ハイバイ『て』 - 青春ゾンビ

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ポップカルチャーととんかつ

ハイバイ『て』


岩井秀人は世界が単面では構成されていない、という事を徹底して舞台上に立ち上げる。今作における特徴的な演出として、時間軸のシャッフルと演者の視点を変えて時間を2度繰り返す、というのがある。*1この際に、舞台装置も180度入れ換わり、視覚的にも世界が多面的である事を提示している。人の視点次第で同じ事象でも全く違った様相を見せるのだ。よくある手法と言えば、そうだが、それを父がカラオケで歌う井上陽水の「リバーサイドホテル」のメロディーで表現してしまったりする細部の豊かさがたまらない。次男から見ればしらけた家族でのカラオケ風景も、母(岩井秀人)の視点から見れば、それは狂喜(狂気)のテンションでの宴に映る。それを観て、うれしいのか悲しいのか判断しかねる泣きを見せる岩井秀人の演技が絶妙だ。演劇作品は作り手がどう考えているかではない、観客がどう思うか、つまり、どう感じとってもいいのだ、という態度は、クリシェとも言えるのだけど、ここまでそれを徹底している作品もなかなかないだろう。それはきちんと客席に機能し、1つのシーンで笑う者もいれば、泣く者もいた。これって凄いことだ。


ハイライトの1つとも言える母の「Scatman (Ski-Ba-Bop-Ba-Dop-Bop)」での乱入、当人にとってはスムーズなつもりの運動も実は他人には突飛なできごとに映っている事、もしくはその逆に、暴発的に見えた行為にも愛や優しさが隠れていることを炙り出している。ユーモアとペーソスの入り混じりも見事。凄いのはこの脚本、本人曰く「75%が岩井自身の実体験」ということだろう。そして、このボロボロの家族は現在も再生などしていないという事実。”再生”を描くつもり、ましてや”絆”や”DV問題”などを描くつもりもないのだろう。ただ「笑えればいいかな」という動機で執筆された。実に美しい動機だ、と思う。しかし、それはあくまでポーズであって、この作品を描く事、また他者を演じる事で、岩井は世界の多面性を再認識したのであろうし、この作品を観客に提示する事で、コミュニケーションにおける何らかのヒントを与える事ができると信じているのではないかしら、と勝手に思っております。

*1:タランティーノあたりに影響を受けたかと思いきや、劇団ままごとの柴幸男などの脚本からインスパイアを受けたらしい。と言うより「あんなのズルい!俺もやる!」というノリだったそうです。