Jazz : grunerwaldのblog

grunerwaldのblog

バイロイト音楽祭やザルツブルク音楽祭など、主に海外の音楽祭の鑑賞記や旅行記、国内外のオペラやクラシック演奏会の鑑賞記やCD、映像の感想など。ワーグナーやR・シュトラウス、ブルックナー、マーラー、ベートーヴェン、モーツァルトなどドイツ音楽をメインに、オペラやオペレッタ、シュランメルン、Jazzやロック、映画、古代史・近現代史などの読書記録、TVドキュメンタリーの感想など。興味があれば、お気軽に過去記事へのコメントも是非お寄せ下さい。

カテゴリ: Jazz

夏の夕暮れどきの愛好家としては残念なことに、この夏はもうここ二週間以上お天気が悪い日が続いており、灰色の雲に覆われた夕暮れどきが続いている。二週続けて週末は曇りか雨だったし、平日もすこし早く帰宅できた日も、曇り空ばかりだった。せっかく新しいバーボンウィスキーとロックアイスを準備して、美しく暮れなずむ夏の夕暮れどきをこころ待ちにしているのだが、空振りが続いている。黄金色の麓から鮮やかなオレンジ、そら色、薄い紫から濃い紫と連なるパーフェクトなグラデーションで暮れなずむ夕焼け空を、もう長い間見ていない。

しかたがないので、せめてCDだけでもゆったりとしたギターのデュオ、パット・メセニーとジム・ホールの落ち着いたインタープレイで静かに時を過ごす。

jim+pat


↓Youtube より(PCの貧弱な音では魅力は伝わらないか…)

日本のジャズ、ロック・ポップス界でアルト・サックス・プレイヤーとして長年活躍して来た土岐英史氏ががんのため亡くなったことを、時事通信の訃報記事で知った。享年71歳。

自分がジャズやロック・ポップスをよく聞くようになりはじめた高校生の頃(1970年代後半)にはすでに、日本のジャズ・シーンではよく知られた存在で、同じサックスプレイヤーで同世代の本多俊之氏や清水靖晃氏らと人気を分かっていたのを思い出す。「Swing Journal」誌の人気投票でもいつも上位に名前が挙がっていたし、ポップスやロック、当時人気があった「フュージョン」や「クロスオーバー」と呼ばれたジャンルでも人気が高かったので、「Ad Lib」誌でもよく目にした。他にも多くの歌手やアーティストのアルバム制作に多数関わって来た人気ミュージシャンだった。

エネルギッシュに豪快に吹きまくると言うよりは、繊細できれいな音色で早いパッセージの複雑なメロディを自在に操る高度なテクニックのミュージシャンだった。山下達郎の 六本木pit inn でのライブアルバムの「It's a poppin' time」にも聴けるようにスローでメランコリック、情感深いソロも持ち味だった。

この3月には村上’ポンタ’秀一氏の訃報を耳にしたばかりだったが、70年代から80年代にかけて熱い音楽シーンを築いてきた名ミュージシャンたちが70歳前後でひとり、またひとりと亡くなっていくのはやはり寂しいものがある。土岐英史さんのご冥福をお祈りします。




※7月6日追記・ヤフー記事↓




先週にはテナーサックス奏者でビッグ・バンド界の巨匠・原信夫氏(シャープス&フラッツ)の訃報も…


一週遅れだけど、笑顔が素敵な小学1年生のブルース弾き語りにあいかわらず癒される


ponta.01

ポップス、ロック、歌謡曲はもちろんのこと、ジャズのフィールドでも日本を代表するドラマーの村上ポンタ秀一さんが今月9日に亡くなっておられたことが今日3月15日になって一斉に報道された。視床出血が原因で70歳だったとのこと。西宮市出身。

70年代初期からフォーク・ニューミュージックで活動を始め、その驚異的なドラムテクニックと歌心溢れる演奏で多くのミュージシャンの憧れのドラマーであり続けてきた。70年代の中頃にはすでに、様々なレコーディングで必要不可欠なスタジオミュージシャンであるとともに、ライブパフォーマンスでも超絶技巧を聴かせるトッププレイヤーだった。私自身も高校生の頃にドラムを始めたのがきっかけで、パールのカタログに載っているポンタさんは憧れのプレイヤーだった。70年代後期、時あたかもフュージョン、クロスオーバー全盛期で、その方面の雑誌 AD Lib やジャズ系のスイングジャーナルで、見かけない月はなかった。その頃ポンタさんがレコーディングで参加していた松岡直哉とウィシングの「ウィンド・ウィスパーズ」とか渡辺香津美の「KYLYN」のプレイとか、本当に凄くて、STUFF のスティーブ・ガッドを教えてくれたのもポンタさんだった。当時「KYLYN」のツアーの後半で(多分79年くらいのことだったと思う)、びわ湖バレイ(当時はサンケイバレイだった)の夏のオールナイト・ジャズフェスティヴァルのゲストで、錚々たるメンバーで凄い演奏をしてくれたのを思い出す。その後、大学入試の時には、試験の合間に六本木のピットインでウィシングのライブがあったので、当たり前のように聴きに行っていた。あの濃いエンヂ色のパールのグラスファイバーシェルのドラムセットも彼独特のセッティングで、憧れの存在だった(結局東京には行きそびれたけれども)。それらのほかにも、日本のポップスやロック、歌謡曲のミュージシャンから是非にとご指名がかかる、文字通り人気ナンバーワンのドラム・ミュージシャンであり続けた。もっとも私自身はその後そうした日本の軽音楽をコンサートで聴く機会は随分と減ってしまったけれども、いまでもよく聴く70年代のCDの多くにはポンタさんが参加している。自分自身もドラムを齧っていた学生時代当時は、まさにライブハウス全盛の頃だった(と言うと現在のライブハウスのファンには怒られるかもしれないが)。リットーミュージックから2016年1月に出版された「俺が叩いた。ポンタ、70年代名盤を語る」はポンタファンのバイブルだ。頁を繰るごとに、なつかしい70年代の名曲の旋律がよみがえってくる。

その後も、色んなアーティストとの活動を仄聞する度に、常にアグレッシブさを失わない、エッジの効いたプレイと、なによりもそのマインドを保ち続けているミュージシャンであることに敬意を抱いてきた。少し近づくだけでも、こちらが怪我でもするんじゃないかと感じるさせるようなもの凄いオーラを発している人だった。70歳での他界は残念だが、知らない間に逝ってしまっていたと言うのは、ポンタさんらしい最期ではないだろうか。そう言えば、初期にともに活動していたギターの大村憲司氏も鬼籍に入って久しい。他にも惜しくも他界したスタジオミュージシャンは少なくない。天国で彼らと顔を合わせて、素晴らしいセッションをしていることを、お祈りしたい。




pat.01

前回のブログでバーボンのアーリー・タイムズのことをちょこっと取り上げたばかりだが、先日久しぶりに酒店にアーリーを買いに行って、ラベルが新しいデザインに変わっていて、ちょっと戸惑った。かつては、もう何十年もアーリーと言えば①の田舎臭い小屋のイラストと、野暮ったいデザインの黄色いラベルが安酒代表のアーリーのイメージだったのが、②に変わってなんとなく垢ぬけて現代的なデザインになっている。おまけにラベルの色はイエローからベージュというか、クリーム色に近くなっている。さらには別種のブラウン・ラベルというのも同じ価格で売られていて、昔からのアーリーはどっちやねん!と混乱する。いったいいつから、こんなことになっていたのか。調べてみると、なんと本国アメリカでは、現在アーリーは「Kentucky Straight Bourbon Whisky」としては販売されておらず、単に
「Kentucky Whisky」の表示で、輸出向け商品のみにかつての「Kentucky Straight Bourbon Whisky」の表示がされているらしい。昔のイエローラベルのはもう店頭には無かったので、しかたなく新デザインのラベルのを買ったが、ラベルのイメージは大きい。出来れば以前のデザインのままでよかったのだが。まあ、いずれにしても700㎖で千円ちょっとの激安で、価格も随分と値落ちしたものである。そう言えば、ジャンルは違うが、コンヴァースのオールスターも高校生の頃はその辺のどこの靴屋にでも売ってるものではなくて、値段も1万4千円くらいはしたもので、そうそう今ほどは気軽にスーパーで叩き売られているようなものではなかったものだ。


early.01

early.02

で、前回のブログでは、そんなバーボンのオン・ザ・ロックを舐めながらのBGM的にラッセル・マローンのCDを取り上げたが、同じくギターでもうひと世代上のパット・マルティーノのスタンダード集のベスト盤にも収録されている「Days of wine and roses」の演奏がYoutubeにあったので、下に貼っておこう(と言っても、別人による演奏解説サイトのようだが、音質がいいので)。オリジナルはスタンダードの名曲とは言っても、案外そう古くはなくて、1962年のヘンリー・マンシーニのヒット曲。定番のスタンダードとしていろんな演奏者に取り上げられているが、このベスト盤ではパット・マルティーノの「EXIT」(1977年)からの演奏が収録されている。なんでオリジナルの「EXIT」でなくて、わざわざベスト盤のほうを取り上げるかと言うと、ジャケットデザインのセンスが良く、選曲もリラックスして聴きやすいから。コロナ禍で次々と予定していたクラシックやオペラの演奏会が中止となり、そのショックは計り知れず、そうそう自宅のCDでもクラシックを聴く気分にはなれなかった。文字通り「酒とバラのステイホーム」となったこの5月、6月は、そのかわりにバーボンとギターのCDが久しぶりにこころを癒してくれたのである。演奏は→こちら







夏の日の夕暮れ時。おおかた二週間降り続いていた雨も上がり、ようやく夏らしい黄昏れに窓外の木の緑が、ゆっくりと暮れなずんで行く。この20数年で、玄関先に涼しげな木陰をつくってくれる樹木の枝も大きく伸び、二階の窓先を豊かな緑で覆ってくれるようになった。毎年、落ち葉となって散り積もると日々の掃き掃除が大変で、連日大きなビニール袋が枯葉でいっぱいになってしまうけれども、それでも春夏に目に潤いを与えてくれる大きく茂った緑があるだけで、こころが安らぐ。

酒は、ふだんはあまり晩酌などはしないほうだが、こういう心地よい夕暮れ時には、よく冷えたリースリングとかシャルドネで軽いサンドウィッチで済ませるのもいいけれども、たまにはバーボンでオン・ザ・ロックというのも、懐かしい寛ぎを思い起こさせる。ウィスキーはもうここ20年くらいは、オールド・パーとかバランタインとかのスコッチウィスキーとか、飲み慣れたサントリーのローヤルなんかが定番になっていたけれど、たまには若い頃から慣れ親しんだアーリータイムズやエインシャントエイジの世話になることもある。昔から安くて買いやすいウィスキーの代名詞だった。学生時代によく行った、大阪梅田の「バーボンハウス」という有名なライブハウスなんかに、たまにふらりとひとりで訪れてカウンターのスツールに腰かけて「アーリー。ロックで。」とか注文すると、カウンターの手前にグラスを滑らせる溝が通してあって、その端から店員が「行くよ!」と言ってグラスをこちらに向けて勢いよく滑り出させてくれるのが独特のサービスだった。背の高いグラスは安定感が悪いので不向きだけど、ロックグラスは重めで重心が低いから、こういうのがよく似合ったのだ。まあ、西部劇のオマージュなんだな。

で、そういう時には音楽もやっぱりアメリカンなロックがよく似合って、イーグルスとかドゥービー・ブラザースとかウェストコーストの曲がよく似合うんだけど、もちろん本物の彼らがそんなライブハウスでやるわけではないので、イメージとしてはセンチメンタルシティロマンスという名古屋の老舗バンドとか、憂歌団とかがぴったりな感じだった。

コロナ自粛期間中は、クラシックやオペラは自宅でもあまり聴く気になれなくて、こうした軽いウェストコーストや、ジャズギターに耳を傾けることが多かった。ジャズのなかでもギターは結構よく聴いたほうで、バップの源流のチャーリー・クリスチャンからジャンゴ・ラインハルト、ウェス・モンゴメリーをはじめ、ジョー・パスやグラント・グリーン、ジム・ホール、ケニー・バレル、バーニー・ケッセル、タル・ファーロウ、ハーブ・エリスなんかはLPでよく聴いた。近年ではダイアナ・クラールのアルバムで弾いていたラッセル・マローンなんかが、落ち着いてしっくりと聴かせるタイプで悪くない。ジョン・スコフィールドのような強烈な個性とか粘りみたいなものはあまりなくて、割と正統派でさらりと聴き流せるほうかな。BGM? 以前だと、軽めだとBGMっぽいとかイージーリスニング的だとか文句のひとつも言っていただろうけど、最近は、それも悪くないんじゃないの?と、角が取れて来ているのか。もう何年も前のアルバムで、全編ストリングス付きのスロー・バラードばかりを収録した「ハートストリングス」というCDが Verve から出ていた。バーボンをオン・ザ・ロックでチビチビとやりながらこういうのを聴いていると、心地よく夏の夜が更けていく。


heavyweatherweatherreport.01

ひと月ほど前に twitter でたまたま知った天才高校生ベース少女のアヤコノさんのことを取り上げたところ、期せずして連日そのブログ記事へのアクセス数が、とても多くてびっくりしている。この間、アヤコノさんは15歳からめでたく16歳になられたそうで、ここで「おめでとうございます!」とお祝いを申し上げたい。当方のブログにまで結構なアクセスがあることを思うと、かなりの人が彼女に注目しているのだろう。この先の大いなる活躍を、こころから期待したい。

ところで、彼女の活躍を目にして、自分が高校生の頃はどうだっただろうかと思い返している。16歳の高校2年生になってはじめの頃に、NHK-FMの夕方の放送で「ウィークエンド・ジャズ」という番組と「セッション79」というNHK109スタジオからのライブ番組をたまたま耳にしたのが、ジャズとフュージョンにのめりこむきっかけになった。そこからは、一気だった。ちょうど吹奏楽部でドラムを担当していたので、思いっきりジャズをやってみたかったのだが、地方の片田舎ゆえ、そんな垢ぬけた音楽を知る高校生など自分以外にだれもおらず、おつきあいでイーグルスとかストーンズとかの友人のコピーバンドに呼ばれて文化祭などに出ていたが、正直に言って孤独な思いが大きかった。ナベサダどころか、山下達郎だよっ!シュガー・ベイブよっ!SYOGUNだよっ!て言っても誰にもポカンとされるばかりで、せいぜいユーミンを知っていれば上出来なレベルだった。さすがに大学生になってからは、リズム&ブルースやソウルをやるバンドでの付き合いが出来たけれども、ジャズ研はオリエンテーションの時に二日酔いで参加できずに、それっきりとなってしまった。

その頃は、「スウィング・ジャーナル」も「Jazz Life」も健在だったし、フュージョン全盛を迎える「AD LIB」は一番波に乗っている時代で、これら3誌に「MEN'S CLUB」と「ビックリハウス」なんかを読んでいると、もう受験勉強どころではなかった。もうちょっとまじめに勉強する高校生だったら、もうあと5くらいは偏差値の高い大学も視野に入っていたかもしれない(笑)

アヤコノさんの「ドナ・リー」について言えば、ウェザーリポートを知るきっかけは、ようやく「8:30」が大ヒットしたあたりからで、ドラムはアレックス・アクーニャからピーター・アースキンに交代した頃のことだった。ドラムをやっていただけに、ヤマハとパールのドラムのパンフレットは、まるでバイブルのように神聖なものだった。P.アースキンはたしか、猪俣猛さんなんかといっしょに、ヤマハのパンフレットに写真が掲載されていたと思う。パールのほうは、ジョージ川口(!)とか村上ポンタ秀一さんなんかが強く印象に残っている。パールのグラスファイバー製のドラムの鳴りが滅茶苦茶よくて、当時は憧れの的だったが、高校生にはとても届かない高嶺の花だった。

今回のアヤコノさんの「ドナ・リー」がきっかけで、何十年かぶりでウェザーリポートのことを思い出してYoutubeなんかで動画を検索してみると、なんとP.アースキン加入前のA.アクーニャがドラムの「ブラック・マーケット」の映像があって、驚いた。アクーニャがウェザーリポートでドラムを叩いている動画ははじめて観た。すげぇ~!すご過ぎる!アースキンも凄かったけど、アクーニャも凄かったんだなぁ。パーカッションのマノロ・バドレーナとのシンバル合戦の嵐がすごい!なんか中盤まではドラムとパーカッションのアップばかりで、ジャコ・パスなんかが映り始めるのは途中からではないか。カメラマン、ジャコパス知らんのかよ、とかいうコメントがついていて、面白い。おまけにジョー・ザヴィヌルがフェンダーのローズの上にセットして弾いているキーボードって、音階が左右逆じゃね?なんか生理的に奇妙な感じ。いやー、久々に鳥肌ものに感動したので、記念に動画を貼っておこう。





バードランド(こちらはジャコとともに上半身裸のピーター・アースキン)

昨年末以来順次公開中の米映画「MILES AHEAD」を観て来た。原題からわかる通り、マイルス・デイヴィスを取り上げた映画だが、純粋な意味での「伝記的映画」ではない(以下ネタバレあり注意)。波乱に満ちたマイルス・デイヴィスの生涯のなかの、1975年頃からカムバックを遂げた1981年までのマイルスの「空白の5年間」にスポットをあて、監督・製作・脚本・主演を務めたドン・チードルが伝記的素材をベースにかなりファンタジー色ゆたかにフィクションとして作り上げた映画である。マイルスの「謎の音源テープ」盗難事件を巡っての派手なカーチェイスだの銃撃戦も繰り広げられ、うそか本当か、一体マイルスはこの映画のなかで何発拳銃をぶっ放しているか(笑) このあたりは完全にファンタジー。なので、まじめに「巨人の謎の5年間の真実を知りたい」と出かけると、肩透かしを喰らうことになる。

ドン・チードルという役者の映画は初めて観た。マイルスとするにはちょっと目が優しすぎるけれども、例のしわがれた独特の独善的口調や動作をうまく再現している。ど派手なファッションでトランペットを片手にポーズを決めているところなどは、さすがによく出来ている。映画は突然フラッシュバックするかたちで、主軸となっている80年当時の頃と、一時期妻だったフランシス・テイラーとの蜜月の60年頃を行ったり来たりしながら、マイルスの混迷の度が増して行くようにつくられている。コカインの影響も関連していることを思わせる。

映画ではもちろん、マイルスのオリジナルの音源が至るところでふんだんに使用されている。アパートメントに籠っているマイルスが、ラジオの生放送で「カインド・オブ・ブルー<so what>」を褒めちぎるDJに直接電話を掛けて、「失敗作のクソを流すな。流すなら『スケッチ・オブ・スペイン』のソレアをやれ」と自らリクエストするシーンがあるが、この逸話は本当だろうか。ギル・エヴァンスや他のミュージシャンとのレコーディング・スタジオでの収録風景はなかなかうまく再現されている。

自宅アパートメントの地下スタジオでは、「ネフェルティティ」の練習場面が出てくる。そこにフランシスのヒステリックな声が聞こえてきて、様子を見に行ったマイルスと殴り合いの大喧嘩に発展し、蜜月が短いものだったことを感じさせる(「ソーサラー」のジャケットのモデルでマイルスの新たな恋人となった女優のシシリー・タイソンの存在を暗示している)。なお、様々なLPのジャケットがそのまま映画で使用されるが、フランシス自身がモデルとしてアップで写っている「サムデイ・マイ・プリンス・ウィル・カム」だけは、うまくこのフランシス役の女優(エマヤツィ・コーリナルディ)の顔にモンタージュされている。予想通り、マイルスのドラッグの影響による錯乱から逃げ出すかたちでフランシスとの破局が描かれ、その喪失感こそが空白の5年間の理由だったのかと思わせる展開となっている。なお、マイルスの遺族によると、この映画のマイルスのアパートメントの部屋のセットは、実際の彼の部屋にそっくりで、実に忠実に再現されているらしい。それを見るだけでもファンとしては興味津々である。最後のコンサートのイメージ映像では、ウェイン・ショーターとハービー・ハンコックが参加している。

一般受けする種類の映画ではないので、上映館は少なく、上映期間も短い。PR動画の公式HPはこちら。なお詳細な自伝としては、1991年に宝島社から刊行の「完本 マイルス・デイヴィス自叙伝」(クインシー・トループ著、中山康樹訳)が面白く、読み応えがあった。「空白の5年間」についても、マイルス自身の言葉で実に赤裸々に語られている。

関西の人間には子供の頃からお馴染みの土曜お昼の「吉本新喜劇」オープニングのテーマ曲。関西人なら誰もが知ってるこの曲、今までずっと(キダタローとか)オリジナルのテーマ曲だと思っていたら、先ほど見ていたTVのバラエティ番組で、古くからポピュラーな「Somebody Stole My Gal」と言うディキシーランド・ジャズの引用だと言っていた。へえ!と思ってさっそく Youtube で調べて見ると、なるほど結構な数の演奏の動画を観ることができる。どれも3分から4分程度の短い演奏なので取り上げてみると、例えば古くはフレッチャー・ヘンダーソンのビッグバンドの演奏(1931年)では、テナー・サックスにはコールマン・ホーキンスの名前も見え、ボーカルはなかなか都会的で洒落た感じの演奏。


また、ラグタイム調のアレンジでPPMのようなカントリーとかフォークソングっぽい印象の演奏↓などは、かつて大阪では憂歌団とか上田正樹とかといっしょに活躍していた有山じゅんじを思い出すような軽快な印象だったり


下の動画などからは、関西人のコテコテのノリの印象の曲が案外アメリカではポピュラーなんだなあ、というのが感じられたり


ほかにも自衛隊の楽団が結構完璧なコピーでノリのよい演奏をしているのがあったり(一番下の動画)で面白い。やっぱり大阪人にはディキシーのようなサウスなノリがよく合うのである。で、新喜劇のテーマは下の Pee Wee Hunt の1954年の録音からのものを使用しているようだ。数あるポピュラーナンバーの中から、これほど吉本新喜劇のイメージにピッタリあった演奏を探し出してきて番組オープニング曲に使用した音楽担当者のセンスには脱帽する。ばかばかしいお笑い番組ながら、よくよく聴いてみると結構本格的な演奏の、なかなかの名曲なのである。





 



先月、ジャズヴォーカルの世界では広く世に知られるダイアナ・クラールが数年ぶりに来日し、大阪でもコンサートがあったので、会場となったグランキューブ大阪に足を運んだ。ちょっとジャズヴォーカルのキャパをはるかに超えた大きなハコで、4千人以上は収容できそうなとても大きな会場で驚いた。彼女クラスになると、ビルボード・ライブだとかブルーノートのような数百人程度の適度な規模のライブハウスでは到底収容しきれないようだ。席は二階席の真ん中くらいで、出演者ははるか遠くに豆粒程度に見え、かろうじてオペラグラスで表情がわかる程度だった。ジャズを聴く場所じゃないな。問題は彼女が風邪気味で絶不調であり、声がまったく出ておらず、期待とチケットの価格(1.5万円)に到底見合わなかったことだ。何度もゴメンなさいと謝りながら、時折り咳もまじえながら苦しそうに歌っていたが、実に残念なパフォーマンスだった。生身の人間なので体調を崩すことはしかたないだろうが、かろうじて契約をキャンセルして違約金を返すのを避けただけというのが透けて見え、こんなことならキャンセルして返金してくれたほうがましだと思った。ステファン・グラッペリを彷彿させるヴァイオリンはなかなかの芸人っぷりだったが、他のメンバーの実力もいまひとつで盛り上がりに欠けた。ベースなどはどんだけやる気ないねん、って感じで稀に見る下手っぷりだった。

観客の期待はイーグルスのカヴァー曲「デスペラード」が大きいようだったが、これもなかった。代わりに、「ゴメンなさい、今日の私の声は、トム・ウェイツばりにひどくって」と自虐っぽく紹介して歌ったのがトム・ウェイツのカヴァー曲の「テンプテーション」だった。確かにトム・ウェイツと言えば、確かに日本の上田正樹に輪をかけてガラガラにした独特のダミ声で、ひどい悪声を芸のネタにしている個性派歌手であり、俳優でもある。92年のコッポラ監督の「ドラキュラ」では、ドラキュラの手下の狂人役で出ていたのを思い出す。さらにさかのぼって82年には、同じコッポラが手がけた「ワン・フローム・ザ・ハート」と言う映画の主題曲をクリスタル・ゲイルという出来すぎた芸名の女性とのデュエットで歌っていたのが、トム・ウェイツだった。映画はスケールの大きな大作の多いコッポラにしては割とこじんまりとした趣味的な作風の、ジャズとバラードを主体にした一種のミュージカル風の映画で、うだつの上がらないサエない男と舞台の上の可憐な女優(ナスターシャ・キンスキー)の、ちょっとしたラブロマンスをまじえた流行小説のような感じの映画だった。あの内容ではとてもヒットにはならなかっただろうが、ジャズやバラードが好きな手合いにはなかなかしっくりとくる佳作だったように思える。

まぁ、懐かしいと言えば懐かしいな。NYのビルの谷間のバーの一角で、あるいは郊外の幹線道路の脇のドライブイン・レストランの片隅で、ひとり切々と孤独を持て余し一目惚れした彼女を想う。「恋」とか「恋愛」とかいう想いそのものに胸がキュンとする、そう、「センティメンタル」という表現がしっくりとくるような映画だった気がする。そう言えばコルトレーンもバラードばかりを一冊のアルバムにまとめた企画ものの「バラード」とか、結構ロングランでヒットしてたし。このトム・ウェイツとクリスタル・ゲイルの「ワン・フローム・ザ・ハート」も、そんな映画の内容をよく表現した、味わいのあるバラードだった。バックのストリングスもいい塩梅だし、トランペットのソロもうまい。そう言えばその頃はブルーノートのリー・モーガンのTpに結構はまっていて、何と言うかちゃきちゃきの江戸っ子をニューヨーク版にしたような「いなせ」な感じがお気に入りだった。あと、ライ・クーダーなんてのも、うらぶれた場末感があってよかったなぁ。それはまたいつかの折りに。

イメージ 1


「スターダスト」と言えばジャズやポピュラーのなかではスタンダードナンバーとして定番中の定番。なかでもライオネル・ハンプトン&オールスターズのこの演奏は、最も高い人気で長く親しまれている演奏だろう。1947年という非常に旧い録音にも関わらず、70年代後半にLPで聴いていた頃からも、そんな古さを感じさせない良い音質で、洒落て垢抜けた、ロマンティックなムード感溢れる演奏でお気に入りの一曲だった。こうしてYoutubeで聴いていると、ジャズに浸っていた若かりし頃の思い出がよみがえってきそうだ。と言っても、ふだん聴くジャズはいわゆる広く「モダンジャズ」と呼ばれるようになった、バド・パウエル以降の演奏を聴くのがメインで、このような戦中・戦後のスイートでムーディなスタンダードナンバーを聴くことは、それに比べると少なかったかも知れない。さして深い意味もないのだが、なぜか突然フラッシュバックのようにこのメロディが頭の中で突然響き始めたので、せっかくなので思い出にここで取り上げておこう。ライオネル・ハンプトンのヴィヴラフォンの素晴らしい演奏も大好きだが、6分過ぎのスラム・スチュアートのベース・ソロの部分はボウイングでメロディを弾きながら二分近くユニゾンでスキャットを歌うところがとても印象深くて、数十年経ったいまでもそのまま口ずさめるのは自分でも驚きだ。



ライオネル・ハンプトン(vib)
チャーリー・シェイヴァース(tp)
ウィリー・スミス(as)
コーキー・コーコラン(ts)
バーニー・ケッセル(g)
トミー・トッド(p)
スラム・スチュアート(b)
リー・ヤング、ジャッキー・ミルズ(ds)

★1947年8月4日パサディナ、シヴィック・オーディトリアムで実況録音

イメージ 1

ショルティとカルショーによるデッカの「ニーベルングの指環」全曲の録音がウィーンのゾフィエンザールで進められていた頃、NYのマイルス・デイヴィスはどんな感じだったか。ふと気になって、久々にマイルスのCDを棚から取り出してみた。この頃のマイルスはコロンビアと契約していて、今もソニーから高品質なCDがリリースされて長く愛聴されているようだ。こちらもプロデューサーは有名なテオ・マセロ。
 
 
手もとのCDで見てみると、「ラウンドアバウト・ミッドナイト」が 1955年から56年にかけて録音されてその年に発売され、57年の5月、すなわちショルティとVPOが最初の「ワルキューレ」第3幕をゾフィエンザールで録音していた丁度その頃、マイルスはギル・エヴェンスと組んで大編成のオケによる「マイルス・アヘッド」を録音していた。これはステレオで録音されている。その後58年の春に「マイルストーンズ」(何故かモノラルに戻っている)を吹き込み、これとほぼ同時にブルーノートでキャノンボール・アダレイ名義の「サムシン・エルス」を残している。このアルバムは「枯葉」で有名なステレオ盤だが、たしかマイルスがブルーノートに借りが残っていて、コロンビアの専属契約のため自分のアルバムとして発表できずに、キャノンボール名義でリリースしたと言う経緯があったと記憶している。
 
その後59年に発表した「カインド・オブ・ブルー」では、代表曲「ソー・ホァット」でそれまでとは全く違ったフィーリングのモード奏法を取り入れ、画期的な新境地へ踏み出す契機となった。これ以後は当然ステレオ録音となる。ところが続く61年の「サムデイ・マイ・プリンス・ウィル・カム」では、新たにコルトレーンが参加していること以外、曲のフィーリングは以前と同じようなものに戻っている。そして63年の「セブン・ステップス・トゥ・ヘブン」のなかで取り上げたヴィクター・フェルドマンの題名曲と「ジョシュア」の2曲から、再び本格的なモードへと移行して行き、主要メンバーもハービー・ハンコックとロン・カーター、トニー・ウィリアムズと言う最強の布陣で60年代の「黄金期」を築いて行くことになる。
 
イメージ 2

とりわけその頃のマイルスの数あるアルバムのなかでも個人的に最も気に入っているのが、1964年2月12日にNYのリンカーン・センターのフィルハーモニック・ホール(現エヴェリー・フィッシャー・ホール)で行われたコンサートの模様を収録した二枚のライブ・アルバム、「フォー&モア」と「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」だ。両アルバムともに、トランペッターとしては最も脂ののりきった絶頂期のマイルスがミュートを使わずオープンでバリバリと強烈なトランペットを吹きまくっていて、陳腐な表現だが(笑)「脳天がシビれまくる」感じだ。「フォー&モア」はアップテンポでダイナミックな曲が多く、「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」のほうはスローバラードの題名曲と「ステラ・バイ・スターライト」の、ともに冒頭の5分近いソロに、シビれ、感動する。他の時期のマイルスはとてもクールでなかなかtpで本音を表さないが、ここでのマイルスはかなり強烈に内面を音に出していると感じられる。「ステラ」では、感極まった客がマイルスのソロの途中、とんでもないようなところで「イエ~ッ!!」と絶叫しているのが録音に入っている。タイミングとしては「え?ここで?」と思うようなところだが、あの絶叫は理解できる。この頃のマイルスのソロには、たしかに「必殺」のパワーがあったように思う。
 
夏の終わり、よく冷えたアイスコーヒーなどを飲みながら、たまにマイルスを聴いたりすると、学生の頃によく通ったジャズ喫茶(完全に「死語」になってしまった)のことを思い出す。ビルの地下の、昼も薄暗い店内は冷房もきいていて、格好の隠れ家だった。いまでもやっているだろうか。
 
 
 

たった3分か4分くらいの曲なのに、久々に You Tube で聴き始めるとしつこく脳の
快感中枢を刺激する不思議な魅力のある曲で、一晩頭のなかで鳴り続けていた(笑)
楽器の速弾きの挑戦に持ってこいの名曲らしく、いろんな楽器の動画がたくさん公開
されている。特にギターが多いようだ。弾けたら楽しいだろうな…
 
 
 
ビッグ・バンド編もダイナミックで Nice です。
 
 
 
なんか隣りのおばさん(?)がタウンフェスでやっていそうな軽っ軽のディキシーランドっぽい
演奏もなかなか印象に残ります。技術はさておき、トロンボーンの女性はインディアナ、
サックスの女性はドナ・リーを同時進行で演奏していて、なかなか楽しそうです。
 
 
 
 
 
 

You Tubeを何気なく見ていたら、チャーリー・パーカーの「ドナ・リー」の音声がアップされていて、ジャズを聴き始めた頃のことが蘇ってきて懐かしくなった。言わずと知れたビ・バップの巨人だが、全盛期の天才的な演奏が良い状態で録音されたのは、1945年くらいから48年くらいのあいだに集中していて、期間としては案外短い。サヴォイ盤とかダイアル盤とかでよく聴いた。当時はマイルス・デイヴィスもこの巨人の前では小さくなりながらの若手だったが、チャーリー・パーカーのオリジナルだと思っていたこの曲も実はマイルスが「インディアナ」と言う曲のコード進行を使って作曲したと言うのは、後で知った。音質も良く、テーマのユニゾンが心地よく聴こえる。
 
 
 
二つ目は、どなたかは知らないが、多分ギターの愛好家なのだろう(追記:その後、都内でギタースクールをされている方と判明)、この曲のテーマの部分を150の遅いテンポから10刻みで徐々に早く弾いて行き、最終的に210のテンポまで7つの演奏のヴァリエーションを弾いている。複雑な運指でギターには難しい曲だと思うが、上手に演奏していて気持ち良い。先日昔のTVドラマの「ムー一族」で竹田和夫とクリエイションのテーマ曲「暗闇のレオ」を取り上げたが、雰囲気的によく似た感じの曲で、基本はロックの竹田氏も、こういうジャズのスケールを必死に練習してたのかな、と思った。(はじめの映像が終わったあと、更に早いテンポでのバージョンがあって、聴きもの)
 

 
 
みっつ目はピアノとベース、ドラムのトリオでなかなか軽快でイキのよい演奏だ。よくわからないが、お名前からチェコかハンガリーでのコンサートの模様だろうか。
 
 
 
 
 

イメージ 1

昨夜は蒸し暑い夏の夜、軽めにボサノヴァでも聴こうかとCDを探していたら、このCDが目にとまって、一曲目収録の「マイ・ロマンス」を久々に聴いてみた。ジャズファンには説明の必要はない、ジャズ・ギターの巨人。惜しくも94年に他界したが、その2年前の92年にパブロ・レコードで録音されたものなので、彼としてはかなり新しいほうの作品になる。
 
小編成のコンボからカウント・ベイシーなどのビッグバンド、女声ボーカルとのデュオに、渋いソロまで、まったく何をやらしても全てがサマになる、全身がジャズのかたまりのようなギタリストだ。ソロで言うと「ヴァーテュオーゾ」が有名どころだが、亡くなる二年前に、このような渋いオール・バラードのソロアルバムを残していてくれたのは大変貴重だ。アコースティックギターのなかでも、全編ガットギターで演奏しているので、音質がマイルドで心地よく、バラードが切々とこころに沁み入ってくる。フレットの上の弦を移動する指の音が聴こえるのも、ジャズのバラードらしくて良い。本来ガットギター一本の演奏なので、生の演奏で聴いたら、そんなに大きな音で聴こえるものではないのだが、良いステレオ装置で聴くと、部屋全体があたたかなガットギターの音色に包まれるようで、心地よい安らぎを感じ、寛げる。人生そのものをジャズとして生きた本物のミュージシャンにしか出せない味わい。出す音のひとつひとつに歌ごころが溢れている。一挙手一動がすべてジャズに帰結するような本物の演奏家だったと感じる。他に「枯葉」や「スターダスト」「エイプリルイン・パリ」など17曲。YouTubeに音声があったが、PCの限られた環境ではこの演奏の太くあたたかい醍醐味まで再現するのは難しいかもしれない。
 

イメージ 1

高校生の頃、NHK-FMで週末に「ウィークエンドジャズ」と言う番組が放送されていた。名前は忘れたが、女性がDJをしていたのを覚えている。当時はブラスバンド部でドラムを担当していたのだが、軽音楽をアレンジしたものやスーザのマーチばかりでつまらなく思っていた。そんな頃にその番組で紹介されるジャズと言うジャンルの様々な曲を聴いて、まさに自分が求めているのはジャズだったんだと言う事に気づいた。地方の純朴な高校生のことゆえ、バンドと言えば何とかのひとつ覚えの如く垢抜けないディープ・パープルのコピーバンドばかりで、ビートルズやイーグルスのコピーバンドなどは、まだしゃれていたほうだった。もちろん周囲にジャズのことがわかる友人などおらず、ひとり悶々と聴いていたが、スティービー・ワンダーの「サー・デューク」のブラスバンド編の楽譜を楽器屋で見つけ、部長にねじ込んでようやくその一曲だけは取り上げさせたのが精いっぱいだった。クラシックの世界ではカラヤンとBPOの全盛期、今から思うと旧東ドイツでもエテルナの名盤が次々と録音されていた時代だが、当時は知る由もなかった。
 
 
その番組で明確に記憶に残っているのが、1978年にコンコード・ジャズからリリースされた、白人ドラマーのルイ・ベルソン・クインテット演奏の「レインチェック」と「ザ・ソング・イズ・ユー」の2曲だった。前者はビリー・ストレイホーン、後者はジェローム・カーンの名曲で、ともにスタンダード・ナンバー。イタリア系白人ドラマーのルイ・ベルソンのジャズは、いかにも白人のジャズと言う感じで全く「暗さ」と言うものがなく、どこまでも陽気で楽天的、豪快なノリの良さが感じられ、入門編的にこの曲を聴いたことは、後で思うとラッキーなことだったかも知れない。小遣いの少ない高校生のことゆえ、高いLPをそう気安く何枚も買うのも難しく、FMのエアチェックと言うのは楽しい作業だった。後にCD時代になってから、あちこちでこのCDを探したがどこにも見当たらず、ネット時代になってかなり経ってからでも、このCDを見つけることができなかった。たまたまつきあいのあった大手レコード・ショップに勤める知人にダメもとで頼んでみたら、何か月か後になって、探し当てて持って来て頂いた。こういう時の感激は、ちょっと言葉では言い表せない。ルイ・ベルソンの派手なドラムに加え、テッド・ナッシュのアルトサックスのソロも活きが良い。
 

イメージ 1

1973年11月23日新宿のジャズクラブ「The DUG」でのカーメン・マクレエの全曲弾き語りによるライブ・アルバム。ビクターJVC。1990年代中頃に購入したCDで、ジャズ・ボーカルの愛聴盤のひとつ。十分に高音質なCDだが、その後SHMCDによる更なる高音質盤もリイーシューされているようだ。ジャズファン、ボーカルファンには息の長いヒット盤なのだろう。
 
当時ダグと言うのは、そんなに大きなキャパではなく、何十人かで満席になるような小さなジャズクラブだったと思う。その小さなハコでの密度感の高い空気感がダイレクトに伝わってくるような、カーメン・マクレエひとりによる完全弾き語りの名盤。ダグのオーナーの中平穂積氏とビクター録音陣のあつい想い無しには実現しなかった録音だろう。冒頭の題名曲から実にリラックスしたインティメイトな雰囲気が伝わってくる。全編スローで味わい深いバラードで、歌詞や選曲のセンスに大人の落ち着きと貫録を感じさせる。洗い場のグラスを洗う音や客席の息づかいも適度に聴こえてきて、まるでダグのその場に居合わせているような臨場感がある。日本人の熱心なファンがとても多くいることに、カーメン自身も気を良くして大変テンションが高かったらしい。
 
 
弾きはじめのしょっぱなからミスタッチで「Ahaa!」という声から始まるが、そんなことは些細なことで、This day and age we are living in / gives cause for apprehension / Like speed and new inventions / and things like third dimension / But I get a trifle weary of Mr. Einstein's theory....   と早口な英語でいっきに歌いはじめる。その声の存在感もさることながら、教科書に出てくるような美しい発音に、他の女性ボーカルとは全く異なる知的な個性を感じさせる。 The fundamental things apply as time goes by… などの歌詞も、どこか哲学的だ。 ~時は移ろいでも / 月明かりや恋の歌が決して時代遅れにならないように / 激情で妬みや憎しみでいっぱいになったとしても / 世の中には愛し合うひとが必要~ 
 
 
可愛いアイドルが、惚れたのはれたのとのぼせて歌うのと違って、人生を達観した成熟した大人が、ひと言ひと言、さとすように歌う様にはとても風格を感じさせる。2曲目の「I could have told you so」も、「だから言ったじゃないの~(あるいは、「言っといてあげるべきだったわ」、か)、どうせ遊ばれるだけなんだから」と言う感じで、若気の無邪気さを諭す歌詞。
7曲目の「Supper time」は、大切な愛するひとをなくした、悲しげな思いがしんみりと伝わって来る。~サパータイム、夕餉の支度をしなくっちゃ / でも私の大事なあのひとは、もういない / 夕餉を待つ子供たちはそれを知らない / 食前の祈りを神に捧げるとき / 私は子供たちになんて言えばいいの? Oh, Lord! Oh Lord! ~ 最後の Supper time のフレーズはこころからの悲鳴に近く、聴くものの胸を打つ。
 
 
サラ・ヴォーンの「枯葉」のスキャットのように、ゴージャスでしびれるようなノリノリでゴリゴリの歌も好きだが、カーメンのこの風格と気品のある演奏は、ジャズハウスでの弾き語りのライブの至宝のように思える一品だ。このCDはいつも真空管アンプとタンノイのGRFメモリーの組み合わせで聴いているが、実にマッチしたいい雰囲気で聴ける。
 
 
 

↑このページのトップヘ