ナカゴー特別劇場『もはや、もはやさん』inココキタを鑑賞。70分の中編。いやー面白かったです。高畑遊はそのすべてが面白い。観劇から数日後に、あの声で再生される「いただくわ、だって食べたいもの!」を部屋で思い出して笑い転げました。ナカゴー『黛さん、現る』(2012)での壇れい役が今なお忘れがたい、菊池明明(ナイロン100℃)がまたしても怪演。例えるならば、望月峯太郎の傑作『座敷女』のサチコのような恐ろしさ。
![座敷女 (KCデラックス ヤングマガジン) 座敷女 (KCデラックス ヤングマガジン)](http://ecx.images-amazon.com/images/I/519K3BV44WL._SL160_.jpg)
- 作者: 望月峯太郎
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 1993/07/02
- メディア: コミック
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まずどこかで観た事のある設定を徹底的にトレースして、心温まるストーリーを構築するのが、ここ最近の鎌田順也の傾向だ。それはアメリカ映画であったり、是枝作品であったり、ジャパニーズホラーであったり、様々。今作では、二代目夫婦が営む洋食屋、というやはり映画やドラマで散々観てきたような設定を間借りしている。クリシェ満載の人情ドラマをベースに、唐突過ぎるボケがひたすら野放しにされている内に、菊池明明のホラーな存在が、その人情の部分をいやーな方向に増幅させていく。最後はもはやお約束のスプラッター大立ち回りなわけだが、今回印象的だったのはその引き金として挿入される「採用オーディション」の可笑しさ。あの鋭い批評性やメタ感は、金山寿甲が持ち込んだものだろうか。
キヨスクという狭い箱で働く大女、太り過ぎて歩くだけでテーブルのグラスを割ってしまう従業員、今作に通底しているのは”収まりの悪さ”である。それは前述の『座敷女』にも通ずる都市部で暮らす孤独が生み出す哀しみのようなものだ。その対比として描かれる洋食屋夫婦の絆(のようなもの)。「この都会に私の居場所はなーい」という菊池明明の叫びには、その怪獣のようなゾンビのような身体性に大笑いしていたはずが、少しホロリ。ナカゴーがひたすら「笑える劇団」としてのみ語られている現状が、私には少しだけ不思議なのです。