「世紀の大誤審」角界を変えた一枚…昭和の大横綱・大鵬が負けた日
6月10日に創刊150周年を迎える報知新聞の特別企画「スポーツ報知150周年 瞬間の記憶」。今回は「荒れる春場所」です。2年ぶりの大阪開催となる大相撲春場所が、13日にエディオンアリーナ大阪で初日を迎えます。53年前の1969年春場所2日目、大横綱・大鵬の連勝が「45」でストップ。ただ、この一番は映像などから「世紀の大誤審」と呼ばれ、勝負判定の参考としてビデオが導入されるきっかけの一つとなりました。
大鵬は30連勝以上を4度記録したが、45連勝はその中で最後に記録した。61年秋場所後に横綱に昇進してから、間もなく7年を迎えようとした68年秋場所2日目。そこから45連勝が始まったが、当時は左膝など度重なる故障に悩まされ、5場所連続休場(うち3場所は全休)明けだった。場所直前の報知新聞には「“進退”かける」との見出しが。初日には後の関脇で当時平幕の栃東に、実質初顔合わせ(初戦は不戦敗)の一番で一気に寄り切られて完敗している。
ただ、それでも強さは健在だったという。元栃東の志賀駿男さん(77)は大鵬に1勝6敗(不戦勝は除く)。「当たってもフワッと柔らかく包み込まれるようで、押しても押しても全く通じない感覚だった」と回想。大鵬のライバルで、ともに「柏鵬時代」を築いた横綱・柏戸は「はね返されるような当たり」(志賀さん)という印象で、対照的だという。
元関脇・藤ノ川の森田武雄さん(75)は、伊勢ノ海部屋で柏戸の弟弟子。45連勝目の相手でもあった。大鵬には1勝16敗と圧倒された。「大鵬さんは負けない相撲だった。柏戸さんは一直線の相撲で、立ち合いの変化などに負けるケースがあった。大鵬さんは相手をじっくりと見ながら。横綱相撲だった」と両雄を比べながら振り返った。
また志賀さんは、自身が幕下だった63年の地方巡業で見た光景を今でも覚えている。当時の5大関(北葉山、佐田の山、栃ノ海、栃光、豊山)全員を相手に30番ほどの申し合いを行い、一番も負けなかったという。栃光の付け人をしていた志賀さんは、土俵下で衝撃の稽古を目の当たりにした。「あんなことは後にも先にも大鵬さんだけだと思う。土俵の下であっけにとられていた。そのくらい強かった」と興奮気味に語った。
優勝回数は白鵬に最多(45回)を譲ったが32回。6連覇を2度も達成するなど、数々の記録は大相撲の歴史に燦然(さんぜん)と輝いている。