カテゴリ:12・山水経のエントリー一覧
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正法眼蔵 山水経 39
山水(自然)について仏教の立場でどう考えたらいいかという道元禅師の説示は続きます。山というモノの実体を勉強するならば、山というモノについて仏道修行をした事になる。 このような山とか川、あるいは自然を勉強する事によって、賢人が生まれ聖人が生まれるという結果を生むのである。 西嶋先生解説 ここで道元禅師は我々の仏道修行と言うものも、山とか川とか自然を舞台として行われるのであるから、西洋思想の...
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正法眼蔵 山水経 38
山水(自然)について仏教の立場でどう考えたらいいかという道元禅師の説示は続きます。この宇宙と言うものが様々の実体を持ち、その宇宙を舞台として人間が活動し人間が価値のある業績を残すとするならば、この宇宙そのものが宝と言う事が出来るし、その宝である宇宙の中に山があると言う関係も考える事が出来る。 また山は相対的なもので水のたくさんある沢があればこそ山がある、低いところがあればこそ高い所があると言う関係で...
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正法眼蔵 山水経 37
山水(自然)について仏教の立場でどう考えたらいいかという道元禅師の説示は続きます。したがって水は本当の竜(真の行為者)が住むべき宮殿である。水は流れるとか下に行くというだけの性質のものではない。もし水は流れるだけの性質のものだと考えるならば、流れると言う言葉が水を誹謗することになる。なぜかというと流れるという言葉だけが水の性質だという見方をするならば、流れないという表現もあり得る。そういう点では流れる...
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正法眼蔵 山水経 36
山水(自然)について仏教の立場でどう考えたらいいかという道元禅師の説示は続きます。水と言うものに関連して言えば、この世の中に水が存在するという関係だけではなく、水の中にも様々な世界が内在すると言う関係でもある。そして、水の中にのみ世界が内在すると言う関係だけではない。雲の中にも生物の世界がある。気体の中にも生物の世界がある。化学変化の中にも生物の世界がある。固体の中にも生物の世界がある。宇宙の中にも...
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正法眼蔵 山水経 35
道元禅師が山水(自然)について仏教の立場でどう考えたらいいか説示されます。ある場合には昔から賢人や聖人が川の畔に住むこともあった。魚を釣る人もいた。そこを通りかかる人の才能をみて人材を見つけ出す人もいた。真実の教えというものを生活の中で見つけた人もいた。この様な様々な生き方というものは、昔から川の近くに住んでいた人々のやり方である。さらに川に住んでいる生活が進んで自分自身を釣る人もあろう。ただただ釣...