異なる支援運動を「踏みつける側」に位置づけようとする運動家が、同日に他人をはっきり踏みつけていたのでどうしようかと悩んでいる - 法華狼の日記

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他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

異なる支援運動を「踏みつける側」に位置づけようとする運動家が、同日に他人をはっきり踏みつけていたのでどうしようかと悩んでいる

発端は、NPO「あなたのいばしょ」の大空幸星氏がメディアで辺野古反対運動に対して抗議手段を制限させようとしたことだった。


座り込みやハンストは入管施設内等の限られた手段しかない人の手段として残しておくべきであり、10分の座り込みでも立派な抗議という論は行為の持つ意味を弱体化するとコメントしました。沖縄タイムスの記者はそれに対して当事者以外は語るなという意見。リベラルの排他性に反吐が出ます。 #アベプラ

もちろん西村博之氏に加担するような大空氏の発言はさまざまな立場から批判されている。
一般社団法人「Colabo」の仁藤夢乃氏も、大空氏を「踏みつける側」に位置づけ、「矮小化」しているかのように批判していた。


踏みつける側は、踏みつけられている側の声を意図的に嘲笑い、矮小化し続けてきた。今まで相手にするのも馬鹿馬鹿しくて言及しなかったが、こんな人に子ども支援に関わらないでほしいし、ビジネスとして自殺対策を謳う団体を国が利用していることにも失望している。

ここでNPO「虐待どっとネット」の中村舞斗氏が、「Colabo」が支援を断る事例をもって仁藤氏を「踏みつける側」に位置づけた。


仁藤さんのとこで支援断られたって人がけっこううちに流れて来るので踏みつける側になってないか今一度振り返ってほしいわ

発端からして運動家が他の運動を否定し、そうした主張が入れ子細工のように重なりあっている。
もちろん運動家が近い立場の運動を批判すること自体は一般的に珍しいことではない。それぞれの主張について評価するにあたっては最低限の事実確認も、評価基準の妥当性も必要だろう。
他の支援活動に断られたという逸話については、無戸籍問題などにとりくんでいる元衆院議員の井戸正枝氏の指摘がある。


DVや虐待を受けた人々の支援の現場にいると、「他団体に相談に行ったが受け入れられなかった」「思ったような支援を受けられなかった」などと言う人が少なからずいる。
そう言うと、新たな相談先が喜び、自分に対しての支援が厚くなるといった経験値、もしくは期待値が少なからずあるからだろう。
実際、最善を尽くしたとしても、相談者にとって最適な支援が提供できるとは限らないし、支援は相性の部分も多分にあり、時に他団体の方が良い場合もある。いくつか回って、結果、また戻ってくる場合も多いので、私の場合は追わない。
他で悪く言われても、当事者にとっては回復に向けてのプロセスのひとつで、内容がどんなに理不尽でも「それを含めて支援」であることも多いからである。
逆に言えば相談者から他の団体の悪評を聞いても鵜呑みにはしないし、それを垂れ流しもしない。
本当に心配な時にすべき対応はそれではないからだ。

この井戸氏のツイートにしても、支援対象者の問題という理解にならないよう注意して読む必要はある。あくまで一般論であって「Colabo」に問題がある可能性の直接的な否定ではないことも留意したい。


しかし、すべてをすくいきれないことをもって「踏みつける」という表現が当てはまるかは、やはり疑問であるといわざるをえない。
すべてをすくうと仁藤氏自身が表明していたなら支援を断ることが批判されてもしかたがないが、実際は民間の限界と公的事業の重要性をくりかえし語っている。


必要に迫られて、緊急避難用の一時シェルター、暮らしを支える中長期シェルターを自主事業で増やしてきましたが、お金になるわけではありません。私たちが15部屋増やしたところで、バスだけでこの2年間で1300人に出会っているのに、ほんの一部の受け皿にしかなりません。公的な受け皿が必要です。


厚労省と東京都の「若年被害女性等支援モデル事業」の一環として、アウトリーチやバスカフェは開催していますが、
児童相談所が適切な対応をしないために、自分から助けを求められる状態にある、性搾取などの被害に遭う前の子たちへの対応でColaboがいっぱいいっぱいになってしまっています。

一般論として、慈善事業にすぎない民間活動に限界があることは留意されるべきだが、公的活動にはすべてをすくう原則がもとめられる。その意味で中村氏の主張と仁藤氏の主張は同等ではない。
また、先日には「Colabo」のシェルターが多人数を無理に収容する「タコ部屋」などと事実誤認まじりの不当な非難がされていた。hokke-ookami.hatenablog.com
ならば生活環境を破綻させないためにも、支援を断ること自体には問題がないと、非難していた人々は認めざるをえないだろう。


さて、ここまでは支援運動がすべてをすくえないことが「踏みつける」ことなのかどうかを考えてきた。
しかし話題になっていた中村氏のツイートをまず単独で見かけて、アカウントから発言の文脈を追おうとした時、困惑せざるをえないツイートが目に入った。


なにこれ

これ止めたら済む話ちゃうの

まとめブログ「もえるあじあ ・∀・」のツイートへの排外的なリプライを引用リツイート。その引用先の「Ikuzo(幾三)@Ikuzo0805」氏は「万世一系の国体を護持。改憲を熱望。日本の未来、子供たちの輝く未来のために。」とプロフィールにかかげている。
念のため、「なにこれ」という一言だけならば肯定とも否定とも判断できない、という解釈ができるかもしれない。しかし中村氏はリプライ先のツイートにいいねまでつけていた。


【は?】玉木代表「『外国人留学生の受入れ支援拡大より、日本人学生をもっと助けて欲しい』という声が届いてます」→岸田総理「学生の経済支援、社会全体でどう負担していくか・・」

国葬反対と葬儀反対を混同するくらいの過ちなら目をつぶりたいが*1、排外的なまとめブログを否定もせず紹介するとなると話は違ってくる。
中村氏のツイートを素直に解釈すれば、「踏みつける側」になってないか仁藤氏に反省をうながしながら、半日もたたずに外国人留学生を「踏みつける側」に加担したわけだ。


ただひとつ注意したいのは、「もえるあじあ ・∀・」が差別を扇動する対象に、おそらく中村氏のルーツや立場も入っていること。


以前にも少しつぶやいたことがあるんだけど、僕って日韓のハーフなのね。それを知るまでの過程を書いてみようかと思う。たしかお母さんに聞かされたのは小3くらいの頃だったと思う。自宅の階段が僕とお母さんで秘密の話をする場所だったんだけどそこで
「実はな、韓国人だからとうろくしょうっていうのをつくらなきゃいけないねん」なぜこれが小3の頃だったのか理解したのはほんの数年前なんだよね。20歳の頃に日本国籍を取得したんだけれども、そのときに僕は8歳まで無戸籍だったことを知ったの。そのときの衝撃たるや🥱⚡️

出産前に日本人の父親が行方不明になり、無戸籍で虐待を受けて育ったという中村氏が、虐待サバイバーを支援するNPOを起業したところまではいい。
そうしたプロフィールから逆に、排外主義的な意見へ加担してしまう場合があることも理解はする。理解はするが、それは正当ではない。

www.youtube.com

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