最初にお断りしておくと、ヴィヴァルディの音楽は今まで全く関心が無く、演奏会はおろかCDすら購入したことはなかった。それでも、TVやラジオ、雑誌などからは「イ・ムジチの四季」という宣伝文句が否が応でも目や耳に入って来る。一度くらいは通して聴いたことはあったかもしれないが、こちらが望みもしないのにそうした形で万人向けの宣伝文ばかりを押し付けられていると、「おまえらはクラシックのザ・ベンチャーズか!(「ヴェ」じゃなくて「ベ」なのがミソ)」という拒否反応が身についてしまい、アレルギーのようになっていた。今回は、なにかピエタ慈善院を題材にした小説を以前に読んだことがあるらしい妻のほうから珍しく誘ってきたこともあり、またこの年末年始はガーディナーによるバッハのモテット・カンタータ集にはまっていたこともあって、まあ、バッハと同時代のヴィヴァルディをいつまでも食わず嫌いでいるのもいかがなものか、ということもあり、びわ湖ホールの小ホールに出かけた。なので、ヴィヴァルディに関して詳しい知識や情報はまったく無い。
ヴェネツィアにはピエタ慈善院という一種の女子専用の孤児院があり、そこでは教育と社会活動の一環として、彼女たちに音楽教育を施し演奏の機会を持たせた。その技術的レヴェルは高く評価され、各地から人々が聴きに来たという。バッハ(1685-1750)とほぼ同世代のヴィヴァルディ(1678-1741)(※活動期は日本で言うと正徳から享保、ずばり暴れん坊将軍の吉宗の頃ですな)はそこで音楽教師を務め、作曲の傍ら彼女たちの演奏技術の指導にもあたっていたらしい。その評価は高まり、同慈善院はヴェネツィアの名所として知られるようになったとのこと。今回(1/20)の演奏会では、ヴィヴァルディがそのピエタ慈善院での演奏会用に作曲した宗教曲4曲が演奏された。
指揮の本山秀毅氏はびわ湖ホール声楽アンサンブルの桂冠指揮者であり、京都バッハ合唱団主宰者でもあり、大阪音楽大学教授。ここびわ湖ホールでの声楽のコンサートの案内でもよくその名は目にしていたが、「美しい日本の歌シリーズ」的な、いかにも政府の助成金目当ての押しつけがましく安っぽい企画もののような気がして、読み飛ばしていた。合唱指導者としては評価が高いようだ。オルガンは吉竹百合子。京都にはまた、福永吉宏氏が主催する京都バッハ・ゾリステンという演奏団体もある。
今回の演奏会は、12名の実力ある歌手たちによる素晴らしい独唱と合唱が堪能できたことが、大きな喜びであった。歌手は、一部はびわ湖ホール声楽アンサンブルのメンバーからと、それ以外の実力のある歌手から成り、これがこの演奏会に足を運ぶ要因にもなった。バス・バリトンの篠部信宏氏などは以前、京都バッハ・ゾリステンのマタイ受難曲やヨハネ受難曲の演奏会でも聴いたことがある。ソプラノ3名、カウンターテノール1名、メゾソプラノ2名、テノール3名、バリトン・バスバリトン・バス各1名、の12名によるソロと合唱は実に音楽的で美しく、聴きごたえじゅうぶんであり、このホールいっぱいに豊かに響き渡った。とくにソプラノの3名の独唱は清らかで美しく、この演奏会に足を運んだ甲斐があった。また、プログラムパンフレットにはラテン語歌詞と日本語訳が添付されており、理解の一助にもなった。
古楽器演奏は9名からなるムジカ・リチェルカーレ神戸という若手の面々による演奏団体で、実力派の歌手の面々の演奏に比べると演奏技術の面では聴き劣りするところが大きかったが、それでもこうして難しい宗教曲を精一杯努力して演奏している姿には好感が持てた。個人的に二年前に病を患い、不器用ながらもなんとか日々を生きる自分の姿と重なって見えるのか、またはこうしたラテン語の宗教曲に華麗さよりもむしろ真摯さのほうを希求するところが大きいのか、あるいはその両方からなのか、彼らのちょっと調子っ外れで不器用な演奏に、かえって胸が熱くなるところもあった。以前ならこんな感想を抱くことはなかっただろう。古楽器による宗教曲の味わいを見直す、よい機会になった。
〈曲目〉 第一部
《ディキシット・ドミニス ー主は言われたー》詩編109編
"Dixit Dominus" RV595
《主が家を建てられるのでなければ》 詩編126編
"Nisi Dominus" RV803
第二部
協奏曲 変ロ長調 RV548
《喜びの声を上げよ、おお、心地よい諸々の合唱隊よ》
グローリア導入歌
"Jubilate, o amoeni chori" RV639/639A
《グローリア ー栄光の賛歌ー》
"Gloria" RV588
〈歌手〉 ソプラノ :鈴木麻琴 高田瑞希 平尾悠
メゾソプラノ :藤居知佳子 益田早織
カウンターテノール:中島俊晴
テノール :新井俊稀 川野貴之 眞木喜規
バス :五島真澄 篠部信宏 美代開太
主催・制作 合同会社 ライオンハーツ