【乗り鉄の思い出】「Laview」西武新宿線発営業列車乗車の思い出 その1 [その他鉄道ネタいろいろ]
こんにちは、gonanaです。
前々回の記事で、先日開催された西武鉄道の株主総会で、西武新宿線への001系「Laview」(ラビュー)を含めた新型特急車両の投入予定についての質問があったと書きました。
西武鉄道の二大幹線である池袋線と新宿線のうち、池袋線には2019年3月から新型特急車両である「Laview」の投入が始まり、翌年春には一部の臨時列車を除く池袋線の全特急列車が「Laview」に置き換えられたのに対し、新宿線の方は今も先代の10000系が特急車として活躍し、池袋線と新宿線の間の格差が目立っていることがその背景にあります。
ただ、「Laview」は新宿線での営業運転の実績がこれまでになかったわけではなく、2019年のGWの10日間(4月27日~5月6日)に運転された本川越ー飯能間の臨時特急で所沢ー本川越間のみながら営業運転を行っていました。
この臨時特急は、GW中に埼玉県内の観光地を周遊してもらおうという意図のもと設定されたもので、往路の本川越発飯能行が「むさし90号」、復路の飯能発本川越行が「小江戸92号」の列車名で運転されました。
そして私は、その「Laview」新宿線発営業運転となる2019年4月27日の初列車(上下とも)に乗車しました。
この時のことはすでにこのブログにも記事にしていますが、改めてその時のことを振り返りたいと思います。
当日、自宅を出てまずは東武東上線の池袋駅へ。
ここからはこの年3月のダイヤ改正で登場した東上線の新種別「川越特急」に終点の森林公園駅まで乗車。
川越市駅まで戻った後12時頃に西武新宿線の本川越駅へ移動。
駅ビル内のドトールで昼食の後、12:30頃に改札に入りました。
ここから乗車するのは、西武新宿線での「Laview」のまさに発営業運転列車となる13:05発の「むさし90号」。
通常は直通の定期列車のない本川越ー飯能間を走る特急であり、なおかつ「Laview」の新宿線初営業列車という話題性の高い列車なので、特急券が入手できるか不安もありましたが、結果的には発車直前でも空席があったようで、私も当日の午前中に特急券を無事確保することができました。
この日の「むさし90号」は本川越駅発車に先立って「Laview」の新宿線初運行記念セレモニーが開かれるというので、少し早めにホームに出てみることにしました。
駅構内で私を誘導してくださった駅員さんにセレモニーのスピーチがよく聞こえる場所まで誘導していただき、開始を待ちました。
やがてセレモニーが始まり、西武鉄道の当時の社長、川越・飯能両市のそれぞれ当時の市長、さらに今はなき「としまえん」が全面協力した「映画 としまえん」に出演した俳優の小島藤子さんがスピーチを行い、出席者によるテープカットも行われました。
さらに川越市マスコットキャラクター「ときも」も登場するなど、いかに西武鉄道や川越・飯能両市がこの本川越ー飯能間の直通特急に期待をかけているかがよくわかるセレモニーでした。
ちなみにこのセレモニーについての詳細は下のリンクの記事をご覧ください。
西武鉄道001系「ラビュー」新宿線で初運行、本川越駅でセレモニー (マイナビニュース)
https://news.mynavi.jp/article/20190427-seibu001laview/
私はこの日が「Laview」初乗車でした。
発車5分前の13時ちょうどになって、いよいよ初めて「Laview」の社内へと足を踏み入れます。
話題の車両外観や内装を自分の目で確かめることができないのは何とも残念ですが、それでも駅員さんに誘導していただいて指定された7号車の座席に座った瞬間、この車両の斬新さがよくわかりました。シートは腰のあたりから下が完全に包み込まれるような感じの初めて味わう座り心地です。また、車体側面の窓が大きくしかも他の車両よりも格段に窓ガラスと座席との距離が近いので、もし目が見えていたら相当にインパクトのある車窓風景を味わえたのではないかと思います。
「むさし90号」は定刻通り13:05に本川越駅を発車し、まずは新宿線を所沢へ向かいます。
乗り心地はさすが最新車両といったところで快適ですが、臨時列車の悲しさか、あまりスピード感が味わえないのは残念でした。
車内では案内放送の時以外にもピアノ演奏などのBGMが流れていました。その後乗車した通常運転の列車では特に車内BGMが流れている様子はありませんでしたが、これも斬新な新型車両をアピールするための試みだったのかもしれません。ただ、スピーカーから流れる音量がやや大きめだったので、もう少し音量を抑えめにした方が車内環境としてはよかった気がしました。
所沢駅では、ホーム手前(池袋・本川越寄り)の新宿線から池袋線への渡り線を使って池袋線転線し、池袋線下りホームの4番線に入線しました。このような入線方法をとる列車に乗車する機会もなかなかないので、動画に撮れるものなら撮っておきたかったです。
同駅では乗務員の交代も行われ、2分ほど停車して発車しました。
所沢から先もあまりスピードは上がりませんでしたが、その分新型特急車の乗り心地を味わう時間が長くなるという点ではよかったかもしれません。
そして13:51に「むさし90号」は飯能駅に到着しました。到着後も特急券は回収されなかったので、記念すべき「Laview」の新宿線初営業運転列車の記録を手元に残すことができました。
飯能駅に到着後は、本川越駅から連絡を受けてくださった駅員さんの誘導をいただき、一旦改札を出ました。
でもこの日飯能では特に予定もないので、「むさし90号」の折り返し運用となる「小江戸92号」で本川越へ戻ることにしました。
そのあたりはまた次回の記事で振り返ります。
前々回の記事で、先日開催された西武鉄道の株主総会で、西武新宿線への001系「Laview」(ラビュー)を含めた新型特急車両の投入予定についての質問があったと書きました。
西武鉄道の二大幹線である池袋線と新宿線のうち、池袋線には2019年3月から新型特急車両である「Laview」の投入が始まり、翌年春には一部の臨時列車を除く池袋線の全特急列車が「Laview」に置き換えられたのに対し、新宿線の方は今も先代の10000系が特急車として活躍し、池袋線と新宿線の間の格差が目立っていることがその背景にあります。
ただ、「Laview」は新宿線での営業運転の実績がこれまでになかったわけではなく、2019年のGWの10日間(4月27日~5月6日)に運転された本川越ー飯能間の臨時特急で所沢ー本川越間のみながら営業運転を行っていました。
この臨時特急は、GW中に埼玉県内の観光地を周遊してもらおうという意図のもと設定されたもので、往路の本川越発飯能行が「むさし90号」、復路の飯能発本川越行が「小江戸92号」の列車名で運転されました。
そして私は、その「Laview」新宿線発営業運転となる2019年4月27日の初列車(上下とも)に乗車しました。
この時のことはすでにこのブログにも記事にしていますが、改めてその時のことを振り返りたいと思います。
当日、自宅を出てまずは東武東上線の池袋駅へ。
ここからはこの年3月のダイヤ改正で登場した東上線の新種別「川越特急」に終点の森林公園駅まで乗車。
川越市駅まで戻った後12時頃に西武新宿線の本川越駅へ移動。
駅ビル内のドトールで昼食の後、12:30頃に改札に入りました。
ここから乗車するのは、西武新宿線での「Laview」のまさに発営業運転列車となる13:05発の「むさし90号」。
通常は直通の定期列車のない本川越ー飯能間を走る特急であり、なおかつ「Laview」の新宿線初営業列車という話題性の高い列車なので、特急券が入手できるか不安もありましたが、結果的には発車直前でも空席があったようで、私も当日の午前中に特急券を無事確保することができました。
この日の「むさし90号」は本川越駅発車に先立って「Laview」の新宿線初運行記念セレモニーが開かれるというので、少し早めにホームに出てみることにしました。
駅構内で私を誘導してくださった駅員さんにセレモニーのスピーチがよく聞こえる場所まで誘導していただき、開始を待ちました。
やがてセレモニーが始まり、西武鉄道の当時の社長、川越・飯能両市のそれぞれ当時の市長、さらに今はなき「としまえん」が全面協力した「映画 としまえん」に出演した俳優の小島藤子さんがスピーチを行い、出席者によるテープカットも行われました。
さらに川越市マスコットキャラクター「ときも」も登場するなど、いかに西武鉄道や川越・飯能両市がこの本川越ー飯能間の直通特急に期待をかけているかがよくわかるセレモニーでした。
ちなみにこのセレモニーについての詳細は下のリンクの記事をご覧ください。
西武鉄道001系「ラビュー」新宿線で初運行、本川越駅でセレモニー (マイナビニュース)
https://news.mynavi.jp/article/20190427-seibu001laview/
私はこの日が「Laview」初乗車でした。
発車5分前の13時ちょうどになって、いよいよ初めて「Laview」の社内へと足を踏み入れます。
話題の車両外観や内装を自分の目で確かめることができないのは何とも残念ですが、それでも駅員さんに誘導していただいて指定された7号車の座席に座った瞬間、この車両の斬新さがよくわかりました。シートは腰のあたりから下が完全に包み込まれるような感じの初めて味わう座り心地です。また、車体側面の窓が大きくしかも他の車両よりも格段に窓ガラスと座席との距離が近いので、もし目が見えていたら相当にインパクトのある車窓風景を味わえたのではないかと思います。
「むさし90号」は定刻通り13:05に本川越駅を発車し、まずは新宿線を所沢へ向かいます。
乗り心地はさすが最新車両といったところで快適ですが、臨時列車の悲しさか、あまりスピード感が味わえないのは残念でした。
車内では案内放送の時以外にもピアノ演奏などのBGMが流れていました。その後乗車した通常運転の列車では特に車内BGMが流れている様子はありませんでしたが、これも斬新な新型車両をアピールするための試みだったのかもしれません。ただ、スピーカーから流れる音量がやや大きめだったので、もう少し音量を抑えめにした方が車内環境としてはよかった気がしました。
所沢駅では、ホーム手前(池袋・本川越寄り)の新宿線から池袋線への渡り線を使って池袋線転線し、池袋線下りホームの4番線に入線しました。このような入線方法をとる列車に乗車する機会もなかなかないので、動画に撮れるものなら撮っておきたかったです。
同駅では乗務員の交代も行われ、2分ほど停車して発車しました。
所沢から先もあまりスピードは上がりませんでしたが、その分新型特急車の乗り心地を味わう時間が長くなるという点ではよかったかもしれません。
そして13:51に「むさし90号」は飯能駅に到着しました。到着後も特急券は回収されなかったので、記念すべき「Laview」の新宿線初営業運転列車の記録を手元に残すことができました。
飯能駅に到着後は、本川越駅から連絡を受けてくださった駅員さんの誘導をいただき、一旦改札を出ました。
でもこの日飯能では特に予定もないので、「むさし90号」の折り返し運用となる「小江戸92号」で本川越へ戻ることにしました。
そのあたりはまた次回の記事で振り返ります。
もういろいろあり過ぎて [ノンジャンル]
こんにちは、gonanaです。
本日のお題:一日限りでもいいから復活してほしい番組
今週土曜日(7月1日)、フジテレビでかつて日曜日の昼過ぎに放送されていた「あっぱれさんま大先生」が、関東ローカルとはいえ一日だけ復活すると聞いて、個人的にかなり楽しみにしています。
当時ほぼ毎週この番組を見ていた私にとっては、どんな懐かしいVTRや当時の裏話が聞けるか、実に興味があります。
「あっぱれさんま大先生」もいつか復活というか同窓会を見てみたかった番組ですが、50歳代ともなると「一日限定でいいから復活してほしい」番組はたくさんあります。
例えば…
「夕やけニャンニャン」…個人的に一番復活してほしいテレビ番組がこれです。
あの頃、部活をさぼってでもオンタイムで番組を見ていた(当時そのような中高生が結構多かったとか)私としては、当時の懐かしい映像を久しぶりに見るのはもちろん、おニャン子クラブのファン(現在も)としては今も芸能界で活躍している人はもちろん芸能界を引退した人まで、なるべく多くの元おニャン子が一堂に集まる同窓会のような番組をぜひ見たいです。
「笑っていいとも」…タモリさんは別に復活してほしい(させたい)とは思っていなさそうだけど、タモリさんがまだ健在なうちに一度「一日限りの大復活」を見てみたい気持ちもあるし、もし仮に2023年の今でも「いいとも」が放送されていたら、各曜日どんなレギュラー陣が出演しどんな企画をやっただろうという妄想を具現化したような番組を月~金金曜の生放送と日曜の「増刊号」の一週間通しの特番としてやってみるのも面白そうです。
「さんまのSUPERからくりTV」…この番組、確か少し前に一日限りの復活版が放送された記憶があるけれど、ぜひまた復活してほしい番組です。
その他にも、子供の頃から見ていた一日だけでも復活してほしい番組を挙げていったら、もうそれこそありすぎて書ききれませんし、テレビだけでなくラジオ番組も含めてしまったら、リバイバル希望の番組はもっともっと増えてしまいます。
こんな風に、今の番組(特にテレビ)よりも過去の楽しかった番組の思い出につい浸りたくなってしまいたくなるのも、すっかりおっさんになってしまったからなんでしょうかね。
本日のお題:一日限りでもいいから復活してほしい番組
今週土曜日(7月1日)、フジテレビでかつて日曜日の昼過ぎに放送されていた「あっぱれさんま大先生」が、関東ローカルとはいえ一日だけ復活すると聞いて、個人的にかなり楽しみにしています。
当時ほぼ毎週この番組を見ていた私にとっては、どんな懐かしいVTRや当時の裏話が聞けるか、実に興味があります。
「あっぱれさんま大先生」もいつか復活というか同窓会を見てみたかった番組ですが、50歳代ともなると「一日限定でいいから復活してほしい」番組はたくさんあります。
例えば…
「夕やけニャンニャン」…個人的に一番復活してほしいテレビ番組がこれです。
あの頃、部活をさぼってでもオンタイムで番組を見ていた(当時そのような中高生が結構多かったとか)私としては、当時の懐かしい映像を久しぶりに見るのはもちろん、おニャン子クラブのファン(現在も)としては今も芸能界で活躍している人はもちろん芸能界を引退した人まで、なるべく多くの元おニャン子が一堂に集まる同窓会のような番組をぜひ見たいです。
「笑っていいとも」…タモリさんは別に復活してほしい(させたい)とは思っていなさそうだけど、タモリさんがまだ健在なうちに一度「一日限りの大復活」を見てみたい気持ちもあるし、もし仮に2023年の今でも「いいとも」が放送されていたら、各曜日どんなレギュラー陣が出演しどんな企画をやっただろうという妄想を具現化したような番組を月~金金曜の生放送と日曜の「増刊号」の一週間通しの特番としてやってみるのも面白そうです。
「さんまのSUPERからくりTV」…この番組、確か少し前に一日限りの復活版が放送された記憶があるけれど、ぜひまた復活してほしい番組です。
その他にも、子供の頃から見ていた一日だけでも復活してほしい番組を挙げていったら、もうそれこそありすぎて書ききれませんし、テレビだけでなくラジオ番組も含めてしまったら、リバイバル希望の番組はもっともっと増えてしまいます。
こんな風に、今の番組(特にテレビ)よりも過去の楽しかった番組の思い出につい浸りたくなってしまいたくなるのも、すっかりおっさんになってしまったからなんでしょうかね。
「大化け」も見たいような、「そのまま」も捨てがたいような [鉄道ニュース]
こんばんは、gonanaです。
46年前に沿線に引っ越してきて以来、頻度の差こそあれずっと私がお世話になっている西武新宿線。
その西武新宿線に関して、先日開催された西武鉄道の株主総会でいろいろな質問が出されたようで…
詳細は下記のリンク記事からどうぞ。
西武新宿線、JR中央線と街の規模が違いすぎ! 線路跡に関する提案も(マイナビニュース) - Yahoo!ニュース
https://news.yahoo.co.jp/articles/e8f33af4f708fddd53a2970b3d28c50ae1715ff0
西武新宿線に「ラビュー」入れて! 株主も新型特急を熱望 池袋線との「格差」指摘に経営陣どう回答(乗りものニュース) - Yahoo!ニュース
https://news.yahoo.co.jp/articles/013aa508608ec3cd9eeafa7c802d663fa55c14bb
長年沿線に住み、利用してきた者としては、西武新宿線に対して要望したいことや「あれは今どうなっているのか」と思うこともいくつかありますが、関東の大手私鉄の路線でもどちらかというと地味な存在の路線と思われがちな西武新宿線に株主総会でこれほど質問や要望が寄せられるとは思いませんでした。
「新宿線はJR中央線から歩いても1~2㎞くらいしか離れていないのに、街の規模が100倍くらい違っている」というような見方はかなり新鮮でした。そもそも中央線と西武新宿線との差を今までそれほど意識したことはありませんでしたから。
確かに中央線の沿線には、新宿は別格としても中野・高円寺・阿佐ヶ谷・荻久保・吉祥寺・立川・八王子などなど、駅を中心として大きな商店街が広がっていてマスコミにもよく取り上げられる街が多いのに対し、西武新宿線の沿線にはそのような知名度のある街が(東村山や所沢、本川越は別として)あまりないというのが、西武新宿線に地味なイメージが付きまといがちな理由かもしれません。
その質問に対しては、会社側から都内で行われている連続立体化工事を起爆剤にして、今後様々なアプローチで新宿線の魅力向上を図っていくという回答がありました。
新宿線ユーザーとしては、ダイヤや車両、駅の利便性アップや魅力向上によって将来的に新宿線が「あの西武新宿線が?」と思わせるようなイメージチェンジを遂げ「大化け」した姿をぜひ見てみたい気持ちはあります。
ただ今の西武新宿線の、特に各駅停車しか止まらない駅の周辺の街の風景もそれはそれで捨てがたいと思う私としては、あまり無理に中央線との差を詰めようとせず、新宿線沿線ならではのよさを生かしていく方が、結局は西武新宿線のイメージアップにもなる気がしますが…
もう一つ新宿線関連として、新宿線にも「Laview」のような新型特急車両の導入を求める声もありました。
確かに、池袋線の特急が一部の臨時列車を除けば2019年春からわずか1年ですべて新型の「Laview」に置き換わったのに対し、新宿線の特急がそれから3年を経てもまだ先代の特急車10000系「ニューレッドアロー」で運転されていて、池袋線と新宿線との格差を感じるという声はもっともな話で、池袋線の10000系置き換えが完了したら次は当然新宿線にも「Laview」を、という要望が出るのも当然のことと言えます。
ただ、池袋線の特急は観光客の利用も結構あるのに対し、新宿線の特急は比較的西武新宿や高田馬場と所沢・狭山市・本川越の間の都市間特急のイメージが強いので、「Laview」をそのまま新宿線にも投入するかどうかについては西武としても迷っているのかもしれません。
もしかすると、現在の座席指定列車「Sとレイン」(西武新宿ー本川越間)や「拝島ライナー」(西武新宿ー拝島間)と統合する形で、名鉄特急の大半や南海本線の特急「サザン」のようなリクライニングシートの座席指定車両とロングシートの一般車両を併結した編成による特急を、拝島線ともどもそれぞれ20~30分間隔で走らせる、という形態に変化するということもあり得るかもしれません。
それと、新宿線に限らず西武線関連の質問としての「(西武所沢車両工場への)線路跡のカーブをなんらかの形で保存し、江戸道(所沢駅南側の踏切)、飛行機倉庫、鉄道工場が存在した歴史を記す案内板を立てては」という提案は、鉄道ファン的にも注目すべき提案だと思います。
西武所沢車両工場は、現在稼働している武蔵丘車両検修上ができるまでの間、西武鉄道の車両の製造や大規模な検査修繕を行っていたほか、地方私鉄に譲渡される西部などの中古車両の改造なども行っていた車両工場で、その歴史は戦後すぐに戦災で焼けた国電の車両を復旧して再び電車として再生させるところから始まっている点にも歴史的価値があります。
そのような歴史を考えると、提案にあるような看板もいいけれど、もっと進めて所沢工場などに関する写真や資料を展示するミニ資料館のようなものを建設してもいいと思います。
ちなみに、私は西武鉄道の、というよりどこかの会社の株を所有したことは一度もありませんが、もし私が西武鉄道の株主総会で質問をするとすれば…
やはり新宿線ユーザーとしては全体的な列車のスピードアップを期待したいですし、鉄道ファン的には横瀬車両基地に保存されている電気機関車や電車などを常時見学でき、その他西武鉄道の貴重な資料も見学できる「西武鉄道博物館」的な施設の開設も提案してみたいものです。
46年前に沿線に引っ越してきて以来、頻度の差こそあれずっと私がお世話になっている西武新宿線。
その西武新宿線に関して、先日開催された西武鉄道の株主総会でいろいろな質問が出されたようで…
詳細は下記のリンク記事からどうぞ。
西武新宿線、JR中央線と街の規模が違いすぎ! 線路跡に関する提案も(マイナビニュース) - Yahoo!ニュース
https://news.yahoo.co.jp/articles/e8f33af4f708fddd53a2970b3d28c50ae1715ff0
西武新宿線に「ラビュー」入れて! 株主も新型特急を熱望 池袋線との「格差」指摘に経営陣どう回答(乗りものニュース) - Yahoo!ニュース
https://news.yahoo.co.jp/articles/013aa508608ec3cd9eeafa7c802d663fa55c14bb
長年沿線に住み、利用してきた者としては、西武新宿線に対して要望したいことや「あれは今どうなっているのか」と思うこともいくつかありますが、関東の大手私鉄の路線でもどちらかというと地味な存在の路線と思われがちな西武新宿線に株主総会でこれほど質問や要望が寄せられるとは思いませんでした。
「新宿線はJR中央線から歩いても1~2㎞くらいしか離れていないのに、街の規模が100倍くらい違っている」というような見方はかなり新鮮でした。そもそも中央線と西武新宿線との差を今までそれほど意識したことはありませんでしたから。
確かに中央線の沿線には、新宿は別格としても中野・高円寺・阿佐ヶ谷・荻久保・吉祥寺・立川・八王子などなど、駅を中心として大きな商店街が広がっていてマスコミにもよく取り上げられる街が多いのに対し、西武新宿線の沿線にはそのような知名度のある街が(東村山や所沢、本川越は別として)あまりないというのが、西武新宿線に地味なイメージが付きまといがちな理由かもしれません。
その質問に対しては、会社側から都内で行われている連続立体化工事を起爆剤にして、今後様々なアプローチで新宿線の魅力向上を図っていくという回答がありました。
新宿線ユーザーとしては、ダイヤや車両、駅の利便性アップや魅力向上によって将来的に新宿線が「あの西武新宿線が?」と思わせるようなイメージチェンジを遂げ「大化け」した姿をぜひ見てみたい気持ちはあります。
ただ今の西武新宿線の、特に各駅停車しか止まらない駅の周辺の街の風景もそれはそれで捨てがたいと思う私としては、あまり無理に中央線との差を詰めようとせず、新宿線沿線ならではのよさを生かしていく方が、結局は西武新宿線のイメージアップにもなる気がしますが…
もう一つ新宿線関連として、新宿線にも「Laview」のような新型特急車両の導入を求める声もありました。
確かに、池袋線の特急が一部の臨時列車を除けば2019年春からわずか1年ですべて新型の「Laview」に置き換わったのに対し、新宿線の特急がそれから3年を経てもまだ先代の特急車10000系「ニューレッドアロー」で運転されていて、池袋線と新宿線との格差を感じるという声はもっともな話で、池袋線の10000系置き換えが完了したら次は当然新宿線にも「Laview」を、という要望が出るのも当然のことと言えます。
ただ、池袋線の特急は観光客の利用も結構あるのに対し、新宿線の特急は比較的西武新宿や高田馬場と所沢・狭山市・本川越の間の都市間特急のイメージが強いので、「Laview」をそのまま新宿線にも投入するかどうかについては西武としても迷っているのかもしれません。
もしかすると、現在の座席指定列車「Sとレイン」(西武新宿ー本川越間)や「拝島ライナー」(西武新宿ー拝島間)と統合する形で、名鉄特急の大半や南海本線の特急「サザン」のようなリクライニングシートの座席指定車両とロングシートの一般車両を併結した編成による特急を、拝島線ともどもそれぞれ20~30分間隔で走らせる、という形態に変化するということもあり得るかもしれません。
それと、新宿線に限らず西武線関連の質問としての「(西武所沢車両工場への)線路跡のカーブをなんらかの形で保存し、江戸道(所沢駅南側の踏切)、飛行機倉庫、鉄道工場が存在した歴史を記す案内板を立てては」という提案は、鉄道ファン的にも注目すべき提案だと思います。
西武所沢車両工場は、現在稼働している武蔵丘車両検修上ができるまでの間、西武鉄道の車両の製造や大規模な検査修繕を行っていたほか、地方私鉄に譲渡される西部などの中古車両の改造なども行っていた車両工場で、その歴史は戦後すぐに戦災で焼けた国電の車両を復旧して再び電車として再生させるところから始まっている点にも歴史的価値があります。
そのような歴史を考えると、提案にあるような看板もいいけれど、もっと進めて所沢工場などに関する写真や資料を展示するミニ資料館のようなものを建設してもいいと思います。
ちなみに、私は西武鉄道の、というよりどこかの会社の株を所有したことは一度もありませんが、もし私が西武鉄道の株主総会で質問をするとすれば…
やはり新宿線ユーザーとしては全体的な列車のスピードアップを期待したいですし、鉄道ファン的には横瀬車両基地に保存されている電気機関車や電車などを常時見学でき、その他西武鉄道の貴重な資料も見学できる「西武鉄道博物館」的な施設の開設も提案してみたいものです。
好奇心旺盛…だったのかな? [いろんな思い出]
こんにちは、gonanaです。
本日のお題:迷子の思い出
成長してからはあまり道に迷ったりはしなくなりましたが、幼い頃は結構迷子になっていたらしいです。
親とデパートや大型スーパーなどに行って、親が買い物をしている間にいつの間にか親とはぐれたり勝手に他の売り場へふらふらと歩いて行ったりして戻れなくなるなんてことは何度もあったようで、そのたびに店内放送で親が呼ばれていたようです。
あと、母親と一緒に公園へ遊びに行ったり散歩に出かけた時にもいつの間にか母親とはぐれてしまい、2~3回警察のお世話になったことがあるらしいです(私はうっすらとした記憶しかありませんが)
親が言うには、その頃の私は遊んでいたり道を歩いていたりしている時に何か興味を惹かれるものを見つけるとついついそちらに引き寄せられる癖があったそうで、それに夢中になっているうちに自分がどこにいるのかわからなくなることが多かったようです。
今から思うと、幼い頃の私はかなり好奇心旺盛な子供だったのかもしれません。確かに面白そうなものや楽しそうなものは大好きだったし、「探検」と称していったことのないところへ行ってみるのも好きでした。
そういう意味では、何度も迷子になって親には迷惑をかけてしまったけれど、いろいろな所へ出かけるのが好きになったということに関しては幼い日の迷子の思い出も無駄にはなってはいないということですかね。
本日のお題:迷子の思い出
成長してからはあまり道に迷ったりはしなくなりましたが、幼い頃は結構迷子になっていたらしいです。
親とデパートや大型スーパーなどに行って、親が買い物をしている間にいつの間にか親とはぐれたり勝手に他の売り場へふらふらと歩いて行ったりして戻れなくなるなんてことは何度もあったようで、そのたびに店内放送で親が呼ばれていたようです。
あと、母親と一緒に公園へ遊びに行ったり散歩に出かけた時にもいつの間にか母親とはぐれてしまい、2~3回警察のお世話になったことがあるらしいです(私はうっすらとした記憶しかありませんが)
親が言うには、その頃の私は遊んでいたり道を歩いていたりしている時に何か興味を惹かれるものを見つけるとついついそちらに引き寄せられる癖があったそうで、それに夢中になっているうちに自分がどこにいるのかわからなくなることが多かったようです。
今から思うと、幼い頃の私はかなり好奇心旺盛な子供だったのかもしれません。確かに面白そうなものや楽しそうなものは大好きだったし、「探検」と称していったことのないところへ行ってみるのも好きでした。
そういう意味では、何度も迷子になって親には迷惑をかけてしまったけれど、いろいろな所へ出かけるのが好きになったということに関しては幼い日の迷子の思い出も無駄にはなってはいないということですかね。
タグ:迷子
なんか緊張するんだよね… [ノンジャンル]
こんにちは、gonanaです。
本日のお題:電話は好き? 苦手?
電話、正直あまり得意ではありません。
家族や友人との電話なら苦手意識なく普通に話せますが、初めての相手や会社、自分より目上の相手などへの電話はかなり苦手です。
何だか、きちんとした敬語や電話のマナーが求められると思うと緊張してしまって、どうにもスムーズに話せないんですよね。
例えば大学時代にアルバイトをしたいと申し込む時。
私が大学生だった30年ほど前はまだネットやメールもなく、バイトの応募はまずバイトしたい会社や店に電話して応募したい旨の意思表示をして面接のアポを取るのが一般的でした。
それで私もバイトをしたい会社などへ電話をするのですが、初めての相手への電話ということでの緊張で伝えたいことが思うように伝えられていないと感じることがよくあり、もしかすると応募の電話のやり取りがマイナス要因になって断られたのかもと思うような会社もありました。
そしてこの電話が苦手という弱点は就活の時にも影響したようで、やはりこれでチャンスをつぶしてしまったかもという経験は何社もあります。
社会人になってからは、オフィスにかかってくる電話にも苦労しました。一応新卒で入った会社でもその後転職した会社でも、基本的なビジネスの電話のマナーや部署内でのローカルルールなどについては研修を受けたものの、やはり実際に電話を受けるとなるといつもドキドキしたものです。
幸いというか、私のいた部署はずっと営業部門でない部署だったのでいわゆる「営業電話」をかけることはなく、部署にかかってくる電話も大半が車内からの物だったけれど、時折社外とのやり取りが発生することもあり、できれば社外からの電話は取りたくないな…などとも思っていました。
そして昼休みに電話番を任されたりするのは一番苦手でした。業務中であれば何となく忙しく仕事をしているようにふるまえば何とかなりますが、一人で約1時間オフィスに残って電話番をするのはいろいろな意味で嫌でした。
こんな風に、特にビジネスでの電話が苦手な私ですが、今勤めている会社では業務中に電話対応をすることもなく、電話が苦手な私にはありがたい環境です。
在宅勤務なので同じ部署のメンバーとスカイプの通話機能を使ってミーティングや打ち合わせをすることはあるものの、入社からもうすぐ7年ということもあり緊張することもなく会話ができています。
最近、Z世代の若い人の中には電話が苦手という人が結構多いようで、私もそういった人たちの気持ちがよくわかります。
そういえば近頃はLINEやSNSでなく電話でコミュニケーションをとることが、私も含めてかなり減っていることが大きく影響しているのでしょう。
とりあえず今は電話で緊張する場面はほとんどないけれど、できるならどんな電話に対しても平常心で落ち着いて受け答えできるようになれればと思っています。
本日のお題:電話は好き? 苦手?
電話、正直あまり得意ではありません。
家族や友人との電話なら苦手意識なく普通に話せますが、初めての相手や会社、自分より目上の相手などへの電話はかなり苦手です。
何だか、きちんとした敬語や電話のマナーが求められると思うと緊張してしまって、どうにもスムーズに話せないんですよね。
例えば大学時代にアルバイトをしたいと申し込む時。
私が大学生だった30年ほど前はまだネットやメールもなく、バイトの応募はまずバイトしたい会社や店に電話して応募したい旨の意思表示をして面接のアポを取るのが一般的でした。
それで私もバイトをしたい会社などへ電話をするのですが、初めての相手への電話ということでの緊張で伝えたいことが思うように伝えられていないと感じることがよくあり、もしかすると応募の電話のやり取りがマイナス要因になって断られたのかもと思うような会社もありました。
そしてこの電話が苦手という弱点は就活の時にも影響したようで、やはりこれでチャンスをつぶしてしまったかもという経験は何社もあります。
社会人になってからは、オフィスにかかってくる電話にも苦労しました。一応新卒で入った会社でもその後転職した会社でも、基本的なビジネスの電話のマナーや部署内でのローカルルールなどについては研修を受けたものの、やはり実際に電話を受けるとなるといつもドキドキしたものです。
幸いというか、私のいた部署はずっと営業部門でない部署だったのでいわゆる「営業電話」をかけることはなく、部署にかかってくる電話も大半が車内からの物だったけれど、時折社外とのやり取りが発生することもあり、できれば社外からの電話は取りたくないな…などとも思っていました。
そして昼休みに電話番を任されたりするのは一番苦手でした。業務中であれば何となく忙しく仕事をしているようにふるまえば何とかなりますが、一人で約1時間オフィスに残って電話番をするのはいろいろな意味で嫌でした。
こんな風に、特にビジネスでの電話が苦手な私ですが、今勤めている会社では業務中に電話対応をすることもなく、電話が苦手な私にはありがたい環境です。
在宅勤務なので同じ部署のメンバーとスカイプの通話機能を使ってミーティングや打ち合わせをすることはあるものの、入社からもうすぐ7年ということもあり緊張することもなく会話ができています。
最近、Z世代の若い人の中には電話が苦手という人が結構多いようで、私もそういった人たちの気持ちがよくわかります。
そういえば近頃はLINEやSNSでなく電話でコミュニケーションをとることが、私も含めてかなり減っていることが大きく影響しているのでしょう。
とりあえず今は電話で緊張する場面はほとんどないけれど、できるならどんな電話に対しても平常心で落ち着いて受け答えできるようになれればと思っています。
タグ:電話
【鉄道イベントの思い出】関東鉄道下妻駅「気ままに☆七夕撮影会」(2012年) [その他鉄道ネタいろいろ]
こんにちは、gonanaです。
先日、例によって鉄道関連のネットニュースをチェックしていたら、こんな記事を見つけました。
関東鉄道キハ310形、7月に引退 国鉄車改造し常総線で46年 HM掲出も | 乗りものニュース
https://trafficnews.jp/post/126391
関東のローカル私鉄ということで、6月末で引退するJR東海のキハ85系よりも注目度は低いかもしれませんが、それでも40年以上にわたって活躍してきた車両の引退なので、地味ながら一つの歴史の節目ということになるのでしょう。
さて私はこのキハ310形には一度も乗車したことはありませんが、10年ちょっと前に関東鉄道常総線の下妻駅で行われた小規模な鉄道イベントで展示された同形式を撮影したことがあります。
その時のことは1年弱前にこのブログにも書いたことがありますが、今回このキハ310形が引退するということで、そのイベントのことを改めてもう一度振り返ります。
2012年7月7日、取手と下館を結ぶ関東鉄道常総線の乗り鉄&撮り鉄に出かけました。
その主な目的は、この日同線の途中駅下妻駅の構内で行われた「きままに☆七夕撮影会」と題したイベントで、鉄道雑誌かどこかの鉄道系サイトでこのイベントの開催を知ったので普段あまり乗る機会のない常総線の乗り鉄を兼ねて行ってみることにしました。
この日のお昼少し前の守谷駅から常総線の乗り鉄はスタート。
途中の水海道駅で列車を乗り継ぎながらイベントの行われる下妻駅へ向かいました。
12:30に下妻駅に着くと、島式ホームの反対側(上り水海道・取手方面)の線路すぐ隣のの側線には、このイベントの主役(というか唯一の展示車両)であるキハ310形313+314の2両編成が停車中で、撮影会といっても定期列車の発着する線路のそばなので線路レベルまで下りての撮影はできず、主に上りホーム上から撮影するというスタイルで行われていました。
関東鉄道キハ310形は、国鉄の気動車キハ10系の台車やエンジン、走行機器類に新製した3扉ロングシート仕様の車体を組み合わせて製造された車両で、気動車では珍しい2両1ユニットの編成を組んでいたり、前面の形状や両開きの3扉が配置された側面の窓配置など、パンタグラフをつければ電車と見間違えそうな車両でした。
展示されていた2両の塗装は、上半分クリームと下半分オレンジのツートンカラーという、かつての関東鉄道の標準職になっていて、この塗装もある意味電車っぽさ?を引き立てていました。
ホームからの撮影ということで、到着したらすぐにでも撮影に入ることができる状態でしたが、私は常総線のフリー切符を持っていたこともあり、まずは一旦改札を出て駅構内を跨ぐ跨線橋から眼下のキハ310形を撮影することにしました。
私が跨線橋上から撮影していると、前面を見ることのできる(撮影できる)取手側に連結されたキハ314では、ちょうどヘッドマークの交換作業が行われていて、「急行 つくばね」と書かれたヘッドマークを装着する作業を近距離で眺めたり撮影したりすることができました。
急行「つくばね」といえば、私は国鉄時代に上野ー水戸間を東北・水戸線経由で結んでいた451系や455系交直流急行形電車による電車急行しか知りませんでしたが、乗り鉄から帰宅後に調べるとこちらの「つくばね」は、1987年3月31日に廃止された筑波鉄道がかつて関東鉄道筑波線として営業していた時代に運転されていた列車だそうです。
ちなみにキハ310形が筑波線やつくば鉄道で運転されたことはどうやらなかったようで、このヘッドマークを掲げた姿はある意味かなり貴重なものでした。
ヘッドマーク交換作業の完了を見届けて再び改札内に入り、上りホームからの撮影を始めました。
2両の停車位置の関係で、取手側のキハ314の側からしか撮影できず、下館側のキハ313は側面しか写らない構図での撮影を余儀なくされましたが、それでも架線柱や架線の影など邪魔物のないすっきりした写真が撮れるのも非電化路線ならではです。
下妻駅の駅舎やホームにはこの日のイベントを告知するポスターも掲げられていました。
ポスターにはこの日キハ314に掲出されたヘッドマークのデザイン一覧も掲載され、さらにホームでは筑波鉄道のさよなら列車で掲げられたものなどの実物ヘッドマークも展示されていました。
私が下妻駅で撮影を楽しんでいた40分ほどの間、私と同じようにホームからキハ310形を撮影していた人があまりいなかったのは意外でした。
人気の高いJRや大手私鉄の車両と違い、どちらかといえば地味なローカル私鉄の気動車ということで注目度があまり高くなかったのかもしれません。
そのおかげで、大勢の撮影者で賑わう撮影会イベントに慣れている身からするとほとんど殺伐とした空気もなくまったりしたムードの中撮影できたのはよかったです。
これも小規模なイベントであったことや、2012年時点ではキハ310形は特段引退を控えていたというわけでもなかったことが理由かもしれません。
今回、最後まで残っていた315号+316号の編成の引退によってキハ310形は常総線での46年の活躍にピリオドを打つことになり、記念ヘッドマークを掲げての運転も行われるようです。
11年前とは違い、多くのファンに見送られての最後ということになりそうです。
私もせっかくなので最初で最後のキハ310形乗車に出かけたいところですが…
平日にしか定期運用がないというのがちょっとネックなんですよね…
先日、例によって鉄道関連のネットニュースをチェックしていたら、こんな記事を見つけました。
関東鉄道キハ310形、7月に引退 国鉄車改造し常総線で46年 HM掲出も | 乗りものニュース
https://trafficnews.jp/post/126391
関東のローカル私鉄ということで、6月末で引退するJR東海のキハ85系よりも注目度は低いかもしれませんが、それでも40年以上にわたって活躍してきた車両の引退なので、地味ながら一つの歴史の節目ということになるのでしょう。
さて私はこのキハ310形には一度も乗車したことはありませんが、10年ちょっと前に関東鉄道常総線の下妻駅で行われた小規模な鉄道イベントで展示された同形式を撮影したことがあります。
その時のことは1年弱前にこのブログにも書いたことがありますが、今回このキハ310形が引退するということで、そのイベントのことを改めてもう一度振り返ります。
2012年7月7日、取手と下館を結ぶ関東鉄道常総線の乗り鉄&撮り鉄に出かけました。
その主な目的は、この日同線の途中駅下妻駅の構内で行われた「きままに☆七夕撮影会」と題したイベントで、鉄道雑誌かどこかの鉄道系サイトでこのイベントの開催を知ったので普段あまり乗る機会のない常総線の乗り鉄を兼ねて行ってみることにしました。
この日のお昼少し前の守谷駅から常総線の乗り鉄はスタート。
途中の水海道駅で列車を乗り継ぎながらイベントの行われる下妻駅へ向かいました。
12:30に下妻駅に着くと、島式ホームの反対側(上り水海道・取手方面)の線路すぐ隣のの側線には、このイベントの主役(というか唯一の展示車両)であるキハ310形313+314の2両編成が停車中で、撮影会といっても定期列車の発着する線路のそばなので線路レベルまで下りての撮影はできず、主に上りホーム上から撮影するというスタイルで行われていました。
関東鉄道キハ310形は、国鉄の気動車キハ10系の台車やエンジン、走行機器類に新製した3扉ロングシート仕様の車体を組み合わせて製造された車両で、気動車では珍しい2両1ユニットの編成を組んでいたり、前面の形状や両開きの3扉が配置された側面の窓配置など、パンタグラフをつければ電車と見間違えそうな車両でした。
展示されていた2両の塗装は、上半分クリームと下半分オレンジのツートンカラーという、かつての関東鉄道の標準職になっていて、この塗装もある意味電車っぽさ?を引き立てていました。
ホームからの撮影ということで、到着したらすぐにでも撮影に入ることができる状態でしたが、私は常総線のフリー切符を持っていたこともあり、まずは一旦改札を出て駅構内を跨ぐ跨線橋から眼下のキハ310形を撮影することにしました。
私が跨線橋上から撮影していると、前面を見ることのできる(撮影できる)取手側に連結されたキハ314では、ちょうどヘッドマークの交換作業が行われていて、「急行 つくばね」と書かれたヘッドマークを装着する作業を近距離で眺めたり撮影したりすることができました。
急行「つくばね」といえば、私は国鉄時代に上野ー水戸間を東北・水戸線経由で結んでいた451系や455系交直流急行形電車による電車急行しか知りませんでしたが、乗り鉄から帰宅後に調べるとこちらの「つくばね」は、1987年3月31日に廃止された筑波鉄道がかつて関東鉄道筑波線として営業していた時代に運転されていた列車だそうです。
ちなみにキハ310形が筑波線やつくば鉄道で運転されたことはどうやらなかったようで、このヘッドマークを掲げた姿はある意味かなり貴重なものでした。
ヘッドマーク交換作業の完了を見届けて再び改札内に入り、上りホームからの撮影を始めました。
2両の停車位置の関係で、取手側のキハ314の側からしか撮影できず、下館側のキハ313は側面しか写らない構図での撮影を余儀なくされましたが、それでも架線柱や架線の影など邪魔物のないすっきりした写真が撮れるのも非電化路線ならではです。
下妻駅の駅舎やホームにはこの日のイベントを告知するポスターも掲げられていました。
ポスターにはこの日キハ314に掲出されたヘッドマークのデザイン一覧も掲載され、さらにホームでは筑波鉄道のさよなら列車で掲げられたものなどの実物ヘッドマークも展示されていました。
私が下妻駅で撮影を楽しんでいた40分ほどの間、私と同じようにホームからキハ310形を撮影していた人があまりいなかったのは意外でした。
人気の高いJRや大手私鉄の車両と違い、どちらかといえば地味なローカル私鉄の気動車ということで注目度があまり高くなかったのかもしれません。
そのおかげで、大勢の撮影者で賑わう撮影会イベントに慣れている身からするとほとんど殺伐とした空気もなくまったりしたムードの中撮影できたのはよかったです。
これも小規模なイベントであったことや、2012年時点ではキハ310形は特段引退を控えていたというわけでもなかったことが理由かもしれません。
今回、最後まで残っていた315号+316号の編成の引退によってキハ310形は常総線での46年の活躍にピリオドを打つことになり、記念ヘッドマークを掲げての運転も行われるようです。
11年前とは違い、多くのファンに見送られての最後ということになりそうです。
私もせっかくなので最初で最後のキハ310形乗車に出かけたいところですが…
平日にしか定期運用がないというのがちょっとネックなんですよね…
都電7001号「あかおび」リバイバルカラー車撮影&乗車の思い出 [その他鉄道ネタいろいろ]
こんにちは、gonanaです。
前回までの記事で、2014年6月に行われた都電荒川線荒川車庫での「路面電車の日」記念イベントを見に行った際のことを振り返りましたが、今回はそのイベントで一番長時間展示され、ある意味イベントの主役ともいえる存在感を示していた7000形7001号についての思い出を振り返ります。
この7001号は、2013年11月10日から、車体の塗装をそれまでのクリーム色地に濃淡のグリーンのストライプから、昭和30年代中盤から昭和53年の荒川線全面ワンマン化までの都電の標準塗装だった黄色地に赤帯の塗装を再現したリバイバル塗装を施して営業運転を開始した車両でした。
ちなみに、これについての当時のネットニュースを見つけたので以下にリンクを貼っておきます。
都電荒川線7001号車がレトロ塗装で運行開始|鉄道ニュース|2013年11月11日掲載|鉄道ファン・railf.jp
https://railf.jp/news/2013/11/11/153000.html
私はこの黄色地に赤帯の塗装の都電が都内各地を網の目のように走っていた時代には間に合っていませんが、都電に関する本などを通して身近に感じていた塗装でもあったので、この塗装のリバイバル車が登場したとあれば見逃すわけにはいかず、営業開始後1週間たった2013年11月17日にこの7001号の撮影と、上手くいけば乗車も楽しもうと出かけました。
この日はまず、西武園線の自宅から都電荒川線に乗りに行くには一番便利な大塚駅前停留所に向かいました。
10時半少し前に大塚駅前停留所に着いたはいいけれど、狙う7001号がどのあたりを走っているのか全く情報を持っていなかったので(確か、東京都交通局のHPには7001号の運転予定などは掲載されていなかったと記憶しています)、とりあえずしばらくターゲットがやって来るのを待つことにしました。
特に深く考えずに早稲田方面乗り場に出ると、ちょうどホームには早稲田行電車が停車していましたが、これは普通の7000形。別に急ぐ必要もないのでこれは見送りました。
その早稲田行が発車して数分後、次の早稲田行の接近放送が停留所に流れ、やがて姿を現したのは…
何と!いきなりお目当ての7001号の登場!
運行状況が読めない中でまあどこかで遭遇できればいいな、というぐらいの気持ちでいたので、まるで計算したようにほぼ待ち時間なしでやってきてくれるとは、かなりのサプライズでした。
大塚駅前は中間の停留所で停車時間も短いので、とりあえずホームに入線するシーンだけ撮影して乗車し、終点の早稲田へ向かいました。
ちなみにこの7001号、外観は変わっても車内はほかの7000形と特に変化はありませんでした。
1年半ぶりぐらいに乗る都電の乗り心地を味わうこと約15分で7001号は終点の早稲田に到着。
折り返しまでの時間は短いですが、その間に手早く7001号の駅撮りタイムとします。
荒川線で活躍していた7000形は、1978年の荒川線ワンマン化の際に車体を新製時からの正面2枚窓の旧車体から、角ばった正面1枚窓の新車体に載せ替えていて、7001号に再現された黄色地に赤帯という塗装が新しい方の車体に塗られるのは初めてでしたが、実際にこの塗装となった7001号を見ると、赤帯の太さや位置がちょうどいい感じで、全くと言っていいほど違和感は感じられませんでした。
そして、7001号の両方の前頭に「あかおび」と文字の入った特製ヘッドマークも掲げられていました。
ヘッドマークは、何だかステッカーかバッジにして販売してほしくなるような、ハッピーな気分にさせてくれるデザインのものでした。
わずか2~3分ほどの慌ただしい駅取りタイムの後、再び7001号に乗車して荒川線のもう一方の終点三ノ輪橋へ向かいました。
土曜日の11時前後という時間帯にしては利用客は多く、途中王子駅前停留所を出た後はラッシュ並みの混雑になった区間もありました。
そして早稲田から1時間弱で三ノ輪橋に到着。
早稲田に続き、ここでも折り返し時間を利用して7001号の駅撮りをしました。
三ノ輪橋停留所のホームは、この頃すでに昭和30年代を思わせるデザインに改装されていたので、まさにその時代の都電のカラーをまとった7001号は停留所の風景によくマッチしていました。
三ノ輪橋からもまた7001号に折り返し乗車。
三ノ輪橋発車時もそこそこの乗車率でしたが、進むほどに乗客は増え結構な混雑に。
土曜日の昼間はいつもこうなのか、それともたまたまこの日沿線で何か催し物でもあったのかはわかりませんでしたが、懐かしのカラーの都電にのんびり揺られて…というのとはちょっと違ったイメージの混雑ぶりでした。
そして、三ノ輪橋から約20分の荒川車庫前停留所で下車し、早稲田へ向かう7001号を見送りました。
この日はその後もしばらく、都電の乗り鉄や撮り鉄を楽しみましたが、7001号は昼過ぎには荒川車庫に入庫したのか、午後は姿を見ることはできませんでした。
都電7000形は、2000年代中盤頃から新形式社の投入などにより引退が始まり、新形式車7700形に再改造された車体が流用されたり豊橋鉄道に譲渡されたり保存されたりしたものを除けばすでにほぼ全車が解体されたようですが、7001号は営業運転を終了した後も解体を免れて荒川車庫で保管されていたようで、今秋日曜日(25日)に行われる今年の路面電車の日イベントでは6年ぶりに参加者の前に姿を現すとか。
現在の塗装がどうなのか個人的には興味あるところですが、できれば荒川線の歴史を知る車両でもある7001号は何らかの形で保存してほしいものです。
前回までの記事で、2014年6月に行われた都電荒川線荒川車庫での「路面電車の日」記念イベントを見に行った際のことを振り返りましたが、今回はそのイベントで一番長時間展示され、ある意味イベントの主役ともいえる存在感を示していた7000形7001号についての思い出を振り返ります。
この7001号は、2013年11月10日から、車体の塗装をそれまでのクリーム色地に濃淡のグリーンのストライプから、昭和30年代中盤から昭和53年の荒川線全面ワンマン化までの都電の標準塗装だった黄色地に赤帯の塗装を再現したリバイバル塗装を施して営業運転を開始した車両でした。
ちなみに、これについての当時のネットニュースを見つけたので以下にリンクを貼っておきます。
都電荒川線7001号車がレトロ塗装で運行開始|鉄道ニュース|2013年11月11日掲載|鉄道ファン・railf.jp
https://railf.jp/news/2013/11/11/153000.html
私はこの黄色地に赤帯の塗装の都電が都内各地を網の目のように走っていた時代には間に合っていませんが、都電に関する本などを通して身近に感じていた塗装でもあったので、この塗装のリバイバル車が登場したとあれば見逃すわけにはいかず、営業開始後1週間たった2013年11月17日にこの7001号の撮影と、上手くいけば乗車も楽しもうと出かけました。
この日はまず、西武園線の自宅から都電荒川線に乗りに行くには一番便利な大塚駅前停留所に向かいました。
10時半少し前に大塚駅前停留所に着いたはいいけれど、狙う7001号がどのあたりを走っているのか全く情報を持っていなかったので(確か、東京都交通局のHPには7001号の運転予定などは掲載されていなかったと記憶しています)、とりあえずしばらくターゲットがやって来るのを待つことにしました。
特に深く考えずに早稲田方面乗り場に出ると、ちょうどホームには早稲田行電車が停車していましたが、これは普通の7000形。別に急ぐ必要もないのでこれは見送りました。
その早稲田行が発車して数分後、次の早稲田行の接近放送が停留所に流れ、やがて姿を現したのは…
何と!いきなりお目当ての7001号の登場!
運行状況が読めない中でまあどこかで遭遇できればいいな、というぐらいの気持ちでいたので、まるで計算したようにほぼ待ち時間なしでやってきてくれるとは、かなりのサプライズでした。
大塚駅前は中間の停留所で停車時間も短いので、とりあえずホームに入線するシーンだけ撮影して乗車し、終点の早稲田へ向かいました。
ちなみにこの7001号、外観は変わっても車内はほかの7000形と特に変化はありませんでした。
1年半ぶりぐらいに乗る都電の乗り心地を味わうこと約15分で7001号は終点の早稲田に到着。
折り返しまでの時間は短いですが、その間に手早く7001号の駅撮りタイムとします。
荒川線で活躍していた7000形は、1978年の荒川線ワンマン化の際に車体を新製時からの正面2枚窓の旧車体から、角ばった正面1枚窓の新車体に載せ替えていて、7001号に再現された黄色地に赤帯という塗装が新しい方の車体に塗られるのは初めてでしたが、実際にこの塗装となった7001号を見ると、赤帯の太さや位置がちょうどいい感じで、全くと言っていいほど違和感は感じられませんでした。
そして、7001号の両方の前頭に「あかおび」と文字の入った特製ヘッドマークも掲げられていました。
ヘッドマークは、何だかステッカーかバッジにして販売してほしくなるような、ハッピーな気分にさせてくれるデザインのものでした。
わずか2~3分ほどの慌ただしい駅取りタイムの後、再び7001号に乗車して荒川線のもう一方の終点三ノ輪橋へ向かいました。
土曜日の11時前後という時間帯にしては利用客は多く、途中王子駅前停留所を出た後はラッシュ並みの混雑になった区間もありました。
そして早稲田から1時間弱で三ノ輪橋に到着。
早稲田に続き、ここでも折り返し時間を利用して7001号の駅撮りをしました。
三ノ輪橋停留所のホームは、この頃すでに昭和30年代を思わせるデザインに改装されていたので、まさにその時代の都電のカラーをまとった7001号は停留所の風景によくマッチしていました。
三ノ輪橋からもまた7001号に折り返し乗車。
三ノ輪橋発車時もそこそこの乗車率でしたが、進むほどに乗客は増え結構な混雑に。
土曜日の昼間はいつもこうなのか、それともたまたまこの日沿線で何か催し物でもあったのかはわかりませんでしたが、懐かしのカラーの都電にのんびり揺られて…というのとはちょっと違ったイメージの混雑ぶりでした。
そして、三ノ輪橋から約20分の荒川車庫前停留所で下車し、早稲田へ向かう7001号を見送りました。
この日はその後もしばらく、都電の乗り鉄や撮り鉄を楽しみましたが、7001号は昼過ぎには荒川車庫に入庫したのか、午後は姿を見ることはできませんでした。
都電7000形は、2000年代中盤頃から新形式社の投入などにより引退が始まり、新形式車7700形に再改造された車体が流用されたり豊橋鉄道に譲渡されたり保存されたりしたものを除けばすでにほぼ全車が解体されたようですが、7001号は営業運転を終了した後も解体を免れて荒川車庫で保管されていたようで、今秋日曜日(25日)に行われる今年の路面電車の日イベントでは6年ぶりに参加者の前に姿を現すとか。
現在の塗装がどうなのか個人的には興味あるところですが、できれば荒川線の歴史を知る車両でもある7001号は何らかの形で保存してほしいものです。
【鉄道イベントの思い出】都電荒川線 路面電車の日イベント(2014年) その4 [その他鉄道ネタいろいろ]
こんにちは、gonanaです。
2014年6月8日に行われた、都電荒川線荒川車庫での路面電車の日記念イベントの振り返り、今回で最終回です。
車庫入り口での「赤帯」7001号と「青帯」7022号の7000形リバイバルカラー車コンビのツーショットを撮影した後は、
12:00の再度の展示車両入替えまでの間、イベント会場を一旦離れ、荒川車庫から歩いて10分ほどのところにある「あらかわ遊園」へ向かいました。
その目的は遊園地で遊ぶためではなく、当時入口付近で展示されていた(現在の展示位置は不明ですが)都電6152号。
戦後の都電では最大の車両数を誇った6000形の最後の現役車両だった車両で、2000年頃までイベント電車や貸切運転などで活躍後あらかわ遊園に保存され、昨年の同園のリニューアル後も園内で保存されています。
先ほども書いた通りこの日は6152号を撮影するためだけに来たので遊園地の中には入らず、園の外周の柵の隙間からカメラを入れて外側から撮影するだけでしたが、久しぶりに見た6152号は柵も屋根もない場所に保存されているにもかかわらず美しい姿で、もう本線を走ることがないのが惜しまれる姿でした。
12時少し前にあらかわ遊園から車庫に戻ると、車庫入口の7001号と7022号の並びはそのままでしたが、両車に掲げられたヘッドマークがそれぞれ異なる絵柄のものに交換されていました。
そんな中、車庫の入口に1台の都バスがやってきました。
この都バスは見慣れた塗装のものではなく、クリーム色地に赤い帯という、すぐそばに展示されている都電7001号の塗装に近いカラーになっていて、通常の都バスを見慣れた目にはずいぶんイメージが違って見えました。
実はこの塗装、1960年代の都バスの塗装を復刻したものでした。
2014年当時は、都バスにも鉄道車両のリバイバルカラー車人気のような雰囲気があったようで、このクリームと赤の塗装の他にも、昭和40~50年代にかけてのアイボリーホワイトと水色のツートンや黄色と赤のツートンなど、数種類のリバイバルカラーの都バスが登場し人気になっていて、荒川車庫にやってきたこの都バスもその一台というわけです。
都電カラーのバスは一旦7022号の左横に停車し、リバイバルカラーつながりのスリーショットが実現しました。
しかしスリーショットが見られたのはほんのわずかの間だけで、数分経つと7022号が車庫内に引き上げ、その後はバスが7022号の停車していた線路の上に移動し、この日最後となる7001号とのツーショット撮影となりました。
昭和30~40年代の都電と都バスが一緒に移っている写真は私もそれまでに何枚か見たことはありましたが、どちらも復刻塗装とはいえこうしてこの目で両者の並びを見ると、似ているようでもベースとなる色の違い(都電は黄色、バスはクリーム色)もあって7001号の塗装の鮮やかさがより感じられました。
こうして、3時間という、(その当時の)他の車両展示のある鉄道イベントよりは短い時間ではあったものの、なかなか充実した内容の2014年の都電荒川線路面電車の日イベントは終わりました。
私がこのイベントに行くことができたのは今のところこれが最後になっているのが路面電車好きの自分には残念です。
来週日曜日(25日)に行われる今年のイベントは事前申し込み制で、おそらくもう参加申し込みはできないと思われますが、ぜひまた久しぶりの都電乗車も兼ねて参加したいものです。
2014年6月8日に行われた、都電荒川線荒川車庫での路面電車の日記念イベントの振り返り、今回で最終回です。
車庫入り口での「赤帯」7001号と「青帯」7022号の7000形リバイバルカラー車コンビのツーショットを撮影した後は、
12:00の再度の展示車両入替えまでの間、イベント会場を一旦離れ、荒川車庫から歩いて10分ほどのところにある「あらかわ遊園」へ向かいました。
その目的は遊園地で遊ぶためではなく、当時入口付近で展示されていた(現在の展示位置は不明ですが)都電6152号。
戦後の都電では最大の車両数を誇った6000形の最後の現役車両だった車両で、2000年頃までイベント電車や貸切運転などで活躍後あらかわ遊園に保存され、昨年の同園のリニューアル後も園内で保存されています。
先ほども書いた通りこの日は6152号を撮影するためだけに来たので遊園地の中には入らず、園の外周の柵の隙間からカメラを入れて外側から撮影するだけでしたが、久しぶりに見た6152号は柵も屋根もない場所に保存されているにもかかわらず美しい姿で、もう本線を走ることがないのが惜しまれる姿でした。
12時少し前にあらかわ遊園から車庫に戻ると、車庫入口の7001号と7022号の並びはそのままでしたが、両車に掲げられたヘッドマークがそれぞれ異なる絵柄のものに交換されていました。
そんな中、車庫の入口に1台の都バスがやってきました。
この都バスは見慣れた塗装のものではなく、クリーム色地に赤い帯という、すぐそばに展示されている都電7001号の塗装に近いカラーになっていて、通常の都バスを見慣れた目にはずいぶんイメージが違って見えました。
実はこの塗装、1960年代の都バスの塗装を復刻したものでした。
2014年当時は、都バスにも鉄道車両のリバイバルカラー車人気のような雰囲気があったようで、このクリームと赤の塗装の他にも、昭和40~50年代にかけてのアイボリーホワイトと水色のツートンや黄色と赤のツートンなど、数種類のリバイバルカラーの都バスが登場し人気になっていて、荒川車庫にやってきたこの都バスもその一台というわけです。
都電カラーのバスは一旦7022号の左横に停車し、リバイバルカラーつながりのスリーショットが実現しました。
しかしスリーショットが見られたのはほんのわずかの間だけで、数分経つと7022号が車庫内に引き上げ、その後はバスが7022号の停車していた線路の上に移動し、この日最後となる7001号とのツーショット撮影となりました。
昭和30~40年代の都電と都バスが一緒に移っている写真は私もそれまでに何枚か見たことはありましたが、どちらも復刻塗装とはいえこうしてこの目で両者の並びを見ると、似ているようでもベースとなる色の違い(都電は黄色、バスはクリーム色)もあって7001号の塗装の鮮やかさがより感じられました。
こうして、3時間という、(その当時の)他の車両展示のある鉄道イベントよりは短い時間ではあったものの、なかなか充実した内容の2014年の都電荒川線路面電車の日イベントは終わりました。
私がこのイベントに行くことができたのは今のところこれが最後になっているのが路面電車好きの自分には残念です。
来週日曜日(25日)に行われる今年のイベントは事前申し込み制で、おそらくもう参加申し込みはできないと思われますが、ぜひまた久しぶりの都電乗車も兼ねて参加したいものです。
【鉄道イベントの思い出】都電荒川線 路面電車の日イベント(2014年) その3 [その他鉄道ネタいろいろ]
こんにちは、gonanaです。
今回も、2014年6月8日に行われた都電荒川線荒川車庫での「路面電車の日」記念イベントの振り返り、続きます。
検修庫内の展示を一通り見学して、車庫敷地の裏手の方に出ました。(もちろん、立ち入りOKのエリアです)
すると、車庫内で車両を転線させるためのトラバーサーの上に7000形の7001号、そのそばの留置線に同じ7000形の7022号が止まっていました。
このうち7001号は前年(2013年)に塗装が昭和30~40年代の都電をイメージした黄色い車体に赤帯の入ったものに変更され、一方の7022号もやはり塗装が、1978年に7000形がワンマン運転対応改造にあたって新しい車体に載せ替えた時の塗装である黄色地に青帯という塗装に戻された車両でした。
そして11時になり、予告通り車庫入口の展示車両の入れ替えが行われ、7001号と7022号のリバイバルカラー車コンビが登場しました。
この2両の並びも、都電ファンとしては一度見て(撮って)みたかったものでしたが、いざどこかでそれを狙おうとしてもそうそう思い通りにその場面に遭遇するチャンスがあるわけでもないので、この日は狙ってゆっくりこの並びを見る(撮影できる)貴重な機会になりました。
7001号と7022号を近くで見比べると、同じ黄色の塗装でも色合いに微妙な違いが見て取れ、帯の色や入り方も違うので、同じ形式でも印象が異なるのが興味深かったです。
展示時間前半(11時台前半)の時点では、2両とも同じ「路面電車の日」記念マークを掲出していました。
あと私は気付きませんでしたが、この時間にNHKが取材に来ていたようで、この日のお昼のニュースの関東甲信越ローカルの時間にこのイベントの模様が放送されたようです。
2014年の都電路面電車の日イベントの振り返り、次回で最終回です。
今回も、2014年6月8日に行われた都電荒川線荒川車庫での「路面電車の日」記念イベントの振り返り、続きます。
検修庫内の展示を一通り見学して、車庫敷地の裏手の方に出ました。(もちろん、立ち入りOKのエリアです)
すると、車庫内で車両を転線させるためのトラバーサーの上に7000形の7001号、そのそばの留置線に同じ7000形の7022号が止まっていました。
このうち7001号は前年(2013年)に塗装が昭和30~40年代の都電をイメージした黄色い車体に赤帯の入ったものに変更され、一方の7022号もやはり塗装が、1978年に7000形がワンマン運転対応改造にあたって新しい車体に載せ替えた時の塗装である黄色地に青帯という塗装に戻された車両でした。
そして11時になり、予告通り車庫入口の展示車両の入れ替えが行われ、7001号と7022号のリバイバルカラー車コンビが登場しました。
この2両の並びも、都電ファンとしては一度見て(撮って)みたかったものでしたが、いざどこかでそれを狙おうとしてもそうそう思い通りにその場面に遭遇するチャンスがあるわけでもないので、この日は狙ってゆっくりこの並びを見る(撮影できる)貴重な機会になりました。
7001号と7022号を近くで見比べると、同じ黄色の塗装でも色合いに微妙な違いが見て取れ、帯の色や入り方も違うので、同じ形式でも印象が異なるのが興味深かったです。
展示時間前半(11時台前半)の時点では、2両とも同じ「路面電車の日」記念マークを掲出していました。
あと私は気付きませんでしたが、この時間にNHKが取材に来ていたようで、この日のお昼のニュースの関東甲信越ローカルの時間にこのイベントの模様が放送されたようです。
2014年の都電路面電車の日イベントの振り返り、次回で最終回です。
【鉄道イベントの思い出】都電荒川線 路面電車の日イベント(2014年) その2 [その他鉄道ネタいろいろ]
こんにちは、gonanaです。
2014年6月8日に行われた都電荒川線荒川車庫での「路面電車の日」記念イベントの振り返り、今回も続きます。
車庫入り口の車両展示スペースでの10~11時の間の展示車両(8801号・9001号・9002号)の撮影を一通り終えた後は、11時の展示車両の入替えまでの間、車庫に併設され荒川線車両のメンテナンスを行う検修庫の中での展示を見学しました。
検修庫内では、検査途中なのかピット上の線路に載った7000形や、各種車両部品などの展示も行われていました。
例えば、電車から取り外したパンタグラフは操作体験ができ、通常の使用状態ではあり得ないくらい頻繁に昇降を繰り返していました。
また、電車の行先表示幕もいくつか展示され、使用されていた時代ごとの変化も楽しめました。
展示されていた行き先幕の中には、かつて最終電車であることを示すために赤色地の行先表示を掲げた通称「赤電車」で使用されたと思われる字幕も含まれていました。
当時すでに荒川線の現役車両は行先表示のLED化が完了し、行き先幕を使用する車両が消滅していたので、展示された行先幕はどれも貴重な存在でした。
この他にも、イベントなどで掲げられたヘッドマークや、かつての都電全盛期に使用されていた運転系統板、停留所や車両に掲げられていた各種の標示類、電車内外に掲げられていた昔の広告など、貴重な品々が多数展示されていました。
この検修庫内の展示の内容は、私がほぼ毎年出かけていた頃はほぼ同じような内容でしたが(もしかすると今年のイベントも?)、それでも貴重な展示物を見るたびに、都電にも横浜や名古屋、仙台にあるような常設の路面電車展示館があったらいいのに…と思ったものです。(それは今でも変わりありませんが)
次回も続きます。
2014年6月8日に行われた都電荒川線荒川車庫での「路面電車の日」記念イベントの振り返り、今回も続きます。
車庫入り口の車両展示スペースでの10~11時の間の展示車両(8801号・9001号・9002号)の撮影を一通り終えた後は、11時の展示車両の入替えまでの間、車庫に併設され荒川線車両のメンテナンスを行う検修庫の中での展示を見学しました。
検修庫内では、検査途中なのかピット上の線路に載った7000形や、各種車両部品などの展示も行われていました。
例えば、電車から取り外したパンタグラフは操作体験ができ、通常の使用状態ではあり得ないくらい頻繁に昇降を繰り返していました。
また、電車の行先表示幕もいくつか展示され、使用されていた時代ごとの変化も楽しめました。
展示されていた行き先幕の中には、かつて最終電車であることを示すために赤色地の行先表示を掲げた通称「赤電車」で使用されたと思われる字幕も含まれていました。
当時すでに荒川線の現役車両は行先表示のLED化が完了し、行き先幕を使用する車両が消滅していたので、展示された行先幕はどれも貴重な存在でした。
この他にも、イベントなどで掲げられたヘッドマークや、かつての都電全盛期に使用されていた運転系統板、停留所や車両に掲げられていた各種の標示類、電車内外に掲げられていた昔の広告など、貴重な品々が多数展示されていました。
この検修庫内の展示の内容は、私がほぼ毎年出かけていた頃はほぼ同じような内容でしたが(もしかすると今年のイベントも?)、それでも貴重な展示物を見るたびに、都電にも横浜や名古屋、仙台にあるような常設の路面電車展示館があったらいいのに…と思ったものです。(それは今でも変わりありませんが)
次回も続きます。