く中、馬場の立場はここで初めて今までと変わっていた。周りの言うことを聞いて動く人生から、全ての決断を自分で下して周りを動かす人生にスイッチしたということに。それが1964年だった。積みあげて来たものが一気に花が開いた年である。
結局、時の山口組の組長からの電話で帰国することになるのだが、そのあたりは深くは書かれていない。帰国後の活躍は最早語るまでもない。自他ともに認める日本プロレスのエース、全日本プロレス旗揚げ。NWA世界王者戴冠。ハンセンとの出逢いと復活。80年代後半以降の方針転換。
とはいっても、全日本プロレス旗揚げから80年代後半以降の方針転換までの動向については、著者の筆は厳しい。アメリカからたくさんトップレスラーを集めただけのプロレス、チャンピオン日本滞在時に借りたNWA世界王座。”体の大きな者が強い””NWA至上主義”1964年までの馬場のアメリカでの成功体験に裏打ちされた興業は、世間のニーズからも確実にずれていた。いつまでもメインにこだわるその姿勢はジャンボ鶴田という逸材を得ながらもその成長を阻害した。衰えた体と遅い動きは揶揄の対象になっていた。業を煮やした日本テレビの介入も素直に聞き入れなかった。本書には書かれていないが、AWA世界王者鶴田戴冠も”この話は俺にきた話なんだよね”と最初は渋っていたのを周りが必死で説得したようだし、日本中を席巻したカブキブームも潰してしまった。
沈みかかった全日本の再興は、ターザン山本たち外部の意見を受け入れることで始まる。天龍革命、完全決着での三冠統一、超世代軍、四天王プロレス。馬場は前座でファミリー軍団を率いて悪役商会との抗争。もはや馬場を笑う人間はいない。NWA至上主義の呪縛からも完全に解かれた馬場は社長、プロモーターとしても不動の地位をものにし、全日本プロレスは全てのプロレスファンからの支持を受ける様になった。
”馬場正平はひとりの心優しい日本人として生き、そして死んだ”
周囲の意見を素直に聞き入れ続けるとき、馬場はその才を惜しみなく発揮し、飛躍的な成長を遂げる。しかし、自分が絶対者として存在しなければいけないときには迷走する。力道山やアントニオ猪木とは好対照な天才レスラー・ジャイアント馬場を表現するにふさわしい言葉は、優しさなのだろうか?
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投稿者:うみべ - この投稿者のレビュー一覧を見る
プロレスラージャイアント馬場のノンフィクションであるが、まぁ途中で話が脱線することすること・・、ただそれも知らないことばかりでとても興味深い。プロレスの本質はエンタテイメントであり、かつプロレスがいかにして誕生したのかや、はたまたなぜアメリカは世界の警察的役割を担うのかなど、知識欲をスポンスポンと埋めてくれるような、そんな読後感です。昭和のプロレス少年だった方々には是非オススメしたい!
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実は漫画『バーナード嬢曰く』で紹介されていた、同じ著者の『1978年のアントニオ猪木』と勘違いをして手に取った。どうも、上記の本が先に出て、その続編的位置づけで、本書が出たらしい。
全くプロレスの知識のないままに読み始めたのだけれども、とても面白い本だった。はじめは『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』の逆バージョンかなと思っていたのだけれども、あちらが主人公にかなり入れ込んで書いているのにくらべ、本書はジャイアント馬場について、レスラーとしてだけではなく、個人事業主・興行主としての姿を描いており、全体としては日本におけるプロレスの興亡史を、ショービジネスの側面から描いたものとなっている。そのため、「お茶の間のヒーロー」としてのジャイアント馬場を期待して読むと、裏切られると思う。
以上のことから、プロレスファン向けというよりは、日本のサブカルチャー史を知りたい人に向けた本といえるし、それをきたしてい読む読者にとっては優れた本だと思う。
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ジャイアント馬場のアメリカ修行時代を中心としたノンフィクション。読みやすくて、はじめて知ることがいっぱいで、おもしろかったです。
プロレスって、いろんな見方ができるからおもしろいですね。八百長だといって切り捨てる人、低レベルの人だけが見るものと切り捨てる立花隆といった否定派がいる一方で、プロレスを人生の支えにしているひとたちもいれば、熱狂的に試合を見るひとたちもいれば、分析的にみることを楽しむひとたちもいる。それぞれで語り方がちがう。基本的にはショーだということなのだが、どこまでが本当で、どこまでが仕組まれていることか、よくわからないところがまさにプロレス的だなあと思ったりもして。裏の裏はまた裏だったのか、と思いきや、真相は思ってた以上に単純だという場合もあったりして。
プロレスは、ストーリーを追いかけていればいるほどおもしろくなるもの。またすこしずつ情報を集めてみようかなあと思いました。【2019年2月28日読了】
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馬場のアメリカでの黄金時代がよく描写されていて、とても読み応えのある本。馬場の哲学、その形成過程もよくわかった。馬場が嫉妬深いことは感じていたが、レスラー後期、レスラーとして輪島に嫉妬していたことは興味深い。同作家の猪木本に比べて悪意量が少ないのは気のせいか。
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思いつくままに感想を並べると
馬場だけではなく、日本のプロレスの隆盛→力道山や日プロ時代のタニマチ、ブッカー、来日レスラーなどにも触れていて面白い。
アメリカのプロレスがなぜショーアップされたのかも知れてタメになった
バディ・ロジャースの集客力の凄さ。と同業者、プロモーターからの嫌われ方
馬場の第一次凱旋頃の自己認識=世界の馬場とローカルレスラー力道山というアメリカから見た評価
グレート東郷のビジネス観のリアルさと力道山没後の日プロ経営陣の東郷外し→自滅への道にも思える
日プロ幹部レスリングビジネスの理解度が低く見える
東郷も日本というテリトリーを持ってるお金もうけのタネ。だったとしたらその後ろ楯が無くなった東郷はがどう計算し行動したか
斜陽の馬場がターザン山本と市ノ瀬記者のプロデュースによってファンの身近な存在になった事で違った形で愛される存在としての価値観を高めた。これを受け入れた事でジャイアント馬場は馬場さんになったのだ、このことにとても感動した
マッチメークも他の人の意見を取り入れるまでに寛容になった(馬場の感覚がファンとズレていた)
この本は、1964年のジャイアント馬場についてだけの本でなく馬場が入門した日本プロレス、海外修行したアメリカのプロレス、馬場に挑み続けた猪木(新日本プロレス)、そして全日本プロレスの歴史を網羅している
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著者はこれまで様々なプロレスラーについて、特定の年を転機の年として取り上げて来た。ジャイアント馬場にとってのその年は、1964年。といっても1964年の1年にスポットを当てたというより、1964年前後での馬場を取り巻く状況の変化、という取り上げ方である。
そのあまりにも大きな体でコンプレックスにさいなまれながらも、商家の子息として生まれプロ野球を経験してプロレス入りした馬場。当時の一般社会ならその後の生活には困ったかもしれないが、プロレスの世界ではすべてがプラスに働いた。誰よりも大きな体、ずば抜けた身体能力、そして頭脳。力道山との出逢い、アメリカでの師ともいうべきフレッド・アトキンス、渡米直後のマネージャのグレート東郷、アメリカの一流レスラーたち。馬場の温厚で素直な人格、そして非凡な能力を一気に発揮して、馬場は全米でもトップクラスのメインエベンターに成長する。その実力はもはや師力道山も一目置かざるを得なくなり、凱旋帰国を果たした。しかし力道山が絶対者だった日本のプロレス界にはまだまだ彼の居場所はなく、再度渡米。そこで事件が起こる。力道山死去。
日本プロレス界の皇帝の突然の死去は馬場をめぐる太平洋をまたいだ綱引きが始まる。日本プロレスと袂を分かったグレート東郷とフレッド・アトキンスたちは馬場をアメリカで活躍させたい。日本プロレス側は次のエースとして馬場を日本に戻したい。それぞれの思惑が渦巻く中、馬場の立場はここで初めて今までと変わっていた。周りの言うことを聞いて動くの人生から、全ての決断を自分で下して周りを動かす人生にスイッチしたということに。それが1964年だった。馬場が積みあげて来たものが一気に花が開いた年である。
結局は時の山口組の組長からの電話で帰国することになるのだが、そのあたりは深くは書かれていない。帰国後の活躍は最早語るまでもない。自他ともに認める日本プロレスのトップレスラー、全日本プロレス旗揚げ。NWA世界王者戴冠。ハンセンとの出逢いと復活。80年代後半以降の方針転換。
とはいっても、全日本プロレス旗揚げから80年代後半以降の方針転換までの馬場の動向について、著者は厳しい考えを持っているようだ。アメリカからたくさんトップレスラーを集めただけのプロレス、チャンピオン日本滞在時に借りたNWA世界王座。”体の大きな者が強い””NWA至上主義”1964年までの馬場のアメリカでの成功体験に裏打ちされた興業は、世間のニーズからも確実にずれていた。いつまでもメインにこだわるその姿勢はジャンボ鶴田という逸材を得ながらもその成長を阻害した。全盛期からは見る影もなく衰えた体は揶揄の対象ともなっていた。業を煮やした日本テレビの介入も素直に聞き入れなかった。本書には書かれていないが、AWA世界王者鶴田戴冠も”この話は俺にきた話なんだよね”と最初は渋っていたのを周りが必死で説得したようだし、日本中を席巻したザ・グレート・カブキブームも潰してしまった。
沈みかかった全日本の隆盛は、ターザン山本たち、外部の意見を受け入れることで始まる。天龍革命、完全決着での三冠統一、超世代軍、四天王プロレス。馬場���前座でファミリー軍団を率いて悪役商会との抗争。もはや馬場を笑う人間はいない。NWA至上主義の呪縛からも完全に解かれた馬場は社長、プロモーターとしても不動の地位をものにし、全日本プロレスは全てのプロレスファンからの支持を受ける様になった。
”馬場正平はひとりの心優しい日本人として生き、そして死んだ”
周囲の意見を素直に聞き入れ続けるとき、馬場はその才を惜しみなく発揮し、飛躍的な成長を遂げる。しかし、自分が絶対者として存在しなければいけないときには迷走する。力道山やアントニオ猪木とは好対照な天才レスラー・ジャイアント馬場を表現するにふさわしい言葉は、優しさなのだろうか?
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よかった。すごい本だ。600P近くの大著だが1週間で一気に読んだ。
巨体ゆえに奇怪視された不遇と、それゆえにモルモンに入信した不遇の少年時代。プロ野球に入団するもこれも嫉妬(本著ではこれはある意味キーワードになっている)ゆえに1軍で活躍できず、大洋移籍直前の風呂場の怪我で野球生活にピリオドを打つ。そしてプロレス入門。一貫しているのは馬場が単に巨体であるだけでなく運動神経に優れ、スポーツ万能であったという見解である。それゆえ、アメリカでも成功する。この本の白眉はアメリカでの実績の詳説だ。東郷をマネージャとした第1期、一旦帰国し、力道山死後フレッドアトキンスをマネージャとした第2期、ここまでの筆者の筆致は馬場に優しい、と同時に、NWA,WWWF、AWA世界戦連続挑戦を頂点としたこの時期(これこそこの著書のタイトルそのものだが)の過剰とも言えた成功が、その後の馬場の人生を狂わせたとも言えるかの筆致に変わっていく。日テレ丸抱えの全日本旗揚げ、サラリーマンプロレスの鶴田、と馬場への批判は手のひらを返したように厳しくなり、反面長州、天龍に加担するような筆致へと変わっていく。それを救ったのはターザン山本であり、かれのおかけで静かな晩年を迎える、という結論となっている。全日本以降の流れは些か主観が過剰になっているとも思えるが、そのスリルを含めて(おそらくこの辺りが筆者のリアルタイムな経験なのだろう)この大著を一気に読ませるモチベーションとなっている。「1976年のアントニオ猪木」なる前著があるようであるが、恐らく読み物としては語り尽くされた猪木伝より、少年時代、アメリカ遠征時代を含めて比較的謎の多かった馬場伝の方がミステリアスな魅力に満ちているはずである。脳下垂体の良性腫瘍による成長ホルモンの異常分泌という巨人体質の原因を明言したこと、70年代以降胸と腕が薄くなり(まだ30代のはずだが)
巨人症ゆえの早期老化が信仰していたことなどの明示も、アメリカ遠征の資料と並んで貴重だと思う。また「高橋本」以降の著書ゆえ、プロレスの「プラン」を公知の事実であることを前提にすべて記すことができたのは幸運、というか本著は存在し得なかっただろう。そうでなければアメリカ遠征を含めた馬場の成功も、その後の全日本のマッチメーキングの失態も、到底説明できず、本書のスリルは到底味わえなかったはずだ。
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昨年ステイホーム月間に電子書籍で柳澤氏の「1976年のアントニオ猪木」と「1985年のクラッシュ・ギャルズ」を読み、この「1964年のジャイアント馬場」にも興味を抱いていたのですが今回やっと読むことが出来ました。
派手で話題に事欠かないアントニオ猪木に関する本は数多ありますが、それと比べると数少ないジャイアント馬場の本は貴重。自分がプロレスを見出したのは76年のアタマあたりなので、リアルタイムで見ていたのは芸人にモノマネされてた頃の馬場さんで、この本を読むと全盛期を見たかったなぁと改めて思いました。
それにしても馬場さんが渡米した前後のアメプロの歴史が本当によく調べてあってとても勉強になりました。本当に柳澤氏の取材力と点を線にする構成力には感服します。
本人があまり語らない事もあり今ひとつ感情移入出来なかった人間馬場正平がより身近に感じられた一冊。