他人の言葉は こっちにしてみりゃ常に誤解
外交官には死んでもなれないな
やっと楽になったかと思えば押しつけられる責任
俺が何を代表するっていうんだ
俺は自分だけを代表する
RMの「Groin」の歌詞から、アミのなかで「もう彼らに政治的なことを求めるのはやめよう」という声がありました。
それに対して、いや、そもそもこの歌詞はそういうことではないのでは?ということをこのエントリーで書きました。
そのうえで、そもそもBTSは「政治的なのか」?ということを考えてみたいと思います。
一見矛盾するけど、その文脈は
前の記事で、RMはこれまでの活動についてニュース番組で、「重い責任だけども、その王冠をかぶる運命に向き合いたい」と言っていました。
この言葉と「Groin」の歌詞は一見矛盾しますが、どちらも「真」だとすればどう解釈すればいいでしょうか。
前回記事ではスペインメディアのインタビューで起きた反応のようなことに苛立っているのが「Groin」の歌詞ではないか?と推測してみました。
ポイントは「誰が誰に向かってどのような前提で話したのか」=文脈だと思います。
あのインタビュー、相手がスペインメディアだから、RMはその偏見を正そうという方向で答えたんですよね。「韓国のことをよく知らないでしょう?」と。
仮に韓国メディアに「KPOPのシステムは非人間的か?」と同じ質問をされたら、RMはむしろ業界の問題点の方を指摘したのではないでしょうか。
実際、「会食」では「 K-POPというのもそうですし、アイドルというシステム自体が 人を熟成させてはくれないみたいです」と言っていましたから。
「西側メディアのインタビューに」、韓国やKPOPへの偏見を感じ取り事情を説明するための言葉が、「韓国内で」愛国主義的に消費されること、「29歳のしがない韓国人の男」の言葉に、「韓国代表」としていつのまにか他人の欲望が乗っかっていること…。
そういう事態が「他人の言葉は こっちにしてみりゃ常に誤解」ということじゃないでしょうか。
「政治的でありたくない」SUGAと「小石も政治的」なRM
「一見矛盾する」といえば、こちらもそうです。
Q あなたたちは自分たちを政治的だと思いますか
SUGA:自分たちのことを政治的だとは思っていません。政治的な言葉で語りたくないんです。
RM:結局はすべてが政治的です。小石でさえも政治的なものになり得るんです。
こうやって切り取ると「結局BTSは政治的なの、政治的でないの、どっちよ?」「SUGAとRMとでは意見が違うの?」となりますよね。
でも、切り取り無しの質問はこうです。
Q あなたたちは自分たちを政治的だと思いますか?他に特に主張したいことはありますか?あなたにとって重要な国際的な問題と、韓国のローカルな問題をひとつずつ教えてください。
文脈を補足すると、このインタビューはBLM運動に寄付をした後の、アメリカメディアでのインタビューです。アメリカではBLM運動が政治ど真ん中の話です。
そういう文脈で、より慎重さが必要になる「韓国内の問題」について質問されたわけです。
それに対してSUGAは具体的には答えずに、「政治的な言葉で語りたくはない」と言います。具体的な問題をあげれば、「政治」に回収されるのを警戒したと言っても良いかも知れません。
★24/06/20 追記
ジンさんの言葉もありました。
「あれは政治的なものではありません。人種差別に関係していたのです」とジンは言う。「僕たちは、誰もが尊重されるべきだと信じています。だからあのような決断をしたのです」。
★
政治という言葉のレイヤー
ここで問題になるのは「政治的」という言葉の重層性です。
このやりとりをした記者は、その文脈をこんな風に解釈しました。
バンドメンバーは、世界的な活動家の役割を引き受けることには消極的だ。「自分たちのことを政治的だとは思っていません」とSUGAは言う。
一方、RMは、言葉よりも行動に基づいた、ある種の非政治的な政治への扉を開いている。「僕たちは政治家ではありませんが、よく言われるように、結局はすべてが政治的なものなんです。小石でさえも政治的なものになり得ます」
世界的な(政治)活動家になるつもりがない…そうです。彼らはミュージシャンですから。*1
でも周囲は国連やホワイトハウスでのBTSの活動をある意味「政治的」だと捉えてきました。
「政治」という言葉には
①政治家たちの権力争い、左右陣営の勢力争い、駆け引き
という狭い意味と
②社会全般に影響を与えるもの
というより広い意味があると思うんですよね。
②はどういうことかというと、法律をはじめとしたいろんなルールを決めるのも政治です。身近な教育、医療、住宅、犯罪対策も全部政治、政策で枠が決まります。
文化もそうです。どこにどう予算を配分するか、それによって文化に影響が出ます。BTSが生業にしているポップカルチャーだって政治とは無縁ではいられません。(クールジャパンとKカルチャーの話がしょっちゅう話題になりますよね)
ユンギが否定しているのは①の意味で、自分たちは活動家でも政治家でもない。どちらかの政治的陣営に与するつもりはないということでしょう。
そしてナムが言及しているのは②の政治の作用です。社会のすべてに政治が関係しているということ。逆に言えば、あらゆるものを政治から見ることができるということです。
★★24/06/20追記
こちら、FFのえまさんが良いツイートをしてくれたのでお借りします。
パン・シヒョクのスクーター・ブラウンへの擦り寄りについて27歳アメリカ在住娘の意見を聞いた。以下、娘の意見。
— えま (Emma 에마) (@EmsjpinHI) 2024年6月19日
👩🏻「今のアメリカはミュージシャンに限らずインフルエンサーのようなパブリック・フィギュアでさえ政治的立場の表明/意見が求められる(政治的立場と政治利用はアメリカでは別の話)1/5
「政治的立場の表明」と「政治利用」は違う
「政治利用」が①で、「政治的立場」は②です。
ユンギが拒否しているのは「政治利用」。
★★
一貫して「人権の側に立つ」BTS
改めて、バンタンが「政治的」だと受けとめられてきたのはどんな動きだったでしょうか。
- 2017年11月~ 韓国ユニセフ協会とBTS #ENDviolenceキャンペーン
- 2018年9月24日 国連でRM演説
- 2020年6月 Black Lives Matter(BLM)へのメッセージと寄付
- 2021年3月30日 #StopAsianHate #StopAAPIHateツイート
- 2021年9月14日 大統領特別使節任命
20日 国連総会で演説(SDGs) - 2022年6月1日 ホワイトハウス訪問、バイデン大統領と会談
こういうアクションについて本人たちはこう話しています。
SUGA:本当にシンプルなことだと思います。人種差別や暴力に反対するということです。たいていの人はこうしたことに反対するでしょう。…人種差別や暴力にさらされないことは、すべての人の権利だと感じているという事実を表明したいだけなんです。
RM:僕たちの目標であり、本当に望むことは、すべての人が安全な生活を送れるようになることです。それが、BLMやユニセフ・キャンペーンやその他のイニシアティブに寄付する動機です。
Black Lives Matterへの寄付について: 偏見は許されるべきではない/Variety インタビュー(2020.10) - はちみつと焼酎
#StopAsianHate#StopAAPIHate pic.twitter.com/mOmttkOpOt
— 방탄소년단 (@BTS_twt) 2021年3月30日
しかし、結局のところ、私たちが伝えなければならないメッセージは明らかです。
私たちは人種差別に反対します。
私たちは暴力に反対します。
私、あなた、私たちは皆、尊重される権利があります。私たちは共に立ち上がります。
人種差別や暴力に反対すること、すべての人が安全な生活を送れるようになること。
彼らの立場はシンプルで、はっきりしています。「人権の側に立っている」(@kandora0616 さん)のです。それは、彼らが「政治的」であるかどうかに関わらず。
これはまさに「政治的立場の表明」②ですね。
世界人権宣言は、こう謳っています
第一条
すべての人間は、生れながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利とについて平等である。人間は、理性と良心とを授けられており、互いに同胞の精神をもって行動しなければならない。第二条
1.すべて人は、人種、皮膚の色、性、言語、宗教、政治上その他の意見、国民的若しくは社会的出身、財産、門地その他の地位又はこれに類するいかなる事由による差別をも受けることなく、この宣言に掲げるすべての権利と自由とを享有することができる。
差別されず、暴力にさらされず、安全な生活をすること。その権利が誰にでも保障されるべきだということ。つまり「普遍的人権」です。
残念ながらその理想は実現しておらず、「人権」はずっと「政治」に左右されてきました。
政治は、文化を含めたあらゆるものに影響しますが、文化、ポップカルチャーもまた、政治に影響を与える力を持っています。文化は人々の意識や価値観に影響を与えますし、それが集まれば世論が変わります。その世論は政策や政治を動かす力になります。
- 韓国の若者が、過度な競争を強いられることや格差社会
- 光州から始まった民主化運動への支持
- ユニセフのキャンペーンを通じた暴力反対
- BLMへの支持と連帯
- アジアヘイトに反対すること
- SDGsアクションへの参加
バンタンは自分たちの影響力を、「誰も差別されず、暴力にさらされず、安全な生活をする」という理想に少しでも近づくよう、使ってきたといえるでしょう。