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8/17 B.コスキー演出「地獄のオルフェウス」ザルツブルク音楽祭2019
いやはや何とも、ベルリン・コーミッシェ・オーパーでの成功からバイロイトの「マイスタージンガー」の成功を経て、今や飛ぶ鳥を落とす勢いに乗る奇才バリー・コスキーだからこそ許される、破格の演出であった。全く事前の情報収集や予習なんかもせず、「地獄のオルフェウス」を観ること自体も初めてだったのだが、これは全く予想外の笑撃の展開だった。まさかまさか、この日ひとり大喝采をさらったのは、ジョン・ステュクス役で俳優の Max Hopp その人だった。自分自身はこの演目を観るのは初めてで、他の映像やCDですら全曲を通して聴いていないのでえらそうなことは言えないのだが、主役のエウリディーチェの不倫相手のプリュトン(アリステ)の召使で脇役だと思っていたのだが、この役者をオペラ全編を引っ掻き回す中心人物に据えて来るとは、さすがに奇才バリー・コスキーの目の付け所には恐れ入る。これは相当保守的な客からの反発があるかと思いきや、一幕後に一人だけ大声でブーイングをしていた人がいたのみでブラボーのほうが大きく、二幕終了後とカーテンコールでコスキーが出て来た時は、盛大なブラボーだらけで、ブーイングはまったくなかったのには驚いた。
で、どういう工夫だったのかと言うと、最初にアンネ・ゾフィー・フォン・オッターの「世論」が出て来ると、ラメ入りの派手なブルーの燕尾服(一応サーバント役なので)の Max Hopp 演じる John Styx がぴたりとその背後に付いて彼女のフランス語を早口でドイツ語に訳すところから始まる(あるいはもっと変なことを言ってるのかもしれないが)。なるほど、そういう仕掛けかと思って観ていると、エウリディーチェやオルフェウス、アリステらが登場してそれぞれが歌い終えると、つなぎの部分の彼らの会話のセリフを全部マイクを仕込んだ John Styx がまるで60年代くらいのアメリカのTVアニメ(トムとジェリーとかバッグス・バニーとかポパイみたいな)のドイツ語版のような恐ろしく早口で「せつろしい」勢いで、色んなヴァリエーションの声色で「クチャクチャクチャ」「ベラベラベラ」と畳み掛けてしゃべり、歌手はこれに合わせて口パクで演技をしている。その上に、彼らが歩いたりドアを開け閉めしたるする度に、形態模写の口音で「ザッ、ザッ、ザッ、ザッ」とか「コッ、コッ、コッ、コッ」、「キーッ」、「バタン」、「ヒイェ~!」、「ドン!」みたいな効果音を絶妙に交えて、一人でべらべらと喋りまくるのである。言ってみれば無声映画に弁士が効果音を巧みに形態模写でつけながら、絶妙のナレーションをしている感じである。エウリディーチェが鏡の前でスプレーを「プシュー、プシュー」と髪や脇に吹き付けるところとか、シャンパンをグビグビと一気飲みしては「プハーッ」とゲップをしたりとかで、まるっきりコントそのもので大爆笑なのである。この役者さんは、形態模写で売ってるんだろうか。経歴を見てみると、ドイツでは警察ものやサスペンスものなどのTVドラマや映画などにに多数出ている人気俳優らしい。この演目の本来の進行には、おそらくこのような非オペラ的でまるっきりコントのような展開が、音楽や歌唱とおなじペースで配分されているということはないのだろうけど、そこが出来てしまうところが、今のバリー・コスキーの勢いの凄いところだ。「いや、だって、もともとがパロディであり、コメディじゃないの!」そう言って開き直って大笑いしている姿が目に浮かぶ。
ザルツブルク音楽祭自体、もともと演出家のマックス・ラインハルトが、時代の激流に呑まれて次第に政治色を強めようとする現代芸術に危機を感じ取り、弱体化し失われようとしているオーストリアの文化芸術を再興する崇高な理念を抱いて、1920年8月22日に自身がかつて1911年にベルリンで上演してヒットした英戯曲「イエーダーマン」をザルツブルク大聖堂前の広場で上演を行ったのが、そのはじまりである(フーゴー・フォン・ホフマンスタールやリヒャルト・シュトラウスらも創始者の一人と言える)。まさに第一次大戦でハプスブルク家の時代が消滅した、その当時である。その後もフェルゼンライトシューレ(岩山の乗馬学校)で「ファウスト」を上演するなどして、この祝祭が形づくられて行き、大戦後のオーストリアの文芸復興の一大拠点となった(このあたりの事情は山之内克子氏の近著「物語オーストリアの歴史」〈中公新書〉に詳しい)。なので、ザルツブルク音楽祭では、音楽やオペラと同じ比重で演劇も重要視されている。そのため、通常の公演では行われないようなオペラと演劇との組み合わせによる、ここでしか上演できないような特殊な公演も度々行われるのが、この音楽祭の特色のひとつとなっている。
さて歌手のほうはと言うと、このキャストのなかでは「世論」のアンネ・ゾフィー・フォン・オッターが世界的知名度とキャリアを有するところだろうが、その彼女でさえ、John Styx役の Max Hopp の熱演には完全に食われていたのだから言わずもがな。オルフェオはイケメンだが存在感はいまひとつ(Joel Prieto)。エウリディーチェ役の Kathryn Lewek はコロラトゥーラが売りのようで将来のチェチリア・バルトリ候補か。ちょっと勢いとテンポに呑まれて繊細な部分が流されてしまうところもあったが、じっくりとした曲で聴けばいい歌手かもしれない。ジュピテル役の Martin Winkler は歌・演技とも存在感があった。ハエ男の場面では仮面ライダーみたいな被り物にピカピカのタイツスーツ、股間にはスワロフスキーのように輝く逸物をぶら下げて色情狂の神様を演じていた。現在はウィーン・フォルクスオーパに所属し、バイロイトでは近年アルベリヒを歌っているようだ。他にもギリシャの神様オールスター勢ぞろいと言った顔ぶれのパロディと言ったところで、それぞれの持ち歌部分はそう多くないが、 メルキュール役の Peter Renz と言う歌手は、強い声ではないけれども、とても軽くてフランス語の早いパッセージもうまくて、「カルメン」のレメンダードとか「ナクソス島のアリアドネ」のタンツ・マイスターとか似合いそうな印象で興味を引いた。こうして主要な役の人の紹介を見ていくと、フランス人ではないのによくこんな早いパッセージのフランス語の曲が歌えるものだと感心するが、ザルツブルクに出る歌手なら当たり前のことなのか。
指揮の Enrique Mazzola はイタリア人の指揮者で、ベルカントものやフランスものが得意らしい。カーテンコールで出て来てバリー・コスキーと隣り合って並んだら、ちょっと見、兄弟に見えなくもない。
文句なしに上質なウィーン・フィルの演奏で、オッフェンバックの「地獄のオルフェウス」が観れるなんて、じつに贅沢な夢のようなひと時である。有名な序曲は、二幕の途中で演奏された。確かにあれが冒頭で演奏されてしまうと、後が持たないわなぁ、と実感した。超有名曲で、どの楽団も大サービスで演奏する曲だろうけれども、そこは流石にウィーン・フィル。どこまでも優雅さから決してはみ出さず、弾んではいても羽目は外さない。演奏全体は、1858年の初演版をベースに一部1874年改訂版から部分的に使用とある。カンカンダンスをはじめ、ダンスはほとんど男性なのはやはりバリー・コスキーらしい。オルフェウスがヴァイオリンを弾く場面があるが、もちろん演奏はコンマスのライナー・ホーネックさん。今回は二階(1Rang)中央最前列という念願の席が手に入り、今までのハウス・フォー・モーツァルト体験では最善の視覚と音響が体験出来、これほどの幸せはない。
今回も衣装が優雅な色遣いとデザインで、さすがザルツブルクだなぁ、と感心。Victoria Behr と言うハンブルク出身のデザイナーらしいが、さすがに才能ある人が集まるところだ。特に第一幕二場の、神々が眠るオリュンポスの宮殿の場面の神々の衣装の優雅な配色と照明のうまさには、本当にため息がでる。今回も、次の夏くらいには映像ソフトがリリースされるだろうから、その発売がいまから楽しみである。トレーラー映像のリンクはこちら。公式HPはこちら。
なお、本プロダクションはベルリン・コーミッシェ・オーパと、ドイチュ・オーパー・アム・ラインとの共同制作となっているので、ドイツでも上演される可能性もありそうだ。
(2019年8月17日15時開演、ザルツブルク音楽祭 Haus für Mozart)
euro news の動画より
(以下写真は公式パンフレット掲載のものからの転写)
バイロイト音楽祭初日「タンホイザー」の記事/BR KLASSIK
そろそろ今年のバイロイト音楽祭初日の新演出「タンホイザー」の批評記事がWeb上でもちらほらと出て来ている。猛暑で酷いことになってるんじゃないかと心配していたのだが、どうだったんだろうか。ちなみにエアコンなしで有名な祝祭劇場ですが、唯一指揮者の位置のみ、前後に冷風のダクトが設置されているので、蓋の下のピット内は案外快適。
と言うことで、BR KLASSIK のWeb記事では、8枚の舞台写真とともに演出についてかなり詳しく説明している。ゲルギエフの出来については、予想以上に相当手厳しい言葉が見えるが、グールドやマルクス・アイヒェら歌手にはかなり好意的。演出については予想通りビデオ映像が多用され、小説と映画にもなっている「ブリキの太鼓」がモティーフとなっていたり、ドラァグ・クイーンとかレインボウ・フラッグと言う文字も見えるから、LGBTも絡ませているのだろうか。それにしてもゲルギエフにはかなり手厳しい。(追記:後日8/25にNHK-BSで放送された映像を視聴した感想記事は、→こちら)
「ローエングリン」題名役は今年はクラウス・フローリアン・フォークトと去年歌ったベチャワ、エルザはカミラ・ニルンドとネトレプコのそれぞれダブルキャストと言うから、さすがにバイロイトは凄い!と言うことはフォークトとニルンドはその翌日の「マイスタージンガー」も歌うのだから、連日でワーグナーの主役を歌うことになる。バイロイト凄い!で、去年マイヤー様が歌ったオルトルートを、今年も「パルジファル」でクンドリーを歌っているパンクラトーヴァが務めるらしくて、その写真が掲載されている↓
去年の画像がマイヤー様だっただけに、最初見た時はなにかの冗談写真かと思ったのだ、正直(笑)(いや、笑っちゃいけないんだろうけど…←縦横比、いじってませんから)
4/22 ザルツブルク復活祭音楽祭「ニュルンベルクのマイスタージンガー」
ここからはいよいよ今回の渡欧の主目的である、2019年ザルツブルク復活祭音楽祭でのクリスティアン・ティーレマン指揮ドレスデン・シュターツカペレ演奏による新制作の「ニュルンベルクのマイスタージンガー」の鑑賞記。この4月に満60歳を迎えたティーレマンへの最高のバースデイ・プレゼントと表現する記事もあれば、復活祭音楽祭として「マイスタージンガー」が取り上げられるのはカラヤンが指揮した1974年以来45年ぶりと言う記事も見た気がする。ただし、ザルツブルクでも夏の音楽祭ではワーグナー生誕200年の2013年にダニエレ・ガッティ指揮ステファン・ヘアハイム演出で「マイスタージンガー」を上演している。個人的にはその時の「マイスタージンガー」鑑賞以来、2017年と18年にバイロイトでフィリップ・ジョルダン指揮バリー・コスキー演出のを二回、そして今回のベルリン訪問でバレンボイム指揮アンドレア・モーセ演出のを観たところなので、都合5回目の本格上演の体験となる。今回は、とにもかくにも、これからのワーグナー・バスとして期待度が高いゲオルク・ツェッペンフェルトのハンス・ザックス役ロールデビューと言うことで、何を差し置いても観ておかねば。売り切れてからあたふたとするのも諦めがつかないので、早い時期からチクルスのセット券を公式サイトから申し込みをしていたので、早くから比較的良い席は確保できていた。と言っても、他の二つのコンサートも合わせてすべてを第一カテゴリーで取っては値も張るので、第三カテゴリーでいくらか費用を抑えた。第三カテゴリーでも、1Rang(日本で言う二階)二列目は取れるので(同一列目は第二カテゴリー)、希望欄に1Rang二列目のできるだけ中央とリクエストしておいたところ、三日間とも希望通りの良い席が取れていた。あとは当日、岩のような大男が前の席に現れないことを祈るばかりだったが、「マイスタージンガー」の日は日ごろの行いが良かったのか、前の席は小柄なご婦人で本当に助かった!思わず「よっしゃぁ!ありがとう!」と小声で呟いた。
今回の新制作の演出はイェンス・ダニエル・ヘルツォグで、このザルツブルクでのプレミエの後ティーレマンの本拠地ドレスデンのゼンパーオーパーで上演され、来年2020年の6月には大野和士指揮で東京文化会館と新国立劇場の二か所での上演が予定されている。ワーグナー・ファンには、オリンピックより一足早くあつい夏が訪れそうだ。さて、ここからは本公演の一部ネタばれの内容や私自身の勝手な想像や憶測、主観も含まれますので、来年の日本公演を先入観なく白紙で鑑賞したい方はここから先に進むのはお控えください。
冒頭、約10分強の前奏曲の間、2013年夏のヘアハイム演出はその間を使ってカーテンにプロジェクション映像を映写し、幕が開くと同時に観客をあっと言わせる仕掛けを施したが、今回は特段そうした仕込みもなく、幕は閉じたままで前奏曲は進行する。そして前奏曲が終わると幕が上がり、中世風の衣装を着た大勢の合唱がプロテスタント教会風のセットのNave(会衆席)で下手側の祭壇に向かって礼拝をしている(定石通りカタリーナ教会と考えるのも一興だろうが、大戦時の爆撃で破壊されたままになっているのでイメージが湧かない)。この場面のみはとても絵画的で古風で美しい印象を受ける。とは言っても、それはあくまでの劇中劇の一場面に過ぎず、合唱の場面が終わると裏方のスタッフ役の徒弟たちが出て来て、手際よくさっさとセットを撤収して行き、回り舞台で次のセットや舞台裏のセットへと変わる仕掛けになっている。背景に描かれていた重厚な石造り風の教会も、クルクルと巻き上げて撤収されていったら、ただの薄っぺらい布切れ一枚という、舞台の手のうちの仕掛けを明かす仕組み。で、面白いのは、この教会内部をあしらったセットはどの劇場の設定かと言うと、これはあくまでも架空の劇場が舞台だとは思うが、ハンス・ザックスの靴工房は 「Oper Nurnberg」 のマネジメント・オフィスという塩梅になっていて、プロセニアムのセットなどは確かにニュルンベルク中央駅近くにあるニュルンベルク州立歌劇場の雰囲気に見えなくもないが、ここでは「staats」とは明示されていないのがミソ。左右の柱の特徴やデコレーションの雰囲気、配色などから言って、ドレスデンのゼンパーオーパーのイメージとの折衷にも見えなくもない。
マイスターたち主要人物は現代の企業経営者風のグレーのスーツ姿で、舞台前方に設置された劇場の客席に座って、冒頭の教会シーンを見ている仕掛け。とは言っても、G.ツェッペンフェルトのハンス・ザックスのみは黒のジーンズっぽくも見えるスラックスにカジュアルなシャツにジャケットという、今のドイツならどこにでもいそうなカジュアルな雰囲気のボス、って言う感じだろうか。裏方のスタッフたちに台本で何かを説明していたり、照明を調整したり、親方たちには資料を整理して配布したりして、熱心で献身的なディレクターのような立ち位置のように描かれている。一方K.F.フォークト演じるヴァルターは、チロルかどこかの地方色の強い出で立ちで、田舎出の若い貴族という感じ。ジャクリーン・ワグナーのエーファはいかにも現代風のネアカなアメリカ人の若い女性という感じだが、これは自分の勝手な偏見かもしれない。そんな感じで第一幕はまだザックスの聴きどころは後半まではそんなにはないのだが、まずはこの幕最初に重要なダーフィトを初めて演じるというセバスティアン・コールヘップがなかなかの強い声で声量も豊かで聴き応えがある。コントロールも申し分なく、歌唱もよい。ダーフィトとかフリッツ・コートナーとか、埋もれてしまう人がやっても面白くないけれども、こう言ううまい人がやると、本当に別キャラのように引き立つと思う。J.ワグナーのエーファは、悪くはないけどちょっとストレート過ぎて一本調子で変化に乏しいかな。クリスタ・マイヤーのマッダレーナは抜群の安定感で非の付け所なしと言う感じ。フォークト様はもちろんいつものフォークト様のヴァルターで、バイロイトに続けて3回目がここで聴けるのがうれしい。で、今回ハンス・ザックス役ロール・デビューのゲオルク・ツェッペンフェルト。出番が多くなるのは一幕後半からだけど、ちょっとあまりの期待度の大きさから、やや四分の一半身ほど体をかわされた感じで、かなり慎重に声をセーブしながら、とにかく丁寧さ第一を心がけて格調の高さを武器に初役を乗り切ろうとしているように聴こえた。二幕の「ニワトコのモノローグ」も然り、三幕の「迷妄のモノローグ」も然り。もちろん声質としては立派なもので、かつてのドレスデンの先達のテオ・アダムをお手本としているのかと感じる。ミヒャエル・フォレがオットー・エーデルマン・タイプの人間味のあるハンス・ザックスを感じさせるのと対照的に感じられた。おそらくこの先も長くこの役と付き合って行くことになるだろうから、この慎重さ・丁寧さ・品格の高さに、いつもの彼ならではの声量の豊かさがそれに加わったら、非の付けようがなくなるだろう。二年前の復活祭の「ワルキューレ」でヴォータンを歌ったヴィタリー・コワリョフは今回ポーグナーで聴かせた。ベックメッサー役のアドリアン・エレートはウィーンの宮廷称号歌手で、ベックメッサーもヴェテランで板に着いたもの。一幕のヴァルターの歌の試験では、黒板に間違いをチョークで印を付けるところでは、意味不明の謎の記号が即興で書かれていて笑わせる。一部には先行して発表された写真に「百とか万が見えるので、東京上演を意識している」とか言う意見を見たが、自分がこの日オペラグラスで見たものは、確かに「千」に見えるものもあったが、その写真に写っているものとは全然別の、渦巻き型のものや奇妙な矢印型のものなどほとんどアドリアン・エレートがアドリブで描いたコントのようなものに見えたと思う。ホツマ文字研究者などは参考にしたらよいと思うぞ(笑)。それと、先行した記事で触れたけれども、窓辺のセレナードの場面で中世風の窮屈そうなズボンを上げたり下げたりして笑わせるのは、ベルリンのじゃなくて、こちらのほうだった。一週の間にこんなに見応えのある「マイスタージンガー」を続けて二作品も観たために、さすがに頭の整理が追い付いていない。
もっとも印象的だったラストシーン。知りたくない人は見ないでね。ヴァルターがマイスターの栄光の受け取りを拒否して、ザックスが最後のモノローグを歌い終えて、さあ、最後にヴァルターとエーファの運命やいかに、と興味津々見ていると、最後の最後に「やっぱそんなの、いらね!」って感じで自分の肖像画を切り裂いたのを残して二人して舞台を去って行く。それを見て、「そうだよな。やっぱ、そうだよな」って感じでザックスが大笑いして幕となる。最後のどんでん返しとしてはなかなか気が利いているのではないだろうか。あくまで個人の感想です。
で、ティーレマン指揮ドレスデンの充実した演奏。これを聴いて思ったのは、やっぱり同じ一流どころの演奏でも、演奏の流儀や楽団のスタイルの違いで、全然違う個性に聴こえるのを改めて実感した。はっきりと言って、多分一番耳に馴染んでいるウィーンフィルやバイロイトの演奏では気がついていなかった、個々の楽器、特に木管や金管楽器のそれぞれの主張がとてもはっきりとしていて、「え?ここでオーボエがこんなに強く出るの?」とか、「この部分でホルンがこんなに目立つ演奏するの?」と言った感じで、今まで混然一体となって全体のサウンドとして厚みを持って聴こえていたものが、わりと各楽器、個別にガンガン前に音が出て来る。「ひゃー。全然違うな、こりゃ。」それが実感である。おそらくティーレマン指揮ドレスデンの「マイスタージンガー」で悪く言う人などはいないだろうし、自分も別に悪く言ってるつもりは全くない。ただ、やはりオケの違いって思った以上に大きいな、と。一言だけ言うと、ちょっとホルンのヴィブラートが強くかかり過ぎで、透明感が犠牲になっているのがやや気になるところに感じた。
(追記1)第二幕の夜警のパク・ジョンミン、短い出番ながら大変深く素晴らしい低音で感心した。
(追記2)第三幕の祭典の親方たちの入場の場面が、ことごとく徒弟や市民らとちぐはぐな感じの演出だった。
(追記3)上記(追記2)に見るように、世代間や職位間に於ける階級差はなにも解決されていないような印象。
(追記4)第一幕ポーグナーがドイツ各地を旅すると我々親方はケチだの芸術に理解がないだのなんだのと散々に言われると愚痴るところで、にわかに客席の照明が明るくなって客を揶揄する演出になっている。
ザルツブルク・イースター音楽祭では、他にC.ティーレマンとシュターツカペレ・ドレスデンのコンサート(4/20、フランク・ペーター・ツィンマーマンvnとのメンデルスゾーンvn協奏曲、ウェーバー祝典序曲、シューベルト交響曲第9番「ザ・グレイト」)、マリス・ヤンソンス指揮同オケによるコンサート(4/21、ハイドン交響曲100番「軍隊」とマーラー交響曲第4番/sop.レグラ・ミューレマン)も鑑賞した。
Salzburg Easter Festival 2019/ Christian Thielemann / Staatskapelle Dresden /
Die Meistersinger von Nurnberg
この通り、幸い前列の席が小柄なご婦人だったおかげでで終始良好な視界が保てた。
以下写真はプログラムより転載。
4/18ベルリン国立歌劇場「ニュルンベルクのマイスタージンガー」
FESTTAGE 2019 BARENBOIM BERLIN STAATSOPER DIE MEISTERSINGER VON NURENBERG
今回のベルリン訪問の目玉となるベルリン・フェストターゲでのオペラ「ニュルンベルクのマイスタージンガー」。プレミエ上演は東西ドイツ25周年を記念して、2015年にダニエル・バレンボイム指揮でシラー劇場で行われた(演出アンドレア・モーゼス)。本来の予定では当時大規模修復工事中だったウンター・デン・リンデンの建物がこの時までにはとうに完成している予定であり、この祝祭的オペラも当然ながらその落成を祝う演目として本来の劇場で上演されるはずであったが、大幅な工事の遅れでそれは叶わず、臨時小屋として使われていたシラー劇場でプレミエ上演された。その時の評判を聴いていたので、いずれ本館のシュターツオーパで再演される時には是非観に行きたいと思っていたところ、ちょうど今年のベルリン・フェストターゲの目玉演目として、新装再オープン後のシュターツ・オーパとしては初めての「マイスタージンガー」として上演される運びとなった。
それにしても、前の日の「修道院での婚約」に続いて今日が「マイスタージンガー」、そして明日も休みなくフィルハーモニーでのコンサートと三日連続の指揮となるバレンボイム、噂には聞いてはいたが確かに仕事中毒と言われる所以である。
今回の主役としては、ハンス・ザックスはヴォルフガング・コッホ、ヴァルターがブルクハルト・フリッツと言うことで、次の週にザルツブルクで観る予定のティーレマンとドレスデンによるG.ツェッペンフェルトとK.F.フォークトコンビに比べると、正直に言って最初からそこまでの期待はない。期待していたポーグナーのヨン・クワンチュルがマッティ・ザルミネンに代わり、ベックメッサーもヨハネス・マルティン・クレンツレからマルティン・ガントナーに代わっていた。なので、主役級の歌手として期待すべきは残すところエーファのユリア・クライターくらいだった。クライターは以前ザルツブルクの「コジ・ファン・トゥッティ」でフィオルディーチを聴いて大変良かったのを覚えている。ダーフィトにいたっては南アフリカ出身のシヤボンガ・マクンゴと言う聞いたこともない青年で、とりあえず今回のベルリンの「マイスタージンガー」は主役歌手はそこそことして、フランツ・マツーラやジークフリート・イエルサレム、グレアム・クラーク、ライナー・ゴールドベルクと言った、かつてバレンボイムの日の出の勢いの時代に彼の指揮でこの歌劇場をともに彩ったかつての有名どころが文字通り「マイスタージンガー」役の面々で出るということらしいので、その演出に期待が膨らんだ。いや別にその人たちの歌唱がどうとかと言う話しじゃなくてね、これはもう、祝祭に場を借りた慰労会、もっと言えば敬老会、old reunion party と言った色合いでね。長らくベルリン国立歌劇場のオペラでお世話になってきたファンからすれば、それはもう、すぐれたアイデアだと言える。ジークフリート・イエルサレム(バルツァザル・ツォルン)なんて、もうかつてのヘルデン・テノールなんて面影もスターのオーラの片鱗もなくて、ただステージに立ってるだけだけど、それでいいんですよ。それに比べるとクンツ・フォーゲルサングのグレアム・クラークなんて今でもまだまだ!って感じであの鋭い声をたっぷり聴かせてくれたし、フランツ・マツーラなんてもう90歳越えのハンス・シュヴァルツが " Verstand man recht?"ってひと声呟くだけで場内大受けだし(三幕、ベックメッサーの奇妙な歌詞を受け)、ヴァルターが最後にマイスターの栄光を受け取るのを拒む場面では、怒りも露わに持ってる杖を床に「ドンッ!」と叩きつけて場内を驚かせた。「マイスターたちの栄光を軽んじてはいけない」とザックスがヴァルターを諭す歌詞と演出内容がぴったりと合致していて、非常に面白い演出だった。そう言えば三幕のコンテスト会場の広場の背景には、現在シュプレー川沿いに鋭意建設中の Neue Berlin Schlossがでかでかと描かれて、ちゃっかりとベルリンの新観光名所のPRも怠ってなかった←ここ追記。
順番が後先ばらばらで恐縮だけど、全幕を通してずっとドイツ国旗が必ず使われていて、もともとこの演出が東西ドイツ再統一25周年を記念したものであることを思い出させる。舞台のセットは特段なにか驚くような大仕掛けがあると言うわけではないけど、二幕でダフィトと弟子たちがヨハネ祭だと合唱する場面の弟子たちはドイツで見かけそうなパンクロックの若者たち。「ニワトコのモノローグ」の場面でオペラグラス越しによく見ると、何気なくザックスが水をやって育てているのはニワトコとかライラックでもなんでもなくて、なんと大麻(そう、いわゆるマリファナ、marijuana, cannabis)の葉っぱそのものじゃねか?!舞台のわりと下手ぎりぎり見切れるくらいのところなので、上方席の左端の客にはよく見えてないかもしれないけど、まぎれもなく(写真で)よく見る大きなあの葉っぱで、育成用のライトまで設置してある。おいおい、笑わせてくれるのはいいんだけど、なにも「ニワトコのモノローグ」に合わせて、それやることないでしょ?!いや、笑うところは、笑ってあげるよ、タイミングを考えてくれたら。でも「ニワトコのモノローグ」が始まって「プーッ!」とか吹き出してたら、おかしいでしょう。そこだけはやられたよ。面白いのは面白いけど。その後、ザックスやエーファもその巻物らしきものを思わせぶりに手でひらひらさせたりでね。まあ、今風の演出としては面白いし、ベルリンでは軽いノリなんだろうけど、いまの日本じゃ萎縮してしまってもう無理だね、こういう表現は。あと、基本的に人物は全員現代の衣装なんだけど、ベックメッサーが窓辺でセレナードを歌うところだけは、中世の騎士のような姿で穿きにくそうなズボンを上げたり下げたりして(この部分はザルツブルクのアドリアン・エレートのベックメッサーの演技と記憶が錯誤で訂正)コミカルな演技。乱闘騒ぎの場面はさすがに本格的で舞台いっぱいに大きな動きで見応え、聴き応えの迫力じゅうぶん。三幕でのマイスターの登場は、三色旗のたすきをかけたマイスターたちが平土間の扉から客席に笑顔を振りまき、手を振りながら入場。目が合ったこちらも、思わずつられて手を振ったよ。
歌手の感想は上述とさして変わらないもので、クライターのエーファはなかなかよかった。はじめて聴いた南アのマクンゴはダーフィトとしてはやや物足りなく感じないではないが、初めての大きな役を丁寧に歌い通して盛大な拍手を受けていた。ベックメッサーのガントナーも演技・歌唱ともによかった。(追記:マグダレーナのカタリーナ・カンマーローラーもベルリンの常連だが、可もなく不可もなくという感じだったが、三幕の「愛の洗礼式の五重唱」はさすがに全員大変美しい歌唱で聴きごたえがあった。)音楽・演奏・演出とも、今回ベルリンにまで足をはこんだ甲斐ががあった。
以下写真はプログラムより、プレミエ時のキャスト。
4/17 ベルリン国立歌劇場「修道院での婚約」
今回の渡独では、出発の一週間前という微妙なタイミングで風邪をこじらせてしまった。水曜日の夕方くらいに節々の痛みとだるさで「あ、風邪かな」となり、木曜には咳が出始め37.4℃の微熱。金曜も同じような調子だったので午前中に医者に行き抗生剤と咳止めを処方してもらう。土、日、月と処方された薬を服用し、熱は下がって節々の痛みは治まったが、咳き込みと痰は治まらない。出発前の体調としては、過去最悪の状態か。火曜日に予定通り出発したところ、飛行機の気圧の変化に対して、いつものように耳の内圧が調整できない。普通なら何度か唾液をごっくんと飲み込んだり、ちょっと鼻を閉じて「空気抜き」をすれば機内の気圧に順応できるところが、何時間たっても耳の中が圧迫された感じのままで、結局現地に到着して以降も内耳の違和感は解消されないばかりか、キーンというひどい耳鳴りが続いている。レストランの店員と話している間も、自分の声がボワーンという感じで変に響いて、何を言ってるのか自分で聴き取りづらい。明らかに「航空性中耳炎」の症状だ。やばいな。音楽を聴きにドイツにやって来て、難聴の状態ではシャレにならない。ネットで調べていると、やはり喉などに炎症がある場合はこうした症状に比較的なりやすいと言うことのようらしい。まあ、到着初日で疲労困憊してもいるし、とりあえず一晩休んで様子を見よう。
で、一晩ぐっすり休んで二日目を迎えたが、昨夜のような自分の声が何を言ってるのかわからないと言う状態からは改善されたものの、耳鳴りは続いている。医者に行くか行くまいか。あまりあちこち出かけずに夜のオペラまでのんびりと寛いでいるほうが薬になるだろう。お天気はよかったので、午前中一か所だけ行きたい場所に地下鉄で移動し、緑豊かな自然のなかを散策してホテルに戻り、午後はホテルのなかで過ごした。
この日のオペラは、プロコフィエフの喜劇的オペラ「修道院での婚約」(Die Verlobung im Kloster)。ダニエル・バレンボイム指揮、ディミトリー・チェルニアコフ演出。ベルリン国立歌劇場、19時開演。出演は以下の通り。
DON JEROME : Stephan Rügamer, Don Ferdinand : Andrey Zhilikhovsky,
Luisa : Aida Garifullina, Die Duenna : Violeta Urmana,
Don Antonio : Bogdan Volkov, Clara D'Almanza : Anna Goryachova,
Mendoza : Goran Jurić, Don Carlos : Lauri Vasar, N.N. : Maxim Paster
もちろんプロコフィエフのこのオペラを観るのは今回が初めて。貴族のドン・ジェロームの娘ルイーザとドン・アントーニオ、ドン・ジェロームの息子でルイーザの兄のドン・フェルナンドとクララの二組の若い恋人同士を軸に、そこに娘ルイーザとの結婚を迫り横車を入れるドン・ジェロームの知人で富裕な魚商人メンドゥーサとルイーザの側付で知恵者のドゥエンナのもう一組の合わせて三組の結婚をドン・ジェロームとメンドゥーサの勘違いを筋立てに進行する。この演出では、もう一人のバリトンでちょっといかさまっぽい自己啓発セミナーの講師のような役まわりのドン・カルロスを軸に、オリジナルの舞台劇を進行させて笑いを取っていた。
オペラをテーマにした自己啓発セミナー(あるいは重度のオペラおたくの医療カウンセリング?)のような感じで、かなり怪しげな雰囲気。通常のようにプロセミアムの上部に字幕が表示されるのではなく、舞台上のセットであるセミナールームの壁に直接ドイツ語と英語の字幕がプロジェクションで表示されるのだが、最初の少しの間それに気づかなかった。「さあ、オペラなんて内向的で非活動的なことなどは止めにして、こんなにアクティブに、こんなにポジティブにオレたちみたいにやって行けば、リッチでハッピーな生活、間違いなしさぁ!」みたいな三流の通販PR動画みたいなものも映写されて笑いを取っている。もっともそれはオペラの本筋とは関係ないけれども、「騙されやすい」って言うテーマを戯画化しているのか。まあ、とにかく舞台照明は明るいし、メンドゥーサのど派手な衣装もコミカルだし、兄のフェルナンドはオタクそのものって感じだし、ルイーザは無駄に美人だし、なんだか統一感ゼロでバラバラでちぐはぐな感じに見えているのはコメディとして演出が成功しているのではないだろうか。
ルイーザ役の Aida Garifullina はこのところ売り出し中の正統派美人歌手という感じ。歌ではなんと言ってもドン・ジェロームの Stephan Rügamer の突き抜けた感じのテノールが、これぞ個性派テナーと言う感じで最高!頭のてっぺんから声が突き抜けている感じ(笑)。ヘルデン・テナーもいいけれども、こうした個性派テナーの聴きごたえがあるのも、ベルリンならでは。ローゲとか、ヴォツェックのハウプトマンとか、ダフィトとか、いろいろ似合いそうないい声だ。一部舞台上でトランペットも吹くが、素人レベルとは言え大したもの。メンドゥーサの Goran Juric も大柄で聴き応えのある低音でごっつええ感じ。ザグレブ出身で、近年ではバイエルンで活躍していたとのこと。その他、Violeta Urmanaはじめ、どの歌手もさすがにクオリティが高く、聴き応え見応え抜群の公演だった。
二幕目の修道院の坊主たちの酒飲みの場面は、事前に動画で観ていたキーロフ・オペラの演奏ではむさくるしい坊主たちの合唱で、どことなく「カルミナ・ブラーナ」っぽくて期待していたのだが、今回の演出では多数の男性合唱ではなく、主要登場人物のみでほとんどの歌唱をしていたように見えた。演出では曲の最後に「騙し」を仕込んでいて、フィナーレっぽくなったところで、字幕で「お・し・ま・い!」と出たので、訳を知らないほとんどの客はやんやの拍手をし出して、これがなかなか途切れなかった。来る前にキーロフ・オペラのYoutubeの動画を事前に観ていたので、なんかこれ、ちょっとおかしいな、と思っていると、ピットをよく見るとバレンボイムは微動だにしないし、オケもまだ全然演奏態勢のままなのが二階(2 Rang)席正面からはよく見える。案の定、「ここからは、ドン・ジェロームの、夢の続き」みたいな字幕が出て、最後の本当のフィナーレが再度始まるのだが、ここでジェロームの饗宴の招待客として舞台脇からノルマだのアイーダだの、エリザベッタだのマリア・ストゥアルダだの、蝶々さん、カルメン、ルチア、トスカ、ミミ、オランピアやパパゲーノ、リゴレット、マントヴァ公、スカルピア、ドン・ジョヴァンニ、ヴォータン、ワルキューレなど、このオペラ座の舞台を彩って来たありとあらゆるオペラの登場人物たちがそれぞれのアイコンの姿でゾロゾロと登場し、舞台上に勢ぞろいしてジェロームの最後のゴブレットの独奏を盛り上げるのである。前半でオペラをコケにするような演出をしておいて、最後にこんな素敵な仕掛けを仕込んでくるなんて、おいおいどんだけオペラを愛してんだよ!ってちょっとウルウル来てしまった。これ、百人くらいの人数で圧巻だったんだけど、「ウォーッ!」とか言ってる間に写真撮るの忘れてて、次に幕が上がった時にはもう全員はけていたのが何ともこころ残り。これ、もう一回是非映像ででも観てみたい。耳鳴りは相変わらず続いていたけれど、それを忘れるくらいの素晴らしい公演だった。
トレーラー動画
こちらは1998年ゲルギエフ指揮キーロフ・オペラの全編。
フィナーレのジェロームのゴブレット独奏が圧巻。
フィナーレのジェロームのゴブレット独奏が圧巻。
Berlin→Salzburg→Wien イースターの旅'19
Berlin → Salzburg 「ニュルンベルクのマイスタージンガー」のはしご
今年の夏はバイロイトにもザルツブルクにも今のところ行く予定がないので、代わりの休暇を早めに取って、イースター(復活祭)の時期のベルリン、ザルツブルク、ウィーンを駆け足で巡って来た。ウィーンと言えば、今年は5月から6月にかけて、クリスティアン・ティーレマン指揮の「影の無い女」がある。ティーレマンが好きで、ウィーンが好きで、ドイツ音楽とりわけR・シュトラウスが大好きで、となったら、5月-6月のウィーンに万難を排して駆け付けるのが当然ながらファンの王道と言うものだろう。ところが自分ときたら、三度のメシよりも「マイスタージンガー」がお気に入りときている。今年のザルツブルク復活祭音楽祭はティーレマン指揮イェンス・ダニエル・ヘルツォグ演出による新制作の「ニュルンベルクのマイスタージンガー」で、なんと言ってもゲオルク・ツェッペンフェルトのハンス・ザックスのロールデビューとなるだけに、これはどうにも外すわけにはいかない。
おまけに、その前の週にはベルリンのフェスト・ターゲでバレンボイム指揮に女性演出家のアンドレア・モーセによる「マイスタージンガー」を観ることができ、ベルリン→ザルツブルクと「マイスタージンガー」のはしごができるという、「マイスタージンガー」ファンには願ってもないプログラミングとなっている。ベルリンのフェスト・ターゲで最新演出(2015年)の「マイスタージンガー」が観れるというのも、ザルツブルク復活祭のティーレマンのに負けず劣らず強力なのである。こちらは引退したベルリンゆかりの過去の有名歌手たちがマイスター役で一堂に会して出演しており、さながらかつての名歌手たちの同窓会といった様相で、フランツ・マツーラなどはもう90歳を超えているので、なんとしてもいまの間に観ておかないと後はどうなるかわからないのだ。
そういうわけで、ベルリンでの「マイスタージンガー」と翌週のザルツブルク復活祭音楽祭での「マイスタージンガー」の鑑賞を柱に、その後せっかくなのでついでにウィーンにも立ち寄って、アダム・フィッシャー指揮の「フィデリオ」とワレリー・ゲルギエフ指揮「パルジファル」も鑑賞してきた。
思えばもともとこのブログを Yahoo で開始したのも、ワーグナー生誕200年祭という年の2013年のザルツブルク音楽祭で、そこでは珍しい「マイスタージンガー」の上演を観れたことがきっかけで始めて6年になるわけだが、yahoo blog のサービス停止と言う予想外の展開でブログ自体が消滅という事態となったのも(引っ越しはするけれども)、これまた再びベルリンとザルツブルクでの「マイスタージンガー」鑑賞の年と時期が重なったというのも、不思議な巡りあわせである。
その間、2017年、18年には、二年続けてバイロイトでの「マイスタージンガー」を鑑賞したこともこのブログで綴ってきた。個人的な思いでは、自分のYahoo での blog は、まさに「マイスタージンガー」に始まり、「マイスタージンガー」に終わることになってしまった感がある。この先も引っ越し先でブログを続けては行く予定ではあるけれども、実際問題として、ひとつの区切りを感じる。
と言うわけで、この後順を追って鑑賞の記録を綴って行きたいと思います。