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5月5日夜、ウィーン国立歌劇場にてシャルル・グノー作曲「ファウスト」鑑賞。いつかこの劇場で、グノーの「ファウスト」か、ボーイトの「メフィストフェーレ」を見てみたいとずっと思っていて、ようやくその機会に恵まれた。原作のゲーテはドイツ語であることは言うに及ばず、グノーのはフランス語、ボーイトのほうはイタリア語での、よく出来たオペラだ。どちらもCDで音楽を聴いているだけでもオペラの醍醐味を味わえる。特にグノーの「ファウスト」は、いかにもフランスもののグランド・オペラ風で、メロディも美しく、面白い。内容もさほど難しいと言うほどではないが、全5幕で、やはり長い。今回は3幕と4幕の間に休憩一回。
 
 
ボーイトの「メフィスト」は、95年スカラ座でのムーティ指揮サミュエル・レイミーのCDで圧倒された記憶がある。是非映像で見てみたいと思い、長年検索しているがどうやらこの映像は存在しないようだ。かわりにそれより旧いSFオペラでのレイミーの同作の映像があるのはわかっていたが、国内ではずっと入手不可能だった。今回のウィーン訪問でアルカディアでも検索してもらったのだが在庫なしで、それがなんと次の訪問地ライプツィヒ・ゲヴァントハウスのCDショップで探してもらったら、引き出しから出て来たのだ!それはまた後ほど観るとして、今回のウィーンでのグノーの「ファウスト」だ。
 
当初マルグリートはアンナ・ネトレプコが出演予定で、案の定チケットが暴騰していて正規のウェイティングでは入手は絶望的だった。とは言え、日程がベストだったのと、歌手が誰であろうと一度は観てみたいオペラであったし、それが話題のネトレプコとその旦那のアーウィン・シュロットがメフィストと来れば、なおさら観てみたい。正規料金の倍以上のぼったくりとはわかったうえで、やむなく代理店経由でチケットは押さえておいた。それが急遽ネトレプコがドタキャンしたと言うニュースが駆け巡ったのは、今年3月も下旬。アチャ~!オペラ観劇20年にして、ついにやらずぼったくりの日が来たか!と愕然とした。代役はブルガリア出身のソーニャ・ヨンチェバ。おいおい、誰かは知らんが、このプライスに見合うのかよ~!とクラクラと来ていたら代理店から連絡があり、プレミア差額分は返金しますとの事。とりあえず良心的な代理店で、運がよかったとホッと胸を撫でおろす。それでも手数料としては高いほうだが、なんとか助かった思い。ネトレプコはしかたがない。縁が無いものと諦めよう。そもそも、当初からシュロットとは出産後別居状態で、離別は決定的とは言われていたし、そんな状態で夫婦で共演できるのか?と半信半疑だった。それでは、旦那のシュロットのメフィストに、賭けてみようじゃないか!
 
シュロットのほうは、CDも映像も観たことがなく今回が初めてで、どうなることかと実際に観てみるまで、まったくわからなかった。各種ネットでの情報や画像で見る限り、ハリウッドのスターかイケメン・アスリート気取りで、吉本の小藪千豊風に言えば、「なんか、イキッてんちゃうん?」みたいな感じの、いけ好かんあんちゃんだ。なにはともあれ、「ファウスト」もタイトル役よりはメフィスト役こそが本命。これで歌がカスだったら、思いっきり笑ってやる!そんな思いで、手ぐすね引いて臨んだ。
 
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席は悪い席ではなく、舞台を目で見て楽しむには最高の、前から二つ目の右手一階ロジェの一列目。斜め前からではあるが、ベルトランド・ド・ビリーの指揮ぶり、オケ・ピットの演奏ぶり、そして歌手の歌と演技を間近に堪能できた。ただ、一番大事な「オケの音」をメインに言うと、おすすめではない席だ。と言うのは、足もとから肘置きの高さまでは当然ながら構造物に遮られているので、ピットの上手側1/4くらいが完全に死角になってしまうことだ。「見えない」と言うのはどう言うことかと言うと、演奏会の場合、その部分の楽器の音も直接に「聴こえない」ことと同義である。音が直接に耳に伝わらずに、その壁の表面をすり抜けて上に逃げてしまうのだ。その結果一部の楽器については、耳に届く音は壁や天井に反射した間接音が主になる。しかし、目に見えている他の楽器は直接音で聴こえているのだ。今回の場合、ヴィオラの後方とTp、Tb、ティンパニー、小太鼓の音が完全に遮られてしまい、非常にいびつな音になってしまった。フレッシュな音を聴こうとすると、それらが見える前方まで身を乗り出さざるを得ず、たまにはよくても、ずっとその姿勢ではお行儀も良くなく、隣りの人の視界を妨げてしまう。一長一短の、クセのある席だった。音を最大限重視したいなら、もう少し中央部分、この劇場で言えば一番安い中央の立ち見席近辺の一列目の席がベストです。

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ただ、同じロジェ(BOX)でも、二列目より後ろになると、視界が悪いだけでなく、個室の壁がビロード状で音を吸ってしまうので、デッドになってしまいます。同じ一列目でも、身を乗り出し気味で聴くか、椅子の背もたれに深く座るかの何十㎝くらいの差で音が変わります。平土間も前方よりはやや後方のほうが視覚的にも音響的にも良いと感じる。席から斜め下の小太鼓を見ると、もう百年以上はそのまま使っていそうな真鍮製の古ぼけたもので、スタンドさえ使わず、木製の椅子に斜めに置いた状態で演奏しているのには驚いた(上の写真はこの席からは死角になっている部分)。
  
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2008年のプロダクション・プレミエは、アラーニャとクワンチュル、ゲオルギューだったようだが、今回はヨンチェヴァ、シュロットの他にファウストがピョートル・ベチャワ、ヴァレンティン=エードリアン・エレード、マルテ=アウラ・タヴァロウスカ、ジーベル=ステファニー・ヒューツィルと言う顔ぶれ。演出 Nicolas Joel und Stephan Roche、舞台 Andreas Reinhardt und Kristina Siegel。 舞台は拍子抜けするほど、いたってシンプル。冒頭のファウストの場面は、緞帳の前でペチャワとシュロットの二人、緞帳の右上に二人が異次元へ飛び立つ翼が吊り下げられているだけ。ファウストはごく単純にウィスキーのポケット・ボトルを空け、緞帳の切れ目に引っ込んだかと思うと、白髪の鬘と髭を取っただけの変身で再び登場。あまりに芸の無い演出に思わず失笑が漏れる。この後も、舞台装置と言えば、舞台中央に設えられて場面に応じて移動しながら使われる、5m四方くらいの衝立のような大きな木の枠くらいと、教会を思わせるオルガンのセットくらい。味も素っ気もないと言うか、低予算丸出しと言うか、「ウィーンではまだオペラは見せるエンターテイメントではなく、聴かせる芸術の領域で十分やっていけます!」宣言しているかのようだ。「見せる」オペラが観たい人は、高いチケットを買ってザルツブルクへ行くか、ドイツの他の都市へ行ってください、と言っているようだ。まあ、ベヒトルフを起用しているあたりはまだ見ていられるけれど。
 
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で、まずは最も注目していたのはE.シュロットのメフィスト。異様に高い襟で悪魔性を強調した、分厚いラム革の上下にブーツと言う黒づくめの衣装に、右手に大きな真っ赤な扇子という衣装はなかなか似合っている(左写真では襟を折っているが、この日はずっと立てていた)。評判通りのルックスに、オペラグラスで観察すると左右胸元には地彫りのタットゥーがちらりと見えるあたり、まあ、この役には持って来いか。少なくとも、3日にドイツ・レクイエムで聴いたペーター・マッテイとは正反対のキャラクターだ。これで歌がしょぼかったら、小藪千豊風に「なに、イキッとんねん、カス~!」とでも言ってやろうかと待ち構えていたが、いや、なかなか聴かせる実力ありで、脱帽しました。独墺人にはヨン・クワンチュルのような東洋人のほうがより悪魔的に見えるのかと思っていたが(バイロイトでもクリングゾルをやっているように)、はるかに若いシュロットの色気のある悪魔というのも、今回の一番の見ものであった気がする。それにしても舞台上でこの分厚い革のコートで、グラスでよく見るとかなり汗が流れていました。
 
もちろん、急遽ネトレプコの代役で白羽の矢の当たったヨンチェバも容姿もよく、「宝石箱の歌」など歌唱も十分よかったが、驚くほどの感動と言うまでではなかった。ペチャワもまずまずと言ったところで、不満はない。ヴァランタンのエレードは、さすがに2008年のプレミエからこの役を歌っているだけあって、安定した歌唱と演技だった。ファウストとの決闘の場面は、シュロットにワン、ツー、スリーの速攻で秒殺される演出が笑えた。しかしこの兄の役、いくら妹が不義を働いたからと言って、あまりに妹をえげつなく呪いすぎじゃない?と、いつも思う。
 
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指揮のビリーは驚くほどオーラがなく、そのへんの中年のオッサンのような感じだった。上述のように席の具合で音がいまひとつ良い状態で聴けなかったことも大きいが、オケの演奏もちょっと覚めた印象に思えた。ただ、何度も言うように、違う席だとどのように聴こえたかはわからない。残念だったのは、時間配分上無理だろうなと思っていた通り、5幕目のワルプルギスのバレエ場面がバッサリとカットされていたのと、最終場面の天上からの壮大な合唱でマルグリートが救われるところが、なんとオルガン・合唱とも両脇のスピーカーからのいびつな音で締めくくりとなったこと。あまりのことに、ポカンとしてしまった。これはイカンやろ!2008年以来ずっと、この終わり方なのか?これではブラボーも出ないわ…
 
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終演後、アルカディアの奥のステージドアの前で待っていたら、まずはエレード、そしてシュロットが出て来たので、すかさずパチリ。結構テクが要るんです。そのあと、こちらはサインをしてもらう用意もしてなかったんで、結構気前よく時間をかけてサインしまくっているシュロットをただ見ていると、こちらのほうにもズンズンと向かってきたので、仕方なく右手を差し出したら、気前よくガッチリ握手をしてくれました。う~ん、悪魔と握手をしてしまった、ウィーンの夜は更けて…
 
 
 
 
 
 
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