タイトルが長くなるので省略したが、正しくは楽団名は「日伊国交樹立150周年記念オーケストラ」で、ソリストはイルダール・アブドラザコフ(バス:メフィスト)、東京オペラシンガーズと東京少年少女合唱団による合唱。今年の3月16日に「東京春音楽祭」の目玉として東京文化会館で催されたコンサートのライブの模様が「NHK-BSプレミアム」で4月17日の深夜に放送された。他に「ナブッコ」や「運命の力」などヴェルディのオペラから一部が演奏された。
楽団名がそのまま表しているように、日伊の国交樹立150年を記念する祝賀コンサートなので、両国の外務省・大使館も挙げてのお祭り行事だったのだろう。3月の平日の東京と言うことで当初から行くのは諦めていたので、こうしてTVでコンサートの模様を放送してくれたのは有難かった。放送の夜は所用で留守にしていたので、録画が完全に出来ているかどうかがとにかく気がかりだった。何しろ、直前の熊本の大地震から続く規模の大きな余震のために、予約していたヴィム・ヴェンダースの「パリ・テキサス」は完全に途中で断絶していたし、この夜も一晩無事余震がないとは予想はできなかったので、帰ってまずは早送りで途中、地震関連の速報テロップやニュースが全く入らずに予定通り最後まで放送されたのを確認できた時は奇跡だと思った。地震の被害に遭われた方には、いまも余震の影響で自宅に帰れずに避難所や車中での生活を余儀なくされている方も大勢おられるとのこと。このようなブログを目にされるような機会はありえないとは思うが、この場を借りてこころからお見舞いを申し上げたいと思います。
さて、大画面の精細な映像と迫力のある音声で聴く東京文化会館でのムーティの直近のコンサート。それもヴェルディからの選りすぐりと、アリゴ・ボーイトの「メフィストフェーレ」から第一部プロローグと言う、まことに強力で文字通りガラにふさわしい願ってもない内容のプログラム。当日この演奏を実演で聴かれた限られた千数百名の聴衆のかたはまことに幸運である。なにせムーティの指揮で「メフィストフェーレ」だ。たとえ演奏会形式でのプロローグのみでも、こんな圧倒的な音楽をナマで聴ける機会と言うのは、頻繁に音楽会通いをされている方でも、そう多くはないだろう。個人的な記憶で言うと、20年ほど前にウィーンを訪れた時、その際はW.マイヤー様のオルトルートとJ.ボータのタイトルロールで「ローエングリン」(シモーネ・ヤング指揮)を観たのだが、別の日にムーティ指揮でサミュエル・レミーの「メフィストフェーレ」をやっていて、残念ながらその日は同行の知人とグリンツィングで一杯やれる時間がその晩しかなく、悪魔との遊びよりも人間関係とホイリゲを優先してしまったのである… おまけに当日のお昼にオペラ座の前を歩いていたら、「お兄さん、今夜のメフィストのチケット買ってくれない?」とジェントルマンに声まで掛けられて… ここまでムーティとレミーの「メフィスト」の近くまで接近しながら、その機会を自らボツってしまった一生の不覚は永遠に癒されることはないのである。ただ、ホイリゲから帰った時間がちょうどオペラの終演の頃で、もしかしたらオペラ座の出口で悪魔様を見るだけでも出来るかも知れないと思い訪れてみると、ちょうど運よく出演者がサインをしているところだった。むかしからサインよりか生写真のほうが好みだったので、運よく二枚の写真を撮ることができたのがこれ。
相当古い写真からのスキャンなのでモアレで不鮮明かも知れないが、どうやら下の写真のオジサンがサインに差し出している写真に、悪魔の裸体の一部が写っているのがわかる。また、この時には知らないことだったのだが、舞台演出がその後俄然興味が湧きだしたピエラッリだったことで、これが95年のムーティとスカラ座の演奏でCDにはなっているのだが、映像がリリースされていない。やはりイタリアオペラ界では保守派の最右翼のムーティ様を「うん」と言わせるにはやや刺激的な演出だったのだろうか。映像が撮られているとしたら、いつの日かリリースされることを望むばかりだが… そのリベンジというわけではないが、その後2014年の5月にエルウィン・シュロットのメフィストでグノーのほうの「ファウスト」(ド・ビリー指揮)をウィーンで観ることが出来たのは救いであった。
と言うわけで、「ナブッコ」から序曲ともう一曲を取りあえず聴いて音を確認し、間のヴェルディを飛ばしてまずはさっそく「メフィストフェーレ」のプロローグを聴く。若き熱血漢だったムーティもいまや泰然たる巨匠なので、その指揮は余計な力みがなく余裕しゃくしゃくと言ったところだが、それでいてやはり締めるところはビシっと締める、と言う感じで、やっぱり凄い。いまムーティでこのオペラ全曲をウィーンかミラノでやったら、チケットは買えないだろうな、きっと。でも死ぬまでに一度聴きたい。
オケは文字通り日伊混成の臨時編成のようで、20-30代の才能ある若手演奏家を集めて構成されているようだ。若手と言って見くびってはいけない。どういうオーディションをしているのか知らないが、ずば抜けて素晴らしい演奏をするプレイヤーが集まっている。若手とはいえ、こうした臨時編成オケの強みは、限られた課題の曲目だけに短気集中で取り組むことが出来ることだろう。超一流オケのようにほかのレパートリーやプログラムで神経を擦り減らすことがないのが利点だ(それでもムーティ様とご対面での練習は本番のわずか三日ほど前と言うから恐れ入る)。その甲斐あって、一流の有名楽団でも敵わないような豪快さと大胆な演奏で、このダイナミックで宇宙の壮大さを感じさせるようなプロローグを豪壮に聴かせる。最初の「ナブッコ」では打楽器など縦の線にバラツキが見られる箇所もあったが、さすがにこの曲ではそういう不安も感じさせず、イキのよい演奏を聴かせてくれる。バスのイルダール・アブドラザコフという人はよく知らないが、悪魔のようなデモーニッシュな印象はなく、まじめにしっかりと歌っている感じで、声はしっかりと出ていて不満はない。持ち歌の部分を歌い終えると自分で譜面台を持って後ろに引っ込んでいったようだが、演奏が終わった頃にはすっかりと消えていなくなっていて驚いた。これは悪魔並みの所業である(笑) 東京少年少女合唱団もムーティ様の指揮でこんなに立派に歌えるなんて本当にすごい。あれってみんなカタカナのルビじゃなくって、イタリア語の歌詞見て歌ってるんだろうか?だとしたら流石に凄い。限られた良家の子女しか出来ない芸当だな。
故アバドをはじめバレンボイムにしてもムーティにしても、芸術面のみでなく財政面でも巨匠の域に達した現代のカリスマ指揮者たちのいまの課題が、こうして次世代の音楽家たちを自らのプロデュースで世に送り出し、それによりリスナーの域を広げるということになっているのは、レベルは全然違うけれども日本の芸能界とも共通しているような気もする。よく知らないけれど。