5月13日のプロローグ
2011年 05月 21日
記憶が鮮明なうちに、出産日記、つけときます。
3月18日 妊娠31週で逆子&切迫早産と診断され、自宅安静&内服(ウテメリン)治療開始。
情緒不安定。
3月29日 里帰り。妊娠32週4日で逆子が治り、内服は続行も、安静指示は緩和される。
4月12日 妊娠34週4日で内服中止&安静解除。
4月22日 臨月突入。一日2時間の歩行を指導され、歩きまくる。
4月26日 赤ちゃんの体重が2500gを超える。
4月29日 妊娠37週。正期産に入る。ますます歩きまくる。スクワット60回×3セット毎日。
5月2日 赤ちゃんの体重が3000g弱まで増える。私の体重も目を見張るペースで増加。
子宮口を柔らかくする注射(レボスパ)開始。週3回。
頻繁にお腹は張るが、痛みは伴わず。時々、夜中に生理痛のような下痢痛のような痛みあり。胎動は相変わらず激しい。
5月7日 週末に旦那が来るため、タイミング良く産まれて欲しい願望に駆られ、階段昇降、雑巾がけ、トイレ掃除などしまくる。
5月8日 旦那が来るため、今日中に破水か陣痛が来るよう祈りながら、近所の神社へ参る。山の上にある神社へ2往復もしてやる。帰宅後も階段昇降しまくり、汗だくで旦那を迎える。その姿にドン引かれる。
5月9日 妊娠38週3日。何事も起こらず朝を迎え、検診へ。赤ちゃんの体重は3000gを超える。焦る。子宮口をグリグリ刺激され、絶叫。お産の恐ろしさを垣間見る。
子宮口開大1㎝。帰宅後出血少量あり。
5月10日 お腹下す。出血少量あり。旦那が立ち会える月曜まで持って欲しいと願いながらも、体重増加が気になり歩く。
5月11日 お腹ゆるい。出血中等量あり。足の浮腫増強。胎動は元気にあり。お腹の位置も変化なし。昼頃から不規則に下腹部痛あり。夕方から、10分間隔の張りと痛みがあるが、自制内。月曜まで持ってくれ、と祈りながらやっぱり歩いてしまう。
5月12日 39週0日。お腹ゆるい。夜中から痛みが強まり、目が覚める。いよいよかと、早朝からパンにむしゃぶりつくが、その後間隔が延びて寝る。足の浮腫増強。胎動は激しい。
昼頃、出血中等量2回あり。夕方よりまたもや痛みを伴う張りが10分間隔となる。
痛みは強まってはいても、自制内なので、まだまだ連絡する気はなかったが、姉のしつこい勧めにより、一応、産院へ連絡する。
と、「すぐ来てください。」と言われ、姉に文句たれながら家を出る。
と、診察後、「入院しましょう。」と言われる。
子宮口は2㎝開大。レボスパを打っていたため、
柔らかくはなっているので進みだすと早いかもしれない、との見解らしい。
入院って、よく5分間隔になったら、とか、痛みが我慢できないくらいになったら、
とか、子宮口が4㎝以上開いてから、とか、結局帰されることが多いと聞いていたのに?
意外ーーーー
てなわけで、19時30分 入院。
通されたのは二人部屋。隣の人は当日帝王切開で出産された人。
お互い気を遣って無言でそれぞれ痛みと戦う一晩を過ごす。
結局、3~4分間隔のまま子宮口は開くことなく朝を迎える。不眠。
朝食は完食。
医師の診察にて、またもやグリグリ内診。絶叫。
「誘発剤を使いましょう。」と、言われる。
この期に及んで、「旦那が来れる月曜まで持たせられないですか?」と聞く。
「無理。」即答。
部屋に戻り、プロスタグランジンE2を1錠内服し、人生初の浣腸をされ、陣痛なのか浣腸痛なのか分からない痛みに襲われる。
陣痛ならまだいきんではいけないはずやけど、出すものは出さなあかん、というジレンマに悩まされながらトイレに籠る。
トイレから出てくると、LDRに通される。
そこでは大きなTVの中で何頭ものイルカが気持ち良さそうに泳いでいた。
このときはまだそんな愛らしいイルカたちを鑑賞する余裕はあって、
看護師さんに「お産時のDVD撮影の準備は大丈夫ですか?」
などと余計な心配までして質問していたりした。のでした。
・・・・・つづく。
3月18日 妊娠31週で逆子&切迫早産と診断され、自宅安静&内服(ウテメリン)治療開始。
情緒不安定。
3月29日 里帰り。妊娠32週4日で逆子が治り、内服は続行も、安静指示は緩和される。
4月12日 妊娠34週4日で内服中止&安静解除。
4月22日 臨月突入。一日2時間の歩行を指導され、歩きまくる。
4月26日 赤ちゃんの体重が2500gを超える。
4月29日 妊娠37週。正期産に入る。ますます歩きまくる。スクワット60回×3セット毎日。
5月2日 赤ちゃんの体重が3000g弱まで増える。私の体重も目を見張るペースで増加。
子宮口を柔らかくする注射(レボスパ)開始。週3回。
頻繁にお腹は張るが、痛みは伴わず。時々、夜中に生理痛のような下痢痛のような痛みあり。胎動は相変わらず激しい。
5月7日 週末に旦那が来るため、タイミング良く産まれて欲しい願望に駆られ、階段昇降、雑巾がけ、トイレ掃除などしまくる。
5月8日 旦那が来るため、今日中に破水か陣痛が来るよう祈りながら、近所の神社へ参る。山の上にある神社へ2往復もしてやる。帰宅後も階段昇降しまくり、汗だくで旦那を迎える。その姿にドン引かれる。
5月9日 妊娠38週3日。何事も起こらず朝を迎え、検診へ。赤ちゃんの体重は3000gを超える。焦る。子宮口をグリグリ刺激され、絶叫。お産の恐ろしさを垣間見る。
子宮口開大1㎝。帰宅後出血少量あり。
5月10日 お腹下す。出血少量あり。旦那が立ち会える月曜まで持って欲しいと願いながらも、体重増加が気になり歩く。
5月11日 お腹ゆるい。出血中等量あり。足の浮腫増強。胎動は元気にあり。お腹の位置も変化なし。昼頃から不規則に下腹部痛あり。夕方から、10分間隔の張りと痛みがあるが、自制内。月曜まで持ってくれ、と祈りながらやっぱり歩いてしまう。
5月12日 39週0日。お腹ゆるい。夜中から痛みが強まり、目が覚める。いよいよかと、早朝からパンにむしゃぶりつくが、その後間隔が延びて寝る。足の浮腫増強。胎動は激しい。
昼頃、出血中等量2回あり。夕方よりまたもや痛みを伴う張りが10分間隔となる。
痛みは強まってはいても、自制内なので、まだまだ連絡する気はなかったが、姉のしつこい勧めにより、一応、産院へ連絡する。
と、「すぐ来てください。」と言われ、姉に文句たれながら家を出る。
と、診察後、「入院しましょう。」と言われる。
子宮口は2㎝開大。レボスパを打っていたため、
柔らかくはなっているので進みだすと早いかもしれない、との見解らしい。
入院って、よく5分間隔になったら、とか、痛みが我慢できないくらいになったら、
とか、子宮口が4㎝以上開いてから、とか、結局帰されることが多いと聞いていたのに?
意外ーーーー
てなわけで、19時30分 入院。
通されたのは二人部屋。隣の人は当日帝王切開で出産された人。
お互い気を遣って無言でそれぞれ痛みと戦う一晩を過ごす。
結局、3~4分間隔のまま子宮口は開くことなく朝を迎える。不眠。
朝食は完食。
医師の診察にて、またもやグリグリ内診。絶叫。
「誘発剤を使いましょう。」と、言われる。
この期に及んで、「旦那が来れる月曜まで持たせられないですか?」と聞く。
「無理。」即答。
部屋に戻り、プロスタグランジンE2を1錠内服し、人生初の浣腸をされ、陣痛なのか浣腸痛なのか分からない痛みに襲われる。
陣痛ならまだいきんではいけないはずやけど、出すものは出さなあかん、というジレンマに悩まされながらトイレに籠る。
トイレから出てくると、LDRに通される。
そこでは大きなTVの中で何頭ものイルカが気持ち良さそうに泳いでいた。
このときはまだそんな愛らしいイルカたちを鑑賞する余裕はあって、
看護師さんに「お産時のDVD撮影の準備は大丈夫ですか?」
などと余計な心配までして質問していたりした。のでした。
・・・・・つづく。
by haruuraranman
| 2011-05-21 15:12