やっぱりここが中心だから… [ノンジャンル]
こんにちは、gonanaです。
本日のお題:東京○○といえば?
東京都、東京ドーム、東京大学、東京名物、東京出身…
パッと頭の中に浮かんできたものだけでもいろいろありますが…
やっぱり鉄道好き敵には「東京駅」ですかね。
なんてったって日本の鉄道網の中心ともいえる存在の駅ですからね。
在来線に関しては上野東京ラインが生まれて東京駅始発の東海道本線列車が減り、ブルートレインが消えたこともあり特徴のある列車も少なくなって何となく存在感は薄れた感はあるけれど、新幹線に関しては間違いなく各地へ散らばる新幹線網の扇のかなめになっています。
その他にも高速バスの一大ターミナルの一つにもなっているので、やはり東京駅の存在感は健在といったところでしょう。
ただ、鉄道好き的には、ブルートレインや国鉄型電車が健在だったかつての東京駅の方が楽しかった気がするのが正直なところです。
まあ、その当時と比べると、駅ナカの商業施設など別の意味で「行ってみたくなる駅」にはなっているんでしょうけどね。
本日のお題:東京○○といえば?
東京都、東京ドーム、東京大学、東京名物、東京出身…
パッと頭の中に浮かんできたものだけでもいろいろありますが…
やっぱり鉄道好き敵には「東京駅」ですかね。
なんてったって日本の鉄道網の中心ともいえる存在の駅ですからね。
在来線に関しては上野東京ラインが生まれて東京駅始発の東海道本線列車が減り、ブルートレインが消えたこともあり特徴のある列車も少なくなって何となく存在感は薄れた感はあるけれど、新幹線に関しては間違いなく各地へ散らばる新幹線網の扇のかなめになっています。
その他にも高速バスの一大ターミナルの一つにもなっているので、やはり東京駅の存在感は健在といったところでしょう。
ただ、鉄道好き的には、ブルートレインや国鉄型電車が健在だったかつての東京駅の方が楽しかった気がするのが正直なところです。
まあ、その当時と比べると、駅ナカの商業施設など別の意味で「行ってみたくなる駅」にはなっているんでしょうけどね。
生まれて初めて乗った「ちょっと変わった」電車 [その他鉄道ネタいろいろ]
こんにちは、gonanaです。
このブログでも何度か書きましたが、私の家族は私が幼稚園年長の都市の途中で東京都清瀬市から埼玉県某市へ引っ越すことになり、それに伴って私は幼稚園卒園までの約半年間、引っ越し先の家からそれまで通っていた幼稚園へ電車通園をしていました。
電車通園のコースは引っ越し先の家の最寄りの西武新宿線某駅から、幼稚園の最寄り駅(引っ越し前の家の最寄りでもありましたが)である西武池袋線秋津駅まででした。
もう45年も前の話なのでその頃の西武池袋・新宿線の電車も現在とは全く顔ぶれが違いました。
黄色い101系電車が当時の最新形式で、これに赤とベージュのツートンカラーの「赤電」塗装だった冷房化前の701系や801系、さらにやはり「赤電」塗装の各形式が入り混じって走っているという状態でした。
当時の私はすでに立派な電車好きにはなっていたものの、まだ幼稚園生ということもあり車両の形式についての知識もほぼありませんでしたが、それでも車両の塗装や見た目の違いは分かるようになっていて、特に朝の登園時はほぼ毎日同じ時間の列車に乗ることになるので、毎日同じ時間の電車にはいつも同じ見た目の電車が来る(つまり、同じ形式の車両が使われている)ことが多いという車両運用の法則性も何となく感じていました。
そんな中、あるかなり寒い朝、いつものように母に連れられての登園時、乗り換え駅の所沢駅で池袋線の電車を待っていました。
多くの電車好きの子供同様、当時の私も運転室の後ろの窓からの前方展望を眺めながら乗るのが大好きだったので、いつものように先頭車の乗車位置で待っていると、いつも秋津駅まで乗る電車がやってきましたが、先頭の車両はいつも乗る車両とは明らかに見た目が違う車両でした。
そして車内に入るとまたびっくり。何と床が木でできている!
さらにいつものように運転室のところに行くと、何と運転室は車両幅の左側1/3の幅しかなく、残りの2/3の空間は大人の腰?ぐらいの高さに渡されたポール1本で客室と仕切られた誰もいない空間になっていました。
そんな不思議な空間越しに眺める所沢ー秋津間の前面展望は、おそらく当時の私にはいつもとは違った風景に見えたことでしょう。
実はこの日は、池袋線では寒さによる車両ドアの凍結によりダイヤや車両運用が若干乱れていたようで(当時は首都圏でも、冬季は車両のドア凍結によるダイヤ乱れが時々起きていた)、普段は見かけないこの変わった車両の出現もそれに起因していたと思われます。
まあ幼稚園生の当時の私にはそんなことは知るところではありませんでしたが…
いずれにしてもこのいつもとは違う車両に乗れたことにいたく興奮したのか、その夜会社から帰ってきた父親に私はこの日の出来事をかなり熱くしゃべったようです。
さて、この時に乗車した車両がどのような車両であるかは当時の私はもちろん知らず、それが「クハ1411形」という形式の車両であることを知るのは数年後のことでした。
このクハ1411形という車両についての詳細は、下記のリンクに掲載されています
西武クハ1411形電車 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E6%AD%A6%E3%82%AF%E3%83%8F1411%E5%BD%A2%E9%9B%BB%E8%BB%8A#bodyContent。
私が初めてこのクハ1411形電車に出会った頃には、この形式の廃車も進んで両数が少なくなっていた時期で、それゆえ普段乗る機会もなかなかなかったのかもしれません。
だから、車内の床が木であったり、運転室が普通の電車の1/3のスペースしかないなど、当時でもかなり珍しくなっていた構造の電車に乗った「非日常間」が幼い私にも伝わって、それが今も記憶に残っているのかもしれません。
このブログでも何度か書きましたが、私の家族は私が幼稚園年長の都市の途中で東京都清瀬市から埼玉県某市へ引っ越すことになり、それに伴って私は幼稚園卒園までの約半年間、引っ越し先の家からそれまで通っていた幼稚園へ電車通園をしていました。
電車通園のコースは引っ越し先の家の最寄りの西武新宿線某駅から、幼稚園の最寄り駅(引っ越し前の家の最寄りでもありましたが)である西武池袋線秋津駅まででした。
もう45年も前の話なのでその頃の西武池袋・新宿線の電車も現在とは全く顔ぶれが違いました。
黄色い101系電車が当時の最新形式で、これに赤とベージュのツートンカラーの「赤電」塗装だった冷房化前の701系や801系、さらにやはり「赤電」塗装の各形式が入り混じって走っているという状態でした。
当時の私はすでに立派な電車好きにはなっていたものの、まだ幼稚園生ということもあり車両の形式についての知識もほぼありませんでしたが、それでも車両の塗装や見た目の違いは分かるようになっていて、特に朝の登園時はほぼ毎日同じ時間の列車に乗ることになるので、毎日同じ時間の電車にはいつも同じ見た目の電車が来る(つまり、同じ形式の車両が使われている)ことが多いという車両運用の法則性も何となく感じていました。
そんな中、あるかなり寒い朝、いつものように母に連れられての登園時、乗り換え駅の所沢駅で池袋線の電車を待っていました。
多くの電車好きの子供同様、当時の私も運転室の後ろの窓からの前方展望を眺めながら乗るのが大好きだったので、いつものように先頭車の乗車位置で待っていると、いつも秋津駅まで乗る電車がやってきましたが、先頭の車両はいつも乗る車両とは明らかに見た目が違う車両でした。
そして車内に入るとまたびっくり。何と床が木でできている!
さらにいつものように運転室のところに行くと、何と運転室は車両幅の左側1/3の幅しかなく、残りの2/3の空間は大人の腰?ぐらいの高さに渡されたポール1本で客室と仕切られた誰もいない空間になっていました。
そんな不思議な空間越しに眺める所沢ー秋津間の前面展望は、おそらく当時の私にはいつもとは違った風景に見えたことでしょう。
実はこの日は、池袋線では寒さによる車両ドアの凍結によりダイヤや車両運用が若干乱れていたようで(当時は首都圏でも、冬季は車両のドア凍結によるダイヤ乱れが時々起きていた)、普段は見かけないこの変わった車両の出現もそれに起因していたと思われます。
まあ幼稚園生の当時の私にはそんなことは知るところではありませんでしたが…
いずれにしてもこのいつもとは違う車両に乗れたことにいたく興奮したのか、その夜会社から帰ってきた父親に私はこの日の出来事をかなり熱くしゃべったようです。
さて、この時に乗車した車両がどのような車両であるかは当時の私はもちろん知らず、それが「クハ1411形」という形式の車両であることを知るのは数年後のことでした。
このクハ1411形という車両についての詳細は、下記のリンクに掲載されています
西武クハ1411形電車 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E6%AD%A6%E3%82%AF%E3%83%8F1411%E5%BD%A2%E9%9B%BB%E8%BB%8A#bodyContent。
私が初めてこのクハ1411形電車に出会った頃には、この形式の廃車も進んで両数が少なくなっていた時期で、それゆえ普段乗る機会もなかなかなかったのかもしれません。
だから、車内の床が木であったり、運転室が普通の電車の1/3のスペースしかないなど、当時でもかなり珍しくなっていた構造の電車に乗った「非日常間」が幼い私にも伝わって、それが今も記憶に残っているのかもしれません。
消えていくのはやっぱり… [ノンジャンル]
こんにちは、gonanaです。
本日のお題:最近、本屋さんで本買ってる?
視覚障がい者になってからというもの、本を買うということもほぼなくなってしまいました。
一応、スマホのカメラで撮影した本のページにかかれている文字を読み取り、それを音声読み上げすることで視覚障がい者でも本を読むことのできるスマホアプリを入れてはいるものの、本や雑誌の紙面のレイアウトによってはきちんと意味の通るような読み上げをしてくれないことも多く、なかなか思うように本や雑誌の内容も頭に入ってこないので使う機会も減り、そのため新しく紙に印刷された本を買うこともなくなってしまいました。
そんな私でも、まだ目が見えていた頃は普通に本屋さんで本や雑誌を買ってました。
10年ちょっと前の段階でも、ア○○ンは確かあったとは思いますが、まだまだ本や雑誌はネットではなく本屋で買うものというのが当たり前だと思っていました。
そして遡ってみると、私は幼い頃から、本屋さんを本を買う(買ってもらう)だけでなく、親が買い物をしている間や中途半端な時間をつぶすための立ち読みなどでもよく利用させてもらっていました。
まあ、店側からしたらあまりうれしい客ではなかったかもしれませんが…
そんなこともあり、近年地方でも都会でも街から本屋さんがどんどん消えているという話を聞くたびに寂しさを覚えます。
本屋さんとの縁がなくなって何年も経つ私がこんなことを言うのもおかしな話ではありますが、本屋さんで本を探して買うということが楽しみの一つであったものとしては、ネット通販で本を買う便利さや手軽さは認めるとしても、本屋さんで本を買うことが「非日常」の行為になりつつあるのはやはり寂しい気がします。
本日のお題:最近、本屋さんで本買ってる?
視覚障がい者になってからというもの、本を買うということもほぼなくなってしまいました。
一応、スマホのカメラで撮影した本のページにかかれている文字を読み取り、それを音声読み上げすることで視覚障がい者でも本を読むことのできるスマホアプリを入れてはいるものの、本や雑誌の紙面のレイアウトによってはきちんと意味の通るような読み上げをしてくれないことも多く、なかなか思うように本や雑誌の内容も頭に入ってこないので使う機会も減り、そのため新しく紙に印刷された本を買うこともなくなってしまいました。
そんな私でも、まだ目が見えていた頃は普通に本屋さんで本や雑誌を買ってました。
10年ちょっと前の段階でも、ア○○ンは確かあったとは思いますが、まだまだ本や雑誌はネットではなく本屋で買うものというのが当たり前だと思っていました。
そして遡ってみると、私は幼い頃から、本屋さんを本を買う(買ってもらう)だけでなく、親が買い物をしている間や中途半端な時間をつぶすための立ち読みなどでもよく利用させてもらっていました。
まあ、店側からしたらあまりうれしい客ではなかったかもしれませんが…
そんなこともあり、近年地方でも都会でも街から本屋さんがどんどん消えているという話を聞くたびに寂しさを覚えます。
本屋さんとの縁がなくなって何年も経つ私がこんなことを言うのもおかしな話ではありますが、本屋さんで本を探して買うということが楽しみの一つであったものとしては、ネット通販で本を買う便利さや手軽さは認めるとしても、本屋さんで本を買うことが「非日常」の行為になりつつあるのはやはり寂しい気がします。
もういろいろありすぎて [ノンジャンル]
こんにちは、gonanaです。
本日のお題:これまでの人生でやり残したと思うこと
この齢になると、これまで生きてきてやり残してきたことなんて、数えきれないくらいあります。
例えば学生時代の英語の授業や英会話教室の授業をもっときちんと受けていれば、少なくとも今よりは英語の読み書きや会話はできていたかもという後悔はあるし、それ以外にも学生時代にもっと勉強しておけばよかったと思うこと、やっておけばよかったと思う活動など、やり残したことをいくら挙げてもきりがないくらいです。
またどちらかといえば世の中の流行に鈍感というかそれほど強い興味がないために、世間であるものが流行っている(いた)という知識は何となくあっても、それを私自身が使ってみたり体験したりといったことをしていないというケースも往々にしてあり、そのために昔の流行についてテレビなどで話題になっているのを見聞きしても、そこで盛り上がっている内容を自分の中で共有できないという悔しさを感じることもあります。
あと趣味の鉄道に関しても、遠距離の乗り鉄や撮り鉄のデビューが大学入学の頃まで遅れたせいもあり、一度乗りたかったのに乗れなかった車両や列車、路線も多く、それもまた心の中に引っかかっているところがあります。
このブログでもたびたび「タイムマシンがあったら過去へ行きたい」と書いていますが、その理由はこういうところにもあるのかもしれません。
本日のお題:これまでの人生でやり残したと思うこと
この齢になると、これまで生きてきてやり残してきたことなんて、数えきれないくらいあります。
例えば学生時代の英語の授業や英会話教室の授業をもっときちんと受けていれば、少なくとも今よりは英語の読み書きや会話はできていたかもという後悔はあるし、それ以外にも学生時代にもっと勉強しておけばよかったと思うこと、やっておけばよかったと思う活動など、やり残したことをいくら挙げてもきりがないくらいです。
またどちらかといえば世の中の流行に鈍感というかそれほど強い興味がないために、世間であるものが流行っている(いた)という知識は何となくあっても、それを私自身が使ってみたり体験したりといったことをしていないというケースも往々にしてあり、そのために昔の流行についてテレビなどで話題になっているのを見聞きしても、そこで盛り上がっている内容を自分の中で共有できないという悔しさを感じることもあります。
あと趣味の鉄道に関しても、遠距離の乗り鉄や撮り鉄のデビューが大学入学の頃まで遅れたせいもあり、一度乗りたかったのに乗れなかった車両や列車、路線も多く、それもまた心の中に引っかかっているところがあります。
このブログでもたびたび「タイムマシンがあったら過去へ行きたい」と書いていますが、その理由はこういうところにもあるのかもしれません。
これから… [ノンジャンル]
こんにちは、gonanaです。
ちょうど20年前にブログを書き始めてから、数年間のブランクはあったものの、その他の期間は記事が書ける日はほぼ毎日何かしら記事を書いてきました。
もちろん、ブログを始めた当初からそうしようと決めていたわけではありませんでしたが、たまたまブログを始めたタイミングでいろいろとブログに書きたくなる出来事があり、それらを連日のように記事にしていくうちに何となくほぼ毎日ブログを書く習慣ができ、今につながっています。
ただ、9年前に視覚障がい者になってから、ブログの記事のネタ収集の大きな部分を占めていた鉄道旅や撮り鉄に気軽に出かけることが難しくなり、さらには仕事も在宅勤務の会社に変わったことで外出の機会そのものが激減してブログのネタを考えるのにもだんだん苦心するようになってきました。
そこで、今日から月が替わったのを機会に、今後は少しブログ更新の頻度を緩やかにしていきたいと思います。
具体的に何日ごとに、というのは決めていませんが、とりあえずは最低週1~2回は更新するようにしていければと考えていますし、タイムリーに書きたい話題があればそれにこだわらず随時更新していきたいと思っています。
もちろん、今後も他のブログへの訪問はできる限り毎日していきたいと思っていますので、今後も当ブログをよろしくお願いいたします。
ちょうど20年前にブログを書き始めてから、数年間のブランクはあったものの、その他の期間は記事が書ける日はほぼ毎日何かしら記事を書いてきました。
もちろん、ブログを始めた当初からそうしようと決めていたわけではありませんでしたが、たまたまブログを始めたタイミングでいろいろとブログに書きたくなる出来事があり、それらを連日のように記事にしていくうちに何となくほぼ毎日ブログを書く習慣ができ、今につながっています。
ただ、9年前に視覚障がい者になってから、ブログの記事のネタ収集の大きな部分を占めていた鉄道旅や撮り鉄に気軽に出かけることが難しくなり、さらには仕事も在宅勤務の会社に変わったことで外出の機会そのものが激減してブログのネタを考えるのにもだんだん苦心するようになってきました。
そこで、今日から月が替わったのを機会に、今後は少しブログ更新の頻度を緩やかにしていきたいと思います。
具体的に何日ごとに、というのは決めていませんが、とりあえずは最低週1~2回は更新するようにしていければと考えていますし、タイムリーに書きたい話題があればそれにこだわらず随時更新していきたいと思っています。
もちろん、今後も他のブログへの訪問はできる限り毎日していきたいと思っていますので、今後も当ブログをよろしくお願いいたします。
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