音楽そして歴史散策:SSブログ
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アメリカン・ミュージックの巨星逝く:Quincy Jonesの思い出 [音源発掘]

いつまでも、夏の暑さの余韻が残り続いていた今年の秋でしたが、別名「霜月」と呼ばれる11月に入り、その名の働きがあったのか、ようやくこの季節本来の陽気を感じられるようになった昨今。

おかげで、これまでの暑さはガタの来た体には良くないと、外歩きを控えていた私も活動開始、鈍った体を鍛え直さなければと積極的に外歩きを始めたのですけど、その矢先に飛び込んで来たのが、Quincy Jonesの逝去を知らせる悲しいニュース。

この人、日本では史上最も売れたアルバムと言われる Michael Jacksonの”Thriller”やアフリカの飢餓救済のためのチャリティーソング”We Are The World”のプロデュ-サーとしてその名を知られている人なのですが、実は、その人生はまさに現代アメリカの音楽の歴史ともいえる、遥かそれ以上の存在で、時代の節目々に次世代の音楽をプロデュース・世に提示して来た偉大なるアーティストなのです。

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そこで、今回はQuincy Jonesを偲んで、私の思い出に残る彼の音楽遺産の軌跡に耳を傾けながら共にその足跡を辿ることしたいと思います。


さて,Quincy Jones、その活動の始りは、1951年。
バークリー音楽大学を卒業後に参加した、Clifford Brown、Art Farmer、Benny Golson、Johnny Griffin等、後にジャズの歴史に名を残すことになる多くの若手の名手たちを要した ヴィブラフォン奏者・Lionel Hamptonの楽団への参加。
当初は、トランペット奏者としてメンバーに加わるも、そこでアレンジャー才能を認められ楽団のためアレンジを手掛けるようになります。

そして、早くも1953年には、彼のアレンジャーとしての初のリーダー作品”Jazz Abroad ”を収録・発表。
続いて1954年12月には、不朽の名盤として今も多くの人に愛される、女性ヴォーカリストのHelen Merrillが100年に一人の逸材と言われる天才トランぺッターClifford Brownと共演した、彼女の初スタジオ・レコーディング作品”Helen Merrill with Clifford Brown”の編曲を担当、アレンジャーとしての優れた資質を世に知らしめることになるのです。

ヘレン・メリル・ウィズ・クリフォード・ブラウン.jpg


そこで、Quincyの残した私に思い出の中の音楽遺産、最初の演奏は彼の名を世に知らしめることになったこの作品から、まずは1曲お聴きいただくことに致しましょう。

曲は、あの八代亜紀さんもデビュー前より 好み歌っていたという、”You'd Be So Nice to Come Home To”です。





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デュオの真髄を知り極めた二人の魅惑のライブ作品;Charlie Haden,Jim Hall [音源発掘]

ここのところ続いた、西田敏行さんやピーコさん等、70年代・80年代を賑わした著名人の訃報。

なかでも西田敏行さんは、一時私が鹿児島に住んでいたこともあって、1990年の大河ドラマ「飛ぶが如く」の西郷隆盛役で、何を言っているのかをなんとか理解出来るようになっても、実際に自分で話すとなると超難しく出来なかった鹿児島弁を、見事にこなし見せた俳優さんとして、その演技の巧さに本当に驚かされ敬愛していた人だけに、その突然の逝去はかなりショック。

この鹿児島弁の巧さ、鹿児島生まれの方も絶賛していたほどだったのですけど、アドリブも巧く常にユーモアたっぷりの暖かみを感じさせるその姿は最高で、まだまだその姿を見せていただきたかったと、残念な気持ちで一杯です。

なにともあれ、今はそのご冥福を心からお祈りするばかりです。




さて、そうした訃報に触れ、ようやく姿を現し始めた秋の空気の中で、さらに増して感傷的な気分をつのらせている、今日この頃の私なのですが、今回取り上げる作品は、そうした気分の中で聴き親しんでいる、秋の風情を一層育み心の奥底まで届けてくれたベースとギターのデュオ作品。

Charie Haden  & Jim Hall.jpg


1990年7月、カナダで開催されたMontreal International Jazz FestivalでのベーシストのCharie Haden と ギタリストのJim Hall、その二人の巨匠によるデュオライブを捉えた作品”Charlie Haden,Jim Hall”と致しました。

この作品、まず興味を惹かれたのは、なんと言っても、ギタリストのPat Methenyとの”Beyond the Missouri Sky(邦題;ミズーリの空高く”をはじめ、ピアニストのKeith Jarrett、Kenny Barron、Gonzalo Rubalcaba 等との多くのデュオによる名作を 残しているCharie Hadenと、
1962年、ピアニストのBill Evansとのデュオによる不朽の名作”Undercurrent”を残したJim Hallという、デュオの真髄を知り極めた二人による唯一のデュオ作品であるということ。

かく言う私も、デュオの真髄を知り極めた二人の唯一の作品ということから、この作品に大いなる興味を抱き、早速Getし聴いてみたものなのですが、聴こえて来たのは二人だけの演奏でありながら、広い会場一杯に幾筋もの音が交差し舞い、瞬く間に聴く者のすべてをその空間の中に埋め尽くしてしまっていた、この二人ならでは究極のデュオ・サウンド。

二人の妙技を尽くしたそのプレイに、すっかりのめり込んでしまい、これは多くの人に聴いていただかなければと、ここに取り上げることにしたものなのです。


それでは、前置きはこのくらいにしてその二人の演奏、まずは耳傾けていただくことに致しましょう。
曲は、Charie Haden作曲の静かなる名曲”First Song "です。

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芸術の都の国より現れたシンフォニック・メタルの新星:Avaland・ The Legend Of The Storyteller [音源発掘]

最高気温30℃にもなる日があった今年の10月。

このいつまでも続く暑さ、日本は早、温帯ではなく亜熱帯地域になってしまったのではないかと思うほど。

そして、その話を裏付けるかのように聞き驚かされたのは、TVで見た東京湾に出現したサンゴ礁と、その回りを泳ぐ熱帯魚のような魚の映像。
放送によれば、これは、ここ数年の東京湾の海水温上昇により発生したものだというのですが、その現象を引き起こしているのが、日本の南から流れて来る暖流・黒潮蛇行によるものだとのこと。

この黒潮の流れ、本来は房総半島沖を通り三陸沖で北から流れて来る親潮とぶつかるルートを流れているはずなのに、ここ数年は、房総半島に接近し、一部は半島先端にぶつかり東京湾に流れ込むようになってしまったからなのだとか。

おかげで、湾内の水温は、今や源流の南の地に迫るほどのものとなり、そこに、潮の乗って流れ来たサンゴや熱帯の魚が棲みついて、このTV映像の事態となった訳なのだそうですが、この水温の上昇は、今後、従来の東京湾の生態系にも大きく影響を及ぼす恐れがあるのだとのこと。

となると、心配されるのが、東京湾の新鮮な海の幸を材料とした江戸前寿司のネタである、湾内で捕れるコハダやスズキ、アオヤギ、ミルガイ、サワラなどの行く末。

その杞憂、いささかぶっ飛びすぎた発想なのかもしれませんけど、もし、それら海の幸が東京湾より消滅したら..............[爆弾]

これは、コハダ好きの私にとっては、大問題[exclamation×2]

などと、誠につまらぬ自分勝手なことを考えてしまって。

ともあれ、温暖化の影響と思われるこの事態、このまま進めば急速に私たちの日常に大きく影響し、これまで出来たことや当たり前であったことを、すべて消し去ってしまう事態となるかもしれない。

この東京湾のサンゴの映像は、今、頻繁に起きている異常気象だけではなく、私たちの日常生活にも深刻な影響を及ぼし始めていることを痛感することになりました。


さて、ここから本題。

前回は、若かりし愛聴していたジャズ作品を、久々に聴きながらご紹介させていただきましたけど、今回取り上げるのは、一気に時代を飛び越えて、近年ロック・シーンに登場した若手アーティストのこの作品。

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2018年に登場したフランス出身のシンフォニック・メタル・バンドAvaland、 その彼らの第2作目となる2023年発表の”The Legend Of The Storyteller”です。

いい年をして、よくこうした新鋭のメタル作品まで目が届きますねと思われるかもしれませんが、彼らとの出会いの発端は、私の勘違いの早合点がその大元。

実は、この夏場はその鑑賞時間の多くを、涼みながら若き日に聴いていたジャズ作品ばかりを聴き過していたのですけど、どういう訳か季節変わりの気配を感じられるようになったところで、シンフォニック・メタルの作品が無性に聴きたくなり、ならばお気に入りのドイツのスーパーメタルオペラプロジェクトAvatansiaの新作でも探し聴いてみようと、物色していたところで見つけたのがこの作品。

と言えば、偶然、この作品を見つけたように思われるかもしれませんけど、お恥ずかしいながらその実は、バンド名の頭にあるAvaだけ見て、これはAvatansiaの新作だとハヤトチリしてしまったのがその真実。
そして、疑うことなくAvatansiaの新作と思い込み喜び勇んで聴いてみたところ、音はシンフォニック・メタルではあるも、Avatansiaのサウンドとは何か違う。

とは言え、直感的ではあるものの、新鮮で聴き応えがあるサウンドで良かったなあと感じたことから、そのバンド名を見直してみたら、これがAvatansiaならずAvalandというバンドの作品だったというのが事の次第。

と笑い話みたいな顛末で、自分自身耄碌したな思いつつ、そのボケ爺が見つけ良さを確信したこの作品、この辺で聴いていただき、まだ大丈夫と自負しているものの私のボケの按配、判定していただくことに致しましょう。

曲は、”Crimson Tyranny”。
なにとぞ、よろしくお願い致します。








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いつもでも色褪せることのない至高のバラード・プレイ:John Coltrane・Ballads ☆ 本日の作品;vol.169  [デジタル化格闘記]

ようやく、日中の強烈な日射しも幾分和らぎ、夜になると日々虫たちの鳴き声も増して、そんな風情に安堵する本格的な秋が訪れを感じられるようになった今年の9月終盤。

「時はまさに芸術の秋」などとカッコをつけるわけではないけれど、こうなると妙に楽の調べが恋しくなって来てしまうもの。

特に今年の夏は、久々若き日によく聴いていたMiles Davisの作品に耳を傾けてしまたっことから、その時期に聴いていたその他の作品が無性に恋しく聴きたくなってしまい、今は、かの日に聴いていたアナログ・レコードを選び出し、気軽に持ち運び聴けるようにとデジタル化し懐かしき旧作を楽しんでいるところ。

そこで今回は、そうしたその昔よく聴いていた作品の中で、その思い出に浸り聴いているうちに、いつの間にか深くその音の世界に引き込まれてしまった、そうした作品を取り上げご紹介することにいたしました。


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その作品は、John Coltraneの1961年制作作品の”Ballads”。

本作は、名盤中の大名盤と言われる作品で、ジャズの初心者向けとしても広く紹介されている作品なのですが、燃えさかる魂の叫びとも思える激しさ有したColtraneの諸作品の中にあって、スタンダード・バラード・ナンバーばかりを演奏・収録した、静を感じるColtraneにとってはやや異質な作品と言えるもの。

とは言ってもColtrane、このImpulseレコードより発表された本作以前のPrestigeやAtlanticレコードの諸作品でも、おりにつけバラード曲を演奏・収録しており、そこから湧き出る深淵かつ静謐な祈りさえ感じるプレイは、まず他のア-ティストには感じられない独特の境地がある。

特に本作でのバラード・プレイは、1962年9月、巨匠Duke Ellingtonをピアノに迎え制作した作品”Duke Ellington & John Coltrane”を挟んで制作したものであり、さらに本作の後 1963年3月、男性ヴォーカリストJのJohnny Hartmanを迎え制作した作品”John Coltrane And Johnny Hartman ”と、バラード系作品の制作が続いた時期のもので、そのどれもが名作として語り継がれていることから、Coltraneのバラード・プレイの集大成とも言えるものではないかと思うものなのです。


それでは、Coltraneが残してくれた珠玉の名演奏。
秋の夜長、虫の音の心地良さに身を任せ、まずは、1曲聴いてみることに致しましょう。

曲は、今も多くアーティストによってカバーされ続けている名曲、”You Don’t Know What Love Is (あなたは恋を知らない)”です。



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日本語ロックを根付かせた奴らの未発表ライブ:Downtown Boogie Woogie Band:Studio Live 1979 ☆ 本日の作品;vol.168 [デジタル化格闘記]

9月に入り、日中の暑さは相変わらずであるものの、朝晩は幾分凌ぎやすくなりましたね。

おかげで、夜はエアコンのお世話にならずにグッスリと眠れるような日もあって、気分も爽快。

そうなったところで、ならば、ちょっと部屋の片づけでもしてみようかと思い立ち、そそくさと取り掛かったところ見つけたのが、以前よりどこへ行ってしまったのかと探し続けていたカセットテープ。

未発表音源を収めたのお宝であることから、痛まぬよう大切に扱わねばとさっそくデジタルに変換し保存したのですが、スタジオでのライブであるもやはりライブ、オリジナルのレコード音源より生き生きした躍動感がありずっと良い。

おかげで、数年来探し続け、やっとのことでみつけたことの喜びもひとしお。

そこで今回は、その喜びを、訪れてくれる皆さんと共に分かち合いたいとうことで、そのお宝音源をご紹介することに致しました。



さて、そのお宝音源とは????

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宇崎竜童が率いるDowntown Boogie Woogie Bandの、1979年・FM東京のスタジオで収録されたスタジオ・ライブ。


とは言ってもDowntown Boogie Woogie Band、我々世代には懐かしいものがあるものの、1981年に解散してしまったことから、若い方々の中には全く馴染みのないという方も多いと思われますので、まずは、そのプロフィールをご紹介すると、

Downtown Boogie Woogie Bandは、日本のロック・シーン開闢の時期において、1972年にあの矢沢永吉をリーダーとして結成デビューしたCAROLに続く 翌1973年に宇崎竜童を中心に結成デビューしたバンドで、
 
翌1974年には、同年12月発表の3作目のシングル”スモーキン・ブギ”が、続いて1975年3月発表の”港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ”が大ヒットで大ブレイク。

その後は、ラテンR&B等ロックン・ロール外のジャンルのサウンドをベースとした曲を発表ヒットさえつその地位を不動のものとして行きます。

そして、1978年には、増村保造監督よる映画”曽根崎心中”のサウンドトラックを担当、その翌年の1979年には、高木彬光原作、村川透監督による映画”白昼の死角”に主題歌”絶望の街”を提供すると共にバンドとしても映画出演。

等と、CAROLと共に、それまでの日本語によるロックの可否論争に終止符を打ち、"日本語ロックブーム"をけん引、決定付けたバンドなのです。



さて、今回ご紹介するライブ音源は、1975年に解散したCAROLの後を受け日本語ロックの代表的バンドなっていたDowntown が、多くのサウンド・エッセンスを吸収し日本独自のロックを生み出し、ジャパン・ポップの世界に大きな影響を及ぼすようになった、彼等の絶頂期の演奏を収めたもの。

当時の私は、それまでDowntownについて、キワモノでこの人気も一過性のものだと見ていたのですが、たまたまFMで彼らのスタジオ・ライブの放送があることを知り、よく聴かずに評価を下すのはちょっとまずいと考え聴いてみたところ、その良さに見識をあらためさせられることになってしまったものなのです。


それでは、そうしたDowntownの未発表音源、とにかくにも聴いていただくことに致しましょう。
曲は、Downtownが初めてラテン・サウンドに挑戦した宇崎竜童作曲、阿木燿子作詞による1977年のヒット曲、”サクセス”です。



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危機一髪寸前の緊張感を内包したLive作品:Miles Davis ln Tokyo☆ 本日の作品;vol.167 [デジタル化格闘記]

前回は、Miles Davisの軌跡を辿り、その音楽を共に聴いてまいりましたが、今回のお題も前回に続いて再びMiles Davis。

前回、記事を書きながら私も、超久々にMiesをじっくりと聴かせていただいて、その凄味を感じ、あらためて彼が成し得た偉業の大きさに畏敬の念を抱いてしまったのですけど、そのMiesの作品を聴き進むうちに出会ったいくつかの作品の中の一つに、以前から何回も聴いていた作品であるにもか関わらず、こうして軌跡を辿り聴いてみると、これまであまり気に留めていなかった他の作品にはない。異色の面白さを発見することになったのです。

以来、その作品にご執心となってしまっているのですが、聴いているうちにその面白さ、一人だけで楽しんでいるのは、何か心寂しい。

やはりその感動、ここで誰かと共有したいものと、そうした思いが芽生え来てしまったのです。

そうした訳で今回も、ご執心となっているそのMiles作品、Miles 続きなってしまいましたが、ご一緒に聴いていただきたく、ここに取り上げることと致しました。


その作品が、こちら

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1964年7月、Miles Davis初来日の際の東京公演の模様を捉えた”Miles Davis ln Tokyo”です。

本作は、1962年Milesが、メンバーの独立により自己のグループを解散、その後、新しいメンバーにHerbie Hancock (ピアノ)、Ron Carter (ベース)、Tony Williams(ドラムス)迎え活動を開始、1963年5月の”Seven Steps to Heaven”のスタジオ・レコーディングを区切りに、ライブ活動のみに徹していた時期のもの。

この時期のライブを捉えた作品としては、1963年のライブを捉えた”Miles Davis in Europe”に始まり、1964年の”My Funny Valentine”や”Four & More”、”Miles in Berlin”があり、そのどれもが今もって高い人気を得ている作品なのですが、本作はその一連ライブ作品の中にあって、唯一、日本の地でかつ日本人の手によって収録・制作された作品なのです。

さて、これら一連のライブ作品あって、興味を引かれるのは、これら作品に収録されている、50年代Milesが録音の残したスタンダード曲やオリジナル曲が、自身によってモーダル・ジャズの道を切り開き提示した後のこの時点では、どのように演奏されるのかということはもちろん、それに加え相棒のサックス奏者の違いにより、そのサウンドがどう変化するのかということ。

というのも、サックス奏者については、1962年末のグループ解散後、新しいリズム・セクションを担当する上記3人のメンバーは固まるも、この時点ではかなり流動的で、Milesが、これらライブ活動に徹した1年半の間に、George Colemanに始まりSam Rivers、Wayne Shortorへと、激しく入れ替わっていたからなのです。

特に、本作”ln Tokyo”は、Sam Riversが参加した唯一の作品であり、彼がMilesが懐疑的であったアバンギャルド系のサックス奏者であったことから、その毛色の違いがこのクインテットにどのような影響をもたらしたのかが注目のポイントであり、それが大きな聴きどころとなっているものなのです。



というところで、そろそろ開演時間のようです。
一先ずお話はこれまでとして、Miles Davisが登場した1964年夏の東京厚生年金ホールへと、ご一緒にタイム・スリップすることに致しましょう。






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Miles Davisの歩んだ軌跡を辿って味わうジャズの醍醐味(1945-1965)☆ 本日の作品;vol.166 [デジタル化格闘記]

ここのところ、7月の異常な暑さも幾分和らいで、やれやれと思ったら、巷は盆休み真っ只中。

私は、盆休みは掻き入れ時という因果な職場のため、これまで、この時期はゆっくりと休みを取れることはなかったのですが、今年は、これまで育てて来た若手が頼りとなる存在となったことから、仕事はすべて彼らの任せ、数年ぶりにゆっくりとお休みをいただくことが出来たところ。

とは言っても、この暑さ。

多少の用事はあるものの、老体の身では、それ以外での外出はちょっと躊躇してしまう。

ならばということで始めたのは、かなり疎遠になっていたMiles Davis。
時間もあることだし、この偉大なるトランぺッターの若き日からの活動の軌跡を辿って、その作品を聴いてみることにしたのです。

そして、極めて短期間に成し遂げられた彼の音楽スタイルの変貌ぶりの大きさに、空恐ろしいほどの凄味を感じることになったのです。

そのMiles Davis、1940年代の半ばに登場した後、モダンジャズの生みの親の一人で今やジャズの巨人として知られるサックス奏者のCharlie Parkerの下で活動、1949年には、Parkerらが生み出したジャズとは異なる次世代のジャズの方向を暗示する作品” Birth of the Cool(クールの誕生)”を制作しています。

さらに、それから10年後の1959年には次世代の主流となるモーダル・ジャズをした歴史的名盤”Kind of Blue”を発表、その10年後の1969年には、エレクトリック・サウンドとロック・ビートを取り入れフュージョン時代の幕開けを提示した問題作”Bitches Brew”を発表をする等、その時々にジャズのみならず次世代のサウンドを提示、音楽の未知の領域を切り開いてきたアーティストなのです。


考えてみれば、Milesが10年おきにジャズの流れに大きな転換点を提示して来たという事実、それは一朝一夕に成し遂げらるものではなく、日々限りなく続けて来た探求の賜物であったはず。

その証が、極めて短期間に成し遂げられた彼の音楽スタイルの急激な変貌となって現れたのだと、そのことから、Milesの活動の軌跡を辿って聴く楽しさに浸ることになってしまったのです。


それでは、私の感じたMilesの変貌ぶり、この辺でお聴きいただくことに致しましょう。

曲は、スウェーデン民謡で、テナー・サックス奏者のStan Getzがスウェーデンを楽旅の際に聴き取り上げたことでジャズのスタンダード・ナンバーとして知られるようになった”Dear Old Stockholm”です。

まずは、1952年、Miles Davis、26歳の演奏を収めた作品”Miles Davis Vol.1”からの演奏をお聴きください。

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今を時めく日本人女性ジャズ・アーティストの世界デビュー作;Kenny Barron・Things Unseen [音源発掘]

梅雨が明けた途端の猛烈な暑さ[晴れ]、こうなることは覚悟はしていたものの、予想通りの暑さに包まれてみると、その不快感はその覚悟を遥かに越えるもの。

熱中症にならぬよう炎天下での外出を控え、水分補給を欠かすことないようにといろいろ予防に努めてはいるのですが、とは言ってもここまで来ると何が起きるかわからない!!!

とにかくこの暑さに負けぬよう日々体調管理にも留意して、皆さん共々この異常な暑さのこの夏を、無事に乗り切ることが出来ればと考えています。


とは言うものの、この暑さ、今年は梅雨の時期からも続いていたこともあってこの私、実は、ここのところ思うように頭が働かなず、何を聴いても何も浮かばなくなって、これまで続けて来たこのブログも完全なスランプ状態に陥ってしまっていたのです。

そこで、この夏は一時休稿とするつもりになっていたのですが、ところが、こうして腹をくくってしまったところ、今度はどうしたことか??、逆に、ならばこれを聴いてみろとのばかり、ネタの方が勝手に私の下へとやって来る始末。

これは、「勝手に休むなどとは許さない」と言う神のお告げなのか[爆弾][ぴかぴか(新しい)]

という訳の分からない話で、なんとかかんとか再始動することになったのですけど、今回は.........

私の下へ飛び込んで来たいくつかのネタの中で、一番気に入りよく聴いている、この作品をご紹介することに致しました。

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その作品は、1995年制作のピアニストKenny Barron のリーダー作”Things Unseen”です。

さて、本作のリーダーであるKenny Barronというピア二スト、1960年代の初めジャズの巨人Dizzy Gillespieのカルテットのメンバーとして世に出て以後、1967年には、自己の初リーダー作品” You Had Better Listen ”を発表、70年代以降は、Ron CarterやFreddie Hubbard、Chet Baker、Elvin Jones等、数多くの著名アーティストのサイドマンとして活躍、多くの名演を残しているのですが、中でも彼の名声を確固たるものにしたのは、1987年から1991年に在籍した、ボサノバを世界に広めたことでも知られるテナー・サックスの名手Stan Getzの下での活動。

そこで、Getzの最晩年を支え見送るかのように寄り添い、Getz最晩年の”Voyage”や最後の録音となった”People Time”等の傑作を生み出すに大きく貢献することになるのです。

そしてGetsがこの世を去って後は、コンスタントにリーダ-作品を発表、その傍らジュリアード音楽院で後進の指導に励むなど、現代ジャズ界に大きな影響を及ぼし続けて来たアーティストなのです。


しかし、今回取り上げた本作品は、そうした彼の作品の中でもあまり知られていない作品。
であれば、どうしてこの作品を取り上げたかというと、それは、冒頭のタイトルにある通り、この作品のレコーディングに参加していた、今を時めく日本人女性ジャズ・アーティストの存在。

その女性ジャズ・アーティストとは、今や世界的なアーティストとなったヴァイオリニストの寺井尚子。

実はこの作品、まだ日本では知る人ぞ知るという存在であった彼女の初レコーディング作品であると同時世界デビューとなったものなのです。

そして、さらには、彼女をレコーディングに招聘、渡米を促したのは、当のKenny Barronであるという事実に加え、このレコ―ディングのためBarronが、寺井尚子の他、呼び集めたメンバーの存在。
トランペットのEddie Henderson、ギターのJohn Stubblefield、サックスのJohn Scofieldと、当代きっての歴戦の名手たちが顔を揃えています。

そうした中での渡米、初レコーディング、果たして尚子はどんなボウイング捌きを見せてくれるのか。

これは聴かずには済ませられないと即座に聴き、そこから、溢れ出る彼女の緊張感ある豊かな響きに完全に惹きこまれてしまうことになった作品なのです。


それでは、その彼女プレイ、まずは1曲、ご一緒に聴いてみることに致しましょう。
曲は、"The Sequel"です。




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シンガーソングライターの殿堂の埋もれた名作; Carole King・City Streets [音源発掘]

7月入って、いきなり訪れた感のある猛暑の夏。
まだ、梅雨も明けていないのにこの暑さ。

そうした中で、私の職場のある埼玉県。
熊谷をはじめ関東でもトップクラスの暑さに見舞われることで知られる所で、職場周辺の暑さは熊谷ほどではないにせよ、私の住む船橋とは違ってかなり強烈。

特にそれを感じるのは、帰宅時、熱風吹く埼玉の職場を出て、電車に乗り我が家のある船橋の駅に着いて外に出た時に身をよぎり吹く風の心地良さ。
海に近い町であるためか、幾分ひやり感もあり、おかげで日中の灼熱地獄も忘れてホッと一息。

これが、翌日の暑さにも耐えうる鋭気の糧となり、日々をなんとか過ごすことが出来ているのですが、今回の作品は、そのホッと一息から思い浮かび、聴き始めたアーティストの作品を取り上げることに致しました。

そのアーティストは、女性シンガーソングライターの先駆けとしても知られるCarole King。
選んだ作品は、その彼女の1989年発表の作品”City Streets”です。

carole king city streets.jpg



Carole Kingと言えば、1971年にグラミー賞の最優秀アルバム賞を受賞した1970年発表の作品”Tapestry(邦題;つづれ織り)をはじめその翌年発表の”Music”や1974年発表の”Wrap Around Joy(邦題;喜びにつつまれて)等、1970年代発表の作品が名高く有名なのですけど.............。

今回、この作品選んだのは、それ等70年代の作品は、これまでかなり聴き親しんできたこともあり、一筋の風によって偶然にもKingの名が思い浮かんで来たという不可思議な巡りあわせであったことから、これまで聴いたことがなかった彼女の70年代以降の作品を聴いてみようとそのディスコグラフィに目を通してみたところ、見つけ大いに興味をそそられたことによるもの。

その興味とは、Eric ClaptonとBranford Marsalis、Michael Breckerの本作レコ-ディングへの参加。

Eric Claptonと言えばギターの神様と称されるロック界の伝説的アーティスト。
そしてBranford Marsalisは、80年代に弟でトランぺッターのWynton Marsalisと共に登場し、この時期、来たるべきジャズをけん引していた、新進気鋭のサックス奏者。
さらに、Michael Breckerは兄のトランぺッターのRandy Breckerと共に黎明期のファンクをけん引し、この作品の作成時には、現代最高のサックス奏者との呼び声が高かったアーティスト。

この超大物ともいえる三人の参加は、これまでとはまた違ったKingが聴けるに違いない考え、聴き始めることにしたものなのです。


それでは、こうして出会ったCarole Kingとは毛色の違うと感じるこの三人の大物プレヤーとの共演
果たして、彼女の紡ぐ音楽にどんな変化を持たしらしているのか??!

早速、お聴きいただくことに致しましょう。

曲は、Eric ClaptonとMichael Breckerが参加している演奏で、この作品のタイトル曲の”City Streets”です。




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初めて世界に羽搏いたボサノヴァの名曲:Manhã de Carnaval(カーニバルの朝) [名曲名演の散歩道]

真夏日射しが照り付け、いきなりの夏の暑さが到来した今年の6月。

この調子では、梅雨の季節はないままに夏本番となるのでは思われるほどだったのですが、ここに来て関東もようやく梅雨入り宣言が発せられたところ。

聞けば、平年より2週間以上遅い梅雨入りだったというのですが、今回は、一足早く浴びた夏の日射しの下で、無性に聴きたくなって聴き始めた名曲・名演を聴きながら、その小道を共に散歩してみることにしたいと思います。☟


その名曲とは、こちら[バッド(下向き矢印)]!!!



もう、お分かりですよね。

曲の名は、”Manhã de Carnaval(邦題:カーニバルの朝)”。
ブラジルのギタリスト、Luiz Bonfáによって作られた、1959年の映画 ”黒いオルフェ(Orfeu Negro)”の主題歌として知られる名曲です。

この映画のサウンド・トラックには、”Manhã de Carnaval”の他に、ボサノヴァの父と呼ばれるAntônio Carlos Jobimの曲などのボサノヴァ曲も使われているのですが、映画が1960年にアカデミー賞を受賞するなど国際的な成功を収めたことにより、それが当時ブラシル国内で音楽の潮流なりつつあったボサノヴァという音楽を世界に知らしめる結果も生み出し、その中でこの”Manhã de Carnaval”は、初めてブラジル国外で人気を博したボサノヴァ曲だというのです。

そこで、世界の人々に愛されて来たこの名曲、その後どんな名演を育てて来たのか。
まずは、ボサノヴァの歌唱と言えば、この人。

ボサノヴァの女王、Astrud Gilbertoの歌の小道へと足を踏み入れてみることに致しましょう。

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