あぢきなし 形容詞(ク活用) - 減点されない古文

あぢきなし 形容詞(ク活用)

「ものの道理」が通らねえ・・・

意味

(1)(道理があわず)思うようにいかない・どうにもならない・どうしようもない

(2)(する)かいがない・無意味だ・むなしい

(3)おもしろくない・つまらない・にがにがしい

ポイント

もとは「あづきなし」でした。

漢文の「無道」「無状」などを「アヅキナシ」と訓じるので、「アヅキ」の部分は「道理」とか「正常の状態」などを意味していると考えられます。

「あづきなし」は、のちに音変化して「あぢきなし」となっていきました。

「道理」が「無い」ということであり、「通常の理屈がない状態」「正攻法が通じない状態」などを意味します。そのことから、「思うようにならない」といった訳になります。

「こうなったら次はこうだよね」っていう論理がないという感じなのかな。

そんな感じです。

どうにかしようとしても「通常の道理にあわない状態」なので、「どうにもしようがない」ということになります。

そして、「どうにもしようがない」状態に対しては、多くの場合「するかいがない」「むなしい」といった心情を抱きやすいですよね。

そうやって(2)(3)の意味に発展していくのだな。

文脈にもよりますが、たとえば恋愛面の話題において、「和歌を送っても返歌が来ない」という状況は、「道理(お約束)」に外れている感じがしますよね。

そうすると、和歌を送ったほうは、「送るだけ無駄だなあ・送るかいがないなあ・むなしいなあ」という心情になりますね。そういう「無力感」を意味しているのが(2)です。

あるいは、「おもしろくないつまらないにがにがしい」という心情になるかもしれませんね。そういう「不満」を意味しているのが(3)です。

ああ~。

そういう「道理」が通用しないと、「成就」や「達成」が期待できないから、様々なアクションも「するかいがなくて、むなしい」と思えるし、また「おもしろくないし、つまらない」とも思えるね。

実際には(2)(3)の心情は同時に抱えることも多いですから、「むなしくてつまらない」などいう訳をすることもあります。

ちなみに、そういう「むなしくてつまらない状態」を、「味も素っ気もない」と表現することがありまして、この「味」「気」を、「あぢきなし」に当てたのが現代語の「味気ない」につながったのではないかとも言われています。

例文

例いとよく書く人も、あぢきなう皆つつまれて、書きけがしなどしたるあり。(枕草子)

(訳)いつもはたいそう上手に書く人も、(天皇の御前なので)どうにもならないほど皆遠慮してしまい、書き損じなどした人もいる。

さしも危ふき京中の家を造るとて、宝を費やし、心を悩ますことは、すぐれてあぢきなくぞはべる。(方丈記)

こんなにも危険な都の中の家を建てるといって、金をむだにつかい、心を苦しめることは、特にかいがないこと【無意味なこと・むなしいこと】でございます。

あじきなきすさびにて、かつ破り捨つべきものなれば、人の見るべきにもあらず。(徒然草)

(訳)つまらない慰み事であって、すぐに破り捨てるはずのものなので、人が見るはずのものではない【人が見るに値しない】。