叔父、静かに逝く
一昨日1月23日、私の母親の弟、つまり私の叔父が息を引き取りました。76歳でした。
叔父は近くに住んでいて、うちには時折り遊びにきていたのですが、最近では叔父を含む母親兄弟3人と私たち夫婦が揃って関西、四国、中国を6泊7日で車で旅行したことを当ブログにも書いております。
2014/05/26 : 旅行・温泉巡り : 【番外】関西・四国・中国大紀行(その1)
実はこの旅行の少し前から、叔父は喉になにかがつかえているような感触があるといって、かかりつけの医者やら胃カメラやらを受けていたのですが、特段の異常はみつからず、一安心ということで旅行に出かけていたのでした。旅先でも調子の悪い時はあまり食事が喉を通らないようでしたので、皆心配して、旅から帰ってからもう一度詳しい検査を受けるようにとすすめていました。
旅から帰ってほどなくして、幾つかの病院で検査を受け、やはり喉の奥になにかあるということがわかり、わかった病名が頸部食道がん。しかもけっこう進行していることがわかりました。あわてて私も食道がんのことを随分しらべてみましたが、あまり良い情報はなく、けっこう難しい状況だということがわかり、叔父の家族や母親の兄弟やわれわれが揃って毎週病院に見舞いに行きながら治療方針などを一緒に考えてきました。幸い主治医はその道の第一人者ということで、その時点での最善の選択は手術ということになり、声帯も含む頸部のがんを摘出し、小腸で置き換えるというかなり大きな手術を受けることになります。
手術を受けたのが昨年7月23日のことでした。早朝から手術室に入り、終わったのが深夜。見守っていた家族や私たちもヘトヘトでしたが、深夜1時過ぎに主治医から受けた説明は厳しいものでした。「見える部分のがんはすべて取り切った」とは言ってくださったものの、がんはかなりの大きさであり、おそらく見えない部分にも取りきれながんが残されていたのではないかと思わざるを得ない状況でした。手術をしなければ1、2ヶ月の余命だったと知らされ、身近な人に降りかかった運命の大きさに言葉がでない状況でした。
ただ、76歳と高齢だったにもかかわらず、大手術後の叔父の回復は早く、リハビリを重ねて、喉の違和感は残るものの体調はかなり回復してきました。声を失ったため、叔父はノートやホワイトボードを使って意思表示となりましたが、われわれが驚くほど多くの字を毎日書き記して自身の言いたいこともしっかり言える状態でした。手術から1ヶ月を経過して今後の再発を少しでも防ぐため放射線治療などを選択するかどうかの判断をする必要があり、本人はすこしでもリスクを減らそうと治療には積極的でしたが、手術後の検査でリンパ節から多数の転移が見つかり、治療を断念せざるを得ないということになってしまいました。事実上の治療不能宣告です。体調が回復傾向だっただけに叔父の落胆も大きく、周りの私たちも再び運命の重さになすすべもない状況でした。
手術から3ヶ月経過し、これまでの治療目的の大学病院から離れる事となります。ホスピスなどを探したところ、どこもかなり逼迫しているようでしたが、幸い叔父の自宅からそう遠くないところに緩和ケア専門の病院が見つかり転院となりました。やはり緩和ケアを専門としているだけあって、医師も看護師も患者本人の意思を非常に大切に思って対応してくれる素晴らしいところでした。病院では酒は厳禁ですが、緩和ケア病院ではむしろ本人が好きだったのならまったくかまいませんとのこと。もちろん手術後は一切お酒を飲んでいなかった叔父も、差し入れで持ち込んだ赤ワインや濁り酒がとても旨いと毎日おちょこ一杯楽しんでいました。そうした環境に恵まれてか、体調が衰える気配はあまりなく、当初年を越すのは難しいとの見立てでしたが、皆でシャンパンでクリスマスを祝い、元旦も皆がそろってお祝いしました。
叔父本人も年末は年末までは、まだいけると思っていたと思いますが、病魔は確実に忍び寄り、徐々に体はは細くなり、体力が落ちていきました。のどのあたりの違和感も徐々に強くなったようで、痛み止めを目的とした投薬も徐々に増えていきました。家族やわれわれにもそろそろかとの緊張感が漂い始めていきました。それまで毎週末に見舞いに行っていたんですが、今週に入り、週末を待てないかもしれないとの予感があり、21日水曜日は会社を休んで叔父のもとへ。その時はまだホワイトボードを使って会話ができたのですが、翌日には意識がおぼろげとなり、1月23日、娘と孫に囲まれ、ついに帰らぬ人となってしまいました。ちょうど手術から6ヶ月目になります。
おそらく手術をしていなければ、ここまでの時間的猶予はなかったでしょう。手術によって、家族との貴重な時間が得られたのかもしれません。叔父とはいえ、元気であればたまに会って飲むくらい。がんという病気だったからこそ、皆が集まり、皆が叔父を囲んでいろいろ考え、貴重な時間をすごすことができたのだと思います。
私は小さい頃は叔父にはいろいろ教わりました。車好きだった叔父は、私の子供の頃の憧れの名車、スカイライン2000GT、通称ハコスカを手に入れ、最初のドライブに私を連れ出し、東京から浜名湖までドライブに連れて行ってくれました。湘南の海での叔父の仕事仲間とのダイビングとバーベーキューも思い出深いですね。叔父の仲間が潜ると、サザエやアワビ、そしてツキンボでクロダイまで仕留めてきてしまいます。当時は私はいくら潜っても収穫ゼロ(笑)。なんとなく大人に差をつけられて意気消沈していました。その場でバーベキューですが、ツキたての魚は焼くより煮るほうがうまいんだよとの掛け声で煮たクロダイの旨さは今でも鮮明に覚えています。なんとなく美味い魚にありつけて、逆に大人になった気分でした。
私の父は鉄道系でしたので、真面目一本やり。叔父に連れて行ってもらう遊びは、私の家庭とは全く違うもので、子供ながらに非常に刺激をうけました。そういえば最初にパチンコに連れて行ってもらったのも叔父でした。当時は手打ちで、チンジャラけたたましい音をたてて鉄球がころがること自体が面白く、何度か連れていってもらいました。今更ながら子供の頃にいろいろ遊んでもらった思い出がよみがえります。
昨年5月の旅行は記事にも書きましたが、母親3兄弟の後にも先にも最後の旅行となってしまいました。今となっては本当に貴重な旅行でした。そして、叔父の入院以降は、毎週毎週、叔父の病状に一喜一憂。病気や薬についていろいろ調べてくれと言われて叔父に伝え、叔父はいろいろ考えて判断していました。意外と言っては失礼ですが、叔父自身、かなり深く考え病気に立ち向かっていました。叔父なりに人生哲学があったのでしょう、叔父の病気と対峙する姿勢からいろいろ教えられた気もします。
こちらも叔父と一緒にこの半年いろいろ考えながら過ごしてきましたが、本日通夜を終え、明日は告別式。叔父が荼毘に付されます。いよいよお別れですね(涙)
ちょっと間をあけてすみませんでした。しばらくでまたレビューに戻ります。音楽で心を癒すために。
叔父は近くに住んでいて、うちには時折り遊びにきていたのですが、最近では叔父を含む母親兄弟3人と私たち夫婦が揃って関西、四国、中国を6泊7日で車で旅行したことを当ブログにも書いております。
2014/05/26 : 旅行・温泉巡り : 【番外】関西・四国・中国大紀行(その1)
実はこの旅行の少し前から、叔父は喉になにかがつかえているような感触があるといって、かかりつけの医者やら胃カメラやらを受けていたのですが、特段の異常はみつからず、一安心ということで旅行に出かけていたのでした。旅先でも調子の悪い時はあまり食事が喉を通らないようでしたので、皆心配して、旅から帰ってからもう一度詳しい検査を受けるようにとすすめていました。
旅から帰ってほどなくして、幾つかの病院で検査を受け、やはり喉の奥になにかあるということがわかり、わかった病名が頸部食道がん。しかもけっこう進行していることがわかりました。あわてて私も食道がんのことを随分しらべてみましたが、あまり良い情報はなく、けっこう難しい状況だということがわかり、叔父の家族や母親の兄弟やわれわれが揃って毎週病院に見舞いに行きながら治療方針などを一緒に考えてきました。幸い主治医はその道の第一人者ということで、その時点での最善の選択は手術ということになり、声帯も含む頸部のがんを摘出し、小腸で置き換えるというかなり大きな手術を受けることになります。
手術を受けたのが昨年7月23日のことでした。早朝から手術室に入り、終わったのが深夜。見守っていた家族や私たちもヘトヘトでしたが、深夜1時過ぎに主治医から受けた説明は厳しいものでした。「見える部分のがんはすべて取り切った」とは言ってくださったものの、がんはかなりの大きさであり、おそらく見えない部分にも取りきれながんが残されていたのではないかと思わざるを得ない状況でした。手術をしなければ1、2ヶ月の余命だったと知らされ、身近な人に降りかかった運命の大きさに言葉がでない状況でした。
ただ、76歳と高齢だったにもかかわらず、大手術後の叔父の回復は早く、リハビリを重ねて、喉の違和感は残るものの体調はかなり回復してきました。声を失ったため、叔父はノートやホワイトボードを使って意思表示となりましたが、われわれが驚くほど多くの字を毎日書き記して自身の言いたいこともしっかり言える状態でした。手術から1ヶ月を経過して今後の再発を少しでも防ぐため放射線治療などを選択するかどうかの判断をする必要があり、本人はすこしでもリスクを減らそうと治療には積極的でしたが、手術後の検査でリンパ節から多数の転移が見つかり、治療を断念せざるを得ないということになってしまいました。事実上の治療不能宣告です。体調が回復傾向だっただけに叔父の落胆も大きく、周りの私たちも再び運命の重さになすすべもない状況でした。
手術から3ヶ月経過し、これまでの治療目的の大学病院から離れる事となります。ホスピスなどを探したところ、どこもかなり逼迫しているようでしたが、幸い叔父の自宅からそう遠くないところに緩和ケア専門の病院が見つかり転院となりました。やはり緩和ケアを専門としているだけあって、医師も看護師も患者本人の意思を非常に大切に思って対応してくれる素晴らしいところでした。病院では酒は厳禁ですが、緩和ケア病院ではむしろ本人が好きだったのならまったくかまいませんとのこと。もちろん手術後は一切お酒を飲んでいなかった叔父も、差し入れで持ち込んだ赤ワインや濁り酒がとても旨いと毎日おちょこ一杯楽しんでいました。そうした環境に恵まれてか、体調が衰える気配はあまりなく、当初年を越すのは難しいとの見立てでしたが、皆でシャンパンでクリスマスを祝い、元旦も皆がそろってお祝いしました。
叔父本人も年末は年末までは、まだいけると思っていたと思いますが、病魔は確実に忍び寄り、徐々に体はは細くなり、体力が落ちていきました。のどのあたりの違和感も徐々に強くなったようで、痛み止めを目的とした投薬も徐々に増えていきました。家族やわれわれにもそろそろかとの緊張感が漂い始めていきました。それまで毎週末に見舞いに行っていたんですが、今週に入り、週末を待てないかもしれないとの予感があり、21日水曜日は会社を休んで叔父のもとへ。その時はまだホワイトボードを使って会話ができたのですが、翌日には意識がおぼろげとなり、1月23日、娘と孫に囲まれ、ついに帰らぬ人となってしまいました。ちょうど手術から6ヶ月目になります。
おそらく手術をしていなければ、ここまでの時間的猶予はなかったでしょう。手術によって、家族との貴重な時間が得られたのかもしれません。叔父とはいえ、元気であればたまに会って飲むくらい。がんという病気だったからこそ、皆が集まり、皆が叔父を囲んでいろいろ考え、貴重な時間をすごすことができたのだと思います。
私は小さい頃は叔父にはいろいろ教わりました。車好きだった叔父は、私の子供の頃の憧れの名車、スカイライン2000GT、通称ハコスカを手に入れ、最初のドライブに私を連れ出し、東京から浜名湖までドライブに連れて行ってくれました。湘南の海での叔父の仕事仲間とのダイビングとバーベーキューも思い出深いですね。叔父の仲間が潜ると、サザエやアワビ、そしてツキンボでクロダイまで仕留めてきてしまいます。当時は私はいくら潜っても収穫ゼロ(笑)。なんとなく大人に差をつけられて意気消沈していました。その場でバーベキューですが、ツキたての魚は焼くより煮るほうがうまいんだよとの掛け声で煮たクロダイの旨さは今でも鮮明に覚えています。なんとなく美味い魚にありつけて、逆に大人になった気分でした。
私の父は鉄道系でしたので、真面目一本やり。叔父に連れて行ってもらう遊びは、私の家庭とは全く違うもので、子供ながらに非常に刺激をうけました。そういえば最初にパチンコに連れて行ってもらったのも叔父でした。当時は手打ちで、チンジャラけたたましい音をたてて鉄球がころがること自体が面白く、何度か連れていってもらいました。今更ながら子供の頃にいろいろ遊んでもらった思い出がよみがえります。
昨年5月の旅行は記事にも書きましたが、母親3兄弟の後にも先にも最後の旅行となってしまいました。今となっては本当に貴重な旅行でした。そして、叔父の入院以降は、毎週毎週、叔父の病状に一喜一憂。病気や薬についていろいろ調べてくれと言われて叔父に伝え、叔父はいろいろ考えて判断していました。意外と言っては失礼ですが、叔父自身、かなり深く考え病気に立ち向かっていました。叔父なりに人生哲学があったのでしょう、叔父の病気と対峙する姿勢からいろいろ教えられた気もします。
こちらも叔父と一緒にこの半年いろいろ考えながら過ごしてきましたが、本日通夜を終え、明日は告別式。叔父が荼毘に付されます。いよいよお別れですね(涙)
ちょっと間をあけてすみませんでした。しばらくでまたレビューに戻ります。音楽で心を癒すために。
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