生涯学習とかいうもの - 関内関外日記

生涯学習とかいうもの


 自動車の性能がどんどん向上して、その速度も安全性も格段によくなっているというのに、道路交通法が大昔の車を基準にしたままだ、などという話がある。
 日本人の寿命もどんどん長くなっているというのに、人生の道路が大昔のままだ、などということはないだろうか。
 生涯学習などという言葉があって、生涯学習するといいんじゃないかという話なのだけれども、実際のところは中年だとか老年だとかの学習を指すのだろう。長い人生のうち、二十年生きたくらいで社会に出てしまって、あとはうんざりするほど長い。労働が終わっても、まだ長い。若いうちに学校に通っている間だけじゃなく、まあ、その後も学ぼうとか。
 あるいは、もう成人を三十歳にしてしまって、それまで長い長いモラトリアムを経て、社会に出ればいいのではないかなどという話もある。
 だが、どうだろう。そんなに長く学んだところで、その学びの高度な内容を活かせる仕事なんてないのだ。高度のことはひどく限られた人間、よほどに才のある人間しかできないし、機械化やIT化などで、難しめな仕事すら少なくなっている。また、労働はその難易度で二極化していくのではないか。
 だったらいっそのこと、勉強→高度な勉強→社会などという順番を組み直してもいいんじゃないか。就活だの新卒偏重主義などというものは、ひどく不自由なものに感じるし、さらにいえば、この大きな流れもそうなんじゃないか。
 というわけで、中卒、だとちょっと早いか、高卒くらいで、だいたいの人間が今の進学率以上に就職するくらいで、よほど飛び級しますくらいのやつ、ものすごく勉強したいって目的のあるやつ以外は、いったん働く、みたいな、そんなのはどうだろう。あるいは、高校なら高校に入っても、三年間のセット売りじゃなくて、一年まるごと休んだり、戻ったりが、なんか当たり前みたいになるとか。それで、まあともかく、いったん社会に出て、どっか工場かなんかで働いてて、「あれ、やっぱりなんか勉強したいな」とか思ったら、働きつつだったり、そうじゃなかったり、それでまた上の学校に行く、とか。
 それで、大学やら大学院やらの中も、若いのから年寄り、もう明日死にそうなのまでが、当たり前のようにいる、みたいな。それこそが、なんか生涯学習みてえなもんじゃねえのって。そりゃ、今だって、自由に、そういう風に学んだり、働いたりしている人はいるだろうけれども、まあ、しかし、珍しいよな、と。そんなに当たり前じゃないよな、と。それ用に制度が整備されたりしてねえよな、とか。
 ……などと、大雑把なことを考える俺は、やっぱり多くの人がそうであるように、おっさんになってきて、なんか向学心というか、知的好奇心みたいな、そういうものが湧いたりしてきているのだし、そうなればいいな、みたいな。でも、たぶん、俺が独裁者になって、「これからはこれでいくから」みたいな改革したら、たぶん国とかぐちゃぐちゃになるだろう。
 しかしね、なんかね、こう、寿命とか、社会とか、技術とか、労働とかの中身が変わってきてるんだから、6-3-3-4制でいいのかどうかとか、老後はどう過ごすか、じゃなくて、なんかこう、もっとズバーンと全部見直す、そんなんやっといた方が、なんかいいんじゃねえの、などとは思うのだ。おしまい。

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