小山内美江子『3年B組金八先生』第6シリーズ - 青春ゾンビ

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小山内美江子『3年B組金八先生』第6シリーズ

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最高傑作である第5シリーズを前作に持ってしまった運命が故に、どこか霞んだ印象を持っていた第6シリーズですが、再見してその面白さに驚いてしまった。この頃から脚本サイドと演出サイドの不和が噂されていましたが、何のその。第5シリーズを経て脂の乗り切った小山内美江子の脚本と『半沢直樹』『下町ロケット』の大ヒットで注目を集めている福澤克雄の演出が、あまりにグルーヴィーに絡み合っている。物語のドライブ感では、前作に劣るものの、メッセージの響かせ方を前提とした構成力の妙という点ではこの第6シリーズに軍配を上げたい。凄まじい量のテーマが織り込まれながらも、全く物語が破綻しない「金八」というブランドが持つ耐久力と包容力に感嘆だ。


勿論、首をかしげる展開は多々ある。言及せずにはいられないのが第12回「友情の証」だろう。抗がん剤治療で髪の毛が抜けた幸作を目の前にして、親友である兼末健次郎(風間俊介)が「何か自分にできる事はないか」と葛藤する。突然、帽子をかぶって現れるので、そこはかとなく嫌な予感が視聴者に走るのだが、健次郎が神妙な面持ちで帽子を外し、(あからさまにカツラな)青々とした坊主頭を披露する。流れ的には感動のシーンであり、シリアスかつ神々しい音楽で演出され、役者達は熱演を見せているのだけども、どうしても画面上の現象とのズレで笑ってしまう。更に凄いのは、健次郎はその坊主を、無言の強要で元3-Bの面々に伝染させてしまうのだ。生死を彷徨いながら何とか峠を越えた幸作の病室の元に、頭を刈り上げた元3-Bがズラリと並び、「これ(坊主)が友情の証だ」と、いい顔を見せる。その姿を見た現3-B達が「先輩達、カッコ良すぎます」と涙するのである。狂気の全体主義思想だ。このシーンの脚本があがってきた段階で、スタッフや演者の誰か1人でも「おいおい、まじか」とならなかったのか非常に気になる所ではある。しかし、もはや伝説と言っていいこの回は良くも悪くも必見と言っていいだろう。


このように前作である第5シリーズのメンバーが頻繁に登場するのもファンとしてはうれしい所。兼末健次郎はやはり『3年B組金八先生』を代表するスターであって、第6シリーズに彼のように物語を牽引できる存在がいないのは確か。ジャニーズ事務所から出演している東新良和加藤成亮(現NEWS)は重要な役所を占めるも、致命的に演技力に欠けている。好意的に解釈するならば、東新良和の台詞発声の区切り方のいびつさも成迫政則というキャラクターの得体の知れなさに一役買っていたし、加藤成亮の大根っぷりはハセケンという屈託ない優等生の嫌味を消していたのかもしれない。もちろん、上戸彩の凛とした存在感は、座長と言ってしまっていいのだけども、性同一性障害という役どころがあまりにも難し過ぎた。


メインとなる生徒は転校生である2人。性同一性障害を抱える鶴本直、そして被害者家族であり加害者家族であるという複雑な闇を抱えた成迫政則である。性自認、マイノリティーへの差別、強姦殺人、報道と人権といった中高生向けのドラマとしては、あまりに過激で難度の高いテーマを内包した生徒達であり、放送当時にも批判の声は少なくなかったように思う。しかし、悪戯に過激さを強めただけの脚本と演出とは感じなかった。2クールという豊潤な尺は、彼らの”痛み”を想像するだけの時間を視聴者に与え、無関心でいる事を許さなかったはずだ。このドラマの「少年少女達に想像させ、思考させるのだ」という志の高さを評価したい。その複雑な外壁を剥いでみれば、彼らが抱えているのは、「本当の私とは?」という全てのボーイ&ガールに共通する普遍的な叫びであるということに気づくだろう。それは今井儀(斎藤祥太)、信太宏文(辻本祐樹)、木村美紀森田このみ)、江藤直美鈴田林沙)、ミッチー(川嶋義一)といった準主役級の生徒達が展開していくエピソードにおいても同様である。直が正体を偽って始めるハセケンとのメル友関係にも顕著だ。また、幸作が悪性リンパ腫に倒れる、乾先生の奥さんの出産など、生と死を巡る展開が濃厚なのも特徴。”生”と”性”の多様性と尊さを巡りながら、誰もが懸命に「本当の私はここにいるのです」と声を枯らす。その子ども達の”ボイス”を坂本金八が1つ1つ丁寧に掬い上げながら”まっすぐの歌”を奏でていくのである。まさに「青春群像ドラマの金字塔」の名に恥じぬ傑作である、と断言したい。


シリーズ終盤において、金八自身も「本当の私とは?」という命題にぶち当たる点も見逃せない。今シリーズよりヴィラン(敵役)として登場する千賀校長。教育理念が一致しない金八と千賀は対立を繰り返し、最終的に金八は桜中学を追い出される事になる。

坂本先生がやっているのは授業ではない
ただ生徒と一緒に泣いただけだ

という千賀の批判は、視聴者の中にいる「アンチ金八」の意見をメタ的に織り込んだものと言えるだろう。何とか辞職は免れ、教育委員長によって、委員会に引き上げられる事になるのだが、それはつまり「生涯一教師」を掲げていた金八が、教壇から退くという事なのだ。その過程で、金八もまた「私はここにいるのです」と叫んでいる。

教師は優秀な通信簿を作るのではない、人間を創るのです

この金八の教師としての信念は、スタッフが『3年B組金八先生』を制作し続けた理由のようでもある。



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