2024年01月 : grunerwaldのblog

grunerwaldのblog

バイロイト音楽祭やザルツブルク音楽祭など、主に海外の音楽祭の鑑賞記や旅行記、国内外のオペラやクラシック演奏会の鑑賞記やCD、映像の感想など。ワーグナーやR・シュトラウス、ブルックナー、マーラー、ベートーヴェン、モーツァルトなどドイツ音楽をメインに、オペラやオペレッタ、シュランメルン、Jazzやロック、映画、古代史・近現代史などの読書記録、TVドキュメンタリーの感想など。興味があれば、お気軽に過去記事へのコメントも是非お寄せ下さい。

2024年01月

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最初にお断りしておくと、ヴィヴァルディの音楽は今まで全く関心が無く、演奏会はおろかCDすら購入したことはなかった。それでも、TVやラジオ、雑誌などからは「イ・ムジチの四季」という宣伝文句が否が応でも目や耳に入って来る。一度くらいは通して聴いたことはあったかもしれないが、こちらが望みもしないのにそうした形で万人向けの宣伝文ばかりを押し付けられていると、「おまえらはクラシックのザ・ベンチャーズか!(「ヴェ」じゃなくて「ベ」なのがミソ)」という拒否反応が身についてしまい、アレルギーのようになっていた。今回は、なにかピエタ慈善院を題材にした小説を以前に読んだことがあるらしい妻のほうから珍しく誘ってきたこともあり、またこの年末年始はガーディナーによるバッハのモテット・カンタータ集にはまっていたこともあって、まあ、バッハと同時代のヴィヴァルディをいつまでも食わず嫌いでいるのもいかがなものか、ということもあり、びわ湖ホールの小ホールに出かけた。なので、ヴィヴァルディに関して詳しい知識や情報はまったく無い。

ヴェネツィアにはピエタ慈善院という一種の女子専用の孤児院があり、そこでは教育と社会活動の一環として、彼女たちに音楽教育を施し演奏の機会を持たせた。その技術的レヴェルは高く評価され、各地から人々が聴きに来たという。バッハ(1685-1750)とほぼ同世代のヴィヴァルディ(1678-1741)
(※活動期は日本で言うと正徳から享保、ずばり暴れん坊将軍の吉宗の頃ですな)はそこで音楽教師を務め、作曲の傍ら彼女たちの演奏技術の指導にもあたっていたらしい。その評価は高まり、同慈善院はヴェネツィアの名所として知られるようになったとのこと。今回(1/20)の演奏会では、ヴィヴァルディがそのピエタ慈善院での演奏会用に作曲した宗教曲4曲が演奏された。

指揮の本山秀毅氏はびわ湖ホール声楽アンサンブルの桂冠指揮者であり、京都バッハ合唱団主宰者でもあり、大阪音楽大学教授。ここびわ湖ホールでの声楽のコンサートの案内でもよくその名は目にしていたが、「美しい日本の歌シリーズ」的な、いかにも政府の助成金目当ての押しつけがましく安っぽい企画もののような気がして、読み飛ばしていた。合唱指導者としては評価が高いようだ。
オルガンは吉竹百合子。京都にはまた、福永吉宏氏が主催する京都バッハ・ゾリステンという演奏団体もある。

今回の演奏会は、12名の実力ある歌手たちによる素晴らしい独唱と合唱が堪能できたことが、大きな喜びであった。歌手は、一部はびわ湖ホール声楽アンサンブルのメンバーからと、それ以外の実力のある歌手から成り、これがこの演奏会に足を運ぶ要因にもなった。バス・バリトンの篠部信宏氏などは以前、京都バッハ・ゾリステンのマタイ受難曲やヨハネ受難曲の演奏会でも聴いたことがある。ソプラノ3名、カウンターテノール1名、メゾソプラノ2名、テノール3名、バリトン・バスバリトン・バス各1名、の12名によるソロと合唱は実に音楽的で美しく、聴きごたえじゅうぶんであり、このホールいっぱいに豊かに響き渡った。とくにソプラノの3名の独唱は清らかで美しく、この演奏会に足を運んだ甲斐があった。また、プログラムパンフレットにはラテン語歌詞と日本語訳が添付されており、理解の一助にもなった。

古楽器演奏は9名からなるムジカ・リチェルカーレ神戸という若手の面々による演奏団体で、実力派の歌手の面々の演奏に比べると演奏技術の面では聴き劣りするところが大きかったが、それでもこうして難しい宗教曲を精一杯努力して演奏している姿には好感が持てた。個人的に二年前に病を患い、不器用ながらもなんとか日々を生きる自分の姿と重なって見えるのか、またはこうしたラテン語の宗教曲に華麗さよりもむしろ真摯さのほうを希求するところが大きいのか、あるいはその両方からなのか、彼らのちょっと調子っ外れで不器用な演奏に、かえって胸が熱くなるところもあった。以前ならこんな感想を抱くことはなかっただろう。古楽器による宗教曲の味わいを見直す、よい機会になった。

〈曲目〉 第一部
     《ディキシット・ドミニス ー主は言われたー》詩編109編
     "Dixit Dominus" RV595
     
     《主が家を建てられるのでなければ》 詩編126編  
     "Nisi Dominus" RV803

      第二部
      協奏曲 変ロ長調 RV548

                   《喜びの声を上げよ、おお、心地よい諸々の合唱隊よ》 
       グローリア導入歌
      "Jubilate, o amoeni chori" RV639/639A

      《グローリア ー栄光の賛歌ー》
      "Gloria" RV588

〈歌手〉 ソプラノ     :鈴木麻琴 高田瑞希 平尾悠
     メゾソプラノ   :藤居知佳子 益田早織
     カウンターテノール:中島俊晴
     テノール     :新井俊稀 川野貴之 眞木喜規
     バス       :五島真澄 篠部信宏 美代開太

主催・制作 合同会社 ライオンハーツ

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以前から気になっていた、浅草公会堂での「新春浅草歌舞伎」を観て来た(1/9夜の部・1/10昼の部)。例年、正月は歌舞伎座、新橋演舞場、国立劇場(今年は新国立劇場)や各地の主要な劇場で様々な出し物が催されるため、座頭級の幹部・主要俳優らはそれらの公演で出はらっている。そのため、浅草では例年まだ舞台経験の浅い若手俳優たちの登竜門としての位置づけで、主要劇場での有名な座組ではまだ彼らが務めることができない古典の主役級を演じることが経験できる、若手の研鑽の場という意味合いも兼ねている。ただし、出ている役者は若手中心だが、来ている客は必ずしも若手ばかりと言う訳でもなく、相変わらず高齢者が多い。4,50代くらいの女性客がそれに混じってちらほらと。

1. 現在のここでの座組は10年前から尾上松也がリーダーとなってほぼ固定のメンバーで続けて来たが、10年の節目となる今年がこの顔合わせでの最後の公演となる。10年前のこの座組発足時のチラシ写真を見ても、その頃の彼らの顔には初々しさというよりはまだまだあどけなさが残っている印象で、アイドルグループの売り出しのようだった。自分的にも、その頃はそれまでよりやや歌舞伎への関心が薄くなっていたこともあり、わざわざこれだけのために浅草まで足を運ぶまでには至っていなかった。10年の経過は大きい。リーダーの松也をはじめ、それぞれが役者として実に良い成長を遂げており、また今年の演目は昼夜とも芝居好きを唸らせる演目が揃っており、なおかつこれが最後の座組公演であると聞くと、俄然これは東銀座を通過してでも浅草にはせ参じる気合いが増してきた。昨年末にチケットを購入後の正月元日早々に能登で大きな地震が発生し、今後も被害の拡大が予想されるが、すでにチケットは購入してしまっているので、そこは予定通りに浅草には行って来た。

2. この座組のリーダー的存在の尾上松也(音羽屋)は2005年20歳の時に、当時菊五郎劇団で活躍していた父・松助が亡くなり、自力で歌舞伎界を乗り切って行くことになった。主要メンバーである坂東巳之助(大和屋)も、2015年に父坂東三津五郎が亡くなっている。他のメンバーは、中村錦之助の子の中村隼人(萬屋)、中村又五郎の子の中村歌昇(播磨屋)と種之助(同)の兄弟、中村歌六の子の中村米吉(播磨屋)、これに中村芝翫の子の中村橋之助(成駒屋)、坂東彌十郎の子の坂東新悟、中村梅玉の養子の中村莟玉(かんぎょく、高砂屋)ら9名の、おもに30代の凛々しい面々が辰年の今年を象徴する、まさに"昇り龍"のごとき若々しい芝居を見せる。

3. 一番良かったのは昼の部「世話情浮名横櫛-源氏店」切られ与三郎で魅せた中村隼人の色気のある芝居と、じつにいい顔!これはちょっと久々に電流が走った!舞台上手側の御新造(米吉)に対して卑下にへりくだって金を無心する蝙蝠の安(松也)の横-下手側の玄関あたり-で足組みして座り、退屈そうにその足先で地面をくるくるとなぞる(石蹴り)、頬かむり姿の与三郎。その後、その御新造が自身と恋仲だったお富だと気が付くや、抜き足差し足でそろりそろりと近づき、例の有名なセリフを吐く隼人の芝居の色気のあることと言ったら!「ご新造さんへ、おかみさんへ、お富さんへ。いやさあ、お富ひさしぶりだな」。この場面を分かりやすく歌詞にした春日八郎の流行歌がヒットしたのは1954年とのこと。「粋な黒塀 見越しの松に あだな姿の洗い髪 死んだはずだよお富さん 生きていたとはお釈迦様でも 知らぬ仏のお富さん エイサッエー 源冶店(げんやだな)」。60年代に幼少期、70年代に少年時代をTVっ子で過ごした自分ら世代がぎりぎり覚えているくらいだろうか。10数年ほど前に新橋演舞場で当時の海老蔵(現團十郎)でも観たが、彼は荒事の迫力ある役は似合うが、色気のある芝居はいまひとつだった。なので、今回はこれぞ色気のある切られ与三郎が観ることができたのが大収穫。隼人、エエ男前やわぁ。

4. 写真で見る米吉の素の顔はまだあどけなさが残る童顔だが、こうした拵えで見るとなかなかに艶っぽい。「本朝廿四孝」では八重垣姫、「魚屋宗五郎」では磯部家召使おなぎも演じていて、姫役・女房役がよく似合う。隼人も米吉も、ともにまだ30歳なのでこれからも楽しみだ。隼人の父親の中村錦之助も、米吉の父親の中村歌六も、ともにいい歌舞伎役者の父親として鼻が高いだろう。ちなみに歌昇と種之助の父親の又五郎は、歌六の弟。なので今回の公演はほとんど小川姓の「播磨屋」が占める割合が高い。

5. ところで、9日夜の部最初の舞台挨拶は幸運にも中村隼人。黒紋付に顔の拵えはなくすっぴんの男前の口上を、前から5列目の間近から見ることができた。形式ばった歌舞伎風の口上は最初と最後のの二言三言だけで、あとはマイクを手に「皆さん、こんにちは~」と普通のイケメンの挨拶。舞台からひょいと飛び降りて客席の客をいじったり、様子を観に来ていた先輩の松本幸四郎をしっかりと紹介したりしていた。あとはこれで一等席が9千円という実に有難い価格であることも、即行で昼夜の両公演とも購入できた大きな理由でもある。なにしろ先月南座の特等席は2万7千円だったから!

6. 中村又五郎の長男の歌昇はいかにも正統派の男前の立役。今回の昼の部は「本朝廿四孝」では長尾謙信、夜の部では「熊谷直実」題名役を立派に務めた。昼の部の「どんつく」では太神楽の親方役で器用な鞠の曲芸も披露してくれた。兄よりはやや小柄な弟の種之助は「本朝廿四孝」では威勢の良い白須賀六郎、夜の部では「流星」で清元に乗せて流星役をソロでコミカルに踊った。「魚屋宗五郎」では気風はよいがどこか頼りない町人の小奴三吉を好演した。

7. 坂東三津五郎の子の坂東巳之助は父よりも長身で面長だが、どこか気品があるところは流石に父親譲り。声量も豊かで声もよく、「熊谷直実」での義経のような格調高い役から「魚屋宗五郎」の岩上典造のような憎まれ役、「本朝廿四孝」の原小文治のような勇ましい武人、かと思うと「どんつく」ではひょうきんで田舎者の道化役まで幅広く務め、実に芸達者。「どんつく」では、他の8人のメンバー全員と息もぴったりと常磐津にあわせて主役を踊り務めた。今年の大河ドラマ「光る君へ」では円融天皇役で出ているようだ。

8. 坂東新悟は大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で北条時政を好演した彌十郎の子らしく、大柄で芸風もどこかおおらかな感じ。大柄だが宗五郎女房おはまや熊谷直実妻相模、「本朝廿四孝」では腰元濡衣などの女形が中心のようだ。が、やはりどこかおおらかな感じで、遠目に見ると(新喜劇好きの関西人にわかるように言うと)「いいよ~」のギャグとキレのいいダンスを見せるアキに似ているようにも見えて愛嬌がありそう。

9. 中村橋之助は名前の通り今の中村芝翫の長男で、父親ゆずりの立派な立役だが、顔立ちはどこか母親の三田寛子に似ているだろうか。「本朝廿四孝」では武田勝頼、「熊谷直実」では堤軍次、「魚屋宗五郎」では鳶の吉五郎を演じる。これからの成長が楽しみな役者だ。そして12月の南座で大石力弥役ではじめて観てドキッと来た中村莟玉(かんぎょく)は今回の浅草では「熊谷直実」で平経盛室(敦盛母)藤の方、「魚屋宗五郎」で茶屋娘おしげ、「どんつく」では赤子を背負った子守の役で出演。10日の昼の部最初の舞台挨拶はちょうど莟玉の番。梅玉の芸風を受け継いで行くであろう美男子のすっぴんの笑顔は爽やかだった。米吉の父で歌昇と種之助の伯父にあたる大ベテランの歌六は今回はいかにも分別のある商家の旦那という役柄の和泉屋多左衛門役を「源冶店」で、白毫弥陀六役を「熊谷直実」で好演している。

10. さて最後となったが、本公演の座頭格の尾上松也は今回は「源冶店」で蝙蝠安五郎。切られ与三郎は以前に浅草で演じていて、今回はその役を後輩の中村隼人に譲り、強請りたかりの先輩格の蝙蝠安を実に面白く演じている。近年の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では、腹に一物も二物もありそうな後鳥羽上皇役を好演していたのが記憶に新しいが、それとは全く異なる今回の蝙蝠安のような下賤なたかり屋役も別人のように怪演している。卑屈で下卑な愛想笑いの合間に、時折粗暴な本性をちらりと覗かせて凄むところなど実にうまい。トリは何と言っても「魚屋宗五郎」の題名役だ。妹の無残な死を聞かされて禁酒の誓を破り、磯部家から届けられた酒を飲みはじめるうち、それは止まるところを知らず、次第に酒乱の悪癖を呈して行く。ごくごくと杯を重ねる様と徐々に酔っぱらっていく様が見ものだ。そのうち、妹が奉公に出て殺されたという磯部家に乗り込んでやると毒づいて「矢でも鉄砲でも持ってこい」の名セリフが出る。この演目は以前歌舞伎座で、当時の松本幸四郎(いまの白鷗)で観ている。花道七三のところで、半身を肌けて酒樽を振り回す見得は有名なシーン。とにもかくも、彼ら若手のリーダー格としてこの10年浅草を引っ張って来たことは、この先、松也にとって大きな財産となっていくだろう。

11. 親父さんたち大俳優と言われる世代が流石に高齢化して行くなかで、その子供たちの世代が50歳前後のベテランと言われる層を構成して行き、その先を担う彼ら若手も着実に成長している。歌舞伎というのは、実に奥が深く、先が長い。

ところで、パンフレットの印象も他の一般の歌舞伎公演の筋書きと比べて非常に凝ったつくりになっている。なによりも彼ら若手役者らの色んな表情をうまく捉えた写真が非常にうまい。その衣装(スタイリスト)やメイクも力が入っているのがわかり、アートディレクションの成果が窺える。と思って読んでいたら、やはり最後のページにちゃんとその注釈が記載されていて納得した。




元日の能登地方の大地震に続いて、2日夕方に起こった羽田空港滑走路上での海保機とJAL機の衝突・炎上という大事故は衝撃的だった。正月の挨拶まわりから帰宅して、前日の地震のニュースをNHKで見ていたところ、気が付けば画面が羽田空港からの生中継の映像に切り替わっていた。午後6時頃だっただろうか。滑走路上で緊急停止したJAL機の機体左側後部の窓の内側からオレンジ色の炎が見え、消防車両があまり勢いのない放水をしている映像だった。ちょっとこれはやばい航空機事故だというのはすぐにわかったが、はじめのうちはこの固定カメラの映像以外になにも情報がなく、どこの空港発の飛行機で何人の乗客がいるのかということも、またその安否についてもしばらくはわからなかった。

ちょうど年末に東京から関西の実家に帰省していた姪っ子らがその日の同時刻くらいに東京に帰ることを聞いていたので、俄かに心配になって妹の携帯にすぐに安否確認の連絡を入れた(いつも新幹線を利用しているのを知ってはいたので多分心配ないだろうが、万一ということもあるので)。それからほどなくして機体は新千歳空港発の便だということがアナウンサーから伝えられ、その心配はとりあえず杞憂で終わったが(姪からも同時に折り返し元気な声の連絡があった)、どこからの便であったにせよ、現実に画面ではJALの機体が炎上しはじめているのが生の映像で中継されている。

機体後部からの炎はどんどん大きくなっていくばかりで、消火がまったく追いついておらず、乗客は無事に脱出したのか、まだ機内に取り残されているのか、しばらくはわからない状況だった。カメラの映像は左翼エンジン付近から機体の左側後部にかけてを固定画面で映しているのみで、機体の前方や右側がどのような状況になっているかも伝わって来ない。炎はあっと言う間に機体を飲みこんでいく。乗客乗員379人全員脱出して無事だというのが伝えられたのは、映像が切り替わってから15分か20分くらいが経過してからだった。

翌日になって、これだけの航空機同士の衝突事故で379人全員が脱出に成功し、死者ゼロと言うのが奇跡(海保機側には5人の犠牲者が出たが)だと海外のメディアでもさかんに取り上げられていることが、なんだかお得意の美談調で国内では報じられている。総じてCAはよく訓練された通りに行動し、客は冷静に従ったと。確かにこのような航空機同士の大事故で、旅客機の乗員乗客の避難が成功し、ひとりの死者もなかったのは奇跡であることには違いない。しかし、同時にTVで放送されている乗客撮影の映像からは緊迫した機内後部の状況がわかり、大変な緊急事態なのに避難の開始までに時間がかかっているようにも思える。結果的に18分で避難は完了したと報じられているが、あれを見ていると、もう少し素早く非難を始めれば、たとえあと3分でも5分でも、時間は短縮できたのではないかとも思え、あとちょっと火のまわりが早ければ、その数分で何人の犠牲者が出ていたとも限らない。前方席の客と後方席の客の切迫感はまるで違ったのではないだろうか。ナショナルキャリアであるJALのCAはよくやった、奇跡だ快挙だ、流石に日本人の客は冷静で指示に従順であると、ここぞとばかりにマスコミ得意ののトーンポリシングにつき合わされていていいのか。

あの乗客撮影の短いがリアルに機内の緊迫した映像を見ていると、もしも自分があの状況にあったらと思うと背筋が寒くなる。とくにあの幼い女の子の「早く出してください!」と言う悲痛な叫び声は胸をえぐり、当分のあいだ耳から離れそうにない。全員が助かったからよかったとは言うものの、火の回り方次第では多くの犠牲者が出ていたとしても不思議ではない状況だったのではないか…



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先日のクリスマス・オラトリオのブルーレイに続けて、ガーディナーとイングリッシュ・バロック・ソロイスツ&モンテヴェルディ合唱団のバッハ・カンタータ集のCD box-set を購入した。22枚セットで価格は6千円ちょっと。一枚あたりだと300円以下で超お得。CD56枚のバッハ・カンタータ全集(3.5万円ほど)の豪華box-setも出ているが、自分には22枚でもお腹いっぱい(念のため、いま同じサイトで確認したら何故か9千円ほどに値上がりしている)。ジャケットの顔のイラストが意味フでちょっと不気味。

音源は1980年代から2000年頃にかけてアルヒーフとフィリップスに録音したもので、クリスマス・オラトリオ、マタイ受難曲、ヨハネ受難曲、ミサ曲ロ短調をはじめ全40曲のカンタータが、待降節(アドヴェント)や生誕祭(クリスマス)、公現祭(エピファニー)、復活節(イースター)、昇天祭(アセンション)、聖霊降臨祭(ペンテコステ=Whitsun,Phingsten)、三位一体主日(Trinity Sunday)などのキリスト教の教会暦・行事ごとに選曲され、収録されている。附属のブックレットには一応曲名とソリストなど最低限のの録音データは記載されているが、なにしろ廉価BOXなので歌詞や対訳などは付いていない。なので、スマホでバッハ・カンタータ対訳一覧を参照するなどした(さすがに本格的な研究家の仕事は値打ちがある)。CDを購入したサイトの解説には、ブックレットに記載のDGのサイトから歌詞対訳がDL可能とされていて、確かにそのアドレスが載っていたが、DGのサイトには繋がったものの肝心の歌詞対訳の項目など、どこにも見当たらなかった。キリスト教暦の行事はクリスマス以外あまり日本ではなじみがないので、まずはそこからの理解が必要だが、確かに〇〇の祭日から〇日目の日曜日だとか、40日目だとか50日目とか、慣れるまで少々やっかいなのは事実だ。

今年は11月にカザルス四重奏団のバッハ「フーガの技法」を聴いて以来、バッハづいている。12月は「クリスマス・オラトリオ(BWV248)」を相当聴いた。このBOXセットの同曲も大変美しく、特に合唱が素晴らしい。音質もすこぶる良く、合唱がくっきりと前に出て来る。この一曲だけでも癖になりそうだが、先は長い。受難曲や聖霊降臨祭の曲などは本来の季節は異なるが、順にちょっとずつでもこの先聴いて行ける。すでにCD-16(BWV6,BWV66)、CD-17(BWV43,BWV37,BWV11)も聴いた。ナンシー・アージェンタのソプラノが美しい。

この大晦日は、曇りだが妙に暖かかった。夜すこし雨が降ったが、これを書いているあいだにやんだようだ。などと書いているあいだに、年も明けた。本年もよろしくお願いします。


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