2日目(25日)
8時に宿を出て、近くのバルで朝食。
トスターダ・コン・トマテとコーヒー
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レモンの入った水が置いてあったので、これは「フィンガー・ボウルか?」とおねえちゃんに聞いたら、「違う、テーブル拭きのためのもの」との答えだった。
こんなの見たのは初めてだ。
中央市場へ向かう。
市場の入り口は何箇所もあるようで、今日は違う入り口から入った。
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朝が早いので、魚売り場は昨日と違って、魚もたくさん揃っていた。
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そこで気づいたのだが、魚の陳列の仕方が独創的なのだ。
魚がいろんな向きで並べてあるではないか・・・
まるでひとつの芸術作品のようだ。
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昨日はほとんど見かけなかった生のマグロにも出くわした。ただし、解体ショーはやってなかった。
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次に向かったのは、昨日、閉館で入れなかった「シェルター」の記念館。
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Refugioとは避難所とかシェルターなどを意味するスペイン語。
スペイン市民戦争(1936年7月 - 1939年3月)当時、市民の避難所として共和国派自治体だったアルメリア市が造ったもの。
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今日は10時きっかりに入場できた。
まず、最初は、当時を知る人たちの証言をもとにした短編記録映画を見る。
次にガイドによって地下のシェルターへと案内された。
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防空壕での生活を偲ばせる日常用品
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医療施設まであった
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こうした中で、一番気になったのは、このプレートだった。
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「1937年の5月31日のドイツ軍の爆撃で犠牲となった人々」と記されている。
フランコを支援するドイツ軍の爆撃といえば、ピカソの絵で有名になったバスク地方の「ゲルニカ」があるが、こんなアンダルシアの地でもドイツ軍による爆撃(砲撃)があったのだ。
グラナダに帰ってから1937年の5月31日の事件を調べた。(ガイドさんは説明していたと思うが、恥ずかしながら、ジジイはスペイン語の読解力がまったくないためにわからなかった)
五月二十九日の夕方、ドイツ戦艦「ドイッチュラント」号がイビサ沖に錨をおろしていた。突然、共和国飛行機二機がーはじめは沈みゆく太陽を背にしていたため、その所属が確認できなかったがー頭上にあらわれ、爆弾二個を投下した。その一個は水兵食堂におち、乗組員のうち死者二十二、負傷者八十三を出した。・・・
・・・ヒトラーは、かくも多数のドイツ人死者を出したことに腹をたて、外務大臣ノイラートは、六時間わたってヒトラーの怒りを和らげようとつとめていた。「ドイッチュラント」号自体はジブラルタルへ航行し、負傷者をおろした。さらに九人が死亡し、死者総数は三十一人になった。
五月三十一日未明、ドイツ側は復讐に出た。巡洋艦一隻と駆逐艦四隻がアルメリア沖にあらわれ、2百発の砲弾をまちに撃ちこみ、破壊家屋三十五、死者十九人を出した。・・・・(ヒュー・トマス「スペイン市民戦争Ⅱ P109〜P110)
ヒュー・トマスの本では死者の数が十九人となっているが、プレートでは三十一人の名前が記されている。おそらく、こたらの方が正しいはずだ。
スペイン市民戦争では、ドイツとイタリア・ポルトガルのファシスト政権が積極的にフランコを支援していたのだが、共和国へはメキシコとソ連と国際義勇軍の支援しかなった。しかもスターリニストソ連の支援は、共産党以外の共和派の党派をファシストのスパイと決めつけたため、共和国内部で内ゲバがおこり、結果、共和国を衰弱させる原因ともなった。そして、もう一つは英仏などが非干渉主義でみすみすファシストの跋扈を許したことも、共和国敗北につながった。
この日は、夕方、カテドラルとモーロ人の造営した城塞(アルカサバ)に行ったのだが、どちらも、時間外で入場できなかった。
明日、朝には宿をでなくてはならないので、新しい宿を見つけた。
シェルターの記念館のすぐ近くで、50ユーロ(6500円)だった。