香原 斗志
歴史評論家、音楽評論家
神奈川県出身。早稲田大学教育学部社会科地理歴史専修卒業。日本中世史、近世史が中心だが守備範囲は広い。著書に『お城の値打ち』(新潮新書)、 『カラー版 東京で見つける江戸』(平凡社新書)。ヨーロッパの音楽、美術、建築にも精通し、オペラをはじめとするクラシック音楽の評論活動も行っている。関連する著書に『イタリア・オペラを疑え!』、『魅惑のオペラ歌手50 歌声のカタログ』(ともにアルテスパブリッシング)など。
吉原の伝説の遊女、五代目瀬川とはどんな人物だったのか。
歴史評論家の香原斗志さんは「吉原の中でもトップクラスの花魁だった彼女は、盲人の鳥山検校に1400両で身請けされる。
しかし、2人の生活は3年ほどしか続かなかった」という――。

写真=時事通信フォト
俳優の小芝風花=2025年2月2日成田山新勝寺「節分会」、千葉県成田市五代目瀬川を演じる小芝風花さんの艶やかさ
蔦重こと蔦屋重三郎(横浜流星)がみずから板元(出版元)となり、はじめて刊行した吉原のガイドブック『吉原細見 籬の花』。これが売れに売れた。
NHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」の第8回「逆襲の『金々先生』」(2月23日放送)。
売れた理由は一つには、丁数(ページ数)を減らして制作費を抑えつつ、内容に工夫を凝らしたからだった。
これは史実である。
「べらぼう」では、加えてもう一つ強調された。
蔦重と幼なじみの花魁で、小芝風花の妖艶な演技が評判の花の井の決断である。
名跡襲名の際には『吉原細見』がよく売れるからと、蔦重を助けるために彼女が所属する女郎屋、松葉屋に伝わる名跡「瀬川」の五代目を襲名したのだ。
こうした花の井の献身があればこそ、『吉原細見 籬の花』はなおさら売れた、という描き方だった。
そして、『籬の花』人気と瀬川人気が相まって、吉原は人が押し寄せての大盛況となった。
『籬の花』が瀬川のおかげで売れた、というのは「べらぼう」の創作だが、この時期に五代目瀬川が吉原を代表する花魁だったのは史実である。
だが、史実云々と細かいことをいうもの野暮だろう。「べらぼう」では花の井改め瀬川とその周囲をとおして、往時の吉原の状況がよく描かれているからである。
吉原から合法的に抜け出す唯一の方法
第8回では蔦重は瀬川に、名のある武家や商家に身請けされて幸せになってほしい、という思いを伝え、世間に出てから役立つ知識が学べる『女重宝記』という本を手渡した。
ここで「身請け」という言葉が登場した。
実際、瀬川は第9回「玉菊燈籠恋の地獄」(3月2日放送)で、鳥山検校(市原隼人)という人物に身請けされることを決心する。
結果として、瀬川がどうなるかは後述することにし、まず「身請け」について説明しておこう。
吉原の女郎には原則、働きだしてから10年の年季奉公が義務づけられていた。
女郎屋への借金がかさんでいると10年で済まなかったが、ともかく無事に年季が明ければ、ふつうに結婚生活を送ることも珍しくはなかった。
ほとんどの女郎は親の借金の担保として女郎屋に売られており、彼女たちが進んで娼婦になったわけではないと世間もわかっていたので、差別されることはなく、社会も受け入れたのである。
しかし、とにかく最低10年は働かなければならず、年季が明ける前に吉原から抜け出す唯一の合法的な道として「身請け」があった。
これは、女郎屋が持つ女郎の年季証文を客が買い取って、つまり身代金を払って、女郎の身柄を引き取ることを指した。
身請けにかかる金は女郎屋の言い値だった。
女郎にとっても、好きな相手に身請けされるとはかぎらなかったが、借金を抱えている女郎も多く、高額での身請けはありがたかったようだ。

吉原の大門 広重『名所江戸百景 廓中東雲』,魚栄,安政4. 国立国会図書館デジタルコレクション(参照 2025-02-28)
逃亡に失敗した女郎が受けた折檻
とはいえ、高額の身請け金など、だれにでも払えたわけではない。
第9回では、平賀源内(安田顕)と行動をともにする浪人の小田新之助(井之脇海)が、松葉屋の女郎うつせみ(小野花梨)を身請けするのに300両(3000万円程度)かかると聞かされ、「足抜」という行動に走るようだ。
「足抜」とは女郎の逃亡のことで、「欠け落ち」とも呼ばれたが、成功する例はきわめて稀だった。
吉原は周囲を「お歯黒どぶ」と呼ばれる水堀と、忍び返しがついた高い黒板塀で囲まれ、出入り口は大門1カ所しかなかった。その大門脇の会所では、女郎の出入りに常時目を光らせていた。
女郎が1人で逃げられるものではなく、たいてい男が手引きし、お歯黒どぶを乗り越えるか、男装して大門から逃げるかしたようだが、ほとんど見つけられてしまった。
第9回では小田新之助とうつせみも捕まって、新之助は暴行を、うつせみも激しい折檻を受けるようだが、それが吉原のルールだった。
女郎屋にとって、女郎は儲けを生み出すためのほぼ唯一の商品。
それを盗んだ男が暴行を受けたのは当然として、女郎も裸にされ、両手両足を縛って天井から吊るされ、竹棒で殴りつけられるなど、受ける折檻はあまりに苛烈だった。それには、ほかの女郎たちへの見せしめの意味もあった。
トップ遊女に必要だった能力
さて、身請けにかかる金額は高級な女郎ほど高かった。
その典型が、小芝風花演じる五代目瀬川だが、まずは四代目瀬川の話からはじめよう。
ちょうど蔦重の幼少期にあたる宝暦年間(1751~64)に活動し、「瀬川」の名を、吉原を代表する名跡にまで引き上げたのが四代目だった。美貌に加えて才女の花魁で、「才」のほうは書画にはじまり、和歌、俳諧、茶の湯、三味線、笛太鼓、囲碁、すごろく、易学、蹴鞠と、まさになんでもこなしたという。
吉原がいまの中央区日本橋人形町にあったころは、夜間営業が禁じられていたこともあって、客は大身の武士や文化人が多く、このような客をよろこばせる知性や芸が女郎には必須だった。
日本堤(台東区千束)に移転後も、高級な遊女ほど多方面の才能が求められたのである。
四代目瀬川はこうして才色兼備だったので、身請けしたいという男性が絶えなかったようだ。
結局、江市屋宗助という豪商に身請けされ、両国近辺に囲われたと伝わる。
おそらくかなりの金額が支払われたのだろう。
だが、28歳の若さで生涯を終えている。
「べらぼう」の第8回では、四代目が自害したため不吉だとして20年近く空いていた名跡だった、とされていた。
だが、実際には、四代目の死因はわかっていない。

画像右に立つ花魁が「六代目瀬川」 北尾葏齋政演『〔新〕美人合自筆鏡』,耕書堂蔦屋重三郎,天明4(1784)序刊. 国立国会図書館デジタルコレクション(参照 2025-02-28)
1億4000万円で身請け
そして、蔦重が『吉原細見 籬の花』を刊行した安永4年(1775)に瀬川の名跡を継いだのが五代目だった。
ドラマでは蔦重の幼なじみという設定だが、じつは前半生についてはよくわかっていない。
だが、「瀬川」を襲名するだけのことはあり、美貌はもちろんのこと、書画や詩歌から歌や踊りまで、幅広くこなしたという。
実際、吉原を代表する花魁として名を馳せたが、そこに現れたのが前述の鳥山検校だった。
この男は1400両(1億4000万円程度)もの巨費を投じて、五代目瀬川を身請けしたものだから、江戸中の話題をさらった。
ところで「検校」とは、元来は社寺や荘園を監督する役職名で、のちに盲人の役職の最高位を指すようになった。
要は、鳥山検校とは、鳥山姓の高位の盲人のことだが、そんな彼がなぜこれほどの金額を支払えたのか。
江戸中期、「座頭」と呼ばれた盲目の人たちは、政府の手厚い保護を受けていた。
できる仕事がかぎられることへの配慮から、高利貸しが許されていたのである。
このため、彼らの多くはあんまや鍼術で稼いだ金を元手に高利で貸し付け、得られた利息を使って吉原で遊んでいた、というわけだ。
なかでも鳥山検校は、幕府から種々の事業の独占を認められ、税金も免除されていた「当道座」という盲人組織の最高位。彼自身もかなり苛烈な取り立てをしていたといわれ、唸るほどお金があったのである。
その後の伝説の花魁の運命
しかし、悪徳が過ぎたようだ。
瀬川を身請けして3年後の安永7年(1778)、高利貸しでの不正が発覚して、ほかの盲人たちと一緒に処分される。
財産を没収のうえ江戸から追放されたのだから、かなり重い処分だった。
こうして身請けされながら、わずか3年で生活の糧を失った瀬川が、その後、どうなったのか、たしかなことはわからない。
武士の妻になった、大工の妻になった、という話はあるが、確証はない。
ただ、西洋では娼婦が引退後に一般男性と結婚する例など、ほとんどなかったのに対し、吉原の女郎は前述した理由で差別されていなかったので、ふつうの結婚も難しくなかった。
瀬川がだれかの妻になったとしても、不自然ではない。
五代目瀬川について、史実として確定していることは少ないが、物語は伝わっている。
田螺金魚は鳥山検校が処罰を受けた安永7年、『契情買虎ノ巻』という洒落本(遊廓を舞台にした戯作文学)に、五代目瀬川の身請け話を書いた。
身請けされたため、恋仲だった客との悲恋が生じたという話で、もちろんファンタジーだが、おそらく吉原には似たような話がたくさんあったのだろう。
「べらぼう」でも今後、蔦重と瀬川は思い合いながら、瀬川は吉原のために身請けを受け入れ、悲恋が生じるようだ。
それもフィクションだが、吉原における人間模様が色濃く描けていることはまちがいない。
香原 斗志
歴史評論家、音楽評論家
神奈川県出身。早稲田大学教育学部社会科地理歴史専修卒業。日本中世史、近世史が中心だが守備範囲は広い。著書に『お城の値打ち』(新潮新書)、 『カラー版 東京で見つける江戸』(平凡社新書)。ヨーロッパの音楽、美術、建築にも精通し、オペラをはじめとするクラシック音楽の評論活動も行っている。関連する著書に『イタリア・オペラを疑え!』、『魅惑のオペラ歌手50 歌声のカタログ』(ともにアルテスパブリッシング)など。