目次を見る。「競馬」という題の詩を見つける。おれはとりあえずそこに飛ぶ。そうしたら、こんな詩だった。
Horse Race
July 19, a dog has been run over by an airplane,
an act that brings into this world the energy that transforms vulutures into beautiful black
race horses.
Yes, the horses are waiting at the starting gate.
Now the sound of the gun and this fantastic race begins.
The horse are circling the track.
おれは、「ブローティガンは競馬を知らなかったんだなぁ」と思う。チャールズ・ブコウスキーならこんなミスはしなかった。たぶん、競馬の歴史において、号砲が用いられたことはなかった。おれの知る限り、それはない。そんなでかい音を出したら、馬がびびってレースが成立しない。バリアー式でも号砲はなかっただろう。おれはくだらないことが気になる。嫌になる性格ではあるが、競馬について譲れない部分でもある。
とはいえ、ブローティガンの詩集は、悪くなかった。藤本和子訳ではないけれど、原文も載っているので安心だ(べつに池澤夏樹を疑っているわけではないけれど)。「二月なかばの踊り」、「星穴」(「スター・ホール」でもよかったんじゃないのか)、好きだな。
Star Hole
I sit here
on the perfect end
of a star,
watching light
pour itself toward
me.
The light pours
itself through
a small hole
in the sky.
I'm not very happy,
but I can see
how things are
faraway.
訳者あとがき(1977)によると、ブローティガンは「やさしい」のだという。
作品を読んでいるわかるとおり彼はやさしい。彼の心はやさしい。彼は身近にいるみんなに同情と親愛と、おそらく最終的には愛を、与えたくてしかたがないように思われます。
おれも、そう思う。ブローティガンの繊細さというものがある。やさしさがある。そのやさしさゆえに、そうなったのだろう、というところがある。おれが好きな海外の作家10人をあげろと言われたら、絶対にブローティガンは入ってくる。マッチョなアメリカに生まれてしまった(それゆえに日本に関心を持ったりしたのだろうか?)、優雅で感傷的なブローティガン。この詩集をもってたぶん邦訳されているものはほぼ読んでしまったと思うが、またいつか『アメリカの鱒釣り』や『西瓜糖の日々』を読みたいと思う。まだ読んでいないのだったら、君も読んでみてくれはしないだろうか?
<°)))彡<°)))彡<°)))彡<°)))彡
<°)))彡<°)))彡<°)))彡<°)))彡
<°)))彡<°)))彡<°)))彡<°)))彡