俺は校長が謝る必要はねえんじゃねえかって思った
新型の豚インフルエンザに感染した2人の女子生徒が通う川崎市の洗足学園高校では、校長が午後11時前から記者会見。「皆様にご迷惑をおかけしたことに、責任を感じている」と話した。
http://www.asahi.com/national/update/0521/TKY200905200395.html
この報道、この会見について、今朝のテレ朝のワイドショーで見たんよ。それでさー、俺、こう思ったんよ。
「べつに校長謝らなくてもいいじゃねえの。ビジネス目的とかでアメリカと行き来してるやつだってたくさんいんだろ? だいたい、お前が謝っちゃうということは、このインフルエンザに罹った人や、その人の周りの人間についても、お前が『謝るべきだろ』って思ってるって、そういうことじゃん。でも、しゃあねえじゃん、インフルエンザ、この社会、みんな外出て、電車乗ったり、働いたりしなきゃいけねえし。アメリカでも、関西でも、なんか修学旅行したやつとかに対する、程度の低い誹謗中傷があったって話で、そんなのくだらねえと思うけど、お前がそうして、頭下げちゃうってことは、その中傷を擁護するがわに回っちゃってるんじゃねえの? なあ、どうよ? たとえば、お前のところの教師が、生徒連れて、『アメリカのインフル感染パーティーに参加してきました−!』ってんなら、そんなアホを雇って悪かったって頭下げるのもわかるけどさ、そうじゃないわけじゃん。堂々としてりゃいいよ。威張る必要はねえけれども、現状はこれこれこうで、こういう対処をしたい、みてえな、そんなところでいいじゃん……」
でね、それでね、スタジオに戻ってさ、鳥越俊太郎と女子アナが「べつに校長先生が謝る必要はない」と言うわけ。でさ、それでさ、俺もそれ同感なんだけど、そこんところに、どうも「この番組の対応はよかった」と言えないなにかが残ったんだ。
→http://www.mumumu.org/~viking/blog-wp/?p=2770……この件については、こちらで紹介されているWHOの勧告とかためになりました。
→http://sankei.jp.msn.com/life/body/090521/bdy0905210037001-n1.htm……この記事についたブクマのコメントを見ていても、「謝るな」というのは少なからぬ人の感想でもあるようだ。この界隈では。
テレビを構成するもの/テレビを批評するむずかしさ
なにが残ったかっていうと、やっぱりその、そのスタジオにいたるまでのVTRのすべて。すべてというと違うか、なんというか、その、構成というか、雰囲気というか。全体を包みこむ「ノリ」のようなもの。それは、BGMであり、ナレーターの口調であり、会見の切り取り方であり、さ。それがさ、どうしても「べつに校長先生が謝る必要はない」って、そのスタンスに立っていない、俺はそう感じた(まあ、アナウンサーと鳥越と番組制作者の間で意思統一されているかどうかという話はあるけれども)。それで、俺がさ、その違和感を、なんかおかしいんじゃねえかって、こう、言葉にする、これ難しいね。なんというか、たとえば俺は今、今朝の番組について書くにあたって、脳内の記憶にたよるほかないし、もし、録画したデータがあって、このパソコンで見ながら書けるとしても、「ほら、ここのところの音楽の雰囲気!」とか、「○分○○秒からの、ナレーターの口調!」とか、そんなん指摘したところでどうだって話になる。
うーん、たとえば、俺が新聞記事について語ろうとすれば、文字列の引用、文章の引用という方法があるわけじゃない。
クライスラーの新会長にキダー氏 元デュラセルCEO
http://www.asahi.com/business/update/0521/TKY200905210034.html
たとえば、この記事に対して、「朝日新聞は何を考えているんだ。見出しは『新会長のキダー氏キター!』だろう」みたいに、鋭い論評を加えることも可能だ。しかし、テレビはそういかん。そこのところが難しい。
……と、たぶん、これはもう、テレビというものが誕生して、ほんのちょっと経ったあたり、マスメディアとしてのテレビが、社会にどう影響するか、みたいな目で見られたあたりから、ずっと言われつづけたりしてることなんじゃねえかと思う。でも、そこんところの実感を、たとえば、俺は俺の日記、日記なんだけれども、まあ誰かに読まれるかもしれない、一応はメディアとしての日記を記すにあたって、こう、はじめて得るところがあるような、そんな気になったわけよ。
でもって、その、なんというか、今後テレビというメディアがどうなっていくのか、あるいはもう、何かだんだん影響力をそぎ落とされていくのかもしらんし、もうそうなのかもしらんが、ウェブの方がこの、まあブログ的には、文字と静止画ベースというあたりで、その非対称性というか、そりゃもちろん、別の面での優位性みたいなのもあるとして、そこんところで、なんというか、噛み合わないところがあるというか、そういう気がしたのだった。おしまい。