よっちの超気分次第ブログ:SSブログ
SSブログ

何だかもやもや… [ノンジャンル]

こんにちは、gonanaです。

本日のお題:「思ってたのと違った!」話

障害者向けのグループホームに生活の拠点を移して間もなく5か月。
当初は今後の生活に全く不安がなかったと言えば嘘になるけれど、幸いホームのスタッフの方々の手厚いサポートもあり、だいぶホームでの生活にも慣れてきました。
でもそういう中で、当てが外れたというかなかなか思うようにいかないことが一つ。
それは、同じグループホームでクラス利用者仲間とのコミュニケーションがあまりとれていないこと。
ホームに入った当初は、食事の時などにもっと利用者同士で活発な会話が繰り広げられたり、親睦のためのイベントがよく開かれたりというようなイメージを持っていました。
正直なところ、私は自分から積極的に友人をつくるのは苦手ですが、せっかくこれまでと違う新しい環境に身を置くのだから、そこで出会った人たちとはできるだけ仲良くなりたいと思い、積極的にコミュニケーションをとっていきたいと思っていました。
しかし実際にグループホームに入居してみると、初めての食事の時に職員さんが私を他の利用者さんに紹介してくださった時も反応がほとんどなく、その後も他の利用者さんから私に声がかかることはあまりありません。
私は目が見えないので、声をかけてもらえないとその場に誰がいるのかを認識することができないので、仮に他の利用者さんと廊下などですれ違っても挨拶を交わすこともできません。
そういう状況なので、他の利用者さんがどんな人なのか、あるいは逆に他の利用者さんが私のことをどう思っているのかがいまだによくつかめず、何だかスッキリしないもやもや感があります。
これにはホームの利用者さんに知的障害のある人が多いというのも影響しているのかもしれませんが、食事の時に「いただきます」「ごちそうさま」のあいさつがほとんど聞こえてこなかったり(私は毎回きちんと声に出していってますが)、私以外の利用者さん同士での会話も想像よりもかなり少ないなど、コミュニケーションという点ではとにかく「想像とは違った」という状況が続いています。
このことを私の所属する視覚障碍者団体のズームミーティングで話したところ、同じミーティングに参加していた特別支援学校で知的障害のある生徒のクラスで担任教師をしていた経験のある方(この方も視覚障害当事者)から、視覚障害のある人と知的障害のある人とでは、物事や今そこにある状況の認識の方法に違いがあり、もともと両社でコミュニケーションをとるのはなかなか難しいという話がありました。
それが理由なのかは私はよくわかりませんが、とにかく他の利用者さんとのコミュニケーションがうまくいかないというのはやはり寂しいものです。
ホームの職員の方のサポートももらいながら、少しずつでも他の利用者さんと心を通じ合えるようになるといいんですが…
nice!(12)  コメント(2) 
共通テーマ:日記・雑感

追いかけてる意識はないけれど [ノンジャンル]

こんにちは、gonanaです。

本日のお題:流行に乗った話、流行に乗れなかった(乗らなかった)話

私自身、世の中の流行というものにあまり敏感でないというか、あまり積極的に流行を追いかけている意識はないんですよね。
物を買う時にも、自分が欲しいものや使いたいもの、興味のあるものであることが一番になることが多く、それが世間の流行から外れていたとしてもほとんど気にしません。
でも、そんな私でも結果的に世の中の流行に乗ることになった経験は何度もあります。
その生まれて初めての経験は、幼稚園生の頃のスーパーカーブーム。
幼い頃から鉄道が好きだった私は、おもちゃのミニカーは何台か持ってはいたものの、両親ともに車を持っていなかったこともあり車にはあまり興味がありませんでした。
しかし、幼稚園生の頃に確か東京12チャンネル(現在のテレビ東京)で放映していた「スーパーカークイズ」という子供向けのクイズ番組を見て、スーパーカーのかっこよさにハマりかけました。
この番組には毎回、「宿題クイズ」という視聴者参加のコーナーがあり、サーキットかメーカーのテストコースと思われるところを疾走するスーパーカーの映像を見てその車の車種をはがきで答えると、正解者に抽選で賞品が当たるというものでした。
毎回この番組を見ながらかっこいいスーパーカーの姿を見るたびに、「鉄ちゃん」になりかけていた私の心もスーパーカーに傾きかけていました。
他にも、小学生の時に「スーパーカー消しゴム」が流行ったり、家の近所にスーパーカーのようなフォルムの車を持っている家があったりといった思い出もあります。
結局、自分の中でのスーパーカーブームは短期間で終息しましたが、後に当時私と同じようにスーパーカーにハマっていた子供が多くブームになっていたことを知り、これが「流行り」とか「ブーム」という物なんだということを知ることになりました。
その後にやってきた「ブルートレインブーム」には私もがっつり乗りました。
東京駅にブルートレインを何度も見に行ったり、ブルートレインの写真などが載った本やカード、ノート、筆箱などのグッズ類を買ってもらったり、Nゲージ(鉄道模型)のブルートレインのセット(KATOのEF65P型と20系客車)を買ってもらったりと、スーパーカーの時をはるかに超えるハマりっぷりでした。そして、これがきっかけでブルートレインや夜行列車が本格的に好きになり、それは今も続いています。
その他にも、インベーダーゲームブームの時に一時ゲームセンターや喫茶店で何度もインベーダーゲームをやったり、「ゲームウォッチ」という1980年代前半に任天堂が発売していたカードサイズの携帯ゲーム機にハマっていた時期があったりと、子供の頃にはわりと流行りのものにハマることはあったようです。
それでも、例えば「超合金」や戦隊ものの特撮、ガンダムやファミコンなど、周囲では多くの人がハマっていても私自身はほとんど興味をひかれなかったものもありました。
結局、私は流行にあまり左右されないというか、あえて流行に乗ろうとか乗らないようにしようとか言う意識がそもそもあまりないんですよね。
まあそのおかげで、よくも悪くも流行りに乗っていないと気が済まないというストレスからは解放されてますが。
nice!(10)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

偶然の超プチ花火見物 [いろんな思い出]

こんにちは、gonanaです。

本日のお題:花火大会の思い出

そういえば私、「花火大会」というものにほとんど行ったことがないんですよね。
隅田川も神宮などの関東の大規模な花火大会も、長岡や大曲などの地方の有名な花火も、テレビの映像や写真などではちらっと見たことはあっても、実際に会場やその周辺で花火を見る機会はほとんどありませんでした。
もちろん、地元のお祭りや盆踊りなどで上がる花火は見たことがあるけれど、私の家族が大きな祭りやイベントにみんなで行く習慣があまりなく、かといって私個人でも一緒に花火を見に行くような相手がいないということもあり、花火大会の楽しさをリアルに感じる機会はなかなかありませんでした。
しかし、私が大学を出て社会人になると、大きな花火大会を絶好の環境で見られるチャンスがありました。
私が新卒で就職した会社は、東京の竹芝桟橋のすぐそばにあるビルの中に入っていて、東京湾に面したオフィスや会議室の窓からは海やレインボーブリッジ、フジテレビ局舎の球体などがよく見えました。
会社もそういう環境を生かして、毎年湾岸エリアで開催される「東京湾大華火祭」の当日に海の見える会議室を社員とその家族に開放して花火見物ができるようにしていました。
もちろんアルコール類やソフトドリンク、デリバリーのすしやピザなどのおつまみも揃えて、花火を見ながら社員同士の親睦が図れるイベントになっていました。
毎年花火歳が近づくと、社員に参加申込書が配られ、そのたびに「申し込もうかな」とは思うものの、仕事のない土曜日にわざわざ花火を見るためだけに会社に行くのはそれはそれで面倒という気持ちが勝ってしまい、結局一度も参加することなく退職してしまいました。今思うと、場所取りの必要や混雑にうんざりすることもなくベストポジションからゆっくり花火見物ができる絶好の機会だったのに何ともったいないことをしたものだと悔やまれます。
あと、鉄道好きとして憧れるのが、列車に乗りながら花火見物をすること。
花火の見えるベストポジションで停車するか減速して通過する列車の車窓から眺めるのもいいし、何も知らずにたまたま乗った列車で花火を見るというのもそれはそれで感動的だろうと思っていました。
そんな私の思い出に残っているのが、13年前の夏に常磐線電車の車窓から偶然見ることのできた花火です。
2010年の夏にED75形電機の牽引する貨物列車を撮影しに先代まで行った帰りのこと。
勝田駅から乗車したE531系の上野行が取手駅を発車し、利根川の鉄橋を渡っているところへ大きな花火が上がり、旅の疲れも吹っ飛ぶようなサプライズ花火見物ができました。
後で調べてみるとこの日は利根川の河川敷で取手市の花火大会があったようで、そこで打ち上げられた花火のうちの一発をたまたま私が見ることができたわけです。
肝心の花火は鉄橋のトラス(鉄柱)が邪魔してスッキリとは見えなかったけれど、列車の運転士さんも多少いつもより減速して鉄橋を通過してくださったようで、なかなか感動的な体験ができました。
残念ながら私はもう花火を自分の目で見ることは叶わなくなってしまったけれど、いつか花火大会ならではの様々な音や賑わいを感じに行ってみたいものです。
nice!(12)  コメント(2) 
共通テーマ:日記・雑感

あの独特の空気感と言ったら… [いろんな思い出]

こんにちは、gonanaです。

本日のお題:今、どうしているのか気になる人

同じようなお題で以前にも何度か記事を書きましたが、今回は中学1年の時の歴史の先生だったS先生についてです。

S先生は当時、40歳代前半ぐらいだったと思います。
髪型は七三分け、眼鏡をかけたいかにも40歳代の教師といった風貌の人でした。
このS先生の授業を一言でいうなら、「とにかく教室に流れる空気が重い」ということでした。
声がぼそぼそと低く、しかもかなりゆっくり目にしゃべるので、他の先生の授業とは全く違う独特の重い空気感をいつも感じていました。
そういう空気だからか、授業でのS先生が質問し「わかる人は手を挙げて」と言われてもなかなか積極的に手を上げにくい雰囲気がありました。
また何かの理由で授業中に生徒に注意をするときも、S先生は怒鳴らない代わりに後で職員室に呼び出してこんこんと説教するという話で、それが逆に怖いという評判でした。
S先生もそんな授業の雰囲気を変えようとするのか、ときどきダジャレを飛ばしてみたりしていましたが、やっぱりというかほとんど受けていませんでした。
とにかく、他の授業ではしょっちゅう私語などをして先生に注意されている生徒も、S先生の授業では別人のように静かに授業を受けていたほど、S先生の授業の雰囲気は独特でした。

その2年後、私が3年生になった時に、S先生は「心の病い」とかで家族ともども故郷の富山県へ帰ったそうです。
あれからもう40年近く経ち、S先生ももう80歳代と思われますが、この間にどんなことがあったのか、40年前のことを今はどう感じているか、ちょっと聞いてみたい気分になりました。
タグ:先生
nice!(11)  コメント(0) 
共通テーマ:学校

サンライズエクスプレス初乗車の思い出 [その他鉄道ネタいろいろ]

こんにちは、gonanaです。
1998年7月10日から運転を開始し、先日運転開始から25周年を迎えた、現在唯一の定期夜行旅客列車「サンライズ瀬戸・出雲」。
私もこの列車には何度か乗車したことがありますが、今回はその中でも運転開始直後に四国への鉄道旅の際に初めて乗車した時の思い出です。

1998年8月某日(具体的な日付は忘れてしまいましたが)、四国への初の乗り鉄旅に向かうべく、21時少し前の東京駅に到着。
まずは当時、「サンライズ出雲」と同じ東京ー出雲市間運転ながら、福知山・鳥取経由で運転されていた21:10発車のブルートレイン「出雲」の発車を見送り、「サンライズ」入線を待ちました。
21:50頃、いよいよ品川から「サンライズ」編成が入線。号車は忘れてしまいましたがさっそく乗り込みます。
この時利用したのは、「サンライズ」に設定されている個室・ノビノビ座席の中でも最も室数の多い1人用B寝台個室「シングル」の2階の個室でした。
個室に入ってみると、鉄道雑誌やパンフレットの写真で見るよりも広く感じ、2階室ということもあり窮屈さもほとんどなく、快適に過ごせそうに感じました。
「サンライズ瀬戸・出雲」は(当時の)定刻22:00に東京駅を発車。
個室の窓から眺める夜のホームや街のネオンも、2階建てグリーン車の2階席から眺めるのとはまた違った気分になれて楽しいものです。
23:20頃の熱海駅発車の前後あたりで就寝。新しい車両だからか、それとも他の多くのB寝台とは異なりベッドがレール方向に配置されているからか、加減速時などのショックもほとんど感じられず快適に眠ることができました。

目が覚めて窓のカーテンをあげてみると、外は明るくなりかけていました。
時刻は確か4:40頃だったと思います。
列車の位置としては大阪駅での運転停車を終えて発車したところのようで、個室の窓から見える景色も見覚えのあるものでしたが、気になるのはなぜか速度があまり出ずトロトロと進んでいること。
そしてそのうち「サンライズ」は、本来なら通過するはずの神戸駅で停車してしまいました。
その後しばらくして、同駅のホームに停まっていた京都行と西明石行のそれぞれの始発電車(どちらも201系の普通電車)がいずれも定刻通りに発車した後も、「サンライズ」は依然停車したままでした。
それから少し経って車内放送があり、前日夕方に発生した山陽本線網干駅構内での貨物列車の機関車の脱線事故の影響で姫路以西の区間が運転見合わせとなり、このため「サンライズ」も神戸駅で停車しているということが分かりました。
結局「サンライズ」が神戸駅を発車したのは6:30過ぎ頃だったと思います。
その後は先行列車につかえたのか数回の短い抑止があり、約2時間遅れて岡山駅に到着。
同駅では私の乗る「サンライズ瀬戸」と「サンライズ出雲」の分割作業が行われ、単独編成になった「サンライズ瀬戸」は私も始めて通る瀬戸大橋を渡ってそのまま約2時間遅れで終点高松駅に到着しました。
この時の網干駅の事故では、東京・関西発着の九州方面のブルートレインの中には運休や途中駅での運転打ち切りの憂き目にあった列車もあったようですが、「サンライズ」は「瀬戸」「出雲」のいずれも遅れながらも何とか終点まで運転されたのは幸いでした。
もちろん事故による遅延なので全く好ましいことではありませんが、考えようによっては真新しい「シングル」の個室に通常より2時間長く滞在できた?ともいえ、これはこれでちょっと得した部分もあったかもしれません。

「サンライズエクスプレス」も登場から25年。
最近は以前も記事にしましたが285系の後継者をどうするかということも話題になってきています。
ちょうどJR西日本とともに285系を2編成所有しているJR東海が、「しなの」用の383系の後継車となる新型特急電車385系の新製を発表したタイミングでもあり、もしかすると次は新型「サンライズエクスプレス」登場ということになるかもしれません。
それがいつになるのか、夜行列車ファンとしても楽しみにしたいところです。
nice!(13)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

どれか選べと言われたら [ノンジャンル]

こんにちは、gonanaです。

本日のお題:夏休みの宿題、どれか一つだけやればいいということになったら、どれをやる?

今の小中学生がどんな夏休みの宿題をやっているのか細かく知らないので、あくまでも今、私が小学生だった40年前と同じ内容の宿題をやるとしたら、ということで書かせていただくと…
小学生当時の私的に一番楽といえば楽だったのは「夏休みの友」というドリルだったけれど、それだけというのはOKにならないんですかねえ。
もしドリルの他にもう一つ、と言われたら、自由研究をやりますかね。
読書感想文は読む本がなかなか決まらなかったり、本を読んでいざ書こうとしてもなかなか筆が進まなかったりで、実は一番やりたくない宿題だったし…
絵日記は書くネタがある日はまだいいけれど、特に日記に書くようなことのなかった日は何を日記に書けばいいか悩んでしまいました。また絵も下手なので余計に苦手でした。
絵や工作も、手先が不器用で絵のセンスもまるでないので、一度も満足のいく出来になったことはなく、親に手伝ってもらう、または親に大部分作ってもらうという最終手段を使ったことも…
そう考えると、自分でテーマを決めて自分なりの方法で進められる自由研究を消去法で選びますかね。
もっとも自由研究も、小学生時代は苦手な宿題の一つではあったんですけどね。
ただ、今は40年前とは比べ物にならないくらい「研究」しやすい環境は整っているので、あとはテーマや研究の目的さえ早めに決めてしまえば意外とやりやすい宿題になるかもしれません。
私には子供がいないので、今の夏休みの宿題事情はよくわからないけれど、私の特に小学生時代の夏休みの経験から言うと、夏休みの宿題はちょっと多すぎる気がしないでもありません。
特に読書感想文や絵日記、絵画や工作は全員必須の課題にする必要があるのかちょっと疑問もあります。
自由研究も含めて、これらのうちから生徒一人一人がやりたい(これならできる)ものを一つだけ選んで、その代わりその一つを全集中で取り組むようにすれば、生徒も先生も負担が軽減されて宿題の成果のクオリティーも向上するような気がするんですけどね。
nice!(13)  コメント(1) 
共通テーマ:学校

40年前の西武山口線の思い出 [その他鉄道ネタいろいろ]

こんにちは、gonanaです。
今回はまず、例によってネットで見つけた鉄道の話題から。
「KATO」のブランド名でNゲージとHOゲージの鉄道模型を製造・販売している関水金属が、埼玉県鶴ヶ島市に建設を進めている新工場と、その敷地内にオープンさせる「KATO Railway Park」の概要が先日発表されました。
詳細は下記のリンク記事からどうぞ。

元西武の“おとぎ電車”復活! 各地のナローSLも集結「KATOのレールパーク」全貌あきらかに | 乗りものニュース
https://trafficnews.jp/post/127050

このレールパークの計画は数か月前に別のネット記事で知りましたが、なかなか楽しい施設になりそうです。
しかも、そこで保存されるのがJR・私鉄などの標準軌(1435㎜)または狭軌(1067㎜)規格の車両ではなく、「ナローゲージ」と呼ばれる線路幅が762㎜または610㎜の車両というのが他の鉄道系の展示施設にない面白さでしょう。
また敷地内に敷設される「関水本線」では一部の保存車両が実際に走行する姿も見られる(乗車も?)ようで、これは鉄道ファンだけでなく家族連れなどにも人気のスポットになりそうです。
レールパークの完成は来年度だそうで、私の住んでいる市からも近いので、オープンしたらぜひ行ってみたいものです。

ところで、このリンク記事に掲載されている保存車両のリストを見て、個人的に興味を惹かれたのが、かつて西武鉄道の山口線で活躍していた蒸気機関車と木造客車、さらにこれも同線で走っていた蓄電池機関車と遊覧客車(通称「おとぎ電車」)。
蒸気機関車と木造客車は記事にもあるように北海道で静態展示されていたことは知っていましたが、「おとぎ電車」が機関車・客車ともまだ残っていたとは驚きました。

西武山口線といえば、現在は「レオライナー」という愛称を持つ、純然たる私鉄としては唯一の新交通システムの路線となっていますが、1984年5月までは関東でも唯一のナローゲージ(軌間762㎜)の鉄道路線でした。
西武山口線の詳細は下記のリンクをご覧ください。

西武山口線 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E6%AD%A6%E5%B1%B1%E5%8F%A3%E7%B7%9A

現在では西武園ゆうえんちへのアクセス手段の他、ベルーナドームでの野球やイベントの観客輸送、さらには通勤通学輸送も担う西武山口線ですが、ナローゲージ鉄道だった頃の同線は西武園ゆうえんちと、隣接していたテーマパーク「ユネスコ村」を結ぶ遊覧鉄道といった目的にほぼ特化した路線でした。
そして、その当時の西武山口線で走っていたのが、このほど「KATO Railway Park」で保存されることとなったSLと木造客車による列車、そして「おとぎ電車」というわけです。

SL列車には、私も小学生時代に西武園ゆうえんちとユネスコ村に家族で行った際乗車経験があります。
私が載った当時のSL列車は、台湾の製糖会社で運転されていた小型SL(このたび保存されることになった532号の他、ほぼ同型の527号もありました)が、岡山県のローカル私鉄で走っていた木造の客車を牽引するスタイルで、春から秋にかけての休日を中心に運転されていました。
私たち家族は、確か西武遊園地駅から乗車したのではないかと思います。
SL列車に乗るために駅に向かうと、ホームにはすでにSLが朱色に白帯の塗装の客車(何両編成だったかは覚えていませんが、おそらく3~4両ぐらいと思われます)を従えて停車していました。
ドアのないオープン構造のデッキから車内に入りました。
客車の座席の形状がどうだったかの記憶はありませんが、レール幅の狭い車両だったのでロングシートだったのかもしれません。いずれにしても、乗車中はナローゲージとはいえ初めて乗るSL列車の走行音や乗り心地、そして自然豊かな沿線の風景をたっぷり楽しむことができて嬉しかったのを覚えています。

一方、「おとぎ電車」は、「電車」とはいっても実際は蓄電池式機関車が客車(トロッコ客車タイプのものと密閉型のものとがあった)を牽引して走るスタイルでした。
残念ながら私はこちらの方には乗る機会がないままでした。まだ子供だった私としては、SLもいいけれどより楽しそうなおとぎ電車にも乗りたかったので残念でしたが、「KATO Railway Park」ではこの「おとぎ電車」が動態保存されるということで、思わぬ形で40年越しに乗車するチャンスに恵まれそうで楽しみです。

西武山口線がナローゲージ鉄道から新交通システムへ転換してもう40年近く経ち、かつて同線にSLや「おとぎ電車」が走っていたことを知らない人もかなり多くなっていますが、「KATO Railway Park」にそのどちらもが保存されることになったのを機会にそうした歴史にスポットが当たる日が来るかもしれませんね。
とにかく来年度の「KATO Railway Park」のオープンを楽しみに待ちたいものです。
nice!(12)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

突然あれが使えなくなっては… [日々のあれこれ&つぶやき]

こんにちは、gonanaです。

本日のお題:最近、プチパニックになったこと

それは、まさに昨日のお昼のこと。
私はいつもの平日と同じように、会社から貸与されたノートPCを使って在宅勤務の仕事をしていました。
午前中やっていた仕事もとりあえず一段落し、あとは12時になりお昼休みに入るのを待つばかりになりました。
そして12時になり、部署のメンバー間での連絡事項のやり取りなどに使用しているスカイプのチャットに、これからお昼休みに入るという内容のコメントを入力し送信しようとしたところ…
何だかパソコンの挙動がおかしい…
とりあえずこの時はどうにか無事コメントの送信はできたのでお昼休みに入り、13時に再び午後の業務に戻ろうとパソコンのスリープを解除してスカイプチャットに休憩から戻った旨のコメントを入力しようとしたのですが…
カーソルの移動に使う上下左右の矢印キーのうち、どういうわけか上方向以外の3つの矢印キーが推しても何の反応もない。
(矢印キーを使って移動したカーソルの文字を読み上げないというだけでなく、目の見える人に確認してもらったところ矢印キーを押してもカーソル自体が動いていないということらしい)
私はほぼ全盲なので、マウスやノートPCのタッチパッドを使ってのパソコン操作はほぼできないので、上下左右の矢印キーはどんな操作をするにも欠かせません。
それだけ重要な矢印キーが使えないとなると、私にとってはお手上げです。
他のキーや機能に不具合があるかどうかは確認しきれませんでしたが、とにかく昨日の午後は会社のパソコンサポートの担当窓口やノートPCのメーカーのサポート窓口と電話でやり取りしているうちにあっという間に3時間ほどが経ってしまいました。
その結果、このノートPCも無償サポートの期間が終わっていて仮に修理を依頼するとなると有償での対応になることなどの理由で、別のノートPCと交換するという方向になりそうです。

それにしても、パソコンを使って業務をすることが前提の在宅勤務の場合、ひとたびパソコンが使えないとなると全くといっていいほど仕事にならないんですよね。
一応会社の勤怠管理の部署には事情を話して新しいパソコンが使えるようになるまでの間欠勤扱いにはしないでもらっていますが、そうなると本来勤務時間であるべき時間がぽっかり空いてしまうわけで…
とりあえず何かしら仕事に役立ちそうなことでも考えてみますか…
nice!(13)  コメント(2) 
共通テーマ:パソコン・インターネット

立てる時はいろいろ考えるものの… [いろんな思い出]

こんにちは、gonanaです。

本日のお題:夏休みの計画、細かく決めてた? ざっくり決めてた?

一日の中で何時ごろ何をする、という計画表を作るときはやや細かめ、夏休み全体の計画表を作るときはざっくり目に作っていた記憶があります。
夏休み中の一日の生活時間の計画表では、アナログ時計の形の円グラフに勉強の時間とか遊びの時間とかを書きこんでいました。「宿題は涼しい午前のうちにやった方がよい」というので朝8時ぐらいから10時ぐらいまでは宿題の時間にあててみたり、夜は21時過ぎには寝るようにといった感じでグラフに書きこんでいました。
一方の夏休み全体の計画表は、夏休み最初の時点であらかじめ決まっている登校日やプール登校、家族旅行といった予定は書きこめますが、その他の予定はかなりざっくりとしか書いていなかった記憶があります。
私の家の場合、お盆には田舎へ行くといった毎年恒例の習慣が特になかったので、夏休みを通しての計画表は何も予定の入っていない日が結構あった記憶があります。
でも、実際に夏休みに入ってみると、初めに立てた計画ってかなり早い時期に何だかどうでもよくなってしまうんですよね。
朝から宿題もせずにプールや遊びに出かけたり、夜もテレビを見ながら遅く(といってもせいぜい22~23時前ぐらいまでですが)まで起きていたり…
夏休み全体を通しても、宿題は早めに終えて、と毎年のように計画表に書いては見るものの、それができたためしはありませんでした。
結局、私の場合、夏休みの計画は「これが出来たらいいな」というような理想で終わってしまうことがほとんどでしたね…
nice!(10)  コメント(0) 
共通テーマ:学校

泳ぎは苦手だけど その2 [いろんな思い出]

こんばんは、gonanaです。
前回に引き続き、プールの思い出です。

プールといえば、スイミングスクールや学校だけでなく、夏休みは市民プールや遊園地の大きなプールにもたくさん行きました。
東京都大田区に住んでいた幼い頃も、現在も住んでいる埼玉県某市に引っ越してからも、家から近いところに市民プール(もっとも、埼玉に引っ越してから言っていたプールは市が運営していたわけではありませんでしたが)があり、夏の間はよく通っていました。
どちらもウォータースライダーなど派手な施設があるわけではなかったけれど、家から歩きやバスで手軽に行ける楽しい場所でした。
前回も書いたようにスイミングスクールは大嫌いだった私ですが、遊びで入るプールは逆に大好きで、幼い頃は親に連れられて、成長すると一人や友達と頻繁に出かけていました。
そしてそれ以上に楽しかったのが遊園地などの大きなプールでした。
私がよく言っていたのは何といってもとしまえんで、中学生になったあたりまでは毎年1~2回は行っていました。
としまえんは「7つのプール」を売りにしていただけあって、波のプールや流れるプールなどプールの種類も多く、いつ行っても多くの人で賑わって楽しい場所でした。
名物の「ハイドロポリス」についに挑戦するチャンスがなかったのは心残りでしたが、としまえんのプールで遊んだ思い出は小学生の頃の夏休みの思い出として今も鮮明に残っています。
家の近くの市民プールやとしまえん以外にも、他の遊園地のプールや旅行先のホテルのプールなどにもいくつか行ったことがあり、どれも楽しく遊びました。
また、それらのプールでは、泳いだり水の中で遊んだりする以外にも、広井プールサイドで家から持ってきたお弁当やプール内の屋台で買ったかき氷やアイス、フランクフルトなどを食べたのもおいしい思い出です。

一口に私のプールの思い出といっても、案外いろいろなことが思い出されて懐かしい気分になりました。
考えてみると、泳ぎは下手で得意とは言えない私ですが、それでも夏のプールが嫌いにならなかったのは、泳ぎのうまい下手をあまり気にすることなく遊べるとしまえんなどの大きなプールや市民プールの存在があったからかもしれません。
高校卒業を境に以後ほとんどプールに入っていない私ですが、これだけ猛暑が続くとどこかのプールで久しぶりに泳ぎたい気分になってきます。(もっとも、あまりの猛暑のためにせっかくの夏休みなのにプールに入れないということも起こっているそうですが…)
子供の頃のように無邪気にプールで遊ぶことはもうおじさんの私にはできませんが、せめて水中を端から端まで歩く程度のことはしてみたい気分です。
nice!(11)  コメント(0) 
共通テーマ:スポーツ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。