今回の渡独では、出発の一週間前という微妙なタイミングで風邪をこじらせてしまった。水曜日の夕方くらいに節々の痛みとだるさで「あ、風邪かな」となり、木曜には咳が出始め37.4℃の微熱。金曜も同じような調子だったので午前中に医者に行き抗生剤と咳止めを処方してもらう。土、日、月と処方された薬を服用し、熱は下がって節々の痛みは治まったが、咳き込みと痰は治まらない。出発前の体調としては、過去最悪の状態か。火曜日に予定通り出発したところ、飛行機の気圧の変化に対して、いつものように耳の内圧が調整できない。普通なら何度か唾液をごっくんと飲み込んだり、ちょっと鼻を閉じて「空気抜き」をすれば機内の気圧に順応できるところが、何時間たっても耳の中が圧迫された感じのままで、結局現地に到着して以降も内耳の違和感は解消されないばかりか、キーンというひどい耳鳴りが続いている。レストランの店員と話している間も、自分の声がボワーンという感じで変に響いて、何を言ってるのか自分で聴き取りづらい。明らかに「航空性中耳炎」の症状だ。やばいな。音楽を聴きにドイツにやって来て、難聴の状態ではシャレにならない。ネットで調べていると、やはり喉などに炎症がある場合はこうした症状に比較的なりやすいと言うことのようらしい。まあ、到着初日で疲労困憊してもいるし、とりあえず一晩休んで様子を見よう。
で、一晩ぐっすり休んで二日目を迎えたが、昨夜のような自分の声が何を言ってるのかわからないと言う状態からは改善されたものの、耳鳴りは続いている。医者に行くか行くまいか。あまりあちこち出かけずに夜のオペラまでのんびりと寛いでいるほうが薬になるだろう。お天気はよかったので、午前中一か所だけ行きたい場所に地下鉄で移動し、緑豊かな自然のなかを散策してホテルに戻り、午後はホテルのなかで過ごした。
この日のオペラは、プロコフィエフの喜劇的オペラ「修道院での婚約」(Die Verlobung im Kloster)。ダニエル・バレンボイム指揮、ディミトリー・チェルニアコフ演出。ベルリン国立歌劇場、19時開演。出演は以下の通り。
DON JEROME : Stephan Rügamer, Don Ferdinand : Andrey Zhilikhovsky,
Luisa : Aida Garifullina, Die Duenna : Violeta Urmana,
Don Antonio : Bogdan Volkov, Clara D'Almanza : Anna Goryachova,
Mendoza : Goran Jurić, Don Carlos : Lauri Vasar, N.N. : Maxim Paster
もちろんプロコフィエフのこのオペラを観るのは今回が初めて。貴族のドン・ジェロームの娘ルイーザとドン・アントーニオ、ドン・ジェロームの息子でルイーザの兄のドン・フェルナンドとクララの二組の若い恋人同士を軸に、そこに娘ルイーザとの結婚を迫り横車を入れるドン・ジェロームの知人で富裕な魚商人メンドゥーサとルイーザの側付で知恵者のドゥエンナのもう一組の合わせて三組の結婚をドン・ジェロームとメンドゥーサの勘違いを筋立てに進行する。この演出では、もう一人のバリトンでちょっといかさまっぽい自己啓発セミナーの講師のような役まわりのドン・カルロスを軸に、オリジナルの舞台劇を進行させて笑いを取っていた。
オペラをテーマにした自己啓発セミナー(あるいは重度のオペラおたくの医療カウンセリング?)のような感じで、かなり怪しげな雰囲気。通常のようにプロセミアムの上部に字幕が表示されるのではなく、舞台上のセットであるセミナールームの壁に直接ドイツ語と英語の字幕がプロジェクションで表示されるのだが、最初の少しの間それに気づかなかった。「さあ、オペラなんて内向的で非活動的なことなどは止めにして、こんなにアクティブに、こんなにポジティブにオレたちみたいにやって行けば、リッチでハッピーな生活、間違いなしさぁ!」みたいな三流の通販PR動画みたいなものも映写されて笑いを取っている。もっともそれはオペラの本筋とは関係ないけれども、「騙されやすい」って言うテーマを戯画化しているのか。まあ、とにかく舞台照明は明るいし、メンドゥーサのど派手な衣装もコミカルだし、兄のフェルナンドはオタクそのものって感じだし、ルイーザは無駄に美人だし、なんだか統一感ゼロでバラバラでちぐはぐな感じに見えているのはコメディとして演出が成功しているのではないだろうか。
ルイーザ役の Aida Garifullina はこのところ売り出し中の正統派美人歌手という感じ。歌ではなんと言ってもドン・ジェロームの Stephan Rügamer の突き抜けた感じのテノールが、これぞ個性派テナーと言う感じで最高!頭のてっぺんから声が突き抜けている感じ(笑)。ヘルデン・テナーもいいけれども、こうした個性派テナーの聴きごたえがあるのも、ベルリンならでは。ローゲとか、ヴォツェックのハウプトマンとか、ダフィトとか、いろいろ似合いそうないい声だ。一部舞台上でトランペットも吹くが、素人レベルとは言え大したもの。メンドゥーサの Goran Juric も大柄で聴き応えのある低音でごっつええ感じ。ザグレブ出身で、近年ではバイエルンで活躍していたとのこと。その他、Violeta Urmanaはじめ、どの歌手もさすがにクオリティが高く、聴き応え見応え抜群の公演だった。
二幕目の修道院の坊主たちの酒飲みの場面は、事前に動画で観ていたキーロフ・オペラの演奏ではむさくるしい坊主たちの合唱で、どことなく「カルミナ・ブラーナ」っぽくて期待していたのだが、今回の演出では多数の男性合唱ではなく、主要登場人物のみでほとんどの歌唱をしていたように見えた。演出では曲の最後に「騙し」を仕込んでいて、フィナーレっぽくなったところで、字幕で「お・し・ま・い!」と出たので、訳を知らないほとんどの客はやんやの拍手をし出して、これがなかなか途切れなかった。来る前にキーロフ・オペラのYoutubeの動画を事前に観ていたので、なんかこれ、ちょっとおかしいな、と思っていると、ピットをよく見るとバレンボイムは微動だにしないし、オケもまだ全然演奏態勢のままなのが二階(2 Rang)席正面からはよく見える。案の定、「ここからは、ドン・ジェロームの、夢の続き」みたいな字幕が出て、最後の本当のフィナーレが再度始まるのだが、ここでジェロームの饗宴の招待客として舞台脇からノルマだのアイーダだの、エリザベッタだのマリア・ストゥアルダだの、蝶々さん、カルメン、ルチア、トスカ、ミミ、オランピアやパパゲーノ、リゴレット、マントヴァ公、スカルピア、ドン・ジョヴァンニ、ヴォータン、ワルキューレなど、このオペラ座の舞台を彩って来たありとあらゆるオペラの登場人物たちがそれぞれのアイコンの姿でゾロゾロと登場し、舞台上に勢ぞろいしてジェロームの最後のゴブレットの独奏を盛り上げるのである。前半でオペラをコケにするような演出をしておいて、最後にこんな素敵な仕掛けを仕込んでくるなんて、おいおいどんだけオペラを愛してんだよ!ってちょっとウルウル来てしまった。これ、百人くらいの人数で圧巻だったんだけど、「ウォーッ!」とか言ってる間に写真撮るの忘れてて、次に幕が上がった時にはもう全員はけていたのが何ともこころ残り。これ、もう一回是非映像ででも観てみたい。耳鳴りは相変わらず続いていたけれど、それを忘れるくらいの素晴らしい公演だった。
トレーラー動画
こちらは1998年ゲルギエフ指揮キーロフ・オペラの全編。
フィナーレのジェロームのゴブレット独奏が圧巻。
フィナーレのジェロームのゴブレット独奏が圧巻。