森下佳子『義母と娘のブルース』
これは、亜希子(綾瀬はるか)がすべての孤児の母であらんとする物語だ。かつて孤児であった亜希子は、これからひとりぼっちになってしまうかもしれない少女みゆき(横澤菜帆、上白石萌歌)の義母となるべく、良一(竹野内豊)との契約結婚を決意する。亜希子はみゆきの母となることで、みゆきだけでなく、孤児であった自分自身も救おうとしている。そして、「2020年謹賀新年スペシャル」*1が、店先に捨てられた赤ん坊から物語が始まっていくことからも、このドラマが“孤児”を、いやすべての“孤独な魂”を救おうとしていることが伺えるだろう。
孤児であった亜希子は、一人で生きていくためにキャリアウーマンとして武装してきた。仕事一筋で過ごしてきたために常識に疎く、世界からズレた人間として描かれている。その“ズレ”を単なるコメディに落とし込むのでなく、そのズレが故に愛が芽生えていく様を映し出している点が非常に感動的だ。余命宣告を受け生きる意志を失っていたはずの良一が、亜希子の作ったどこまでもズレきったキャラ弁当を見て、「生きたい」と願ってしまうシーン。
このまま生きていれば
信じられないような楽しいことが
きっとたくさんあるんだろうなと思うと
死にたくないです
亜希子さんと出会ってそう思いました
亜希子は物語の中で、そのズレを矯正されることなく、ズレきったままにその魂を世界から祝福されてしまう。たとえそれがどんなに歪でも、わたしたちの固有性は美しい。だからこそ、“愛”は赤の他人との間にもいとも簡単に芽生える。その愛は、血の繋がりなんてものを容易く超える強さがあるのだ。
良一の死から10年後、亜希子は別の人物から再び愛の告白を受けることとなる。物語の序盤からバイク便、花屋、タクシー運転手、廃品回収、霊柩車ドライバーと姿を変えながら何度も物語に映り込みながらも、一切介入してこなかった麦田(佐藤健)である。素晴らしいのは、麦田はたまたまそこに“居た”だけなのだ、というこのドラマの話法である。ありきたりなドラマであれば、麦田には何かしらの意図や目的があり亜希子の周りをうろついており、その伏線が後半に向けて怒涛の回収をされていくというような話法になるはずなのだが、麦田は本当にただ居合わせていただけなのだ。意図から解放された麦田というキャラクターの生々しい質感(そして、佐藤健の絶妙な軽さ)。そして、亜希子は居酒屋の客席を見合わせて言う。
“奇跡”だと思いまして
ひょっとしたらわたしはあの方から何か物を買ったかもしれません
あの方とは同じ郵便局でボールペンを譲り合ったかもしれません
そんな風に
わたしたちは知らないうちに知り合っているものなのでしょうが
でも、実際それがお互いにわかるなんて
何万分の一の確率なのかと
つまり店長はわたしにとって小さな“奇跡”ということです
この対話が、船を模したデザインの釣り堀居酒屋で為されたことに注目したい。
ひとりぼっちの“わたしたち”は、それでも同じ船に乗っているのだ、ということ。孤児の物語である『義母と娘のブルース』は、親と子の無償の愛を描くだけでなく、出会わなかった人のことすら愛おしいと想わせてくれるドラマだ。
もし私の人生を歌にしたとすれば
それはきっとブルースだ
お別ればかりのブルース
別れなんて来ないほうがいいに決まってる だけど…
別れたからこそ巡り会える人もいる
曲がらなかったはずの曲がり角を曲がると
歩かなったはずの道がある
そこにはなかったはずの明日がある
その先には出会わなかったはずの小さな奇跡が
まさに、「さよならだけが人生だ」である。突飛な設定、漫画的キャラクター、コミカルな演技、心情と過剰なまでに動機したサウンドトラック・・・一見すると視聴者に媚びた安っぽいドラマなのだが、『逃げるは恥だが役に立つ』(2016)、『カルテット』(2017)に続く「TBS火曜ドラマ」というブランドを底上げする傑作*2。リアルタイムで鑑賞できなかったことをおおいに悔やみます。そして、陽だまりのような竹野内豊と横澤菜帆と上白石萌歌のしかめっ面に100%の賛辞を。