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今回のドイツ訪問記も、残すところベルリンとフランクフルトのみとなりました。
 
ベルリンへはドレスデンから列車ECで約2時間。今までベルリンに来た時には、必ずベルリン・フィルかシュターツカペレ・ベルリンのコンサートを聴きに行っていたが、今回の滞在中それらは聴けず、唯一ドイチュ・オーパー・ベルリンで「トリスタンとイゾルデ」が観られたが、それで充分満足。DOB2005年に「サロメ」(ウルフ・シルマー指揮)と「ばらの騎士」(クリスティアン・ティーレマン指揮)を観て以来、もう9年になる。以前「リンデン・オーパー」の愛称だったベルリン国立歌劇場はまだ改装工事中で、シラー劇場での引っ越し上演中だが、滞在中にオペラはなかった。シラー劇場はDOBの近くだが、歩くのが面倒で結局は行かなかった。そのかわり、ベルリンではかつての東西のイエス・キリスト教会を訪れることができたのは、先に書いた通り。

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DOBの「トリスタンとイゾルデ」は現在の音楽監督のドナルド・ランニクルズ指揮で、演出がグレアム・ヴィック、それにトリスタンがシュテファン・グールド、イゾルデがニーナ・シュテンメと言うことで、なかなかの見もの、聴きものかと期待に胸が弾んだ。今回のDOBの「トリスタンとイゾルデ」は、20113月プレミエで、3年目になる。まあ、新しいほうだろう。
 
グレアム・ヴィックの演出は、1996年のフィレンツェ五月音楽祭の「ルチア」の来日公演でスコットランドの荒野をイメージした美しい舞台美術が印象に残ったが、今回のDOBの「トリスタン」では、かなり現代調の演出で、前半などはやや説明過剰の詰め込みすぎの印象を受けた。
 
舞台と衣装は現代、印象としては80年代後半くらいのベルリンのごく普通のアパートの一室での、ごく一般的な日常生活という感じだろうか。とにかく主要人物以外の脇役たちが、掃除人だとか窓ふきだとか、工事の作業者のような、ごく雑多な日常の延長を思わせる役回りで、次から次へと出てくる。それらの描写にはロマン性のかけらもないが、それが目論見なのだろう。それに加えて、一糸まとわぬ女性や男性、薬が切れて禁断症状でのた打ちまわる男が出てきたりで、もう冒頭から騒がしいのなんのだ。この全裸の男女はそのあとも主要な場面でも出てくるので、それなりの意味は込められていよう。「昼」が「衣服」と言う「虚飾」の記号を身にまとった「虚栄」を意味するものならば、「裸」は当然、そこから解放された真のトリスタンとイゾルデの「夜」の姿であることは、歌詞から想像できよう。二幕では、トリスタンの分身を思わせるこのスッポンポンの男性が、スコップで「墓穴」を掘っていく。
 
あとはまあ、イゾルデの秘薬を二人して呷る場面は、誰もが予想できるように、注射器で怪しげな薬を打つと言う安直な演出になっている。今でこそ、その種の薬品の医療用以外の使用については世界的に厳しい規制が当然の風潮ではあるが、もともとアヘンチンキなどと言うものは、ワーグナーの時代には子供の歯痛止めとしてもごく一般的に出回っていたくらいだから、ワーグナーの音楽の持つ毒性のなかに、けし坊主からの抽出・精製液の影響があると解釈しても、一向におかしくはないと言うどころか、その様に解釈するのが、ごく自然なことだろう。コカ・コーラだって、1920年代位までは、実際に「コカ」抽出液を希釈したソーダからの始まりだし、多くの絵画やベルリオーズの「幻想交響曲」もアブサンなしには生まれなかっただろう。
 
演出の最大の見ものは、第三幕目である。ここで登場人物は全て、第二幕の場面から数十年が経過したじいさん、ばあさんになって登場する。なるほど。これは今までありそうでなかった解釈ですね。逆に言うと、あの日からトリスタンは、数十年の年月、傷に苦しみ、イゾルデを思い焦がれ続けているわけで、むしろ残酷な演出ではある。牧童もおじいちゃんなら、忠臣クルヴェナールも白髪だらけでヨレヨレのカーディガンを着た足腰の弱ったおじいちゃん。トリスタンも、ぶるぶると手を震わせながら歌う姿からは哀愁が漂う。やっと現れたイゾルデとブランゲーネも、どこかの老人ホームから来ましたと言うような人生の末路を印象つける出で立ちで、現実世界の悲哀を感じさせる。なんだかNHKの「クローズアップ現代」のようだ。トリスタンはいつの間にか行方不明者のように消えていなくなり、最後にイゾルデは「愛の死」を歌い終えると、部屋の外の人並みの行列に交じり、その波に流されて、消えて行ってしまう。「トリスタンとイゾルデ」と言う特殊な英雄とお姫様の文学的世界ではなく、だれもがいずれは迎える「老い」の現実の世界をクローズアップした、あまりロマンティックではないけれども、なかなか見ごたえのある舞台演出であった。
 
歌唱については、みなさん言うことなし、それぞれに素晴らしい実力の歌手たちでした。上記の二人に、エギリス・シリンズのクルヴェナール、タニア・アリエーヌ・バウムガルトナーのブランゲーネ、リャン・リーのマルケ王と、いずれも立派な歌唱で盛大な拍手を受けていました。
 
DOBの演奏は、弦については全く言うことはなく素晴らしいレベルなのですが、金管、特にホルンに難ありで、もう少し丁寧さがなければ音楽をぶち壊してしまいます。第三幕の冒頭なども、重厚で深い弦楽の演奏にうっとりとしていたら、ホルンが入った途端に現実世界に引き戻される思いです。この辺のところが、DOB、もうあと一歩と言う印象ですが、全体としてはもちろん素晴らしい演奏には違いありません。聴きごたえ、見ごたえある「トリスタンとイゾルデ」が楽しめました。(下の写真はDOBのHPより)
 
 
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