ロロ『LOVE02』
文句なしに最高傑作。いびつさもドタバタも全てを愛せた。役者、美術、衣装、照明、音響etc・・・作品を支えるあらゆる要素が進化し、これまでサブカルチャーという枠の中に閉じていた作劇が大きく開かれ、普遍性を獲得している。特にこの1年での役者の成長は素晴らしく、どこか借り物のようだった台詞や身体性が、今作においては彼らの血肉として発せられているのを感じた。ダンスシーンも出色の出来。しかし、何と言っても脚本と演出の充実だろう。
主催の三浦直之は
演劇の舞台上では「この棒はバットだ」と言った瞬間、ただの棒きれがバットに変容する。その様が、人が恋に落ちる時と似ていると思っていて、だからおでは"ボーイ・ミーツ・ガール"を主題にしている
と多くのインタビュー等で語っていて、今作はまさにその実践の集大成と言えるだろう。”愛”という形のないものを可視化する。そんな主題に呼応するように、様々な”見立て”を駆使しながらシークエンスが繋がれていく。”見立て”に伴った舞台転換の手際も鮮やかで、あれぞ演劇でしか味わえない快感である。
"愛する"という行為は、想いで胸がいっぱいになってしまうような喜びである。また同時に、叶わぬ想いにひきずられたり、想いが消えていってしまう恐怖に飲み込まれたりもする。愛は"祝福"であり"呪い"なのだ。そんな愛の二律背反を三浦直之は舞台上に可視化していく。想いが溢れれば身体は光り出し、「好き」という気持ちは銃弾に、紙飛行機となる。強い気持ちはしっかりと重みをもった物質に。「愛の弾丸僕を撃ち抜いてよ」とか「身体中が光り出すような喜びに包まれて」とかいう陳腐な比喩を、”本当の事”にしていく。本当の事だからもう比喩も何も全て命懸けだ。そう、愛する事は命懸け。舞台上の人物は”愛”を巡り、文字通り死んだり蘇ったりするのである。
200年という歳月を生きている鉄(亀島一徳)という男がいる。彼は、八月(森本華)という女性に恋に落ち、そしてかつてはその母にも祖母にも、恋に落ちてきた。彼は言う、「”好き”という気持ちは消えなくて、1秒1秒生まれ続けているのだ」と。「”好き”は生まれるだけなのだ」と。つまり、過去に生まれた”好き”という気持ちは消える事なく、その全てが残っていて、それらがパンパンになって今、好きな君に向けられるのだ。今作において愛の呪いを体現する夕(小橋れな)はハルオ(篠崎大悟)という男を悩ます。ハルオは夕に対抗する為に、かつての恋人である自転車(望月綾乃)の元で修業を行う。”過去”の恋人と、だ。ジョン・アーヴィング『熊を放つ』の中にあった「過去の恋人も君達の親みたいなものだ」という一節を想い出す。つまり、三浦直之が取り扱うのは今現在のLOVEだけでない。かつて報われなかった、もしくは消えてしまったかのように思われた気持ちや祈り。その瞬間瞬間の輝きを全て掬い上げて、今に繋いでいる。ラストのあまりにも美しい光のシークエンスが、自転車を漕ぐ運動にてなされる事を思い出したい。この自転車とは「自転車(望月綾乃)=”過去”」という事ではないだろうか。彼女が流したあの涙もやがて光になる。『LOVE02』という作品は、過去の想いも、叶わなかった想いも、それらの”好き”は全て消えずに光り続けているのだ、という事を舞台上に立ち上げる試みであった。その三浦直之の手さばきは、今までこの世に存在した全てのラブストリーへの感謝のようで、とても優しい。
その他まとまらなかった雑感/劇中の「書き換える」という行為に映画監督である瀬田なつきとの共振を覚え、「こんな姿になってもあなたは愛せますか?」という問いかけへの返答には宮崎駿『崖の上のポニョ』のその先を見た/『マネーの虎』ごっこって高校生の頃教室でやったなぁ/今作は出演者全員が等しく主役級 /亀島一徳のポップさはテレビに場を映しても活躍できるはず、森山未来と山寺宏一を足して2で割ったようなルックスが良い/いつも飛び道具という印象だった板橋駿谷が今作本当に素晴らしくて泣く/篠崎大悟は男前/望月彩乃の切なさ具合はいつだって絶妙/森本華と島田桃子のコンビはあいかわらず実にキュートかつ運動能力が高くて、2人が所属しているというダンスユニットScopの公演も見てみたい /今作のスターは何と言っても北川麗(中野成樹+フランケンズ)だった、声がとにかくいい