『暗い時代』の始まり!
新幹線で焼身自殺した老人のことを知った。
かの人はおそら生活が困窮して将来を悲観し「鬱」が高じて自死を選んだのだろう。
巻き添えにあった女性の死は重く受け止めなくてはならないのは当然だが、71歳の老人の自殺の動機とそのおかれていた立場を深く読み解く必要があるのではないだろうか。
手段を誤ったが、彼の訴えたかったことはわかるような気がする。
今、こんなことをつぶやくと袋叩きにされるような社会に日本はなっている。
老人の自死は「はた迷惑な死」「死ぬならひっそりと死ね」「未必の故意の殺人」「新幹線のテロ対策」といった話に矮小化されている。
老人の年金への命を懸けた抗議なんかは問題にはされない。
メディアの主導する意見しか容認されない社会だ。
狭量で思いやりのかけらもない強いもの、富める者優先の思想である。
そこに本来は社会的弱者である「ルンプロ」の「ネトウヨ」が下から同調する。
国会議員が言論機関を弾圧することを平気で口にする。
まさにファシズムの形成条件が整った感がする。
フランスの社会学者のエマニュエル・トッドが例の『シャルリー・エブド』風刺漫画事件の時に、イスラム教徒のおかれている立場を考慮に入れるべきだと正論を吐いたら、世間からヒステリックにたたかれると話していた。
「私も言論の自由が民主主義の柱だと考える。だが、ムハンマドやイエスを愚弄し続ける『シャルリー・エブド』のあり方は、不信の時代では、有効ではないと思う。移民の若者がかろうじて手にしたささやかなものに唾を吐きかけるような行為だ。ところがフランスは今、誰もが『私はシャルリーだ』と名乗り、犠牲者たちと共にある」
「私は感情に流されて理性を失いたくない。今、フランスで発言すれば、『テロリストにくみする』と受けとめられ、袋だたきに遭うだろう。だからフランスでは取材に応じていない。独りぼっちの気分だ」といまの考えと気持ちを吐露した。
エマニュエル・トッドの危惧する風潮は日本でも蔓延している。
少数意見とか異論は排除される。
そうした世論はテレビとか新聞といったメディアで形成される。
そのメディアだが権力にべったりの姿勢で、幹部たちはアベに饗応されることを恥ともなんとも思っていない。
権力を監視、批判するというジャーナリズの原則とは無縁の地平にいる人たちだ。
こうした状況は、いまが「暗い時代」にさしかかったということを示している。
<梅安亭・日乗>
連日の冷やし中華風パスタ
冷蔵庫に作り置きがしてある冷やし中華のタレ
イベリコ豚のセクレトと新玉ねぎの芥子醤油炒め丼
鰯の刺身・・・鰯を6尾買ったのでうち2尾を刺身にした。
鯵の緑酢
残りの鰯を圧力鍋を使って梅干煮にした。鰯の梅干煮