2010年06月 - 梅安亭日乗
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2010/06/04

もう1週間

6月4日(金)
先月の26日にこちら(グラナダ)にビザの更新で来てから、すでに一週間が過ぎた。
9年ぶりとあって、こちらの事情がうまく把握できないでいる。
洗濯機の動かし方からはじまり、テレビのリモコンの操作さえ、とまどっているという状態である。
もちろんスペイン語はちんぷんかんぷん・・・

残雪のシェラネバダ
残雪のシェラネバダ

部屋から見たアルハンブラ宮殿(夏の館)
部屋からみたアルハンブラ
2010/06/07

ぼちぼち

6月7日(月)

グラナダは地下鉄の工事のため、道路がそこらじゅうで掘り返されている。
バスに乗って移動しようとするのだが、工事のため迂回経路になっているので、なかなかうまくいかない。
およそ10年ぶりの帰還とあって、諸事情に戸惑うばかりだ。
それでも、大手のスーパーと市場は、ほとんど回った。

コルプスの祭り
コルプスの祭り

市場で買ったマグロ(色はいまいちさえないが、味はしっかりしていた)
市場で買ったマグロ
2010/06/08

アルバイシン

6月7日(月)歩き2万歩

アルハンブラ宮殿を撮影するならここ。という定番の場所サン・ニコラス広場。
日中は30度を超えているため、さすがに雪解けが進んでいる。6月ごろすっかり夏の気候のグラナダに飛行機やバスで最初着いた時、町の背後に雪を被った巨大な山塊があるのには心底驚かされる。

サンニコラス広場からのアルハンブラ宮殿

アルバイシンの路地は敵の攻撃に備えて迷路のように作られている。モロッコのフェズに行くとまったく同じ街並みに感心させられる。


アルバイシンの路地





イスラムとグラナダ 

以前住んでいた時にちょっぴりあったアラブ系の土産物屋や喫茶店が、その後10何年の間に、この坂(カルデレリア・ビエハ?)をすべて占拠しつくした。
あの頃サン・ニコラス広場にモスク建築を許可するかどうかでもめていたが、今ではちゃんと「イスラム協会」の建物ができ、高さは抑えられているが、ミナレットらしきものも建っている。
考えてみれば、グラナダはスペインでのイスラム教徒最後の王朝(ナスル朝)があったところであり、キリスト教徒による「レコンキスタ」の完成した土地でもあるので、そこに今度はイスラム教徒の「レ・レコンキスタ」という動きがあってもおかしくないのだ。

イスラム人街ともいえる光景

夕食は羊料理(cordero=子羊)


コルデロー2
2010/06/09

賞味期限切れ

6月8日(火)
地下室に放置されていた日本食材の山。その中に大量のカレーを発見。しかし、10年以上も前のものだから、どうしようかと二の足を踏んでいた。
そのことをグラナダ在住のベテランに話すと、「カレーの賞味期限なんてどうってことがない」と一喝。
早速、2000年6月2日が賞味期限のカレーを使ってみたが、何の問題もなかった。
賞味期限なんていい加減なもんだね。
人間も賞味期限切れなんて言われて落ち込まないことだ。もしかしたらヴィンテージものとして、付加価値がついているかもしれない。
というわけで出来上がったカレーは、上々の味。
10年の歳月に耐えてくれて、この味だと思えば、感謝の一念。
「賞味期限切れ」万歳!!写真がピンボケですみません

賞味期限切れカレー
2010/06/13

テレスール

6月12日(土)
ワールドカップが始まり、テレビ漬けの日々。ただ、試合の放送をどのチャンネルがやっているかを探すのが一苦労である。
そんななか、偶然、我が家のケーブルテレビで「テレスール」が視聴できることを発見。
この放送局はベネゼラのチャベス大統領が、CNNやBBCといった欧米のメディア支配に対して、「ラティーノ」独自のテレビネットワークを作ろうと呼びかけてできたものだ。
実は数年前にこの放送局を取り上げる企画をNHKのBS「地球特派員」に提案したことがある。特派員はカメラマンの桃井和馬さん、アンカーマンは津田塾大学の中山さんである。「報道の中立性」という死語が支配的な制作現場で桃井さんはチャベス擁護に苦闘していたのを思い出す。

その「テレスール」ではインターミッションにゲバラとゲバラの言葉が流されているのだ。

テレスールのインターミッション
ゲバラのセリフ「
2010/06/24

カジェヘロ


6月24日(木)連日晴れの天気。朝晩は涼しい。

先日、隣のカジェの友人と再会の宴を催した。そこで、飲みすぎたのか、それともスペイン滞在の疲れがでたのか、翌日から血圧が急上昇。かなりやばいと思い、この間、運動のため「歩き」に努めている。
「ほっつき歩くのが好きな」という意味は「カジェヘロ」というのだそうだが、「ペロ カジェヘロ」だと野良犬という意味だ。「カジェ」は「通り」とかの意味。さて、僕はグラナダの街の隅々をほっつきまわっているから、差し詰め「japones callejero=浮浪者ぽい日本人」となったわけだ。
サクロモンテの城壁遺跡
サクロモンテの家並みと背後の城壁跡

サクロモンテの修道院
サクロモンテ丘上の修道院

30度以上の外ほっつき歩いて帰ってくると、さっぱりしたものとか冷たいものが食べたい。そこでガスパッチョもいいが、やはり麺がほしくなる。
そうめん、そば、・・・しかし残念ながら今回はそうした持ち合わせをあまり持っていない。
そこで思いついたのが、冷やし中華だ。
今から28年も前にバルセロナにアパートを借りて暮らしていた時のことを思い出したのだ。友人の彼氏というのがなかなかの料理人。彼はいとも簡単に冷やし中華を作ってくれたのだ。当時の僕にはまさに驚異の腕前だった。
麺はスパゲッティ。これをゆで時間の倍ほど茹でていた。
僕は圧力鍋を使って柔らかくすることを試みたのである。付け汁は、バルサミコ、醤油、ごま油(中華食材店で買った)、ゴマ、砂糖、豆板醤。トッピングはトマト、キュウリ、ヨークハム、イタリアンパセリ。
スぺゲッティで冷やし中華

うまかった。以前、そういえば釜揚げうどんでスパゲッティを使うとうまいと言ったら、周りから嘲笑をかった。
今回は、ほんとうまいぞ!新宿御苑の「トンキン」の「ノボさん」参ったか?

高血圧対策で「イワシ」
イワシの刺身
2010/06/26

一昔前のマグロ

6月26日(土)
やっとプリンターを購入したので、昔の写真がスキャンできるようになった。
まずは、この鮮やかなマグロの色。
当時は生のマグロは近くの魚屋さんでも売っていた。今ではどこでもマグロが置いてあるが、こんなに新鮮なものは見かけなくなった。

下手な握り寿司 味は天下一品だった

1998年のマグロ写真です。よく見ると不揃いでへたくそな握り寿司だね。でもマグロの味は最高。横の皿は鰯の握りです。

日本による買い占めが主な原因だが、ほかに世界的な寿司ブームもマグロ需要に拍車をかけているようだ。
モナコが先日、地中海でのマグロ漁の禁止を訴えていたが、これとて、片手落ちの規制で、事態の根本解決にはなっていない。
2010/06/28

ワシントン・アーヴィングホテル

6月27日(日)

ピソのある前の橋を渡るとアルハンブラ宮殿へと続く坂道がある。
小石が多いことから Cuesta De Los Chinos という名前で呼ばれている。最初、僕は「中国人の坂道」と読み込み、なぜだろうと疑問を持ったものだ。

cuesta de los chinos

坂を登りきって、今度は右に少し下がると左側にホテルがある。20年ほど前に撮影で緒形拳さんたちと泊まったホテルだ。「アルハンブラ物語」を書いたワシントン・アーヴィングの名前をとった(著書を書いたのはアルハンブラ宮殿の中にアーヴィングの間というのがある。友人に指摘を受けたので訂正しておきます。)由緒ある建物である。それが、いつの間にか「廃墟」になっていたのだ。
最近のホテル事情として、町中には近代的なホテルができており、僕のいるアルバイシンではアラブ式の旧家を改築して「プチホテル」として開業しているのが数多くみられる。


ワシントン・アーヴィングホテル
この門をくぐると、アルカサールのほうへ行く。
alhambra 入口の門
馬などに飲み水を与えた場所(カルロス5世時代に作られたものだそうだ・・友人の坂本さんが指摘してくれました)
水飲み場

水飲み場のレリーフ
水飲み場のレリーフ


この門をくぐると、アルハンブラ宮殿観光のへそともいえる「プラサ・ヌエバ広場」に出る。
ゴメレス坂