曲作りにはさまざまなエピソードがつきもの。
でもこの度紹介する曲は、制作期間がちょっとすごいのです。
後にも先にもありません。1曲作るのに14年もかかるなんて!
ヒデキマツバラ TOO FAR by Hideki Matsubara
早春のメロディー
聞いたこともないメロディーが頭に浮かんでくること、ありませんか?
それは肌寒い早春の、たしかお彼岸の頃だと記憶しています。
まだ学生でした。
「近すぎて遠い〜」からの4小節が突然頭の中に流れてきたのです。
それも招かれたお宅の奥様と会話中、出し抜けに。
その切なくもドラマティックな旋律。
秘めたる嘆きを抱えているようなメロディーライン。
書き留めねば!
当然メモできるものは手近になく、相手との会話を遮ってまで曲作りを始めるほど性格的に図々しくもなく(笑)
あぁ、この旋律も忘却の彼方に消えゆく運命か。。。
幸運なことに、帰宅後も胸の内でその旋律は生き伸びていました。
早速シンセサイザーに打ち込んでひと安心。
あとはAメロとBメロをつければ仕上がり。
ところがです。
AメロとBメロ作りに何度トライしても、適度に耳触りの良いものしかできません。
まるで春の日の癒し系BGMです。
いや、そんなんじゃダメだ。
あの旋律は、春が近づいてるのに、季節に置いてきぼりにされているんだ。
凍えたハートを隠したまま、悲痛の闇でさまよっているんだ。
それを形にできなければ、完成じゃない。
さて、曲作りに行き詰まると、僕はメロディーを寝かせます。
ワインのように。熟成させていくんですね。
大抵は数週間ほどおけばうまくいくのです。
でもこの曲は手強かった。
なぜかあの4小節以外ロクなものが作れません。
数週間たち、数ヶ月たち、1年、2年。。。
こうなるともうライフワークのようなもの。
何か新しい楽曲制作に取り掛かるたび、あの4小節を引っ張り出しては、枝葉をつけようと奮闘します。
でも結局うまくいかなくて、全然別のアイディアから違う曲がどんどん仕上がっていきます。
このまま、未完成で埋もれていくのだろうか。。。
誕生するための条件
どれほど季節が巡ったでしょう。
あの早春以来14年間のうちに353曲を制作した僕は、再び早春を迎えていました。
その春、なぜかあの曲が出来そうな予感がしました。
キャリアを積み重ねていくうち、曲作りの秘訣をつかんだのです。
曲作りとは、音楽を作ることだと思っていますか?
でも違います。
いや、確かに音楽は作るのですが、それには何かが欠かせません。
「衝動」です。
音楽に限らず、アートや文学は「衝動」の産物なのです。
仕事と違って、計画立てて進められるものではありません。
衝動なしに作った作品は、魂を持ちません。
そういう魂のない作品は、環境の中にあふれかえっています。
意識せずに流れていく旋律、目に入らない絵画や挿絵、ファッションetc
魂のこもってるものって、人間ならピンと来るんですよ。
好きか嫌いかは別として。
世の中、流れ作業でできたものだらけだから、丹精込めてつくられたもののパワーは歴然。
ざっくり数式化してみると
報酬なし+衝動なしで向かうこと=義務
報酬あり+衝動なしで向かうこと=仕事
報酬なし+衝動ありで向かうこと=創造(芸術、文学、そして人生)=自然、宇宙、神
魂が一番喜ぶものはどれか、一目瞭然ですね。
仕事が面白くてやりがいあるよ!って方、あなた、確実に創造の領域に入ってます。素晴らしい! もはやあなたは芸術家!
さて話を早春ソングに戻しましょう。
僕はあの曲を完成させることばかりに気持ちが行って、雰囲気だけで作ろうとしていたわけです。
衝動どころか、具体的な手がかりが何一つ見つからないまま。
そりゃ平凡なものしか出てこなくて当然ですね。
以後、僕は作曲からアプローチするのをやめました。
その代わり、着想を得てテーマを掘り下げていくべく、エピソードの収集を始めました。
つまり人間の嘆き、苦しみ、悲しみを採集したのです。
面識あるなしに関わらず、数十人ほどの人生を取材しました。
そういえば作曲の発端となった訪問先の奥様も、癒えぬ嘆きを抱えていらっしゃいました。
なに不自由ない豪邸生活で彼女にただひとつ欠けていたもの、それは子宝なのでした。
存命の方々に限らず、人類史的なものも下調べしました。
エルサレムの嘆きの壁について文献を調べていたら、突然慟哭したり。
人の不幸の源泉を探求するのは精神的につらい作業で、正直、自問自答せずにはいられませんでした。
一介の音楽家にすぎない者が、ここまで人間の苦悶や確執をひもといて何になるのだろう?
それをわざわざ音楽という形で表現することに意味はあるのだろうか?
あなたに皮膚がそなわっている理由
でも、僕は作らざるを得ませんでした。
それは、僕が十代の頃から兄のように慕っていた人が、その頃、大変痛ましい出来事に見舞われたからです。
事の顛末がてら、その人は生い立ちまで語ってくれましたが、これがまた壮絶で。
普段から悲壮感なんて全く見せない、のほほんと人当たり良いその彼は、常にニュートラルで自然体。
仕事に家庭にいつも前向きな満点パパで、どこにも不幸である理由が見当たらなかったのです。
だからなおのこと、彼が長年負わされていた十字架に衝撃を受けました。
人間は皮膚によって全てを覆い隠してしまえるので、見た目にはわかりません。
心のうちでどれほど深く傷ついているか。
どれほど重たい宿命を背負っているのか。
「彼の声なき叫びを、なんとか形にしなければ」
それは自分にとって何にも勝る衝動でした。
そして見えてきたのです。
この曲を生半可に作れなかった理由が。
これは、苦しみを内側に封じながらも、平然と気丈に振舞っている人たちの気持ちを代弁する曲なんだ。
人々の苦しみや歴史に散っていった人類の業を目の前にして、僕はそこに自分自身を見つけました。
その時、内側にある何かが出口を求めてました。
「あなたを憎んで あなたを愛して」
「誰より憎んで 誰より愛した」
予期しなかった言葉でした。
それがメロディーと同時に出てきたのです。
明らかにこの曲の出だしと結びを告げていました。
こうして14年間どうやっても堰切ることができなかった4小節きりのピアノ曲は、わずか数日中に誕生へと向かいました。
そして重たいビートと劇的なオーケストラをまとい、完成したのがToo Farでした。
痛みの存在価値
この歌は、あなたの知らない誰か他人の不幸を描いているのではありません。
あなたの嘆き、悲しみ、苦しみ、葛藤を描いています。
つらくなったら、この歌に触れてみてください。
YouTubeページには歌詞を掲載しました。
歌詞のどこかに、あなたの気持ちを代弁する言葉が入っているはずです。
それに気づくことで、あなたの癒しが始まります。
痛みとは、苦しむために存在しているのでしょうか?
いいえ、違います。
痛みとは、心の奥に押し込んでフタをした感情を解放する合図なんです。
だから人間の持つ様々な喜びや美しさと等しく、ダークな感情についても僕は自作品の中で描き続けています。
それは誰かの心の傷を世界中に見せつけるためではありません。
歌とは人の心に寄り添うものであり、それがカタルシス(心の浄化)へ至ると信じているからなんです。
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