2014年05月 : grunerwaldのblog

grunerwaldのblog

バイロイト音楽祭やザルツブルク音楽祭など、主に海外の音楽祭の鑑賞記や旅行記、国内外のオペラやクラシック演奏会の鑑賞記やCD、映像の感想など。ワーグナーやR・シュトラウス、ブルックナー、マーラー、ベートーヴェン、モーツァルトなどドイツ音楽をメインに、オペラやオペレッタ、シュランメルン、Jazzやロック、映画、古代史・近現代史などの読書記録、TVドキュメンタリーの感想など。興味があれば、お気軽に過去記事へのコメントも是非お寄せ下さい。

2014年05月

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5月のドイツ訪問記も、ようやく月内ギリギリに最後のフランクフルト・オペラでの「ドン・ジョヴァンニ」で締めくくりです。
 
フランクフルトには以前もメッセに商用で訪れたことがありましたが、オペラは観ていませんでした。フランクフルトと言うと、ビジネス面では大都市であり、ゲーテゆかりの地でもありますが、今まではあまりこの街へわざわざオペラを観にくるまでのモティヴェーションは高くはありませんでした。しかし、昨年の「オペラ・カンパニー・オブ・ザ・イヤー」に選ばれるなど、近年セヴァスティアン・ヴァイグレが活きの良いオペラを聴かせるようで評価が高まっているのを耳にし、どうせFRA往復なんだから、一度見ておこうと思いカレンダーで確認すると、ちょうど聴きたいと思っていたクリスティアン・ゲアハーハーで「ドン・ジョヴェンニ」があったので、さっそくチケットを購入した次第です。
 
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中央駅から市電でいかにもフランクフルトの下町と言った風情の一画を過ぎると、旅番組などでこの金融街の「顔」として出てくる欧州銀行の大きなユーロの看板が左手の角にみえます。市電の線路と道路を挟んだそのま真向いに、フランクフルトオペラのごく普通の建物があります。劇場内部も素っ気ないシンプルなもので、全面ブルーを基調にした内装は、なんだかつぶれたシネコンの址をそのまま使っているのか?と言うような印象です。平土間を含めて4層馬蹄形の、こじんまりとした印象の内部で、豪華な装飾はほとんどありません。舞台機構も多機能ではなさそうで、奈落もなさそうな印象でした。音響もとても期待できそうにはない雰囲気で、補助的にでもPAを使用しているようにも思えました。フランクフルトと言う都市の大きさと経済規模から見ると、やや釣り合いが取れていないような印象があります。ただ、ホワイエは賑やかな雰囲気で、先ほどの金融街を大きな窓の向こうの景色に見ながら、食事も楽しめるようになっています。ビジネス街の雰囲気も含めて、どうもこの街の雑多な雰囲気は、大阪のキタの雰囲気とよく似た印象を受けます。
 

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ここでは、なにより見ものは実にイキのいい、キレの良い指揮ぶりのセヴァスティアン・ヴァイグレその人でした。この指揮姿をオペラグラスで見ているだけでも、飽きが来ないくらい、近年の若手~中堅クラスの指揮者のなかでは見ごたえのある指揮ぶりで、もちろん音楽も溌剌とした活きの良いモーツァルトでした。近年DVDで出たこのカンパニーの「リング全曲」も話題になったようですが、こうした中堅どころのオペラハウスの活躍も、額縁に入っていない生きたオペラを自分たちでつくる意識が高いドイツならではだと感じました。
 
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歌手は、もちろんゲアハーハーがお目当てではあったのですが、こうした曲では彼ひとりと言うよりはむしろ他の歌手(下記)個々のレベルも高く、優れたアンサンブルとして楽しむことができた。女声三人とも極めて高いレベルの歌唱で、ドン・オッターヴィオもレジェーロな高音で役にうまく合っていた。衣装は古風なもので、クリストフ・ロイの新演出も奇をてらったものではないが、なぜかやたらと主役はじめ歌手たちが平土間の客席の扉から出てきて、通路で歌ったりしていた。ストーリー上、あまり深い意味はなさそうではあるが。
 
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とにもかくにも、5月の3日から二週間、ウィーンからライプツィヒ、ドレスデン、ベルリン、フランクフルトと移動しながら、各地でのコンサートとオペラを無事に予定通り鑑賞することができた。この地で仕事を探し、ずっと暮らして行くと言うのは大変なことだろうとは思うが、仕事の赴任や留学などでで2,3年ほどの駐留で帰って来れるのが、いちばん望ましいパターンかなと思った。勿論、自分は変わらず漂泊の旅行者ではあるが。ビールはとにかく、ヴァイツェンの白ビールがうまくて、そればかり飲んでいた。(これにて2014年5月ドイツ訪問記を終わります。ありがとうございました。)
 
 
 
Don Giovanni  Christian Gerhaher   Donna Anna  Brenda Rae    Don Ottavio  Martin Mitterrutzner
Komtur   Robert Lloyd     Donna Elvira   Juanita Lascarro    Leporello   Simon Bailey
Masetto   Björn Bürger    Zerlina   Grazia Doronzio
 
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今回のドイツ訪問記も、残すところベルリンとフランクフルトのみとなりました。
 
ベルリンへはドレスデンから列車ECで約2時間。今までベルリンに来た時には、必ずベルリン・フィルかシュターツカペレ・ベルリンのコンサートを聴きに行っていたが、今回の滞在中それらは聴けず、唯一ドイチュ・オーパー・ベルリンで「トリスタンとイゾルデ」が観られたが、それで充分満足。DOB2005年に「サロメ」(ウルフ・シルマー指揮)と「ばらの騎士」(クリスティアン・ティーレマン指揮)を観て以来、もう9年になる。以前「リンデン・オーパー」の愛称だったベルリン国立歌劇場はまだ改装工事中で、シラー劇場での引っ越し上演中だが、滞在中にオペラはなかった。シラー劇場はDOBの近くだが、歩くのが面倒で結局は行かなかった。そのかわり、ベルリンではかつての東西のイエス・キリスト教会を訪れることができたのは、先に書いた通り。

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DOBの「トリスタンとイゾルデ」は現在の音楽監督のドナルド・ランニクルズ指揮で、演出がグレアム・ヴィック、それにトリスタンがシュテファン・グールド、イゾルデがニーナ・シュテンメと言うことで、なかなかの見もの、聴きものかと期待に胸が弾んだ。今回のDOBの「トリスタンとイゾルデ」は、20113月プレミエで、3年目になる。まあ、新しいほうだろう。
 
グレアム・ヴィックの演出は、1996年のフィレンツェ五月音楽祭の「ルチア」の来日公演でスコットランドの荒野をイメージした美しい舞台美術が印象に残ったが、今回のDOBの「トリスタン」では、かなり現代調の演出で、前半などはやや説明過剰の詰め込みすぎの印象を受けた。
 
舞台と衣装は現代、印象としては80年代後半くらいのベルリンのごく普通のアパートの一室での、ごく一般的な日常生活という感じだろうか。とにかく主要人物以外の脇役たちが、掃除人だとか窓ふきだとか、工事の作業者のような、ごく雑多な日常の延長を思わせる役回りで、次から次へと出てくる。それらの描写にはロマン性のかけらもないが、それが目論見なのだろう。それに加えて、一糸まとわぬ女性や男性、薬が切れて禁断症状でのた打ちまわる男が出てきたりで、もう冒頭から騒がしいのなんのだ。この全裸の男女はそのあとも主要な場面でも出てくるので、それなりの意味は込められていよう。「昼」が「衣服」と言う「虚飾」の記号を身にまとった「虚栄」を意味するものならば、「裸」は当然、そこから解放された真のトリスタンとイゾルデの「夜」の姿であることは、歌詞から想像できよう。二幕では、トリスタンの分身を思わせるこのスッポンポンの男性が、スコップで「墓穴」を掘っていく。
 
あとはまあ、イゾルデの秘薬を二人して呷る場面は、誰もが予想できるように、注射器で怪しげな薬を打つと言う安直な演出になっている。今でこそ、その種の薬品の医療用以外の使用については世界的に厳しい規制が当然の風潮ではあるが、もともとアヘンチンキなどと言うものは、ワーグナーの時代には子供の歯痛止めとしてもごく一般的に出回っていたくらいだから、ワーグナーの音楽の持つ毒性のなかに、けし坊主からの抽出・精製液の影響があると解釈しても、一向におかしくはないと言うどころか、その様に解釈するのが、ごく自然なことだろう。コカ・コーラだって、1920年代位までは、実際に「コカ」抽出液を希釈したソーダからの始まりだし、多くの絵画やベルリオーズの「幻想交響曲」もアブサンなしには生まれなかっただろう。
 
演出の最大の見ものは、第三幕目である。ここで登場人物は全て、第二幕の場面から数十年が経過したじいさん、ばあさんになって登場する。なるほど。これは今までありそうでなかった解釈ですね。逆に言うと、あの日からトリスタンは、数十年の年月、傷に苦しみ、イゾルデを思い焦がれ続けているわけで、むしろ残酷な演出ではある。牧童もおじいちゃんなら、忠臣クルヴェナールも白髪だらけでヨレヨレのカーディガンを着た足腰の弱ったおじいちゃん。トリスタンも、ぶるぶると手を震わせながら歌う姿からは哀愁が漂う。やっと現れたイゾルデとブランゲーネも、どこかの老人ホームから来ましたと言うような人生の末路を印象つける出で立ちで、現実世界の悲哀を感じさせる。なんだかNHKの「クローズアップ現代」のようだ。トリスタンはいつの間にか行方不明者のように消えていなくなり、最後にイゾルデは「愛の死」を歌い終えると、部屋の外の人並みの行列に交じり、その波に流されて、消えて行ってしまう。「トリスタンとイゾルデ」と言う特殊な英雄とお姫様の文学的世界ではなく、だれもがいずれは迎える「老い」の現実の世界をクローズアップした、あまりロマンティックではないけれども、なかなか見ごたえのある舞台演出であった。
 
歌唱については、みなさん言うことなし、それぞれに素晴らしい実力の歌手たちでした。上記の二人に、エギリス・シリンズのクルヴェナール、タニア・アリエーヌ・バウムガルトナーのブランゲーネ、リャン・リーのマルケ王と、いずれも立派な歌唱で盛大な拍手を受けていました。
 
DOBの演奏は、弦については全く言うことはなく素晴らしいレベルなのですが、金管、特にホルンに難ありで、もう少し丁寧さがなければ音楽をぶち壊してしまいます。第三幕の冒頭なども、重厚で深い弦楽の演奏にうっとりとしていたら、ホルンが入った途端に現実世界に引き戻される思いです。この辺のところが、DOB、もうあと一歩と言う印象ですが、全体としてはもちろん素晴らしい演奏には違いありません。聴きごたえ、見ごたえある「トリスタンとイゾルデ」が楽しめました。(下の写真はDOBのHPより)
 
 
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ゼンパーオーパーではもうひとつ、アンドレアス・クリーゲンブルク新演出の「コジ・ファン・トゥッテ」を鑑賞した。この3月にプレミエの最新の「コジ」で、舞台美術はハラルド・トール、かわいい衣装はアンドレア・シュラード。このオペラは舞台演出の味付けやお遊びが非常にしやすいオペラであって、今までにも散々色んな演出家や舞台美術家の格好のネタになってきた作品だ。変装するテナーとバリトンがビジネスマンであろうが、ヒッピーであろうが、暴走族風のニイちゃんであろうが、いまさら驚かない。今回はチャップリン風のコメディアンといった趣向のようだ。ドラベッラの今いくよのような風変わりな衣装も目をひく。何しろ鮮やかな色使いと照明が大変印象的な舞台だ。舞台の中央に傾斜した大きな円盤を設え、ゆっくりとそれが廻りながら、その円盤の高い位置のほうや低いほう、中央などで歌手が演技をしながら歌うようになっている。いまのオペラとして楽しむには、なかなか可愛くて新鮮で、面白いプロダクションだった。舞台美術と照明・衣装がよかった。http://www.semperoper.de/en/oper/premieren/detailansicht/details/60028/besetzung/20685.html
 
問題は音楽だ。いや、音楽そのものには言うことはないのだが、指揮者のオメル・マイヤー・ウェルバーなる若手のイスラエル人がピットの中央でピアノフォルテを弾きながら指揮をするのだが、よくみるとこの楽器の上部に一本のマイクが設置されていたのだ。はじめ、やたらとピットのオケの音が正面両脇のしっくいの壁からとても分厚い音量で聴こえてくる。つい23日前に「ラ・ボエーム」を観た時は前から二列目で、今日の席はやや中央部に近い12列目の中ほどの席なので、こんなにも響き方が違うのかと、はじめのうちは感心していたのだ。しかしながら、構造的な響きのゆたかさだけにしては解せないくらい、あまりにもどの楽器の音も均等に大きく鳴り過ぎている。ちょっと生の音では考えられない音の厚みだ。そう言えば、以前ベルリンやザルツブルクでこのオペラを観た時も、チェンバロがこんなにでかい音で出しゃばっている印象はなかった。ピットの隅から、そっとささやかに伴奏していて、こんな音量で舞台の前方から聴こえてくるなんてことはあり得なかった。
 
そこで、不審に思って休憩時にピットを覗いてみると、やはりありました。指揮者席のチェンバロの弦の上に、たった一本の「マイク」が。おいおい、マイクで音を拾ってまでスピーカーから通奏低音の伴奏を聴かせたいか?あっけにとられてしまった。ひどいのは、このたった一本のマイクのせいで(なにせ設置されているのがピット中央の指揮者の位置なのだ)、オケの音すべてがこのマイクに拾われて、正面両脇に吊るされた8個ほどのスピーカーから聴こえてきていたのだ!「どっちらけ」とはこのことだ。わざわざドレスデンのゼンパーオーパーくんだりまで来て、スピーカーからシュターツカペレの演奏を聴きたいか?屋外のピクニックコンサートのイベントなら、まだわかる。しかしここは世界屈指のオーケストラの演奏を、世界屈指のオペラハウスで生音で聴けるゼンパーオーパーであるからこそ、はるばる遠くから聴きに来ているのだ。舐めてもらっちゃ~、困るねェ!もう、その後は一気に白けてしまって、オペラどころではなくなってしまった。詐欺師のようなイスラエル人の指揮者 Omer Meir Wellber よ、君の指揮では今後二度と聴きに行くことはないだろう。
 
そしてもうひとつ、この日は昼にパーヴォ・ヤルヴィ指揮のコンサートも鑑賞した。オケはもちろんドレスデン・シュターツカペレに、グスタフ・マーラー・ユーゲント・オーケストラから若干名が勉強も兼ねての交流の一環として加わっていることが、パンフレットに記載されていた。プログラムはブラームスの「ピアノ協奏曲1番」(Klavier:Helene Grimaud)とバルトークの「管弦楽のための協奏曲」。今回のソリストもフランス人女性で、実に表現力ゆたかで集中力が高く、アダージョなどは恍惚とした演奏だった。曲の節々では、集中力を高めるためか、舞台を踏みしめながら「ハッ!ハッ!」と吐息を漏らす姿が印象的だった。大変素晴らしいブラームスのピアノ・コンチェルトが聴けた。席は5列目の中ほどで、指揮者とソリストがよく見えた。
 
後半のバルトークの「オケコン」も、言うまでもなく素晴らしい演奏だった。パーヴォ・ヤルヴィは思ったよりも小柄で、両肘を上げたり、少年が楽しげに行進するような動きを見せたりで、とても快濶でノリのよい指揮ぶりで、このドレスデンで観ることが出来たのは幸いだった。この日の夜の「コシ」では上述のようにまさかの半PA音だっただけに、この昼のコンサートでは紛う方なき正真正銘の重厚なドレスデンのサウンドを堪能でき(数名のマーラー・ユーゲント楽員が混じってはいたが)、本当によかった。
 
ドレスデン編最後に、フラウエン教会の前の旧「文化宮殿」の前も通りかかったので、写真を付けておこう。旧社会主義時代にはドレスデン・フィルの本拠地で、ケーゲルのライブなどがここで収録された。近年はベルリンの人民宮殿がそうだったように閉館の憂き目にあって取り壊される運命かと思っていたら、そうではなく、数年後にコンサートホール付きの複合商業施設として新たに生まれ変わる計画があるらしく、改装工事中で予想図が掲示されていた。いかにもDDR時代を思わせるオスタルジックな建物だったので、取りあえずいまの野ざらしの姿も記録しておかなければと思い、カメラに収めた。
 
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ドレスデンのゼンパーオーパーの建物は、数あるドイツ、いや世界の歌劇場の建物のなかでも、最も美しいもののひとつだ。外観は、均整のとれた完璧なシンメトリーの構造で、ウィーンのブルク劇場の印象に近いだろうか。ホール内部の装飾も大変美しいが、容積としては意外にウィーン国立歌劇場よりやや、一回り小さいだろうか。平土間の客席は
ドイツ特有の、間にひとつ
も通路が無いので、中央部の席は早めに席に着いておかないといけないし、緊急時はなかなか脱出するのは難しいだろう。日本では多分消防法でダメだろう。二階(こちらでは1 Rang)から五階の馬蹄形の客席は伝統的な個室(ロジェ)ではなく、しきりの無い客席となっている。布類の内装材が少ないので、そのほうがはるかに良い音で演奏が聴ける。主な構造材は木材の床としっくいの壁と天井なので、すっきりとした良い響きでドレスデン・シュターツカペレの素晴らしい演奏が聴ける。フォワイエもヴェネチアン・スタイルの実に優雅で美しい空間で、贅沢感がある。よく1980年代の社会主義時代の旧東ドイツにこのような仕事ができたものだと、意外に感じる。崩壊まで見越していたかどうかまではわからないが、こうした点がその後西ドイツに統合される際に、非常に高い値打ちを持ったであろうことは想像できる。

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ここでは「ラ・ボエーム」と「コシ」を観たが、まずは「ラ・ボエーム」から。この舞台(クリスティアーネ・ミーリッツ演出、ペーター・ハイライン美術・衣装)は198310月プレミエとあるから、現在のゼンパーオーパーの復興以前からのプロダクションで、もう30年以上使い回されているので、特に目新しいものは何もない。一幕目と三幕目の寒々しい雰囲気をよく伝える、全体的にくすんだブリキ色のどちらかと言うと写実的なセット。二幕目のパリの街のレストランのセットは明るい配色とライティングだが、いまのオペラとしては大分くたびれている感が否めない。http://www.semperoper.de/en/oper/repertoire/spielzeit-201314/detailansicht/details/147/besetzung/20799.html
 
指揮のリッカルド・フリッツァはイタリア出身のようで、メトやウィーン、パリなど各地のオペラ劇場で活躍中とある。50歳前後だろうか。前から二列目の中央の席で、目の前の一列目が空席だったので、後姿の頭頂部がよく見えた。オーケストラをよくまとめあげ、そつなく手堅い指揮ぶりで、職人的な指揮者に感じた。あまり派手さはない。
 
ミミの Marjorie Owensはアメリカもヒューストン・グランドオペラやシカゴ・リリックオペラで活動を始め、ここ数年はもっぱらゼンパーオーパーでミミや蝶々さん、ドンナ・アンナ、タンホイザーのエリザベート、ローエングリンのエルザやゼンタを歌っているらしい。なかなか聴きごたえのある、しっかりとした歌唱のソプラノのようだ。ただ、よく言われるように、いま病を得てやせ細って死んで行くと言う役柄には、少々健康優良児すぎるルックスが印象に残った。まあ、オペラは本来そういうものなんだから。他にはルドルフォを歌ったコソボ出身の Rame Lahaj の美声も印象に残った。憧れのゼンパーオーパーで初めてみるオペラとしては、中庸な出し物ではあるが、演奏は素晴らしかった。
 
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ドレスデンでは、ゼンパーオーパーにて「ラ・ボエーム」と「コシ・ファン・トゥッテ」の2つのオペラと、パーヴォ・ヤルヴィ指揮シュターツカペレ・ドレスデンとマーラー・ユーゲント・オーケストラ混成によるブラームス「ピアノ協奏曲」と、バルトークの「管弦楽のための協奏曲」を聴いたが、その前に、ミヒャエル・ザンデルリンク指揮ドレスデン・フィルによるアルヴェルティヌムでのコンサート(「トリスタンとイゾルデ前奏曲、愛の死」、ブルッフの「ヴァイオリン協奏曲」、チャイコフスキー交響曲6番「悲愴」)を聴いた。
 
まずはそのドレスデン・フィルのコンサートから。ドレスデン・フィルは、世界的な知名度と格式から言うと、名門のシュターツカペレ・ドレスデンに及ばないが、日本では80年代初頭に DENON の企画でヘルベルト・ケーゲル指揮によるベートーヴェンの交響曲全集が制作され、息の長いヒットとなっていることもあり、派手さはないが根強い固定のファンが多い。ケーゲルにしてもスイトナーにしてもザンデルリンクにしても、共産主義や社会主義への拒否感の強いアメリカでは、日本ほどの評価や人気がそれほどではないと聞く。その点、日本では大手企業の第一線の経営者らの中でも、団塊の世代の中には、隠れ左寄りシンパが多かったらしく、徳間音工の徳間元社長などもそうしたことから旧東ドイツとのビジネスにも熱心に取り組んでいたらしい。もっとも、その社員で企画を担当した清勝也氏によると、やはりそれ単体で黒字を出すのはなかなか難しいことだったらしい(クラシックジャーナル028号インタビュー記事)。ケーゲルのベートーヴェン全集はビクターの仕事だが、つい先日は、この全集のブルーレイCD発売の案内が来ていて驚いた。いや全く、どこまで息が長い商売なことか。
 
指揮のミヒャエル・ザンデルリンクはその名の通り、旧東ドイツの指揮者クルト・ザンデルリンクの息子で、20歳年が離れた異母兄のトーマス、5歳年上の同母の兄シュテファンと三人揃って指揮者の仕事を継いでいる。67年生まれと言うことなので46か47歳だが、なかなかルックスも良く年齢よりは若く溌剌とした印象を受ける。日本へも来日公演で訪れているようだ。このドレスデン・フィルとミヒャエル・ザンデルリンクで悲しいのは、かつて本拠地として使用していた「文化宮殿」が閉鎖されて、本拠地と言える会場が無くなってしまったことだ。格式の高いゼンパーはシュターツカペレ専用でもちろん使わせてもらえず、現在は普段は美術館のロビーのアルヴェルティヌムのホールやシャウシュピールハウスなどを転々としながら、活動を続けている。(文化宮殿は2013年から改装工事中で、2017年にコンサートホール付きの新たな施設としてリニューアルオープンの予定らしい。)
 
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しかしながら、地元ドレスデンの市民に長く愛されているだけあって、アルヴェルティヌムのコンサート会場は、ゼンパーほど格式ばらない、リラックスした雰囲気に感じた。
席は前から5列目で少々前方すぎて壇上のオケの中ほどの見通しがあまり良くはなかったが、音は想像していたよりもはるかによかった。と言うのは、この会場は上に述べたように本来は美術館のロビーのような場所であって、コンサート専用のホールではない。当然ながら、もともとの内装の素材に木質のものはなく、冷たい大理石の床と、四方は建物の外壁、天井は一面蛍光灯のガラスパネルだった。
 
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これを見た時、まあ、今日の演奏はともあれ、音響はロビーコンサート並みでも仕方ないかな、と思ったのだが、「トリスタン」が始まると、意外やなかなか良い音響ではないか。低域は分厚く包まれるようだがブーミーではなく、心地よい。中高音も冷たく硬く間延びすることもなく、きれいに聞こえる。なかなか良い音がホールに響く。オケが載っている舞台と、客席の真ん中以後が特設の木を使ったひな壇状になっていて、これが硬質の床の欠点を補正している印象。また天井一面のガラスの蛍光灯パネルも、不幸中の幸いですべて半透明の擦りガラスなのが音を反射し過ぎずに、助かった(あるいはプラスチック素材かも知れないが)。これが普通の表面がもっとつるっとしたガラスであったら、冷たく音を反射しすぎて残響が不快になっただろう。四方の建物の外壁も、ほぼシューボックス状だったので定在波を心配したが、よく見ると微妙にそれぞれの角度が少しずつずれていて、不快な定在波は気にはならなかった。ただ、まったくなにも調性なしではやはり難しいらしく、オケの檀上の左右と後方にはプラスチック製の音響パネルが設置され、壁面にも一部に大きな布がかけられ、客席中央の上部空間には音響調性のためか、大きな板状のオブジェが吊り下げられていた。音響調整には相当苦労があっただろうと窺わせる。
 
 
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ブルッフのヴァイオリンは母親が日本人のアラベラ・シュタインバッハーと言う女性。1716年製のストラディバリ「BOOTH」は日本の財団から貸与されているらしいが、すばらしい美音が強く美しく響く。演奏のダイナミックな迫力と技術も大変素晴らしいし、第二楽章のアダージョでも素晴らしい集中力で美しい演奏を聴かせた。以前日本人の女性バイオリニストを聴いた時に感じた線の細さや音の色気のなさは全くなく、素晴らしい技巧と表現力で大いに感心した。それに加えての美貌とスタイルの良さに、天は与えるべき人には集中して与えるものよなあ、との感慨が脳裏をよぎった。
 
 
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面白かったのはチャイコフスキーの「悲愴」で、アウェイの日本ですらあまり起こらないのでは、と思うのだが、結構多くの観客が第三楽章が終わって盛大に拍手をしてしまったのだ。まあ、気持ちはわかる。たしかに普通の曲のフィナーレに近い感じだ。でも、その後のあの消え入るような第四楽章の暗い終焉部があってこその「悲愴」だと言うのは、レベルの高いことで有名な日本の聴衆はよく知っている。なにせ小澤征爾の十八番なのだから。それが、このクラシックの本場のドレスデン・フィルのコンサートでこう言うハプニングが起こるとは、思いもよらなかった。チャイコフスキーはあまり人気がないか?そんなこともないだろうとは思うが。
 
 
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ドレスデンでのコンサートとオペラの記事に入る前に、ルカ教会訪問を書いたついでにベルリンの東西イエス・キリスト教会を訪問した事を先に書いておこう。
 
1.ティールプラッツのイエス・キリスト教会
 
まずは先に、事前のアポは取っていなかったがお天気が回復して来たので、せっかくだから西側のカラヤンが録音会場として使っていた、市の南西近郊のティールプラッツ(Thielplatz)にあるイエス・キリスト教会を訪ねた。ここへは、地下鉄のU3番線で市中央部の Nollendorf Platz駅から12駅目、30分ほどで、簡単に行ける。A、B地区内で使える一日券で行ける範囲だ。素っ気ない感じの駅舎から、ものの3分も歩くと教会の背後が見えてくる。ここも、ルカ教会に輪をかけて周囲は高級な印象の閑静な住宅地で、目の前に実に緑があざやかな、素敵な公園が広がっている。こう言うところに来ると、緑の少ない狭い住宅地に住んでいる現実がいやになって来る。もちろん、鳥の鳴き声も美しく響いていて、楽園に来た印象だ。近くにはベルリン自由大学があり、自転車に乗った学生が多く通りを横切る。残念ながら教会は開いておらず、事務所も不在のようだったので、外観のみ写真を撮り、あとはしばしこの素敵な公園で寛ぎ、市内へと戻る。翌日はアポを取っておいた、旧東側のイエス・キリスト教会を訪問。
 
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2.オーバーシェーネヴァイデ・エヴァンジェリスト教会
 
かつてオトマール・スウィトナーがシャルプラッテンでのベルリン・シュターツカペレの演奏を録音するのに使用された旧東側地区にあったイエス・キリスト教会は、現在は「オーバーシェーネヴァイデ・エヴァンジェリスト教会」と言う名称になっているが、建物の主要な構造はかつてのままで、数年前に内部が立派に改装工事がほどこされた。
 
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最近は便利なもので、ベルリン市交通局のHPで市内各地への移動手段を詳細に教えてくれるので、大いに助かった。ここへは、地下鉄のU5番線(Hoenow行き)で市の南東方向へ、アレクサンダープラッツ駅から11駅目のティーアパーク Tierpark で降り、市電Tram27番(Krankenhaus Koepenick行き)に乗り換え、Firlstrasseで下車し、Firlstrasseを5分ほど北へ歩くと、正面に赤レンガの立派なキリスト教会が見えて来る。市内から約45分程度。方角的には、シュプレー川を南東へ上り、その右岸になる。こちらもA、B地区内有効の1日券で行ける。
 
こちらのキリスト教会は、上記のティールプラッツのキリスト教会のある地区と比べると、ずいぶんと下町の雰囲気の中にあり、印象はまったく異なる。約束の時間に訪れると、こちらも女性の職員さんが、とても親切に対応してくださった。こちらはルカ教会のような大きな窓がなく、ややうす暗かったのだが、この職員の方が親切にも全館照明を点灯してくださり、どうぞ一時間でも二時間でも、ごゆっくりとして行ってください、と自由に見学をさせて頂いた。
 
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印象としては、先に訪れたドレスデンのルカ教会よりは容積的にはやや、一回り小ぶりな印象で、二階のバルコニー席から見た一階の部分は、ちょうど25mプールがひとつぶんくらいの大きさに感じた。一階部分の木の床は、先にも書いたように、ルカ教会の「厚めの木の板」の質感に比べると質量感があり、板と言うよりは、現代のコンサートホールで使われているような、しっかりとした硬めの木材と言った印象の床で、同じ木の響きでも、ルカ教会よりはひき締まった、あっさりめの音響に感じられる。ここで最も特徴的なのは、スイトナーのジャケット写真からもうかがえるように、一階部分のアーチ状に配列された赤レンガの部分だ。これが実に特徴的で、木の壁でもなく、つるりと平らでなめらかな表面の石でもなく、独特の音のエネルギー感を生む結果に繋がっていると感じた。このレンガのアーチによって、石とモルタルだけの教会のような硬く冷たく響く音でもなく、木材の壁のような包みこむようなやさしさばかりでもなく、やや強めのエネルギー感が音に付加される印象を受ける。写真からもある程度は想像してはいたが、同じ教会でも、ルカ教会とこれだけ響き方が異なることを実感できたのは、実に意義深い体験だった。

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この教会のHPの解説によると、シャルプラッテンでの録音の頃は、石炭の暖房設備が快適でなく、温度差によって大きな騒音が収録中に発生して困ったり、自動車や飛行機の騒音で度々収録が中断し、何度も録音をし直したなどの苦労話しが紹介されている。近年の改装でこれらの問題が解消され、現在もコンサートや録音の会場として現役で使用されているとのことだった。

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帰り際に丁重に御礼を述べると、どうぞ記念にと言って、シャルプラッテンの録音会場として使用されて40周年になるのを記念し、旧DDR時代に録音された音源をコンピレーションにして2004年に edel で制作された、この教会のオリジナルCDをプレゼントして頂いた。思いもよらない御こころ遣いに、胸があつくなった。お忙しいなか、私のような単なる個人旅行者にこの様に丁寧に対応して頂き、ルカ教会、オーバーシェーネヴァイデ教会の職員の方には、こころから感謝したい。音楽は、世界をまたいで人を繋いでくれる。昨年公開された、新しいほうのドイツ語バージョンの映画「ルートヴィヒ」を一瞬、思い出した。
 

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ライプツィヒからドレスデンへICの列車で約一時間の移動。今回の訪独のもうひとつの目的は、旧東ドイツ時代のVEBシャルプラッテンレコードの主要な録音用の会場であり、クラシック音楽ファンにとって非常に歴史的で重要な場所であるドレスデンのルカ教会と、ベルリンの旧東側地区にあったイエス・キリスト教会への訪問である。ベルリンでは、旧西側の、カラヤンがDGの録音で使用したイエス・キリスト教会にも訪れ、外観のみを見学した。
 
いずれの教会も、クラシック音楽ファンには言わずとしれた、山のような名盤が生まれた録音の聖地である。特にここ、ドレスデンのルカ教会では、名門オーケストラであるドレスデン・シュターツカペレとの録音のために、西側のカラヤンやクライバーらが、「マイスタージンガー」や「「トリスタン」などの決定盤を製作するために、たっての希望でこの教会での録音が行われ、その他にも数えきれないほどの超名盤レコードの録音がシャルプラッテンによって山のように行われた特別な場所であり、それらのレコードやCDのデータにも、大抵「ルカ教会」あるいは「Lukas Kirche」にて録音と、クレジットされている。しばらく前からそれらのCD鑑賞にはまって以来、とにかくこの聖地は自分にとっていつか必ず訪れなければ諦め切れない、マストな場所となっていた。幸い公式HPにあった連絡先から、上記のような歴史的価値を認識したうえで是非とも見学に訪れたいと言う希望のメールを送ったところ、実に有難いことに内部見学と写真撮影が可能な曜日と時間を連絡いただき、訪問の許可を頂いた。ブラウザーの脆弱性など、危うい部分も一部にはあるものの、ああ、ネット時代になってなんと有難いことだろうかと、改めて感じる。
 
メディアの取材でもなく、アカデミックな専門の研究者でもなく、非キリスト教徒で単なるアマチュアのいち音楽愛好家のいたってプライベートな理由と断っての要望に対して、ルカ教会のみならずベルリン・オーバーシェーネヴァイデのエヴァンジェリスト教会(旧・東側キリスト教会)からもこのようなきちんとした返信をしてくれるあたりに、ドイツのプロテスタント教会特有の誠実さを実感する。観光地の有名な教会はいつもオープンで、行事が行われている時でなければ、割と誰でも自由に出入りできるところは多いが、いつでもどこでもそういうわけではないので、このような特殊な訪問の時には、事前に確認が必要だ。
 
 
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さて、そのドレスデンのルカ教会は、ドレスデン中央駅を挟んで観光地の旧市街とは反対の方向へ、中央駅からタクシーで10分もかからないほどの距離の、閑静な住宅地のなかにある。教会の一画は周囲を道路が囲み、周辺は想像の通り大きな木々の緑で覆われており、美しい鳥たちの元気な鳴き声が楽園のように響いている。日本でも寺社仏閣は緑で覆われていることは多いが、どちらかと言うと野鳥の楽園と言うよりは静謐で厳かな雰囲気の印象のほうが強い。
 
野鳥のことはよく知らないが、明らかに言えるのは、ドイツで目や耳にする野鳥は、日本にいるものとは全く種類が異なるのだろう。ウィーンの公園でもホイリゲの庭でも、このルカ教会の周囲でも、実によく通る音楽的で美しいさえずりが、ここかしこで聞こえるのはとても贅沢だ。ベートーヴェンやマーラーのシンフォニーは言うに及ばず、ドイツのクラシック音楽の原点は、教会の静寂さとそこでの物音の響きだと以前から感じていたが、それに加えて野鳥たちのこの天国的な合唱にもあるのかもしれないと感じた。
 
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約束の時間にメールのプリントを手に事務所を訪れると、返事をくれた女性がこころよく迎えてくれ、事務所を通って教会内へ案内してくれた。重い木の扉を開けてもらうと、CDのリーフレットで時々目にすることが出来た、あの憧れの「ドレスデン・ルカ教会」の礼拝堂の広い空間が待ち受けていた。無人で私と職員の女性のほか誰もいない。照明は点灯していないが、大きな窓から午前中の明るい日差しが入り、見学に支障はない。何よりも、当然ながら、「音」だ。なぜここで録音されたシャルプラッテンのレコードのいずれもが、あのように「音」が良いのか、その秘密がとにかく知りたかった。その「音」だ。とにかく、よく響く。非常に大きく、ゆたかに響く。歩く音が、二人が会話する小さな話し声が。その響きは当然ながら、石材主体の硬く冷たい響きとは全く違う。響きの秘密は木の床だろう。ゆっくりと歩くだけでも、木の床がみしっと軋む音がボア~ンと言うような感じで広い容積の空間に大きな音で暖かく響き渡る。椅子の一脚でもずらそうものなら全館に響く。同じ木の床でも、後で訪れたベルリンのキリスト教会の床は、ここよりももっと厚手で硬めなしっかりとした感じの床だったが、ここルカ教会の床はそれよりも木目の密度がもう少し大きい感じ。「木材」と言う塊の感じでなく、どちらかと言うと厚みのある「木の板」と言う感じだ。日本でも20年くらい前まではかろうじて残っていた、戦前から戦後しばらく位に建てられた小学校の旧校舎の教室によく見受けられたような木の板の床を、もう少ししっかりとしたような感じだ。加えて一階の木の板の壁と、二階の固定の木の長椅子の反響も大きいだろう。本当に驚くほど大きく、しかし大事なことは「心地よく包まれるように響く」ことだ。

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祭壇の部分は石材。ここであのドレスデン・シュターツカペレの演奏が繰り広げられたわけだ。この石の上で強く響き、床と壁の木の板でやわらかく反響し、上部の大きな空間がその音で満たされたわけだ。
 
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対応して頂いた女性の職員のかたは、大変親切に接して頂き、どうぞたっぷりとご自由に見学して下さいと言って一階、二階と自由に見学させて頂いた。興奮ではやる心を落ち着けても、一歩あるくだけでミシッ、ミシッと盛大に床が鳴る。やはり一階からの写真と二階からの写真で、ずいぶん印象が変わる。夢中と言うのはこういう事だろう。時が経つのを忘れ、40分くらい写真を撮っていると、どうやら同じような見学の男性がひとり、先ほどの職員の方と入って来られて、我に返った。壁面の特徴的な吸音パネルは所々に傷みも見られたが、印象としては比較的良好なかたちで往時の姿が保たれていたことに感動した。今でも十分に立派で美しい響きが聴ける演奏会場としても使われることがあるのだろうと思った。職員の方に丁重に御礼を申し上げ、この歴史ある音楽の聖地に別れを告げ、ドレスデンの旧市街へと戻った。
 
 
(以下、2014年7月5日追記)
 
憧れの聖地を訪問した興奮と感激が冷めやらぬまま、上の記事を書いたため、肝心の教会自体の略歴をすっ飛ばしていたことに気がついた。教会HPの情報によると、建物は1904年に完成とあり、R・シュトラウスが「サロメ」を書いた頃。ウィーンではマーラーやクリムトらが活躍した時代、日本では日露戦争の1年前になる。第二次世界大戦では1945年2月13日の連合軍の徹底したドレスデン空爆により、教会内部が破壊され、南側の尖塔上部も失われた。尖塔は現在もそのままの状態で、やや不恰好な印象を受ける。大戦後は、この物的損失に加え市民に多大な犠牲者が出たことによる人口減少、またナチ政権の体制に組み込まれたことも影響したのか、正常な教会機能がすぐに復活することは難しかったようだ。1950年代の後半くらいからSKDの練習場と録音会場として使われはじめ、その後60年代なかばまでにはVEBシャルプラッテンの録音用会場として、本格的に整備されたと言うことだ。なにしろ、内部の壁面が整音用の吸音パネルの教会と言うのは、他にはありえないだろう。通常の教会としての機能が復活したのは、1972年になってからと言うことだ。
 
モータウンレコードの発祥の地デトロイトにある「ヒッツ・ヴィル」は、ごく普通の民家(ベリー・ゴーディーJr.の?)を録音スタジオに改装したもので、その小さな家から世界的なポップスのヒット曲が量産されたが、ジャンルは違えどここドレスデンのルカ教会も、クラシック界の偉大なる「ヒッツ・ヴィル」、あるいは「ヒッツ・キルヒェ」と言うべきだろうか。
  


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ウィーンからライプツィヒへ移動し、5月8日夜、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団のコンサート。指揮はサー・アンドリュー・デイヴィス。演目以下。
 
1、リヒャルト・シュトラウス
  大オーケストラとオルガンのための祝典前奏曲
  作品61
2、ベルナルト・ランズ
  ピアノ協奏曲
 
  休憩
 
3、リヒャルト・シュトラウス
  交響詩「ツァラトゥストラかく語りき」作品30
 
 

ライプツィヒはベルリンから快適なDBの高速鉄道ICEに乗って一時間。伝統と文化のある、旧東ドイツの地方都市。街の規模はそれほど大きくなく、ただ観光に訪れるには古都の中心部はこじんまりとしている。ただし近郊のライプツィヒ・ハレ空港はヨーロッパの物流のハブ空港として一大拠点となっている。DHLはここを拠点にヨーロッパ全域に物流網を築いているようで、ゲヴァントハウス管の最大のスポンサーとなっているようだ。
 
ゲヴァントハウス管(以下、LGOと略)は知られた通り、貴族や王族の所有でない一般市民が創設したオーケストラとして最古の歴史を誇る由緒ある楽団。過去にはメンデルスゾーンらの活躍で名を馳せた。戦後はコンヴィチュニー、ノイマン、マズア、ブロムシュテットらを音楽監督に頂き、ドイツ的な重厚な演奏をいまに伝える。現在の音楽監督リッカルド・シャイーのもと、有力なスポンサーも抱え精力的な活動が見られるのは頼もしい。ここでのコンサートは昨年のはじめに体験して以来二度目。再び訪れたくなるような不思議な魅力と個性を備えた、音響の良いコンサートホールだ。
 
さて一曲目のシュトラウスの「祝典前奏曲」は、オルガンをフューチャーした12分位のファンファーレ的な曲で、1913年にウィーンのコンツェルトハウスの落成記念を祝う曲として委嘱された。ライプツィヒでは翌14年、ニキシュの指揮で初演。現在の建物の新ゲヴァントハウスとなってからは、88年にマズアの指揮で演奏。今回のオルガンは、その時と同じミヒャエル・シェーンハイト。
 
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このような立派なオルガンを設置した本格的なホールで、オルガンとオーケストラのフル演奏が聴ける機会はあまり無いので、非常に貴重な機会に恵まれた。オルガン奏者は正面のオルガンの中央ではなく、舞台上手のほうのオケの後方にエレクトーンほどの大きさのキーボードを設置し、ここからの演奏で正面の巨大なオルガンのパイプをコントロールしている。かわりに正面のオルガン中央部分には、トランペットのバンダ数名が立って待機している。
 
曲は、いかにも祝典ファンファーレ的な仰々しい感じの曲だが、さすがにオルガンのサウンドの迫力が堪能できる。この曲、このホールならではの感動だ。オルガンのマニピュレートによって、正面の巨大なオルガンの扉が閉じたり開いたりするのがよく見え、こうやって音が出るのか、と感心した。教会でのオルガンコンサートとはさすがに違った興奮を覚える。当然ながら実演でははじめての体験で、壮大で迫力ある演奏に感動した。http://youtu.be/mWYC3_4nuic
 
2曲目のピアノ協奏曲は、いかにも現代音楽といった趣きの、非常に繊細なタッチの曲だった。今年4月にボストンで世界初演。ドイツでは本日が初演。ともに演奏はジョナサン・ビス。こういう曲をどう説明したら良いのかはわからないが、繊細さと余韻を味わえる良い演奏だった。
 
さて本命視していた「ツァラトゥストラかく語りき」である。この曲も生で聴くのは今回の演奏がはじめて。CDでは、もちろん長年愛聴してきている。そこで今日、生での演奏のこの曲をはじめて聴いて、いかに今まで自分がこの曲に対して、非常に特殊で、言ってみれば邪道な聴き方をし続けてきたかを、身をもって実感した。つまり、自分の今までのこの曲の聴き方は、あくまでもオーディオ装置としてのみの「ツァラトゥストラ」の聴き方でしかなかったのだ。映画やTVでの使われ方にも、影響は受けてはいたのだろうかと思うが、とにかく最初の壮大な導入部からオルガンのフルサウンドのところまで、それこそ腹に響き、部屋が震えるくらいの最大限の音量で、宇宙の大鳴動を感じることが醍醐味だと思って聴いてきたのだ。それだけに、今回の初の生演奏も、かなり思い入れたっぷりで臨んだわけだ。ところが、当然ながらそれは、アンプリファイドされたグロテスクな再生音であって、生の楽器の演奏では、そんなことはなかったのだ。もちろんトゥッティでの強奏には違いないが、そんなこけ嚇しのような、赤子騙しのようなものでは全くない。なるほど、いかに今まで自分勝手な思い込みで聴いてきたか、よくわかった。とは言え、せめて第一部最後のオルガンのサウンドは、もうあと数秒は体感していたかった。自分の感覚では6、7秒目でクレシェンドと言うところなのだが、この演奏では、5秒くらいであっさりと途切れた感じだった。あるいは指揮者の解釈であって、ラトルBPOあたりだと、また違った迫力だっただろうか。
 
第二部以降は、シュトラウスらしい軽やかな部分や穏やかな部分もある、変化と起伏に富んだ面白味のある曲だ。それは十分楽しめた。しかし全体的なサウンドのボリューム感として、自分はかなり独特な期待を抱き過ぎていたようである。サウンドの迫力としては、2月来日公演のマーラー7番のほうが圧倒的だった。
 
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ちなみに、ゲヴァントハウスの真向かいにはライプツィヒオペラがあり、ここでもLGOがオペラの演奏をしているが、レベルは低くはないものの、なかなか予算上の問題でオペラハウスとしての認知度としては今ひとつ弱いところだろうか。せっかくなのでオペラも聴いてみたかったが日程が合わず、子供向けのオペラ「ピノッキオ」を少しばかり覗いて、ライプツィヒを後にした。
 
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5月5日夜、ウィーン国立歌劇場にてシャルル・グノー作曲「ファウスト」鑑賞。いつかこの劇場で、グノーの「ファウスト」か、ボーイトの「メフィストフェーレ」を見てみたいとずっと思っていて、ようやくその機会に恵まれた。原作のゲーテはドイツ語であることは言うに及ばず、グノーのはフランス語、ボーイトのほうはイタリア語での、よく出来たオペラだ。どちらもCDで音楽を聴いているだけでもオペラの醍醐味を味わえる。特にグノーの「ファウスト」は、いかにもフランスもののグランド・オペラ風で、メロディも美しく、面白い。内容もさほど難しいと言うほどではないが、全5幕で、やはり長い。今回は3幕と4幕の間に休憩一回。
 
 
ボーイトの「メフィスト」は、95年スカラ座でのムーティ指揮サミュエル・レイミーのCDで圧倒された記憶がある。是非映像で見てみたいと思い、長年検索しているがどうやらこの映像は存在しないようだ。かわりにそれより旧いSFオペラでのレイミーの同作の映像があるのはわかっていたが、国内ではずっと入手不可能だった。今回のウィーン訪問でアルカディアでも検索してもらったのだが在庫なしで、それがなんと次の訪問地ライプツィヒ・ゲヴァントハウスのCDショップで探してもらったら、引き出しから出て来たのだ!それはまた後ほど観るとして、今回のウィーンでのグノーの「ファウスト」だ。
 
当初マルグリートはアンナ・ネトレプコが出演予定で、案の定チケットが暴騰していて正規のウェイティングでは入手は絶望的だった。とは言え、日程がベストだったのと、歌手が誰であろうと一度は観てみたいオペラであったし、それが話題のネトレプコとその旦那のアーウィン・シュロットがメフィストと来れば、なおさら観てみたい。正規料金の倍以上のぼったくりとはわかったうえで、やむなく代理店経由でチケットは押さえておいた。それが急遽ネトレプコがドタキャンしたと言うニュースが駆け巡ったのは、今年3月も下旬。アチャ~!オペラ観劇20年にして、ついにやらずぼったくりの日が来たか!と愕然とした。代役はブルガリア出身のソーニャ・ヨンチェバ。おいおい、誰かは知らんが、このプライスに見合うのかよ~!とクラクラと来ていたら代理店から連絡があり、プレミア差額分は返金しますとの事。とりあえず良心的な代理店で、運がよかったとホッと胸を撫でおろす。それでも手数料としては高いほうだが、なんとか助かった思い。ネトレプコはしかたがない。縁が無いものと諦めよう。そもそも、当初からシュロットとは出産後別居状態で、離別は決定的とは言われていたし、そんな状態で夫婦で共演できるのか?と半信半疑だった。それでは、旦那のシュロットのメフィストに、賭けてみようじゃないか!
 
シュロットのほうは、CDも映像も観たことがなく今回が初めてで、どうなることかと実際に観てみるまで、まったくわからなかった。各種ネットでの情報や画像で見る限り、ハリウッドのスターかイケメン・アスリート気取りで、吉本の小藪千豊風に言えば、「なんか、イキッてんちゃうん?」みたいな感じの、いけ好かんあんちゃんだ。なにはともあれ、「ファウスト」もタイトル役よりはメフィスト役こそが本命。これで歌がカスだったら、思いっきり笑ってやる!そんな思いで、手ぐすね引いて臨んだ。
 
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席は悪い席ではなく、舞台を目で見て楽しむには最高の、前から二つ目の右手一階ロジェの一列目。斜め前からではあるが、ベルトランド・ド・ビリーの指揮ぶり、オケ・ピットの演奏ぶり、そして歌手の歌と演技を間近に堪能できた。ただ、一番大事な「オケの音」をメインに言うと、おすすめではない席だ。と言うのは、足もとから肘置きの高さまでは当然ながら構造物に遮られているので、ピットの上手側1/4くらいが完全に死角になってしまうことだ。「見えない」と言うのはどう言うことかと言うと、演奏会の場合、その部分の楽器の音も直接に「聴こえない」ことと同義である。音が直接に耳に伝わらずに、その壁の表面をすり抜けて上に逃げてしまうのだ。その結果一部の楽器については、耳に届く音は壁や天井に反射した間接音が主になる。しかし、目に見えている他の楽器は直接音で聴こえているのだ。今回の場合、ヴィオラの後方とTp、Tb、ティンパニー、小太鼓の音が完全に遮られてしまい、非常にいびつな音になってしまった。フレッシュな音を聴こうとすると、それらが見える前方まで身を乗り出さざるを得ず、たまにはよくても、ずっとその姿勢ではお行儀も良くなく、隣りの人の視界を妨げてしまう。一長一短の、クセのある席だった。音を最大限重視したいなら、もう少し中央部分、この劇場で言えば一番安い中央の立ち見席近辺の一列目の席がベストです。

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ただ、同じロジェ(BOX)でも、二列目より後ろになると、視界が悪いだけでなく、個室の壁がビロード状で音を吸ってしまうので、デッドになってしまいます。同じ一列目でも、身を乗り出し気味で聴くか、椅子の背もたれに深く座るかの何十㎝くらいの差で音が変わります。平土間も前方よりはやや後方のほうが視覚的にも音響的にも良いと感じる。席から斜め下の小太鼓を見ると、もう百年以上はそのまま使っていそうな真鍮製の古ぼけたもので、スタンドさえ使わず、木製の椅子に斜めに置いた状態で演奏しているのには驚いた(上の写真はこの席からは死角になっている部分)。
  
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2008年のプロダクション・プレミエは、アラーニャとクワンチュル、ゲオルギューだったようだが、今回はヨンチェヴァ、シュロットの他にファウストがピョートル・ベチャワ、ヴァレンティン=エードリアン・エレード、マルテ=アウラ・タヴァロウスカ、ジーベル=ステファニー・ヒューツィルと言う顔ぶれ。演出 Nicolas Joel und Stephan Roche、舞台 Andreas Reinhardt und Kristina Siegel。 舞台は拍子抜けするほど、いたってシンプル。冒頭のファウストの場面は、緞帳の前でペチャワとシュロットの二人、緞帳の右上に二人が異次元へ飛び立つ翼が吊り下げられているだけ。ファウストはごく単純にウィスキーのポケット・ボトルを空け、緞帳の切れ目に引っ込んだかと思うと、白髪の鬘と髭を取っただけの変身で再び登場。あまりに芸の無い演出に思わず失笑が漏れる。この後も、舞台装置と言えば、舞台中央に設えられて場面に応じて移動しながら使われる、5m四方くらいの衝立のような大きな木の枠くらいと、教会を思わせるオルガンのセットくらい。味も素っ気もないと言うか、低予算丸出しと言うか、「ウィーンではまだオペラは見せるエンターテイメントではなく、聴かせる芸術の領域で十分やっていけます!」宣言しているかのようだ。「見せる」オペラが観たい人は、高いチケットを買ってザルツブルクへ行くか、ドイツの他の都市へ行ってください、と言っているようだ。まあ、ベヒトルフを起用しているあたりはまだ見ていられるけれど。
 
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で、まずは最も注目していたのはE.シュロットのメフィスト。異様に高い襟で悪魔性を強調した、分厚いラム革の上下にブーツと言う黒づくめの衣装に、右手に大きな真っ赤な扇子という衣装はなかなか似合っている(左写真では襟を折っているが、この日はずっと立てていた)。評判通りのルックスに、オペラグラスで観察すると左右胸元には地彫りのタットゥーがちらりと見えるあたり、まあ、この役には持って来いか。少なくとも、3日にドイツ・レクイエムで聴いたペーター・マッテイとは正反対のキャラクターだ。これで歌がしょぼかったら、小藪千豊風に「なに、イキッとんねん、カス~!」とでも言ってやろうかと待ち構えていたが、いや、なかなか聴かせる実力ありで、脱帽しました。独墺人にはヨン・クワンチュルのような東洋人のほうがより悪魔的に見えるのかと思っていたが(バイロイトでもクリングゾルをやっているように)、はるかに若いシュロットの色気のある悪魔というのも、今回の一番の見ものであった気がする。それにしても舞台上でこの分厚い革のコートで、グラスでよく見るとかなり汗が流れていました。
 
もちろん、急遽ネトレプコの代役で白羽の矢の当たったヨンチェバも容姿もよく、「宝石箱の歌」など歌唱も十分よかったが、驚くほどの感動と言うまでではなかった。ペチャワもまずまずと言ったところで、不満はない。ヴァランタンのエレードは、さすがに2008年のプレミエからこの役を歌っているだけあって、安定した歌唱と演技だった。ファウストとの決闘の場面は、シュロットにワン、ツー、スリーの速攻で秒殺される演出が笑えた。しかしこの兄の役、いくら妹が不義を働いたからと言って、あまりに妹をえげつなく呪いすぎじゃない?と、いつも思う。
 
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指揮のビリーは驚くほどオーラがなく、そのへんの中年のオッサンのような感じだった。上述のように席の具合で音がいまひとつ良い状態で聴けなかったことも大きいが、オケの演奏もちょっと覚めた印象に思えた。ただ、何度も言うように、違う席だとどのように聴こえたかはわからない。残念だったのは、時間配分上無理だろうなと思っていた通り、5幕目のワルプルギスのバレエ場面がバッサリとカットされていたのと、最終場面の天上からの壮大な合唱でマルグリートが救われるところが、なんとオルガン・合唱とも両脇のスピーカーからのいびつな音で締めくくりとなったこと。あまりのことに、ポカンとしてしまった。これはイカンやろ!2008年以来ずっと、この終わり方なのか?これではブラボーも出ないわ…
 
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終演後、アルカディアの奥のステージドアの前で待っていたら、まずはエレード、そしてシュロットが出て来たので、すかさずパチリ。結構テクが要るんです。そのあと、こちらはサインをしてもらう用意もしてなかったんで、結構気前よく時間をかけてサインしまくっているシュロットをただ見ていると、こちらのほうにもズンズンと向かってきたので、仕方なく右手を差し出したら、気前よくガッチリ握手をしてくれました。う~ん、悪魔と握手をしてしまった、ウィーンの夜は更けて…
 
 
 
 
 
 
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翌5月4日夜は同じ楽友協会にてウィーン・ベルリン室内合奏団とヨナス・カウフマンの共演。
プログラムは以下の通り。
 
 
1、メンデルスゾーン
   弦楽合奏のための交響曲10番
       Adagio - Allegro
2、マーラー
   さすらう若人の歌(A.シェーンベルク編曲)
   テノール  ヨナス・カウフマン
 
   休憩
 
3、リヒャルト・シュトラウス
   「カプリッチオ」op.85 より 弦楽六重奏曲抜粋
4、アルノルト・シェーンベルク
   浄められた夜 弦楽合奏編
 
 
ウィーン・ベルリン室内合奏団は、その名の通りウィーン・フィルとベルリン・フィルの主要弦楽奏者と管楽器奏者20人で構成され、現在はウィーン・フィルのライナー・ホーネックさんがリーダーを務めている。言ってみればウィーン・フィルとベルリン・フィルのいいとこ取りが楽友協会で聴けるのだから、有難い。加えて人気のカウフマンだ。ウィーン・フィルの定期コンサートはこの会場では聴けていないが、まあ、半分それが聴けたようなものだ。いや、冗談ではなく、卵白の泡をふわっとつかむような音の出方というのが、一曲目のメンデルスゾーンで凄くよくわかった。これはたしかにこのホールならではのやわらかな響きだと実感。いい曲だ。帰ったら当然この曲のCDを買うだろうが、この味わいを再現するのは無理だろうな、と感じる。いやはや、なんと言ってもトップ・オーケストラ2つの主要弦楽奏者のアンサンブルだけのことはある。同じシャルドネでも、チリのシャルドネとフランスのシャルドネは違うのと似ている。体調も幾分か昨日よりは回復し、席も同じ左側のロージェ一列目でももう少し後方になった分、音がまろやかに溶け込んで聴こえる。小人数の弦楽合奏ながら、じゅうぶんに豊かな、素晴らしい響きだ。
 
そして、いまやドイツでは人気絶大なテノールのカウフマン。「さすらう若人の歌」は、若き日のマーラーのみずみずしい感性が味わえる作品で、メロディの一部は交響曲第一番とも共通している。この曲を聴くとき、この作曲家はなんと自然の美を愛し、それを音に表現できるのだろうと感嘆する。この曲はアルトやメゾで歌われることも多いらしいが、やはり歌詞からしてテノールがいい。で、どうしてもこの曲をカウフマンで聴きたかったのかと言うと、自分自身はそれほどではないのだ。昨年ザルツブルクで観た「ドン・カルロ」は素晴らしかった。熱いイタリアものは是非彼で聴きたいのだが、ドイツ出身の人気歌手なのに、あまりドイツ語の作品をどうしても彼で聴きたいと言うほどまでの強い気持ちがおこらない。久々のドイツ出身の大物テノールと言うことで地元での人気は絶大なものがあるが、他のワーグナーファンからして、彼のローエングリンはどうなんだろうか。私はスカラ座での公演をTV放送で観たが、いまひとつ好きになれなかったし、ザルツブルクでの「ナクソス島のアリアドネ」のバッカスも男性ホルモン(フェロモン?)が強烈すぎて好きになれなかった。
 
それよりも、この曲では弦楽合奏にピアノ伴奏がセットになったような演奏だったのだが、歌手にはそれが歌いやすい方法かも知れないが、どうも弦楽とピアノの音量のバランスがまとまり悪く聴こえ、パーカッシヴなスタインウェイの響きが妙に浮いて聴こえた。あと、トライアングルの「ティーン!」というのも、これくらいの小編成だとやたらと目だって聴こえるのだが、弦楽奏者が兼ねてやっていた。
 
R・シュトラウスの「カプリッチオ」は、オペラの実演ではまだ聴いていない。抜粋の「月の光」はホルンのソロが美しい曲だが、今回の弦楽曲ははじめて聴いた。シュトラウスらしい、音符が宙に浮いたような浮遊感が独特の美しい曲だった。これもそのうち購入しようと思った。
 
シェーンベルクの「浄夜」は、昨年夏のザルツブルクでもラトル指揮BPOの弦楽合奏によるものを聴いたが、同じ弦楽でもあちらは強力大編成バージョンの分厚い音だったが、今夜は弦楽六重奏バージョン。その分エッジが利いて瑞々しく、冴えた演奏に聴こえた。楽友協会ホールでは、六重奏でも豊かに響いて聴こえることがよくわかった。逆に言うとここではシカゴのような巨大オケが「春の祭典」のような曲を演奏するには向いていないだろうな、と思った。
 
曲が終わって、鳴りやまぬ拍手のなか、ちらほらと帰りかける気の早い人もいたのだが、サプライズはその後にありました。いったん引っ込んでいた他の奏者全員が、アンコールで舞台に戻ってきたのです。そして、なんとカウフマンまでアンコールのために最後に出て来たのです。彼は第一部でもアンコールを歌いましたので、もう出番は終わって帰ったんだろうと思っていたら、最後まで着替えずに残っていたんですね。お客さんは大喜びです。アンコールは、R・シュトラウスの「Morgen」と、ワーグナーのヴェーゼンドンク歌曲集から「Traume」の大サービスです。特に「夢」は、ほとんどトリスタンとイゾルデの習作でもあるので、「もしかしてトリスタン?!」と浮足立ったのですが、「愛の死」はイゾルデのほうだし、トリスタンをこういう歌い方では使わないよな、と思って聴いていたら、「夢」だったのでした。こうやってお客さんの反応を見ながら、「さあ、そろそろトリスタンにも備えて行きますよ」ってアピールをしているのかと思ってしまった。
 
冷めやらぬ感動のなかウィーン楽友協会の建物を後にすると、カールスプラッツの駅の上にはきれいな満月が輝いていた。
 
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5月連休なかばから、ウィーンとドイツ各地で現地の通常公演でのコンサートとオペラを鑑賞してきました。突然のお休みで失礼いたしました。
 
5月とは言え、暖かい日本の初夏とは程遠い、日本で言えば3月上旬程度の13~15度程度の寒さに、頭ではわかってはいたものの体調を崩しました。胃腸薬、風邪薬、咳止めが常に手放せない旅となってしまいました。
 
鑑賞してきたのは、5つのコンサートと5つのオペラの10公演。このブログでも、よく現地から速攻でレポートして行かれる方もおられるようだが、とても自分には出来ない芸当だと実感した。帰国後も溜まっていたあれこれの整理と時差ボケ、体調不良でなかなか手につかず、ようやくこれから、ぼちぼちと反芻しながら、綴って参りたいと思います。それでは、まずは実質滞在一日目(初日は夜に現地着)のブロムシュテットとウィーン響、楽友協会合唱団によるブラームス「ドイツ・レクイエム」から始めたいと思います。
 
 
 5月3日、ウィーン楽友協会にてヘルベルト・ブロムシュテット指揮、ウィーン交響楽団・ウィーン楽友協会合唱団によるブラームスの「ドイツ・レクイエム」を聴いた。ムジークフェラインでの本格的なコンサートは、2005年以来なので、もう9年ぶりになる。もちろんウィーン・フィルの定期コンサートをここで聴きたいものではあるが、旅行者にはなかなか敷居が高いことは今でも変わらないし、旅程もなかなか運よく合わない。ウィーン響はウィーン・フィルに比べてしまうと当然格下ではあるが、ウィーン市民が普通に気軽に聴きに来られる地元のオケとして愛されていて、旅行者にも聴ける機会も多い。楽友協会で聴ける本格的なクラシックコンサートとしては、十分に堪能できる実力あるオケのひとつだ。
 
それに加えて、86歳のブロムシュテットによる「ドイツ・レクイエム」と言うのだから、これはもう今聴いておかなければという絶好の機会だ。合唱もいままで様々な指揮者とこの曲を録音してきている実力十分な楽友協会合唱団で、独唱はもちろん、合唱を重視する派にも納得だ。ソプラノはクリスティアーネ・カルグ、バリトンはペーター・マッテイと言う実力派。
 
 
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昨夜遅くにウィーンに到着してから二日目夜の日程だが、実質滞在初日はあいにくの小雨に、予想はしていたが気温も13度くらいでかなり寒く、日本のゴールデンウィークにはほど遠い。Tシャツの男性とダウンジャケットの女性が並んで歩いているので、よくわからない。せっかくなので、ショルティが指環を録音したゾフィエンザールの跡地があるので、訪れてみた。小雨が降るなか、ウィーンミッテ駅からマルクスガッセを東に歩いて数分の所に、それはある。
 
ゾフィエンザールと言えば、クラシック好きなら一度は耳にしたであろう、ウィーンでのデッカの録音用スタジオとして使われていたことは有名だが、楽友協会は訪れても、ここを訪れる観光客は多くはいないだろう。録音スタジオとして使われなくなってからもその建物はそのまま放置されていたようで、90年代に一度前を通った時は、往時そのままの面影だった。ところが、数年前に火事で全焼し、廃墟となってしまったらしく、現在見られる建物は、ファサードのみを忠実に再現した、まったく新しい複合ビルに生まれ変わっていて、現在はまだ使われていないが、ホテルやマンションとして使われる予定とのこと。
 
近くとは言え、小雨降る寒いなかを薄手のコート一枚で歩いたのと時差もあり疲れてしまい、午後はホテルに戻り夜のコンサートに備える。どうやら風邪をこじらせてしまったようで、今までになく体調不良のなかで、薬を飲んで一日目のコンサートを聴きに楽友協会に向かった。途中、5時から6時くらいにかけて、リンク通りを遮断してとんでもなく大音量のスピーカーを満載してトラックを山車にした盛大なパレードに遭遇した。並みの音響でなく、数十メートル離れていても窓がびりびり響いているような殺人的な大音量でのパレードで、もとから良くない体調がさらに悪くなった。あとで聞いたところによると、「マリファナ解禁要求」の大パレードだったらしい。いい加減にせい!これで7時からのコンサートは大丈夫なのかと不安になったが、開場するころには、きちんと終了したようだ。
 
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さてはともかく、ブロムシュテットとウィーン響、ウィーンムジークフェライン合唱団によるブラームスの「ドイツ・レクイエム」だ。席は前から二番目の左側ロージェの一列目なので、わずか3~4メートルほどの斜め後ろの至近距離からブロムシュテットと独唱者の姿と声を堪能することができた。この静謐な音楽の始まりを、どれだけ心待ちにしていたことか。CDでは何度も聴いてきた曲だが、本格的なコンサートでの生の演奏は今回が初めてだ。はじめにCDで聴いた時の刷り込み効果が大きかったせいか、個人的にはなぜか薄雪の積もったクリスマスの時期に、寒い小部屋で寒さをこらえながら聴くイメージが定着してしまっていたので、緑の5月にこの曲を聴くのはどんな印象になるか楽しみだったが、緑ではあるが気温は13度くらいで、しかも風邪気味。初日から疲れ切っている身体に、やわらかく静謐な「ドイツ・レクイエム」の音楽が、ゆっくりとはじまった。
 
席が前方すぎるので、オケの音は耳がなれるまでは、どうしてもまろやかに溶け込んだ音には聞こえないが、目いっぱいの弱奏でミュートをしたように繊細な弦の音色が印象的だ。とにかく出だしの合唱がこころに沁みいって来て、ゾクッとする。私の方は体調が万全でなく、いつものような弾んで高揚した気分ではなかったのも、この曲を聴くうえではむしろそれは都合がよかったかもしれない。ブロムシュテットは、指揮棒は持たずに両手のひらを使ってリードし、譜面は置いていない。合唱の間、ずっと共に歌詞を口ずさんでいるのが目の前に見える。各楽章では、彼の合図で合唱団が着席し、起立するタイミングも心得た感じだ。各楽章の終焉部など、右手の人差指をゆっくりと下から上に持っていき、切れのよい指揮ぶりが印象的で、休憩の無いこの長い曲をまったく疲れも見せずに振り通し、とても86歳と言う高齢を感じさせなかった。やはり菜食主義は長生きの秘訣か。
 
独唱の二人もはじめてで詳しくはないが、ペーター・マッテイは変な押し出しもなく、深みのある丁寧な歌唱で、納得のいく演奏だった。クリスティアーネ・カルグも現在人気のソプラノのようで、艶のある美しいソプラノの歌声だった。高尚すぎず、軽すぎず、まったくこの曲を聴くに違和感のない美声で、その容貌も含めて、目の前で聴くことが出来たのは、幸いであった。
 
 
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Berlin Konzert haus

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