HONEST

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猫好き・植物好き・ラジオ好きの齢32歳。日々の学びや気づきを、ちょっとだけ得意な文章とイラストで自由に記録していきます。

2月17日 母音がうまく話せない

月曜日、

 

 

2日前の土曜日のこと。

知り合いの弟が大学三年生で、就活真っただ中とのこと。面接対策を手伝ってくれないか、とのことであった。

快く引き受ける。というのも、自分がサポートすべきかもしれないと思った理由が二つあるからだ。

まずは、今の僕自身の状況が背景。

自分はいま、中途採用の面接官もやっているし、逆に中途採用に応募している立場でこちらも面接を受けている立場でもあるからだ。

中途と新卒の面接では全く評価が違うだろうが、基本的なことはアドバイスができると思う。そう思って引き受けたのが一つ目の理由。

そして二つ目、むしろこちらが9割なのだが、彼は吃音で悩んでいるとのことで、当事者として僕から何かアドバイスが出来ないかと思ったからだ。

吃音、言い方を変えれば、どもりの症状があることだ。

最初に話し始める時に、舌が絡まったり、口の筋肉が硬直したりして、うまく発音ができないのだ。吃音の症状は人それぞれ異なっている。

僕の場合、成長と共に吃音の症状が変わってきた。

幼少期は、サ行やタ行を話すときに、

「ささささささ、さっきね」「ととととと、父さん」

のように、連続的に発音してしまう症状があった。

小学校高学年や中学生になると、「わ」という言葉が出ない症状に悩まされた。

一番困ったのは「私は」という一人称。なぜか知らないけど、「わたくしは」なら全然どもらずに言えるのだが、「わたしは」という時に、「わ」が発音できなかった。

そして高校生から大学生の時、今もまだそうなのだが、母音、つまりア行で始まる言葉、文章を発する時、ひと呼吸おかないとうまく話せないのだ。

そう、まさに、「御社」という言葉。この、「お」という言葉が口から出せない。

「お世話になっております」は、「おおおおおお、世話に」となってしまう。

こういう時、一回深呼吸すると大丈夫なのだが、圧倒的不審者である。

相談に乗った彼も、この母音がうまく発音できないようだった。

その時、僕がやっていたのは、英語を発音するように喋ってみるという解決策だ。

もちろん、英語の発音のように訛らせるわけではない。

英語って、声を出すときに、日本語よりも吐く息が多いのだ。吃音の人って、息を出すことを忘れてしまっていたりするから、意識的に喋りながら息を出すことを心がけた。

すると、その分まず息を吸うことになるし、呼吸も安定する。なれてくれば、変なイントネーションにもならない。

相談してくれた友人の弟にも早速話してみた。

 

吃音って見た目からは全く分からないし、そこまで重度な障害でもない。

でも、音読するときとかは馬鹿にされるし、プレゼンなんて地獄だ。

こういう人がいるってことは、もっと面接官側も分かってもいいのにな、って思った。

吃音の症状あり、みたいな項目にチェックするようなシートがあってもいいのに。

 

土曜日話した彼、うまくいくといいな。

 

2月16日 メディアに物申す

日曜日、

 

 

ネットで少しだけ話題になっている記事

「25年前に遡って調査指示、浦和高校の効果指導に埼玉県教育長」

news.yahoo.co.jp

このニュースを見た時、ちょっともやってしまった。主に理由は2つ。

 

まず前提として、伝統がある公立高校で、進学校の場合は、上級生が新入生に対して校歌や応援歌を指導するというのは、当たり前の光景だと思う。

埼玉県には、公立の男子校が数校あり、いずれも同じようなことは実施している。

浦和高校ではないが、僕はまさにその中の1つの出身だ。だから、ここで書かれていることが事実であることは保証できる。

僕が通っていた高校もほとんど同じで、入学式の翌日から地獄の1週間が始まる。

正門までの一本道に、應援團のメンバーが立っていて

「おい!1年は全員走れよ!おせぇよ!ふざけんなよ!」と罵倒される。急いで正門までダッシュして、挨拶を忘れようものなら、引っ張られて正門前まで戻される。

朝はこれで終わり。

6限終了のチャイムがなった瞬間に、應援團が各クラスに入ってきて、全員起立&校庭にダッシュで行くように指示。そしてそこから声が枯れるまで効果と応援歌の練習だ。

確かに、改めて当時のことを描写してみると、結構しんどい修行だったなとは思う。

ただ、もし本当にこれがまずいことなのであれば、まず近所の人が通報しているはずだ。そして、近くには幼稚園も、小学校も、中学校も、女子高も、他の私立高もある。校庭で学ランをぐちゃぐちゃにされながら、怒鳴られている異様な光景、学校の外から全力ダッシュで走らされる光景、これがまずいと思ったら、絶対通報しているはずだ。

しかし、どこのだれもそんなことしないのだ。それは、これが伝統であるし、入学生もこれを分かって入学してきているからだ。

そして、メディアはこの指導によって病んでしまった、という一面だけを報じているけれど、冒頭に書いたようにそこには描かれていなことが2つある。これが僕がもやってしまったことだ。

 

まず一つ目。毎回の校歌・応援歌練習の後の様子だ。ひとたびこの練習が終わると、應援團は、まるで二重人格なのではないか、というくらいに優しい人に変わる。

「ごめんね、大声出しちゃって」

「走らせちゃって申し訳ない」

口々にお詫びと労いの言葉を発するのだ。しかし、また翌朝になれば鬼の形相に変わっている。でも、こういう本当の彼らの姿を知っているから、新入生もそういうものとして受け入れられるのだ。

そしてもう一つ。それは、新入生を脅す役をやっている應援團こそが、実は一番厳しい指導を受けているということ。

僕が通っていた埼玉県立の男子校では、夏休みに10回は救急車が来ていた。これは本当の話。声が枯れるまで大声で練習し、灼熱の炎天下の中でバケツをもってずっと外で立っている。とにかく怖い顔にならなければいけないから、常に眉間に皺を寄せていて神経が麻痺してしまう。

僕は吹奏楽部で、應援團と吹奏楽部は、野球応援で毎回一緒になり、応援のタイミングだけではなく、その裏で何が起きているのか全部見てきた。

だから本当に本当に「ご苦労様です、、、」と毎回思っていた。

そう、應援団員がもっとも過酷な指導を乗り越えてきているから、だから在校生は彼らに頭が上がらないのである。

そしてこの1週間を乗り越えると、應援團との関係性だけでなく、クラスメイトみんなが仲良くなるのだ。一緒に苦難を乗り越えた仲、というわけだ。入学して5日間でこんなに仲良くなるなんて、普通はないと思う。地味なメンバーも、一軍みたいなメンバーもみんな関係なく仲良くなる。一応進学校だったから、県内色々なところから生徒が来ていて、中学校が一緒の人は少ない状況。でもこの5日間で、もう何も恐れるものがなくなる状態なのだ。

 

こういう所までちゃんと取材をしたうえで、冒頭紹介したような記事は紹介されるべきだと思う。

一回、應援團に今からでも指導されてこい、この野郎

 

おっと、口が滑ったけど、薄い取材で金もらって食う飯ほどまずいってことくらい、分かって仕事してほしい。

 

2月15日 私はあなたではないから

土曜日、

 

 

とあるVoicyの番組を聞いていて、激しく同意してしまったことがある。

それは、他人に何かをレコメンドすることが苦手、ということに対してである。

例えば営業の場面を想像してほしい。

目の前のお客さんが、商品を買おうかな、どうしようかなって迷っている時に、最後の一押しをすること、いわゆるクロージングというアクション。これが苦手なのである。

私自身は、この商品・サービスに対して〇〇のような印象を持っており、△△だと思っています。

これは全然言える。また、お客さんの悩みに対して、この商品ならその悩みをこういう風に解決できるとは思います、とも言える。

ただ、全て最後に「個人的には」と付け加える。だって、あくまで私という人間からしたらそういう評価をしているけれど、それが本当に相手にとってもその通りなのかどうかは、私はその相手じゃないから分からないからだ。

あくまで私はそう思うけど、最終的にはお客様が決めること、それが僕のスタンスである。

だから営業時代の成績は良くなかった。

営業だけではない。部下や知人からの悩み相談に対しても、僕は基本的に同じスタンスである。

「〇〇さん、どうすればいいと思いますか?」こういう風に聞かれると、

「私個人の意見としては、こうだと思います。ただ、僕はあなたではないから、最終的に決めるのは、あなただと思います」というニュアンスで返してしまう。

もちろん、こんなにきつい感じではないけれど、概ねそんな感じだ。

だから、リーダーシップがないと、よく言われる。でも、それでリーダーシップがないと言われるなら、全く異論・反論はない。誰かに何かを強く推奨する、指示するということに全く興味がないことは事実だからだ。

それって責任放棄じゃないですか?と言われることもある。

でも、そのまま返してしまう。人に最終的な判断を委ねることの方が、責任放棄じゃないですか、と。

親子関係だったとしても、ひょっとすると僕はそうかもしれない。

別に親子は血が繋がっていても別の個体なのだから、それぞれが判断すべきだと思う。

「ドライだよね」

良く言われる理由はそこだと思う。でも、そういう考えなのだ、私は。

逆に、ワンマン経営の社長とか、宗教の教祖様とか、ああいうのには絶対なれないと思うとともに、あそこまで他者に対して教えを説くようなことができることに深く敬意を表する。

どうして他人に対して、絶対的にそうしたほうがいい、という風にレコメンドができるのだろうか。

無理だ。

リーダーシップがないとか、トップダウンで降りてきたことに対して全く言うこときかないとか、集団行動が苦手とか、散々言われてきたけど、全部ここに帰結するかもしれない。

自分が抱えてきたモヤモヤがスッキリした。

でも本当にそう、何度も言うけど、私はあなたではないから、最終的なこうしなさいという指示はできないし、判断もできない。私の意見は述べるけど、それが誰にとっても正しいなんて分からない。

だから、最終判断はあなたがするべきだ、と個人的には思う。これもあくまで、一個人の意見に過ぎない。

 

2月13日・14日 走り続けること

木曜日、そして金曜日

 

 

文章を書くには脳内にスペースが必要だ。

仕事で使う場所とは別のところにある場所。仕事で切羽詰まっていると、どうしても脳内でスイッチの切り替えが出来ず、文章を書くことが出来ない。

たった文章を書く、それだけなのに。取引先や社内へのメールや文章は作成できるのに、自分に向き合って文章を書く、というそれが出来ない。

この2日間、頑張っても4時間の睡眠を確保することが精いっぱいだった。

「え、早く起きてジョギングなんてしなければ、あと1時間は寝れるでしょ?」

過去に何度も言われたフレーズがこだまする。

そんなことは分かっている。でも、もしここで朝ランを諦めてしまったら、完全に仕事に溺れる気がして、そこだけは必死に抵抗している。

だから4時間なのだ。でも、6時間寝て朝ランを諦めるよりも、4時間睡眠で朝走ったほうが気持ちの持ちようが違うのだ。

それはそうと、この2日間、18時を過ぎるとビックリするくらい欠伸が止まらなくなる。

「えーーー寝ないでーー」と、チームメンバーに5回は言われた記憶がある。申し訳ない。そして、これは自分自身のパフォーマンスにも影響している。

僕は、自他認めるHSPである。周りにも言っているし、産業医にも診断書的なものをだしてもらっているから、周囲は理解してくれている。

だからと言って仕事が減るわけではない。資料を作ったり、自分で分析を進める業務は、がやがやしている日中のオフィスではできないから、もう残業ありきで仕事を考えている。

18時から24時の6時間が、自分の仕事が出来る時間なのだ。

この時間の冒頭から、もう睡魔が襲ってくるとなると、自分の作業も進まない。

「もうこの2日間が終われば休める」

そう思って頑張れた。

でも違った。

14日に大きなプレゼンを控えていて、その準備でずっと忙しかった。それがようやく昨日終わったのだが、実はもっと重い作業が来週、再来週、そしてここからずっと4月頭まで続いていく、というのがここ半月前くらいに判明した。

 

僕らが走り続けるにはゴールが必要だ。ゴールがない戦い、それが人生である。

知っているさ、そんなこと。だから人生は辛いのかもしれない。

でも、人生にも節目は存在する。入学、就職、結婚、出産、などなど。

こういう節目があるから、僕らはまたそこから頑張ろうって思えるのかもしれない。

 

これまでは少し違う考えを持っていた。

節目があるから頑張れないのだと思っていた。ゴールや区切りがない方が、むしろ走り続けることができるのではないかと。一区切りついてしまうと、そこからまた重い腰を上げるのが辛いから。まさに、日々のランニングと同じである。これも、一回止めてしまうと、もう戻れないかもしれない。

でも、ちょっと違うかもしれない。ランニングは、心が性急的に求めていることで、仕事はそうではない。

 

いま、泳いでも泳いでも、永遠に続く水平線を見ている気がする。死ぬまで水平線にたどり着けないと、思っている。でも、きっとみんなそうだ。この大海原をよく見ると、人々の大渋滞が起きている。

でも、ある人は無人島にたどり着いてそこで休憩しているし、ある人はボートで小休憩している。そこからまた頑張って、水平線を目指して泳ぎ続けている。

 

まだ足はつっていないけれど、腕が動かなくなってきている。

 

走り続けるためには、節目が必要なのかもしれない。

 

節目なんかいらない、そう唱え続けてきた自分自身に対して、それからそういう背中を見せ続けてしまったチームメンバーに対して、ごめんね、もそうだけど、労いと感謝をちゃんと伝えよう、そう思った。

 

2月12日 住み続けたい街

水曜日、

 

 

今朝ラジオを聞いていたら、「住みたい街ランキング」ではなくて、「住み続けたい街ランキング」というランキングが紹介されていた。

住みたい街、なら割と簡単にインタビュー調査して票を集めることができるらしいのだが、住み続けたい街ランキングの場合は、一つのエリアに対して一定数のアンケート調査をしなければならず、結構大変らしい。

だからこそ、それなりに回答者の質も高いのだという。

 

ちょっと嬉しかったこと。

少しぼやかすけれど、今住んでいる街、というか最寄り駅が、この住み続けたい街ランキングのTOP10の中に入っていたのである。

確かに、住みやすいとは思う。

一般的には住みにくそうって思われるかもしれないが、それは完全にイメージが先行している。

実際に住んでみると、そんなことない。

 

自分が今住んでいるところが、住み続けたい場所としてランクインするのは、なんか今の自分とか、自分の鑑識眼みたいなものを評価されているみたいで、なんか嬉しい。

 

ちょっとハッピーな朝だった。

 

2月11日 月とタワマンと彼女と猫

火曜日、

 

 

ちょっとお買い物を頼まれて、夕方護国寺を訪問。この辺り、とても懐かしい。

護国寺駅から目と鼻の先にはジュンク堂本店があり、大学生の頃は良く通ったものである。

今は内装が変わってしまって見えないのだが、当時は一番上の8階の一番奥の窓から、スカイツリーが見えたものだ。池袋という雑多な場所にも関わらず、上空には美しい景色が広がっている。そんな印象がある街。それが僕にとっての池袋、というよりも東池袋エリアである。

もしかしたら、それも影響しているのかもしれない。

時刻はまだ午後5時半。帰る前にジュンク堂に立ち寄ろうと思い、護国寺駅から歩く。地下鉄の駅としては2駅あるのだけど、徒歩10分くらいで着くのだ。

その時に通るのが雑司が谷霊園である。墓地好きの僕にとっては大好きなスポットである。

久々の雑司が谷霊園。もう日が暮れていたことや、だいぶ寒かったことも影響して、人はあまりいなかった。だから、逆に通行人同士が、互いに目配せしているような、そんな雰囲気もあった。

ゆっくりと歩いていくと、右手に自転車に跨って上を見上げている女性がいる。うーん、30代前半くらい?かな。彼女が見上げている先には満月がある。

夜と夕方の間の時間。そして風が吹いていて空気が乾燥している。非常にきれいな月が見えているのだ。

月の隣には、ここ数年前に建てられたタワマンが聳え立っており、窓からは光が漏れている。もっと向こうにはサンシャインが煌煌と光を放っている。

この月の自然は光と、ビルが放つ人工的な光のコントラストが、たまらない。

そして、彼女の自転車から2メートル先くらいには、丸々と太った(多分本当は太っていなくて、冬毛になっているだけだと思うけど)白い猫がふてぶてしくこちらを睨んでいる。

 

ああ、これだわ。生きてるって感じがした。

 

彼女はまだ自転車に跨って止まっていた。どうやら写真を撮っているようだ。

なんという偶然なのだろう。ここは、「月が綺麗ですね」を「I love you」という英語に訳した夏目漱石の墓がある場所なのだ。

さすがに話しかけるわけには行かなかったけど、僕はこの時、「月が綺麗ですね」は、I love youじゃないかもと思った。

この光のコントラストと、月とビルと墓地と猫、この関係性を考えると、「明日も頑張ろう(Let's keep going tomorrow)」もしくは「それでも人生は続いていくんだ(still, life goes on)」じゃないかなーと思った。

 

こういう社会で僕らは生きていくのだ、と改めて感じた。

明日も頑張ろう

 

2月10日 スリランカと沖縄

月曜日、

 

 

 

週末と祝日の中日である。いつもより、会社に来る人が少ない。

それを狙っていたという。後輩メンバーが僕のところにやってきた。

「そういえば、これお土産です。スリランカに行ってきました」

ん?スリランカ?どっかのレストランの名前とか、ラブホテルとかの名前じゃなくて、国だよね?思わず聞き返す。

「そうです、国です、海外です。年始に行ってきました」

初耳である。

あまりお土産を多く買って来なかったから、周りに伝えられなかったという。今日は、部署の多くの人が有休を取っていることを知っていたから、お土産を持ってきたという。

紅茶とアーユルヴェーダの石鹸と、そしてお香とお香立てまでくれた。至れり尽くせりである。

なるほど、確かに考えてみれば、今年の年末年始休みは長かったにも関わらず、さらにそこから1週間不在にしてたな、この人。そうだ思い出した。

面白すぎる。

現部署は、1月が超繁忙期だからあまり休みを取る人がいない。雰囲気もピリピリしている感じがする。だから言えなかったみたいだ。面白すぎる。

お菓子は食べてしまったという。面白すぎる。それで、最寄り駅から会社までの間で売っていたチョコレートを代わりに買ってきてくれるのも、面白すぎる。謎だ。

 

そして今日の午後。突如チャットにリゾート地の写真が送られてくる。海と虹である。

「あ、そう、金曜日から沖縄行ってます」

なるほど、だから今日休みなのか。

でも普通にTeamsでバンバン連絡返してるし、なんならリモート会議も画面オフで参加していた。まさにワーケーションをしている。

「これからミミガーをつまみに、彼と酒飲みまくります」

そうメッセージが来て連絡が途絶えた。フリーランスで過労で倒れてしまった彼の慰安旅行だったようだ。

いいやつじゃないか。

 

なんだよなんだよ、スリランカに沖縄って。

僕も温かいところにエスケープしたい。とか言って、やっぱり東京が好きだけど。