はなまるな日々
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運動会の音はおっかないよね。

とある土曜日、近所の小学校で運動会がありました。

運動会の日は朝の6時半にドカン!と空砲が鳴ります。
毎年恒例のこの空砲に毎年ベッドから体が浮くくらいびっくりしてしまいます。

いつもなら起きている時間なのですが、土曜日は目覚ましもかけずに寝坊したいので、一緒に寝ているみいちゃんとともにびっくりしてしまいました。

今年はびっくりしたあとに「はっ!はなちゃんと子猫はこの音、大丈夫だろうか…」と急に不安になってきました。しかし不安だけれども迎えに行って子猫触ったりしたら、はなちゃんが天城越えで石川さゆりだから…と不安に不安が重なってどうにも眠くなってそのまま8時まで寝てしまいました。

いよいよ運動会がはじまった頃、いつも通り、休日のコーヒータイムをしていました。

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リレーやら玉入れやらの音楽が大音響で流れています。子猫たちはこの音に怯えてないかとても心配です。とても心配だけども、うかつに観に行って天城越えで石川さゆりなはなちゃんはもっと心配です。
父も「家よりもアジトの方が小学校に近いから音すごいだろうなー」とやっぱり心配そう。

この運動会の1週間前に、はなちゃんと子猫はキャリーバックになんとか入れてそのまま病院に連れて行こう、という話になり、みいちゃんをはなちゃんに見立てて予行練習までしました。しかし、みいちゃんは普段からキャリーバックで遊んでる子なのです。
予行練習が全く意味がないことに気付いたのはみいちゃんがご機嫌でキャリーバックの中にて優雅に毛繕いを始めた時でした。

こんなに大人しく入るわけないから!
「キャリーを縦にして…いや、横から入れて…」とか縦に入れられたり横から入れられたりするみいちゃんですが、ご機嫌さん。ダメだ、練習したって。と、そんなことをやってました。

運動会の音はますます激しくなっていくなか「私、ちょっとどれくらいの音か確かめてくるよ」と、意を決してスマホを持ってアジトへ行くことにしました。

父はお風呂掃除が佳境に入ってたので後から来ることになりました。(←待ってやれよ)
父のアドバイスで懐中電灯も持って行きました。
はなちゃんがいるであろう小屋は全く陽がささず、昼でも真っ暗闇なのだそうです。

恐る恐る小屋に入ると、運動会の音は案の定、うちより大きく聞こえます。懐中電灯で中を照らしながら進みました。

すると「にゃー!にゃー!」と、私を見つけたはなちゃんがすごい勢いで走ってきて、足踏みをしながら私を見上げています。そして絶妙に奥へ奥へ誘います。奥は本当に一筋の光も入らない真っ暗闇です。
その奥の真っ暗闇の中で小さな子猫が二匹、もっさりもっさり動いています。あまりの暗闇に子猫は目が開いていても何も見えてないことでしょう。暗闇の世界しか知らない小さな子たちを見て涙が出ました。
地面に座り込んで子猫からは距離を置き、はなちゃんの反応を見ることにしました。

座り込んだ私の胸に顔に膝にスリスリスリスリ、かわいい声で「にゃー!にゃー!」…これは…完全になにかを私にお願いしている…もう考えてても仕方ない!暗闇から連れだそう!と決意して、家にいる父にスマホから電話をかけ「キャリーバックを持ってきて!連れ出すから!」と言いました。

キャリーバック待ちの私に、はなちゃんはスリスリにゃー!にゃー!もうなにかをお願いしまくりです。
ちょっと暗闇の度合いが凄すぎて若干怖かった私ははなちゃんにアテレコして気を紛らわすことにしました。
「私と子猫たちを家族にしてー!おうちに連れてってー!この音を即刻止めてー!」…ってな感じでしょうが、でもよく見ると美人なはなちゃん、もっとバブリーなお願いもしてるかも。「ごはんは舌平目のムニエルにしてー!新鮮なマグロたべさせてー!私をスキーに連れてってー!」とか矢継ぎ早にアホなアテレコ。それくらい怖い暗闇だったのです。まだ朝の9時半なのに。

やっと父がキャリーバックを手にやって来ると、私ははなちゃんをなでなでしながら後ろ手で子猫をささっとキャリーバックに入れました。軽い。
父が「問題ははなちゃんだ」と言うか言わないかの瞬間、キャリーバックに入った子猫を見て、
「あらあらこれってなんですの?はなちゃんもお邪魔しますね~!」と喉をゴロゴロ鳴らしながら大またぎでキャリーバックに入ってコロンと横になりました。びっくりしてあわててチャックを閉めて家に向かう私たち。

あの予行練習はいったい…。

そのままいつもの芝生にキャリーバックを置いて外の光と風景を子猫たちに見せました。大興奮の子猫たち。はじめての光の世界、お外の風景に「にゃっにゃ!」と驚きの声をあげています。
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それにしても三毛猫の子猫さんの頭のでかいこと!ドラえもんみたいにまんまるです。
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頭がでかいからかちょっと歩いてはつんのめって酔っ払ったカトちゃんみたい。お腹もまんまるです。
…ってことは!この子の名前は「まるちゃん!」

そして白黒はちわれの子猫さんは、はなちゃんの鼻にある黒い模様を鼻の左右にふたつ受け継いでしまって牛のよう。黒い点々もよう…「てんちゃん」だね!
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「あれ?!はな、まる、ひゃくてんだね!」

「ひゃくちゃんはいないよ?」みいちゃんが改名するわけにはいかないしね。
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みんなの名前も決まったところで、そのまま病院へ行って、検査です。
野良猫の割には便もきれい、感染症はなし、フロントラインだけしましょう、年齢は親猫が一歳になるかならないか、子猫は2ヶ月はたってないから4月生まれかな?ということでした。ふうちゃんが亡くなった2週間後くらい、私が田んぼで会った1週間後くらいに生まれたようです。「成長具合も至って良好、はなちゃん初産で一生懸命育てたね。」と、先生に褒められました。あの真っ暗闇で一生懸命…泣きそう。

帰りの車の中ではキャリーバックの中で授乳してました。

家にケージの部屋を作ってあったので、早速家にご案内。

また先に子猫をケージの中に入れると、なんの躊躇もなく入るはなちゃん。
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またまた授乳。本当にいいママだね。まだ一歳なのにね。
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私と父は怒濤の展開に驚きながら、ケージの中でおっぱいを飲んでる子猫たちを確認し安心して昼寝で爆睡です。まだみいちゃんとの問題があるけど、でもまずは昼寝で爆睡。よく見ると私の身体も泥だらけ。でもまずは昼寝で爆睡です。

夜にはすっかりお部屋に馴染んだはなまるてんちゃん。
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頭の大きいまるちゃん、
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ところどころトラネコの柄があり、ふうちゃんと同じトラ柄の肘あてまであります。
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毎日毎日、ふうちゃんのこの肘あてがかわいくてクルクルと触っていました。
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では、今回は家族になった日の、はなちゃんの授乳タイムの動画で締めたいと思います。





# by u3chaco3 | 2019-06-23 16:44 | Comments(7)

おなまえは。

お母さんの大好きだった三毛猫と暮らそう、もし家猫になるのを嫌がったら庭で飼ってもいいし、ごはんの苦労はなくしてあげよう、そして妊娠してたらこの家のどこかで出産してもらおう、と話し合った父と私は、さっそく朝ごはんを用意してうまいこと三毛猫さんを家のなか、玄関に呼び込みました。

ちょっとへっぴり腰な気がするけど、大丈夫そう。

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それにしてもすごい食欲。お腹の赤ちゃんの分まで食べてるのかなぁ。それにしてもこの子が産んだ子猫をどうやってこの家に呼び込むことができるのだろう?人間に取られそうになると子猫を殺しちゃうっていうあの話、天城越えで石川さゆりになっちゃう話が脳裏をよぎり全然得策が浮かびません。

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こうやって数日、玄関でごはんを食べるようになった頃、父と私は、三毛猫さんに名前を付けようと思い立ちました。

三毛猫らしい和風の…ベタなやつがいいな、と思っていました。

そして連休のある日、前の会社のお友達さんとランチの約束をしていた私は、家から車で3分くらいのカフェへGO!

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いつ来ても安定の美味しさ。
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見た目もきれいで飽きることがありません。

春らしいパスタをいただきながら、ふうちゃんの話や三毛猫さんの話をしました。
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デザートをいただきながらふと、そうだ、名前、「ハナ」っていいかも。なんて思いました。

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なぜなら一緒にランチしてるこのお友達さんが和風の美人でお名前がハナコさん、だからです。

家に帰ってさっそく父に「ハナってどう?」と聞くと「工場で飼ってた犬のハナと同じ、すごく優しくていい犬だったからいいかも」ということになり、三毛猫さんは「はなちゃん」になりました。

はなちゃんと言われれば、ほんとだ、はなちゃんな気がする、とか言いながら朝ごはんを玄関で食べる三毛猫さんに「はなちゃん美味しい?」「はなちゃん、うちの子になる?」とひたすら話しかける日々。

はなちゃんは毎日風の吹き抜ける気持ちいい芝生で何時間も過ごしていました。この少し右側がふうちゃんのお墓です。
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ある日、はなちゃんはごはんを食べ終わると自分から家にあがり、玄関横の私の部屋にそろーりそろーりと入って行きました。
うしろでそっと私もはなちゃんと同じ目線でしゃがみこみながら様子を見ていると、「なんじゃこりゃーー!!」とまんまるおめめでびっくりするはなちゃん。

まるで生まれてはじめてベルサイユ宮殿を見た人のようです。
「マリーアントワネットのお部屋ですよ」と張り切ってウソをつくわたし。

びっくりしっぱなしのはなちゃんは、へっぴり腰で玄関に戻り「えらいもん見てしもたー」という感じでどこへともなく帰ってしまいました。

自分から家にあがったくせに。玄関までしかまだ気を許せないようです。

その翌日、父は玄関に来たはなちゃんをひょいっと抱き上げたそうです。するとあまりに軽く「とても妊娠してるような体重じゃない」と言いました。

そっか。妊娠してないのか。でもこの子はうちの子にしようね、名前も付けちゃったしね。という話をして、またどこへ帰るのか分からないはなちゃんを見送りました。

そして家にあがった数日後、仕事から戻って庭のテーブルでくつろいでいる父に近寄ると、なんとそこには父に抱っこされたはなちゃんが…。
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父も大変嬉しそうにしています。心なしかちょっと自慢げに抱っこされている感じでもあります。
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そーっと私も向かいに座ると、にゃーにゃー言いながら私の膝にも乗ってきました。芝生に下ろしても膝に乗ってきます。

どういう気持ちの切り替えか。

この日から後のはなちゃんは、なでなでOK!おさわりOK!なんでもOK!に大変身しました。

と、ある日、そのお腹をよく見ると。
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おっぱいがはれあがっています。

「子猫がいる!おっぱいがママのおっぱいだ!」と私が言うと、「え!!」と驚きながらどこかへ行ってしまった父。はなちゃんをなでなでしながらどこへ行ったのか分からない父の帰りを待ちました。

5分ほどして戻ってくると「子猫いた!」と言うではありませんか。

どこにいたのさ。どこに見に行ったのさ。どんな柄だったのさ。教えてよ。

父は「子猫、まだちゃんと歩けなくて、ちいさかった」と言うのですが、子猫ってだいたいそうだから。

そして帰るときについていけば分かる、と言うので、はなちゃんをアジトまで送ることにしました。
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私たちの歩調にちゃんと合わせて、
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たまにクネクネしたりしながら案内してくれます。

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空き家の横にある小屋がアジトでした。
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はなちゃんがいない隙に子猫を見た父はいいですが、はなちゃんの前で子猫を見るのはまずい。なぜなら天城越えだから。はなちゃんが石川さゆりになっちゃうから。

むむむーーー。こんなに近くにいても見れないとは!

…つづく。


# by u3chaco3 | 2019-06-22 11:13 | Comments(2)

なでるとこまでは大丈夫。

ふうちゃんがいなくなってから10日くらい、みいちゃんはものすごい声で夜中に叫んでいました。
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夜中のふたりの追いかけっこもなくなり、いるはずのふうちゃんはどこを探してもいないし、毛布についてるふうちゃんの匂いをずっとずっと嗅いでいます。そんなみいちゃんをぎゅうぎゅう抱きしめながらわたしも泣きました。
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10日ほどするとそのようなことはなくなりましたが、明らかに私たちのあとを付いてまわり、ひとりになるのが嫌、といった感じです。

そんな後追いがなくなったのは、窓の下に三毛猫さんが来るようになった頃です。
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三毛猫さんが庭でごはんを食べている様子をじっと眺めていて、その時間になるとシッポをピン!と立てて早足で出窓に向かいます。

三毛猫さんも窓を見上げてみいちゃんをじっと見ているときもあります。

でも、雌猫同士、仲良くなる気が全然しない。

三毛猫さんはある日突然、これまで近寄ると逃げいていたのに、急に父に走り寄って来ました。

「昨日と今日とで何が違う?」というくらいきっぱりと急になでさせてくれるようになったのです。

その様子を羨ましく思った私は「それではわたくしも!」と三毛猫さんに近づきました。

するとちょっと遠くにいたのに私の目をしっかり見ながら、軽い足取りでランランラン~♪という感じで走って来ました!
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しかしよく見ると「しゃー!しゃー!」と言って威嚇しています…。

でも、まるでスキップ。上機嫌。かなり遠いとこから寄って来たのに、しゃーしゃー言って威嚇しています。

竹中直人の「笑いながら怒る人」みたいです。

しゃーしゃー言いながら「頭なでていいよぅ~」と私にスリスリしてきました。なでると喉をごろごろ鳴らして目を細めて私を見ています。

この日はまずはなでなでだけ。ゆっくりじっくり時間をかけて仲良くなろうね、とどこへ帰るのか知りませんが、夕暮れのなかどこかへ帰って行きました。

明日は玄関の中でごはん食べてもらおう!と久しぶりに明日が来るのがワクワクと楽しみになりました。

ふうちゃん、あの子のお腹に入ったかなぁ…妊娠してるかなぁ?と思いながらその日はなんだかドキドキして眠れませんでした。

つづく。

# by u3chaco3 | 2019-06-22 11:02 | Comments(2)

仕込みの季節でした。

どうやって生きているのか分かりませんが、この辺りには野良猫がたまにいます。
このあたりの野良猫はみんな「エリザベスちゃん」の子供です。
みいちゃんもエリザベスちゃんの子供です。

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ちゃこも母もまだ存命中の15年くらい前に突然現れた長い毛の高貴な雰囲気のチンチラ、エリザベスちゃんはよく私の部屋の出窓の下にいました。突然神社に現れたまだ目も開かぬ子猫のみいちゃんが、うちに保護され、少し大きくなって出窓に座っていると、外にエリザベスちゃんがやってきました。出窓越しに見るみいちゃんとエリザベスちゃんは見事なくらい顔が同じでした。母も「こんなに似てるってすごいね!」とびっくり。

7年くらい前のある日、私の顔と同じくらいの大きさの顔を持つトラ猫があらわれました。玄関を開けると「入れて入れてー!僕を家族にしてー!」と猛烈アピール。たまに外で会うと私めがけて走って来ては塀に激突したり、私めがけて走って来たのに飛んできたちょうちょを追いかけ始めてしまったり、お腹を見せてクネクネ、抱っこして僕を抱っこして!と野良猫なのにかわいいことこのうえなかったのですが、当時はかわいいふうちゃんがこの世の中心でしたので、笑って流していました。

そして昨年の春くらいから三毛猫さんが野良猫一族に仲間入りです。三毛猫さんはゴミ置き場をアジトにしてるらしいのです。でもエリザベス一族の血をひいたせいかちょっと高貴なのです。ふうちゃんも三毛猫さんを見かけるとキョトンとして見とれていました。

三毛猫さんは最初は目が合うと飛んで逃げていました。冬の広い田んぼを走っている美しい姿を散歩の際に見かけ、なんてきれいな三毛猫!と驚いたのが最初の出会いで、その後、ふうちゃんが日向ぼっこしているときに庭に来てふうちゃんに甘い声で鳴いてお誘いをしていました。
しかし残念、ふうちゃんはたまなし。
「ごめんね、たまなしなのよー」とふうちゃんのかわりにあやまっておきました。

ある日、三毛猫さんと白黒の雄猫さんがお取り込み中で、それを見つけたわたくしが「まぁ!そういう季節ですわね!そこは車も来て危ないところですし、立ち会ってあげますわ!」とある一定の距離を置きつつ、静かにニコニコと仕込みを見守ることにしました。

しかしまぁ、この白黒の雄猫がジタバタジタバタと全然はかどらないのです。「車来ちゃうよ!はやくしなよ!!はよ!はよ!」とわりと大声でエール。

こんなにモタモタしてて大丈夫なのかしら、と心配でしたが、無事成立したようで、三毛猫さんはコロンコロンとご機嫌にお腹を見せてクネクネ。2ヶ月後には子猫生まれるよ、と家に帰ってふうちゃんにご報告しました。

2ヶ月後にはふうちゃんはもうこの世にはいなくなっていました。

ふうちゃんがいなくなってからは毎日田んぼのまわりを散歩していました。
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「ふうちゃん一緒にお散歩だね~どこにでも行けるね~」と心で話しかけながらのお散歩です。

1週間目くらいの時でしょうか、三毛猫さんが田んぼのはじっこに座り私をじっと見ていました。私は2ヶ月前のことを思い出し「ふうちゃん!この三毛猫さん妊娠してるはずだよ!この子のお腹に入りなさい!」と何度も何度も言いました。じっとこちらを見てる三毛猫さんにも「ふうちゃんを産んでちょうだい」とか言いながら。

庭のテーブルで父とふたりであれこれ話す時間がけっこうあるのですが、段々三毛猫さんの話が増えてきました。庭に来ることが増えてる気がするとか、ほんとに妊娠してるのかな、とか。

そして「でも妊娠してたとしても野良猫の子供なんてどうやってもらうの?猫を取られると分かると子猫を食べちゃうって聞いたよ」などという話を聞いたりするともうどうしていいか分からないわたしたち。

三毛猫さんがそんな天城越えみたいな、石川さゆりみたいなことなったら大変だし。

「分からないねぇ、でも妊娠してたら子猫欲しいねぇ」と話しながらゴロンとイスに横になると、なんとふうちゃんのお墓の横に三毛猫さんが座っていました。
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父が「今日はずっとここで座ってた」と言い、この場所っていうのがまたなんかね…とか言いながらスマホで一枚…いえ、10枚くらい撮影。

亡くなった母は無類の三毛猫好きでしたので、母に見せたい気持ちでいっぱいになりました。

この日から毎日庭に来るようになった三毛猫さん。
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父は「妊娠してるならごはんいっぱい食べなくちゃ。」とふうちゃんが食べるはずだったごはんをあげよう、と買い置きしていたふうちゃんのごはんを毎朝毎晩あげるようになりました。
「窃盗になっちゃうからちゃんと飼い猫じゃないことを確認しなくちゃ」と近所に聞きまわりましたが「あの三毛猫は生まれたときから野良猫だよ、生粋の野良猫だよ」という返事ばかりです。

では遠慮なくごはんあげちゃいましょう、ということで毎日ふうちゃんのごはんを食べる三毛猫さん。
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段々慣れてきて、ついに朝カーテンを開けると玄関の前で待っていてくれるようになりました。

咲き始めた薔薇と一緒に座っている三毛猫さんを見た朝、その美しい光景に涙が出そうになりました。
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家の方ではなく庭の方を見ているその後姿がなぜかふうちゃんに似ています。美しいものはみんなふうちゃんに見えるせいかもしれません。

みいちゃんとふたりで「三毛猫さん、薔薇がお似合いだね、きれいだね」と言いながらその姿に長い時間見とれました。

つづく。

# by u3chaco3 | 2019-06-22 10:53 | Comments(2)

とらにゃんこ生活からのおひっこし。

前のブログ、とらにゃんこ生活からのお引っ越しです。

2019年3月22日、ふうちゃんの突然の逝去というかたちで前回のブログは終了しました。

40年近く猫と暮らして、猫の突然死というものに初めて遭遇しました。
お昼寝姿のまま、とても穏やかで美しい姿のまま。
あんなに美しい亡き骸も初めてです。
最後の失禁すらない、とても美しい姿でした。

ふうちゃんが大好きだったお庭にお墓を作り、お花でいっぱいにして、毎日お墓の前で大声で泣きました。
看取りまでを含めてが猫との生活であり、これまでも沢山見送って来ました。
でも病気でもなく老衰でもなく事故でもない今回のようなことは初めてで、私も一緒に死んでしまいたいと思いました。

約5年前、最愛の母も突然亡くなりました。台所でさっきまでふたりで喋っていたのに突然。5分くらいほどで。「大丈夫だよ、大丈夫だよ」と倒れた母の背中を一生懸命さすると、うんうん、とうなづいてくれましたが、数秒後には意識はなくなっていました。

命は突然にこうして消えてしまうんだ、と最初に思ったのは12歳の頃、姉を亡くしたときでした。私も姉もガンの闘病中で、いつ死んでもおかしくない状態だったとはいえ、やはり亡くなったときは「突然」と感じたものです。

思春期に家族の死に遭遇して、心は大変疲弊していました。やっと少しはましになった、と思ったのは成人してからでした。たんまり10年はかかったかな。その間一番の心の支え、無条件の幸せはちゃこでした。
母の死は姉の死よりは受け入れが早かったように思います。親なら順番だし、ふうちゃんもいたし。

15歳の誕生日に初代ちゃこが亡くなり、そのちょうど1ヶ月後にちゃこが生まれ、私が36歳になるまで生き、そのちゃこが亡くなってちょうど1ヶ月後にふうちゃんが生まれました。
猫のリレーです。
なぜか猫が亡くなるとすごく近い人の家に猫が生まれるのです。
しかし猫の死は子猫では埋まりません。悲しみは消えないのです。でも喜びもあるのです。この奇妙な同居、心の状態は人間らしいな、と思うのです。子猫がいても喪な気もちは消えないのです。今も心にふうちゃんを抱えながら、ふうちゃんとともに生きています。

常々、死は生と同じ、自然なもの、そして人は実は死なない、というのを(詳しくは語りませんが)実感していますが、喪失感というのは必ずあります。人や何かを愛したら、それを喪えば歯を食いしばって生きなくてはなりません。愛した分だけそれはつらいものです。愛するものを亡くすたび、もう明日死んでもいいや~と思うのですが、それも気楽な面がなきにしもあらず。あまり大きな声では言わないけども。

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これは、ふうちゃんを撮った最後の写真です。

とても翌日永遠に眠るとは思えない甘えん坊な表情です。朝だって駆け回って遊び、ごはんもモリモリ食べてトイレにもきちんと行って、いつも通りでした。病気もケガもせず、何もつらいことのない素敵な猫生だったね。

毎日きっちり「生まれてきてくれてありがとう」と言わずにいられませんでした。それを言うとシッポをあげてまんまるな目でじっと私をみつめて足踏みをするのです。その姿がかわいくて毎日言っていました。

これから、ふうちゃんがいなくなったその後の我が家の様子を時系列で書いていこうかなと思っています。それがもうなんだか…ドタバタと大騒ぎなのです。

# by u3chaco3 | 2019-06-22 10:50 | Comments(5)

猫たちとの日々を中心としたあれこれ。


by ゆう