子供のころ、人生で嬉し泣きをしたことのある人って意外と少ない、というようなことを耳にしたことがありました。
「えー。明菜ちゃんがレコード大賞を取ったとき、すごい泣いてた、あれのこと?」と、あんな泣き方は確かにそんなにないだろうけど、たとえば子供を産んだ瞬間とか?卒業式とか?いろいろあるんじゃないの?とうすぼんやり子供心に思っていました。そして最近また嬉し泣きについて考えていました。
学校が嫌いだった私は斉藤由貴じゃないけど卒業式で泣く気持ちは全然分からないし、出産もしてないし、レコード大賞も取ってないから分からないや、なんて思っていました。
しかし、ふと、あれは何泣きだったのだろう?と思うとやっぱり嬉し泣きだったのではないかと思う出来事があるにはありました。
それは10歳でガンセンターに入院していたときのことでした。
小児科の看護婦さんは、あまり人員の入れ替えがありませんでした。
地味に5人くらいは入れ替わっても3年間で大幅な人事編成は2回くらいしかなかったと思います。なので、看護婦さんとは大変密な関係になり(←変な意味じゃないですよ)入院期間が異様に長いわたしのようなプロの患者には少なからずご贔屓の看護婦さんというのがいました。
なかでもIさんはとても美人で、一目で「なんという美人!しかもちょっとおっかなさそうなのもいい!」と私はIさんを大変気に入りました。Iさんのほうもなぜか検温や食事の配膳のときもちょっとベッドに腰掛けてお話していったりとわたしを気に入っていたように見えました。相思相愛ってやつですね。
Iさんは他の患者さんや同僚からはちょっとおっかない人として通っていました。わたしもそうは思っていましたが、ただニコニコとしてる人よりも正直でいいな、とも思っていました。
ところで、当時の抗がん剤のコースを簡単にご説明しますと、一日目、輸液を数時間流し、二日目、抗がん剤を注入(約2時間)、三日目、輸液でひたすら抗がん剤を排出、四日目、様子を見て点滴終了。
点滴の針は刺しっぱなしですので手の甲に針を刺し、手の平にシーネをテープで巻きつけられそれを握って4日間を過ごします。
2日目は1時間おきに嘔吐で入ってきた点滴まで口から出てくるので、まるで毒をもられた人のようです。3日、4日め、は抗がん剤は入っていないのでさぞかし退屈だろう、と思われるかもしれませんが、2日目の嘔吐の激しさと体に残った抗がん剤の影響で3日目も吐き続けます。
しかし看護婦さんたちは3日目はベッドに座るように促したり、もう抗がん剤は入れてないから起きましょう、などと言います。
いい子たちは真っ青な顔でベッドに起き上がっては吐いたり、横になっても寝ないようにしては吐いたり、果物をかじってみては吐いたり、とそれはそれは健気に日常生活に戻れるようにがんばるのです。
しかしわたしはいい子ではありませんでしたので、眠り薬入れて!と看護婦さんの顔を見るたびに懇願します。しまいには眠り薬の名前を看護婦さん同士の会話から聞き取りしっかり覚えて「○○入れて!」と薬名まで指定して懇願です。
子供はなんでも小耳にはさみますので看護婦さん同士の会話は要注意ですね。
たいていの看護婦さんはそう言うとよほど苦しいのだろうと薬を入れてくれます。私はとにかくこんなつらい症状は寝て時間が経ってしまえばいいと思っていました。点滴を抜くころには体重も落ち手首もやせ細ります。それを心配して看護婦さんは起きろ起きろ、日常と同じ生活をしろ、食べられるなら食べろ食べろと言います。でも私は頑なにそれを拒み、枕から頭をあげることもせず、とにかく眠らせろ、と言い張ります。もちろん数時間おきの嘔吐付きです。
あるとき、美人のIさんが深夜勤務のときがありました。12時から出勤だったIさんが夜中にわたしのベッドに見回りに来たときにちょうど目を覚ました。しかし目が覚めると同時に吐くわたし。
にこにこと優しい言葉をかけながら「大丈夫大丈夫」と背中をさすってくれるIさん。「もう薬は入ってないからお腹空きすぎちゃって気持ち悪くなってるんじゃないかな」とか言ってますが、相変わらず「何もいらない」と拒絶するわたしです。
そして翌日、お昼近くになってまだぐったりと寝ているわたしのベッドの横にIさんがやってきました。
深夜さんなのに帰らないのかな?と思っていたら「もう帰ったことになってるからゆっくりできるよ。これ買ってきた。口から何か入れたほうがいいかなと思って」と手に売店で買ったという味の付いていないカキ氷を持っていました。そして「大丈夫大丈夫」と言いながらそれをわたしの口に運んでくれたのです。食べろ食べろと言う看護婦さんはいても実際にこうして何かを口に運んでくれた看護婦さんはいませんでしたので、びっくりした私は思わずその氷を口に含みました。ぐったりとして表情すらない私は笑うこともなくただただ次の氷を口に含みました。
時間をかけて半分ほど食べると「すごい!半分食べれた!こんなに食べれたよ!」とIさんが本当に嬉しそうに言いました。そのIさんの輝くような笑顔を見たとき、私の目から突然、滝のように涙が流れ出ました。自分でもなんの感情か分からないまま、ただただ目からはとめどなく涙が流れます。声も出さずにただただ涙が流れるに任せているわたしを見てIさんの目も真っ赤でした。静かな平和な時間でした。
これ嬉し泣き?
ところで、4日間何も食べずにガリガリに痩せはするものの、点滴を抜くとだるい体にムチ打って熱い風呂に入りたい、とおっさんみたいに「風呂だ風呂だ!」と騒いでお風呂タイムにしてもらい、大きなバスタブに湯を張ってたゆたうのがお決まりでした。これもIさんが提案してくれた回復法です。たいていの看護婦さんは「まだ危ない、ふらついて転んじゃう」とか言いましたが、意外とこれをきっかけにシャキっと回復したものです。
で、風呂上りになんと母に頼んで地下の食堂のラーメンの出前をしてもらったりするのです。
無心でラーメンと格闘、もう格闘なのです。時間が勝負、すごい早食い。残しちゃうと「それ見たことか。」と言われて次がないから必死。死にかけてたけどラーメン愛は頭のなかでぐるぐるしてたし、やりたいことでいっぱい、食べたいものいっぱい、煩悩いっぱい、ビバ煩悩!
ちなみにフライドチキン愛とかスエヒロのステーキ愛の場合もありました。
煩悩ですもの、ジャンクなほうが楽しいし美味しい。
清すぎるとあっという間にあの世に連れて行かれちゃう、みたいなことを本能的に感じてたのかもしれません。
さてさて、猫の保育園、家じゅうを冷房してなんとか温度を30度以下にしてますが、35度以上の猛暑の日はなかなか難しいです。夜になるとやっと快適温度になって見ているこちらもほっとします。
全然乳離れしないてんちゃんです。男の子は甘えん坊ですね!