白書をまとめた内閣府は、「若者の就業を支援するための人材育成や、住んでいる地域で就業するためのネットワーク作りに対する支援を継続していきたい」としています。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20130618/k10015379311000.html
おれは元ニート。そのころはぎりぎりニートという呼び名は人口に膾炙していなかったけれども、まぎれもないニートだった。そのおれが底辺の労働者となって10年経つかどうか。そんなおれがこういうニュースを見て思うのは、焦りだ。
おれも早く人材育成の支援を受けなくてはならない。手に職をつけなければならない。地域のネットワークの助けを借りて就業しなくてはならない。そう思って焦る。
学生時代に宿題を忘れたりした夢を見て、「なんだ、夢だったのか」と思う、そういうのとは違う。おれはいまも心の芯のところでニートで、社会人としての教育が必要だと思っている。一から、いや、ゼロからの支援が必要だと思っている。おれはあまりに弱すぎるので、この地獄のような社会で生きるには、なんらかの支援が必要だと思っている。
おれにはなにも誇れる技術もない高卒の元ニート。心の芯のところで今もニート。せめて10年なら10年のあいだになにかの知識を積み上げ、技を磨いてくれば話は違ったかもしれない。しかしおれは、その場しのぎだけで楽な方、楽な方へと流れていき、単純な作業をだらだらとこなすだけの人間だ。「人材」とか呼べたものじゃない。ついてくるものといえば、睡眠時無呼吸症候群に精神疾患、異様なまでの集中力のなさに、力仕事のできないチビの体躯。
さあ、そのタラントンをこの男から取り上げて、十タラントン持っている者に与えよ。
誰でも持っている者は更に与えられて豊かになるが、持っていない者は持っているものまで取り上げられる。
この役に立たないしもべを外の暗闇に追い出せ。そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。
マタイ25-28,29,30
おれは30も半ばだ。人によってはこれから、今まで積みかさねてきたタラントンが、さらに増えて戻ってくる時期だろう。豊穣の秋、収穫のときに向けて。一方で、おれは何もしてこなかったし、まったくする気すらしなかった役に立たないしもべなので、さらに収奪され、外の暗闇に追い出される。助けを求められるようには思えない。我が身に技能なく、また、人に施さなかったがために、人と交わらなかったゆえに、頼れるものもない。人生不作の不毛の秋、荒れ果てた地。
この成り行きに、おれは納得している。おれはやりたくないからやらなかったし、やろうすらしなかった。求めないものには与えられない。ゆえに、おれは追い出された暗闇で泣きわめきもしなければ、歯ぎしりもしないだろう。……しないでいられるだろうか。おれが恐ろしさを覚えるのはその点にある。そのときにおれを襲うであろう、おそろしいほどの後悔、これである。身の丈にあった暗闇でそうあるべきであるように自らを処するときに、おれの精神の器、知性の衣をズタズタにして、いくらかの自律すら残らないようなことになるのではないか。おれはそれが恐ろしい。
持っているものはさらに与えられる。持たざるものはさらに奪われる。誇大妄想にとらわれてはいけない。後悔はもっといけない。持たざるものであることを自覚しなくてはならない。その事実を直視し、最後の自律を失ってはならない。おれはなにもしたくなかったから、なにもしてこなかったのだし、その対価を相応に受け取らなければならない。人生を折り返すのではなく、うまり折りたためてしまうよう、心掛けなければならない。ただそのことによってのみ、自律と正気を保たなければならない。ただ、そのことによってのみ。