日々ブログを書いていると、感情や様相などを表す既存の言葉が本当にたくさんあると感じる。
字面で何となく意味が理解できる言葉もあるし(もちろん誤解して誤用することもあるが)、「昔の人は何て賢いんだろう」と度々感心する。
その一方で、ネタや冗談でも使いたくない言葉もある。
ネットが発達した昨今は地位や職業に関係なく色々な人が意見を発信できる。その結果、ネットが発祥で一種の流行語のような言葉が生まれることもある。
しかし悲しいかな、人間の本性か日本人の特性か、そういった言葉は主にマイナス方面、特に相手を貶す意味合いのものが多い。
書くのも憚られるので字は伏せるが、『キ〇ガイ』だとか『ガ〇ジ』だとかの差別用語に始まり、昔からある『ゴ〇』みたいな言葉など色々である。
こういった言葉は当たりが強く相手を下に見る言葉なので、使うだけで何となく自分が相手より上にいるような錯覚を起こさせる。その感覚に乗せられて更に言葉選びが過激になる人は意外と多い。
しかも現実ではなくネット上で相手と対面している(これを対面と言っていいのかも疑問だが)ので、尚更手加減や自制が効かない。
自分はそういう言葉を絶対に使いたくない。いくらそんな言葉を使ったところで相手がそれに該当するか分からないどころか、「自分はそんな汚い言葉を平気で使える人間である」と公表していることになるからだ。
これは言葉遊びや屁理屈ではなく純然たる事実である。
以前別の記事でも書いたが、相手にダメージを与えるような言葉は基本的に面白くないので、そのまま使っても何も面白くない。
少なくとも万が一自分が攻撃の意思を示すなら、もっとウィットに富んだ言葉選びをしたい。本当に相手より上でありたいなら、むしろ相手が馬鹿にされてると気づかないようなことをするのが道理だろう。
「バカって言う奴がバカ」という言葉は単調なオウム返しに聞こえるが、実は本質を突いていると思う。
そしてそんなことを考えているうちに「そもそも相手をする時点で同じ土俵に立つことになるから触らない方がいいや」となる。気持ちも落ち着くし一番の平和的解決である。
人と貶しあうような場所にいると、人を貶す言葉に対する抵抗が無くなっていく。もちろんこれはマイナスなことだけに作用するわけではない。「外国語を身につけるならその国で暮らすのが一番手っ取り早い」というのもその一種だろう。
立派な人間になるには自己研鑽だけでなく自身の属する社会選びも大切だよ、というお話。
そしてこの記事は「自分は偉そうなことを言ってる無職である」と公表していることになるのだ。