こないだ奥崎謙三の話を調べていて竹中労の名前が出てきた。どんな人だったんだろうと興味を持つ。それで、鈴木邦男の評伝が出ているようなので読んでみたというわけ。
で、「右翼青年だった僕が竹中と出会った時、竹中は<敵>だった」わけであって、思想を別にする著者と竹中との信頼と緊張感といろいろの事件が綴られていて、まったく知らんという俺が読んで竹中がどういう人だったかつかめるというような、一般的な伝記みたいなもんじゃねえんだ。むしろ、知ってる人がさらにおもしろい、というタイプかもしらん。
しらんが、それにしたって、俺はさいきん右翼だ左翼だの思想に興味を持っているし、なにせ竹中は「大杉栄は私だ!」と書いたくらいのもんであって、そういったあたりおもしろい。さらには、繰り返し北一輝の名が出てくる。『竹中労の右翼との対話』という本からの孫引きをする。
“左右を弁別すべからざる”戦線を、アナキストである私が天皇を認めないという一点だけをこれだけはどうしても留保しなくてはなりませんので留保して、諸君に連動することをいまここで申し入れたとする。諸君はどう答えるでしょうか? 私たちにはかなりの接点がある、現状変革の志において一致できる、アジアへ共に翔ぶことが可能である、民衆に身を寄せてその風と水の呂律を聞くことができる。というのは、私の勝手な思い込みでしょうか? 「聖戦」に諸君はまだこだわりますか、無告の死者たちに懺悔することを、その地平から悠久の革命に旅立って、“日本の運命”を汎アジアの運命に包摂することを、かつての北一輝のごとくあるいは大杉栄のごとく、不可視のヴェイグラントとなることを望みませんか?
北一輝と大杉栄ときたもんである。そして、本書ではこのフレーズが繰り返し出てる。
百年前、大杉栄は「左右を弁別すべからざる状況」と言った時、北一輝を意識していた。「左は俺がまとめる。君は右をまとめてくれ」とまで思っていたようだ。
ただ、鈴木邦男は大杉が「左右を弁別すべからざる状況」と書いているのを読んだ覚えがないという。さらに、北を意識していたというのも、どこから出てきたのか。ただ、この関係を、竹中労と野村秋介の奇妙な友情になぞらえて語っていくわけだ。ここんところの、右と左の関係というのはなにやらすごい。すごいし、竹中が野村と鈴木をアラブに連れて行って重信房子らに引き合わせようと実際に画策していた話とか、そのあたりはなにやらスケールでかくていい。さらにカダフィのこととかも出てくる。あと、三島由紀夫が自分の考えを錦旗革命に近いと言ってたとか、スメラギ・アナーキズムについてとか、東郷健襲撃事件の赤裸々な話とか、まあ読みどころは多い。里見岸雄とか気になるな、とか。
いや、なんというのか、非常におもしろかったんだけれども、やっぱり著作なんかにあたってみてえなとか、そういうあたりもあって。あと、野村秋介自決については少しリアルタイムで覚えているかな。うちは週刊朝日も文春も新潮も買っていたけれども、あの白紙の「ブラック・アングル」は印象に残った。それで、ぼんやりと自決した野村秋介はかっこいいな、と思ったりしたのだった。おしまい。