さわやか大学・荒尾万田鉱
2014年 11月 02日
10月16日
さわやか大学の授業でふるさと探訪
荒尾市万田鉱・大牟田市石炭産業科学館・有明メガソーラ見学
貸切バス 2台での日帰り (96名参加)
万田鉱は三池炭鉱のシステムのひとつとして機能していた。
万田鉱は明治時代に大浦鉱・七浦鉱・勝立鉱・宮原鉱で採掘した
石炭を三池港まで専用鉄道で運び、三池港から
輸出するいう石炭運搬システムが確立していた。
三池炭鉱は石炭化学コンビナートとして発展、採掘区域が
有明海海底へとのびると三池炭鉱は本格的な海底炭坑と
なっていつた。
地底で夢見た男たちの足跡
三池炭鉱万田鉱
国重要文化財
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1950年~1960年にはエネルギー革命のもと、日本の
主要なエネルギーは石油へとシフトし、国内の炭鉱の
多くは閉山を余儀なくされた。
59年~60年には激しい三池争議が起こった。63年と84年には
大規模な事故災害が起き、
その一方では1970年では年間657万トンという三池炭鉱で最大の
出炭量をほこり1日に2万トン以上の石炭を採掘した。
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1990年代には海底を採掘する三池炭鉱は膨大なコストが掛かるようになり
1997年に閉山した。
場所は福岡県の飯塚市になるけど、この夏大ブームを巻き起こした
花子とアンで、石炭王の伊藤伝右衛門が頭の中を駆け巡りました。
旧伊藤伝右衛門邸と柳原白蓮の展示品をまだ見学していないで
ブームがおさまり、静かになった時にでも見学に行きたいな。
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万田鉱はまだ行った事がありません。
96名参加とはすごいですね。
↓の
ハロウィンパーテイは昔人間の私には馴染めません。
96名参加とはすごいですね。
↓の
ハロウィンパーテイは昔人間の私には馴染めません。
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by hisako1124
| 2014-11-02 17:57
| さわやか大学・大学院
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Comments(2)