お久しぶりの更新です。
2月くらいから会社をお休みしていました。
長い休みで何をやるのかな、って自分でも自分が何をやるのか興味津々でしたが、相変わらず料理とか読書とか英語の勉強でした。
時間があってもなくてもやること、やりたいことってそれほど変わりませんでしたね。
バイオリンを無性に弾きたくて、過去の教本をひっぱりだしては弾き、YOUTUBEで五嶋みどりさんの動画ばっかり見てる期間などがありました。もちろんATEEZ活動も変わらずやっていて、運がモノを言うチケット購入なんて一列目が当たるわ、本人たちに会えるわで感無量です。
時間がたっぷりあるなか、三島由紀夫の豊饒の海四部作、読み終わりました。
10代の頃からインド哲学に興味があったのですが、この四部作で三島由紀夫もインド哲学に多大な興味があったことは想像にかたくないというわけで、途中「なんて読むねん」という漢字に数多く出会いつつも調べない、南無!!と読了いたしました。
画像が三部の「暁の寺」になっていますが、ここで大いに語り部であるところの本多の抵抗を感じたからであり、この抵抗にとてつもない苦しみを見出したからであります。魂が「ある」と前提しまして、それが「安楽な暗い静かな棲家を捨て、外へ飛び出さなくてはならなかったのであろう」と、転生の「なぜ」に触れています。まさに、10代で私が感じたことと同じ疑問がここに記されており、さて、本多(というか作者)は何を答えとするの?という好奇心のみで読めない漢字は読み飛ばしつつ読み進めば、「世界は存在しなければならないのだ!」と言い切っています。苦しい!
と、ここで私はふとあることに思い及びます。三島由紀夫の随筆を読むにつけ伝わる戦争体験への思い、戦争で死ねなかったことへの無念さ、拘り、トラウマとも言うべきその思いについてです。
インド哲学にはまる人に、平穏無事で素晴らしい青春を送ったひとなどいるでしょうか?
私は三島由紀夫の苦悩を思うと、この唯識だの阿頼耶識だのという教え(あえて教えとしますが…)は彼自身を救わないのではないか、と思ったのです。前世は昨日見た夢と同じ、どこにもないのです。なんなら昨日食べた夕飯だって今はないし、昨日会った人だって今目の前にいません。人には永遠に今しかないのに、目の前にない何かにとらわれ続けるのが人です。現状が素晴らしく現状にとどまりたいという心すら、今はない病気や災害の恐れにうっすらとらわれていることでしょう。目の前にないことにとらわれること自体が苦しみなのですから、戦争のトラウマやコンプレックスなど実体なきものにとらえられている彼の心は、苦しみから逃れたいという考えすら思い浮かばないのではないかと思うのです。インド哲学にはまった末に、自分はいない、全て昨日見た夢と同じ、と言われてすんなり受け入れることができるとは思えないのです。
ウパニシャット哲学の名前がちらりと出てきますが、それが指し示すところの「梵我一如」の世界ではなく輪廻転生の世界に没入していく姿がどうにも読みづらく、最後の最後おとぼけになられてるのかしら、と思われる尼さん聡子の言葉、その結論でよろしいんじゃないでしょうか、と落ち着くことができました。お釈迦様だって環境的には恵まれた王子様だったのですから、そのことと悟りを開いたとされることは無関係ではないと思うのです。苦悩や苦労があるうちは(自分にそれが向かっていると思っているうちは)到底受け入れられる哲学ではないと思うのです。
蓮の花が泥の中から咲くこと、朱も交われば赤くなること、これを絶妙に織り交ぜながら、何もかも愛でしかないという哲学はどこか厳しいと感じることがあります。無償の愛って誤解されすぎだと思います。無償の愛を思うとき、私は富士急ハイランドの「高飛車」と「ええじゃないか」を思い出します。あれに乗りたい人がいるんだから!!愛って一筋縄ではいかない、自我には分からない、お手上げです。
安楽な棲家にずっといるんだった、と気付きを得る物語になる可能性はあったかどうか、というと、完全に三島由紀夫がこの哲学にはまっている時期、今でいうところの情弱であったと思われます。情報があまりに少なかったことでしょうし、やっぱり苦労、苦悩が多すぎるかも。だって芸術家だもの。そして45歳じゃ若すぎたのかも。
今ならあらゆるところにウパニシャッド哲学的結論に至った人のお話がゴロゴロ転がっています。所謂「悟り」というのは高僧だけがするものではないし、悟ったあとに悟りました、と顔に書いてあるわけでもないのだから、その辺に本当はいるんですよね。そんな人がSNSやブログなどで惜しげもなく公開してるけども、先日、所謂悟ったと思われるある人がはっきりと「あなたみたいになりたくないかも」と言われてて、ちょっと分かるーとなりました(笑)すごく軽やかな素敵な人を前にしてもまだ遊園地から出たくないんだよね。それでいいと思います。遊園地の根底は愛と安全ですから!
話は変わって、先日Diorで美容液とリップを買いましたら、革張り風の素敵なスタンドミラーが付いてきて、
それはそれは素晴らしい箱に入ってきました。
このブログに移動してから4年ほど経ちますが、画像の容量がなくなって来たようです。画像多めですが、前のココログは20年分くらい行けるんじゃない?という容量だったので驚きです。久しぶりに前のとらにゃんこ生活の管理画面を見たらアクセス数がおもしろいことにまだあるという…なんならこのブログよりかなり多いです(笑)以前のとらにゃんこ生活は一日200人から500人くらいのアクセス数でしたがこちらは多くても50人くらいですかね。ブログ自体の仕組みもあるのかな、とアメブロを一時期試してたのですが、何を書いても100人くらいが来てそれはそれで何か宣伝というか、お金の匂いが漂うのでやめてしまいました。やっぱり仕組みも関係あるのかも。
そんなわけで画像少な目でこちらで続けることにしました。
みいちゃんとねこちゃんズは毎日元気にはしゃいでいます。どんな時も安定した存在がそばにいるのは本当にありがたいです。