供養とは死者のために行うものではない。
残された者が過去にケリを付け、未来に目を向けるための儀式である。
心置きなく夏アニメを楽しむために春アニメの供養を行う。
2016年春アニメの終わり
季節が移り変わり、アニメが入れ替わる時期となった。多くの春アニメが終わりを迎え、一部の夏アニメがすでに始まっている。流れるように夏アニメへと移りたいが、少しばかりの心残りがあり、そうもいかない。というのも、春アニメについて言いたいことを出し切っていないからだ。
なので、この記事では俺が春アニメへの未練を断ち切るため、言いたいことを吐き出す。ブログに書こうかと思ったが、単体で記事を書くには至らなかったような話だ。それをこの際、一気にやってしまおうということである。感想まとめ、みたいに思っておけばいい。対象作品は、最終回を迎えた作品で、分割2クールも含める。当然、俺が見ていて言いたいことがあるものに限る。
とんかつDJアゲ太郎
俺はクラブに行ったことは無いし、これから行くつもりも無い。だが、この作品は面白かった。というのも、俺にとってはビジネス書を読む感覚で見ることが出来たからだ。特にこの手のやつ。
この『とんかつDJアゲ太郎』は作品の根幹からそうなのだけれど、「トンカツ屋」と「クラブDJ」という一見関係のなさそうな二つの間に共通点を見出し、片方で起きた問題をもう片方の知識・体験で解決していくのが実に面白い。特に俺好みであるのが、アゲ太郎がDJだけではなく、家業のトンカツ屋に対しても前向きになる点だ。どちらか一方を選択するのではなく、両方で成功を掴み取る。見ていて実に気持ちがいい。
もちろんこれをそのまま仕事に使える、とは言わないが、今まで積み上げてきたものを別の分野で活用する、というのは成功への定石であると俺は思っている。俺の体験で言えばこの記事に書いた。
『とんかつDJアゲ太郎』は何かを新しく始めようと考えている人にはぜひ見てもらいたい作品である。
ふらいんぐうぃっち -flying witch-
一言で説明するならば、優しい世界。しかしその世界にも終わりが訪れ、二期も当分の間は無いであろうということで、難民化した者も多いだろう。
ところで、この世界では魔女は東北に多くいることになっている。また、一般人には魔女であると知られてはいけない、ともなっている。実はこの二つには関連があり、歴史的な理由があるというのは知っていただろうか。
かつての日本において魔女は公の存在であり、国の統治に深く関わっていた。中でも有名なのが邪馬台国の卑弥呼である。この頃の魔女はその力によって人々をまとめ、導いていた。魔術は秘匿されるようなものではなく、魔女たちはその身に、民衆から敬意と畏怖の念を受けていたのである。
http://www.flickr.com/photos/99199458@N08/27217609366
しかし6世紀に状況が大きく変わる。仏教が伝来したのである。蘇我氏を始めとする仏教勢力にとって魔女は邪魔な存在であった。神祇・神道が持つ弱点であった穢れに対する不可触、すなわち病や死などに対処するための方策として、仏教と魔術は役割が被っていたためである。怪しげな術を使い、人民を惑わす。そう言って仏教勢力は魔女を攻撃した。
そしてついに587年、丁未の役により、諸皇子を味方につけた蘇我馬子が、武力をもって物部守屋を滅亡させたことによって朝廷は仏教に支配される。こうなった以上、魔女たちは朝廷の力が及ばないところへ逃げるしかなかった。そこで蝦夷の勢力圏、すなわち現在の東北地方へと身を寄せたのである。
だがそれで魔女たちの受難は終わらなかった。完全に仏教の支配下に置かれた朝廷は魔女根絶のため、討伐軍を差し向ける。必死の抵抗を続けた魔女たちであったが、801年、征夷大将軍となった坂上田村麻呂によって壊滅的な被害をうける。さらに翌年、蝦夷を率いていたアテルイが降伏したことにより、魔女たちは面と向かって抵抗することを諦め、その存在を秘匿することで生き延びることにしたのであった。
……とまあ、このようなネタを思いつき、記事にしようかと考えていたのだが、上手い落とし所を用意できなかったので書くことは無かった。
坂本ですが?
最後の坂本の顔を見てコイツを思い出したのは俺だけでは無いはず。
向きが逆だけど。
12歳。~ちっちゃなムネのトキメキ~
すべてはここに書いた。
ココアさんは最後までどうしようもないココアさんだった。
ちなみに7/4から1期の再放送が行われ、10月からはセカンドシーズンの放送が決定している。追いかけるなら今がチャンス。
ハイスクール・フリート
はいふり学を履修していない俺にとって、この作品を考察することはできなかった。
あんハピ♪
最終回まで見ても『あんハピ』について言いたいことはこの記事でほとんど書いたと言える。
しかし、一つだけ言い残したことがある。それはクマへの対処だ。
不運な少女は現実を受け入れる - 本しゃぶり6話でクマにビンを投げつけるという愚行が肯定されたまま終わったからムシャクシャして書いた
2016/05/28 19:48
セルクマにも書いたとおり、もともとこの記事はクマへの対処に腹だしさを感じて書き始めたものであった。しかし、書いているうちに、そのことについて書かないほうが記事がまとまることに気がついてしまう。そこで愚行への指摘はバッサリ切り捨てたのだ。だがそのために俺の中のモヤモヤは収まらない。なのでここに書く。
忘れている人も多いだろうから、この時の状況を自分の記事から引用する。
6話において、開運オリエンテーリングで山に登ったハナコ達にかつてない危機が訪れた。クマとの遭遇である。
この時のハナコたちを説明するのなら、パニック、の一言に尽きる。その結果、彼女たちの取った行動はまさに悪手。手持ちのビンをひたすら投げつけ、興奮したクマは彼女らに襲いかかった。
明らかにこの行動はひどい。特に以下の2点が。
- 物をぶつけてクマを刺激する
- しゃがんだままでいる
これではクマに襲ってくれと言っているようなものだ。今回のような20m前後の距離でクマと遭遇し、こちらに気がついている場合、取るべき行動をまとめると以下のようになる*1。
- 落ち着く
- ゆっくり動く
- 立ち上がり体を大きく見せる
- 穏やかに話しかける
とにかく、落ちついてクマを刺激しないことが肝心である。ちなみにこの「話しかける」というのは他の肉食獣に対しても有効な対応なようで、例えばカラハリ砂漠で暮らすサン人はライオンに遭遇した時、話しかけながらゆっくりと歩き、視界から遠ざかるという*2。決して「獲物」のような行動を取ってはならない。
とはいえ、普通の女子高生がクマに会った時、冷静に対処できなくても仕方がないとも言える。だから俺もこれだけならばここまで気にしなかった。本当の問題はその後だ。一段落したことろで、クマにビンをぶつけたから助かったなどと言い始めたのだ。助かったのはあくまでも先生がライフルを持っていたからである。ただでさえ間違った行動だというのにそれを肯定。『あんハピ』は作品として良かったが、これだけは許されない。
鬼斬
OP見たら満足した感ある。
ハンドレッド
ちゃんと最後まで見た。気にするべきはこれに書いたことがどうなったか、ということだろう。
つまりこの『ハンドレッド』という物語は、敗北の運命に知力を持って抗うエミリアと、運命に選ばれたその他ヒロイン達による戦いを描いているのだ。
エミリア大勝利!
終わりに
他にも最後まで見た作品はなるのだが、力尽きたのでこれで〆る。気が向いたら追記するかもしれないが、今までの経験上まずやらないだろう。
とりあえずこれで春アニメに思い残すことは無いとし、夏アニメの選別に取り掛かりたいと思う。