まだこの世の名残があって、光らなくなった灯台の下にいたんだ。あたりいちめんに少し背のたかい草が生えていて、その中からぼくはたんぽぽのしっぽをさがす仕事をしていたんだ。
日が暮れたら仕事はおしまい。ぼくはセンターに帰る。たんとうのおばあさんに、たんぽぽのしっぽをわたすと、かわりにうすい空色の砂糖玉をもらえる。それでぼくは、ぼくの双極性障害がよくなると知っている。
でも、その日は、ちがったんだ。ピンク色の砂糖玉をおばあさんがわたすんだ。
「これじゃあ、ぼくの病気、よくならないよ」とぼく。
「あのねえ、これも同じだけよくきくから、かまわずにお飲みなさい」とおばあさん。
それで、ぼくはピンク色の砂糖玉を飲んだんだ。だんだん気が遠くなっていって、そこかしこに花がさくのが見えたんだ。ぐるぐる世界がまわって、ぼくは久しぶりにお酒を飲んだような気分になった。そしてそのまま、二度と目を覚まさなかったんだ。
「ニセ科学批判は危険」と言っている人が勘違いしていること: 不倒城
ホメオパシーは、プラセボ効果しかないから批判されている訳ではありません。医療ネグレクトを煽り、重大な事故につながっているから批判されているのです。
午後九時ごろからおれの飲酒は始まって、延々と焼酎を飲みつづける。途中でオランザピンとロフラゼプ酸エチルも飲む。午前一時か二時ころになってようやく軽い酩酊を覚える。おれはその酩酊を惜しみつつ眠らなければならない。ゾピクロンを飲んで眠らなければならない。朝、起きて、労働にでなくてはならないからだ。金になるかならないかもわからない労働に。金になったところで、日々糊口をしのぐのにギリギリの。週末の競馬に小銭を投じるのにギリギリの。
こんな世界は長くつづかない。おれのような無能で蓄えもなく先もない人間を大勢抱えたこんな世界は長くつづかない。医療費が国を押し潰す。そんなとき、優先されるのはおれのような社会の役に立たない老いぼれのきちがいか? アルコールとギャンブルに依存するきちがいか? いや、まだ社会のためになる可能性を秘めている若者だろう。とりあえずは若者に薬をやれ。優先して黒パンと塩のスープを配給してやれ。
では、おれのような蓄えもなく、稼ぐ能もない人間にはなにが与えられるのだろうか。おれは、砂糖玉だと思う。色付きの砂糖玉。しかし、そこにはホメオパシー菩薩の誓願が込められているので、病気は治るのだ。それでもやはり食うものを食わせたりしなくてはならないから、最終処理のために毒入りの砂糖玉を配ることになる。生きる価値のない魂は排除されて、財政は圧迫されず、生産性が高まり、よい国が生まれる。悪くない話だ。立ち上がるんだ、現代のスタハノフたち。インテリや金持ちになるんだ。おれは布団の中でじっとしている。古い音楽を聴いている。
おれは従容としてそのときを待たねばならない。ある日、健康保険も自立支援医療も打ち切られて、砂糖玉の配給がはじまったら、それが万能の薬であると信じなくてはならない。いや、信じてる。そして砂糖玉を飲み下す。勝間和代になんと言われようとも、砂糖を飲む。そしておれはいい気分になる。もう、それしか道はないのだ。だいたい、抗精神病薬をつまみに酒を飲んでいる人間に、エビデンスとかいうもののある薬物も砂糖玉もかわりがあるまい。そして、苦しくない死に方をしたい。見苦しいのはいやだからな。耶蘇や佐倉宗吾のように立ってやるのはいけないのだ。北一輝がそう言っていたのだから間違いない。おれはくたびれてくたびれた座椅子に坐って銀河の慈悲について思いを馳せる。
そうとも、慈悲深さが必要だ。社会のためにあえて身を引く人間を称揚する姿勢くらいあったっていい。自死するという人間に温かい目をもって接するくらいのことはあっていい。そいつはそう考えた時点で社会の役に立たない人間であって、資本主義下にあってはお荷物にしかなりえない。だからこそ、温かく、愛情をもって。彼らはある種の適応をしたのだ。すばらしいプリゾニゼーション。監獄の三千世界。自由になりたい、自由になりたい。でもそれはかなわない。
おれも、もうさじを投げた人間だ。投了だ。人生の投了だ。相手玉に詰み筋はなく、おれには形作りする手駒すらない。そもそも相手玉なんてあったのか? 「ありません」。あとはただたんに頭を垂れて、ひたすらに殺されるのを待っている。なぜ自死を選ばないのか。おれにそんな根性があると思っているのか。生きるのは嫌。死ぬのも嫌。トマトが嫌いだからといって、ピーマンが好きであるべき理由などありはしない。人生ネグレクト、猛毒・ザ・ベスト。
そんな人間に、薬が必要か? 砂糖玉ですらもったいない。無学、無能、落伍者、嘲り笑い、その響きは寒い夜空に消えていく。酒は身体に悪いというのに、いますぐにおれを殺さない。苦しませる魂胆があるのかもしれない。悪魔の液体だ。謎の白い液体だ。なぜ人は砂糖水で酔えないのか? モルゲッソヨ。いや、きっと酔えるのだ。それなのに、気づかないふりをしているだけなんだ。おれも、あんたも。
そして、みんなで最後の砂糖玉を飲み下して、帰るべき場所に帰るのだ……。