才能を見出し時代を造った伝道師の物語
2016/06/23 00:07
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投稿者:MACHIDA - この投稿者のレビュー一覧を見る
深夜放送「パックインミュージック」の伝説の人物ミドリブタこと林美雄が開拓し見せてくれた世界を追った、当時を知る世代には感涙もののドキュメント。石川セリ(八月の濡れた砂)、荒井由実(ユーミン)もこの番組から世に出たともいえる。ラジオというメディアが光り輝いていた70年代独特の熱気が伝わってくる貴重な記録である。
君は林美雄を覚えているか
2017/08/22 06:57
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投稿者:夏の雨 - この投稿者のレビュー一覧を見る
TBSアナウンサー林美雄(はやしよしお)が亡くなったのが2002年7月であるから、彼のことを覚えている人も少なくなったかもしれない。
林の場合、アナウンサーというより深夜放送のディスクジョッキーと呼んだ方がなじみがある。彼が受け持ったのは「パックインミュージック」という深夜放送。
林がその番組を担当していた70年代「深夜放送は若者たちの孤独をエネルギーにして大きくなって」いた。
タイトルにある「1974年のサマークリスマス」は8月25日生まれの林の誕生日と、その直前に発表された彼の「パックイン」が終了するのを惜しんで、熱狂的なファンたちが集まったイベントのことである。
林の「パックイン」がどうしてこれほどまでに人気があったのか、それはこのイベントに登場したゲストでわかる。
一人がまだデビューまもない荒井由実であり、一人が映画「八月の濡れた砂」の主題歌を歌った石川セリだ。
林は深夜放送で新しい新人を発掘し、日本映画の掘り起こしに努めた。
私が林の「パックイン」に出合ったのは、一旦終了した林の「パックイン」が1975年に水曜パックとして蘇ってからだ。
林の「パックイン」で山崎ハコを知った。それはもう衝撃というしかない。
あるいは原田芳雄の唄う「りんご追分」を聴いたのも、林の「パックイン」だった。
私の記憶では沢木耕太郎を知ったのも林のこの番組だったように思うが、この本の中ではふれられていないから違うかもしれない。
1975年といえば二十歳。まさに何もかも鬱屈としていた日々を林美雄の「パックインミュージック」は心に寄り添ってくれた。
この本はそんな時代を見事にすくいとっている。
青春のノスタルジックな思い出
2016/07/16 16:40
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投稿者:hiroyuki - この投稿者のレビュー一覧を見る
1972~1975年の4年間は自分は大学生で、ここに書かれた時代とドンピシャリと重なり合う。毎夜、林パック、ナチ・チャコパック、愛川欣也パックを聞いていたものである。リクエスト葉書も良く書いていた。この4年間は、金はないが、時間は自由で無限にあるように思えた時代である。「八月の濡れた砂」もビデオのない時代、上映している名画座を探しまわり、何度見たことだろう。
大学卒業後はサラリーマンとなり、さすがに仕事で深夜ラジオを聞く余裕はなく、その後のパック・イン・ミュージックがどうなったかは関心の外になってしまったが、10数年前、林美雄の訃報の記事を読み、随分若く亡くなったものだなぁと驚いたのだが、それから14年後、林美雄とパック・イン・ミュージックについて、こうして纏まった一冊の本が出版されるとは感無量の思いである。
書かれている内容は、ほぼ自分も同時にラジオで聴き、体験した事ばかりなので、青春のあの時代をノスタルジックに思い出してしまった。特に「歌う銀幕スター・夢の狂宴」の話は盛んにやっていたなぁと、自分も見に行きたいとは思ったが、本にも書かれているとおり、仕方がないとは言え入場料2,800円はやはり高額で、学生の自分には手の出せる金額ではなかった。今の感覚では、10,000円位か。
出演者は、渡哲也、菅原文太、原田芳雄、桃井かおり、宍戸錠、中川梨絵、緑魔子、藤竜也、石川セリ、鈴木清順監督と深作欣二監督、そしてこれは知らなかったが、演出はまだ映画を撮る前の長谷川和彦監督、今から見れば信じられない位の超豪華キャスト集合である。菅原文太、原田芳雄、中川梨絵、深作欣二監督と林以外にも既に鬼籍に入った人も多く、もう二度と共演が叶わない出演者たちである。これを見ておけば一生の思い出になったであろうと、それだけが残念で、後悔している今日この頃である。
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林さん、懐かしい。こんな裏話があったとは、とても興味深く読めた。
70-80年代は熱い時代だったんだと改めて思った。
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[深夜に青春の楽園を]1970年代前半に,深夜3時からという時間にもかかわらず若者から好評を博した深夜ラジオの『パックインミュージック』。そのパーソナリティーを務めた林美雄を軸としながら,当時の世相を丹念に切り取ったノンフィクションです。著者は,デビュー作となった『1976年のアントニオ猪木』も高い評価を得た柳澤健。
1970年代のサブカル文化などロクに知らない世代ではあるのですが,それでも十二分に読み応えがあった一冊。政治の季節が過ぎ去った後の,俗に言う「シラケ世代」の文化や感性がばっちりと写し取られていて興味深く読み進めました。それにしても,深夜ラジオのノンフィクションというのも珍しいですよね。
〜世の中には,広く知られてはいないけれど素晴らしいものがある。本当にいいものは隠れているから,自分で探さないといけない。自分がいいと思ったものを信じて,どこまでも追いかけるんだ〜
自分にとっての思い出の深夜ラジオは『知ってる?24時』です☆5つ
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柳澤健の新刊をプロレス本コーナーではなく、音楽書コーナーで見かけて即購入。林美雄パックのリスナーは団塊世代よりほんの少し下の世代で、大学紛争とかが終わって間もなくに青春時代を過ごした人たちです。なかなか興味深く、また現代カルチャーの出発点にいた人たちでもあります。
【後日談】その後、西荻ブックマークで柳澤健氏と沼部信一氏の対談が催されました!
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林美雄、前に訃報を聞いた気がしたけどはやり58歳で胃がんで亡くなっていたとは。
70年代に深夜放送のパックインミュージックの2部でまだ光が当たってない映画や歌を積極的に紹介し一部の若者から番組をやめないで運動がおこるほど支持されていたんだね。
私がおぼろげに覚えているのは、あのつぶらな瞳と美声。
ユーミンも石川セリも彼がいち早く見つけ、ユーミンの”旅立つ秋”は彼が番組を終えるはなむけとして作られたのは知らなかった。
久米宏とは同期で彼も生きていれば70代になっていたのかぁ。
でもテレビよりラジオにずっと携わっていたんだろな…。
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当時の若者カルチャーの熱量を手に取るように熱く感じた。林美雄さんは知らなかったけど、彼の生き様に勇気を貰った気がする。ありがとう
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かつて亀渕昭信さんが放ったひと言
ラジオとは?に対する答え「愛とカルトだ」。
テレビ時代のラジオはまさしく愛とカルトが渦巻くコアでディープでニッチな世界だった。70年代に青春時代を過ごした「シラケ世代」の鬱々としたルサンチマンが匂い立つようなリスナー達のエピソードの数々と、そこに現れた埋もれて誰も知らないいいものを掘り起こす愛とカルトのカリスマ、林美雄。
ラジオの魅力は大多数の誰かに届くものではなく、俺だけ私だけに届く細くて深い光。だからこそその光を受け取る仲間を見つけた時には同じ言語を共有できる感動があるのだ。同じテレビ番組を観てるのとは違う同志の意識。
ではネット時代のラジオは?の答えにも同じく答えてくれるだろう、やはり「愛とカルトだ」と。2000年代もラジオの魅力は変わらないでいる。
100万人に好かれるより、100人に深く愛される方が幸せなのかもしれない。
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柳澤健「19××年の〜」シリーズだけど今回の舞台はリングじゃなくて深夜放送のラジオのブース。TBSパックインミュージックの金曜日のパーソナリティ林美雄を触媒とした70年代の若者たちの物語です。あさま山荘以降なんとなくクリスタル以前の「オレはここにいるよ」の連帯がここにはあります。中学生には深夜過ぎたのと林美雄の声が美声過ぎて敬遠したので直接のリスナーではなかったのですがたぶん自分が影響をモロに受けていた「青春」の母型はここにあります。ティーンエイジャーにとっての政治の季節と消費の季節の端境期に林美雄は彼らにとって一緒に歩いてくれるお兄さんだったのですね。嫌味じゃなくてこんな緩いサラリーマンが許されていたんだからマスコミの就職人気高くなるはず。そんなメディアの余裕もいま何処…
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僕が聴いていたのは1980年のパックインミュージックでの林美雄であって、それは彼の全盛期ではなかったということがよ〜くわかった。
1970年に始まり1974年に終わったパックインミュージック金曜第二部と、その後の1975年に林を中心に開催された「唄う銀幕スター夢の狂宴」までの林美雄の活躍?とその魅力を様々な証言から丁寧に描いている。
TBSの社員アナウンサーである彼が光を当てたりフックアップした映画やミュージシャンがどれだけあったか。
もしかすると忘れられてしまったかもしれない林美雄の活動の軌跡を、膨大な作業でまとめた著者には感謝。二次資料だけじゃなくて直接いろんな人に会って話を聞いたんだなってことがよくわかる。
僕と同じ時期に聴いていた水道橋博士がノートに付けていた「ユアヒットしないパレード」のチャートは、まさに当時のサブカル的なミュージシャンの名前が並んでいる。僕も少しは影響受けているってこと。4.0
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リアルタイムで林パックを聴いた世代だが、サブカルの世界にはまるまでのめりこめなかった。ハコやシェイクスピアシアターなどに行った程度。
60年代の学園紛争世代は、大人は悪とし、高倉健などに自らを投影できた。70年代、そう簡単に割り切れない世代で、投影の対象が見えなかった。
日本映画界も、東映任侠映画も日活青春映画も行き詰まり、日本映画が低迷した時代。そこに資金をかけられない低価格の日活ロマンポルノとか2~3流の監督の採用がある。「8月の濡れた砂」「青春の蹉跌」「赤い鳥逃げた?」など、NYシネマ(明日に向かって撃てなど)と違う、社会の流れに乗り切れない主人公に自己を投影する若者。その案内人としての林よしお。日本映画の再興に貢献したので、歌う映画スター狂演に多くの映画人が参加した。文芸座等に行けばよかったと思い、今更ながら、70年邦画を発掘し、みている。
「自分の評価するものを紹介する」ということで当時まだ無名の荒井由実を発掘、山崎ハコなどを紹介した。
その時代のサブカルの青年群像である。
死蔵している「下落合本舗~」を読み直そうと思う。