おれは日本酒一升瓶いただいた。
おれの2011年10月29日のために、と書き添えられていた。
おれはおれが2011年10月29日になにを書いたか、皆目見当がつかなかった。調べればよい。おれのはてなダイアリーははてなブログに統合されているのだ。
とりあえず、上のリンク先を読んでもらいたい。書いたおれが忘れているのだ、もしも読んだことのあるあなたがそこにいるとしても、覚えちゃあいないだろう。
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読んだかな?
なんかすげえな、すげえハイだ。これはハイだ。いまのおれにはわかる。これより後に、双極性障害(躁うつ病)と診断され、その処方薬が確実に効いているおれが言うが、これは躁状態にある。おそらくおれはII型だけれど、軽躁といえるかどうかわからないレベルでの躁状態だと思う。
そして、この軽躁状態のおれは、朝、身体がまったく動かなくなるという事態に直面し(ひどい抑うつ、鉛様麻痺)、近場のメンタルクリニックに片っ端から電話をかけ、当日予約を受け入れてくれた今の主治医のところに行ったのだ。どこに死の覚悟があったというのか。おれは自分の身体が、まったく動かないという事実に衝撃を受け、それを治そうとしてしまった。そこで死ねなかった。
……今や、その「死ねなかった」という思いも遠い。一年近くの経過観察を経て、おれは双極性障害と診断された。そして、ジプレキサ(オランザピン)を処方された。ジプレキサはおれによく効いた。それなのに、「もっとよい状態」を希望してジプレキサからべつの薬に切り替えたおれは、重い抑うつと躁状態を短期間で味わった。おれは月日を覚えるのがひじょうに苦手なのだけれど、去年の、2018年の9月だけはしっかりと刻みつけられた。
すごい抑うつと躁転。これがジプレキサを抜いた(セロクエルに処方を変えてもらった)おれの現実だった。労働者としては役立たずもいいところだし、独身者として生活を送れるレベルでもない。そこまで酷いものだった。
「本来の自分」というもの、あるいは「自分探し」というものがあったとして、おれが発見するのはこれなのである。鉛様麻痺、スローモーションの動き、それが一転して、歯の食いしばり、異様な空ぶかし……。おれが生きるに値するに思えない。
十歳か三十歳かで死ぬより六十歳か八十歳で死ぬほうがずっとつらい。生への慣れ、これが問題だ。というのも、生はひとつの悪癖、それも最大の悪癖なのだから。そうであればこそ、生を厄介払いするのがあれほど難しいのである。
――シオラン『四つ裂き刑』
おれは、生という悪癖をやめられない。かといって、躁状態にあったおれが感じた最高の安心、大川周明であれば「安楽の門」とでもいったあの心境というものも捨てがたいものだったように思える。双極性障害者はしばしば躁状態への回帰を願うというが、わからない話ではない。いや、わからないどころか、おれは当事者だ、たしかにそうだ。そうなのだ。
そしておれは酒浸りになって、せめて2020年の終わりまでは生きようなどと不遜なことを考える。なぜ2020年なのか? 2020年にはなにかがあるからさ、おれにはわかるんだ。それは確かなことなんだ。でも、おれは明日の朝、居眠り運転のダンプカーにぶっ潰されて死ぬかもしれないぜ。えてして、そういうものなんだろう?
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日本酒の良し悪しはわからんのですが、スーパーで買えるなかにあってこれは悪くないのではないか、などと思ったお酒です。