「「私」という男の生涯 」〜母親は子供のおちんちんの成長を称えよ - gillespoire

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「「私」という男の生涯 」〜母親は子供のおちんちんの成長を称えよ

「「私」という男の生涯 」〜母親は子供のおちんちんの成長を称えよ
「「私」という男の生涯 」〜小樽と湘南高校時代
「「私」という男の生涯 」〜作家・政治家として
「「私」という男の生涯 」〜ヨットそして死


石原慎太郎とその妻典子夫人が亡くなって、2年経ちました。ご存じのようにこの本は一種の遺書として、「自分と妻が死んでから出版すること」を幻冬舎社長の見城徹に約束させていたものです。僕も出版時単行本を買ってましたがついぞ読まず(重たい)、このほど文庫版が出たのでまた買いました。通勤往復3日で読み切りました。一気呵成ですが、いろいろ考えました。長くなるので、4回に分けて感想を述べます。


 読後まず思い出したのが、石原慎太郎が以前出した「スパルタ教育」。小学生の頃親父の本棚にあったので読みました。その中の一章が「母親は子供のおちんちんの成長を称えよ」です。知らないひとで興味がある方は是非読んでみてください。他の章もきわめて挑発的な題と内容で、小学5年の自分は目を白黒させながら読みました。この章はだいたいこういうこと。

子供が成長するにつれて、段々性器が変わっていくのを母親が気持ち悪がったりする。それはよくないから。自分が産んだ子が成熟していく過程を母親がその手でたくましさを増していく子供の部分に触れて確かめ、その成長を称えてやるべきである

「しんたろー、ちょっとこっちに来なさい」
「はい、おかあさん。なんですか?」
「そこでズボン脱ぎなさい、それからパンツも脱ぐのよ」
「えっ?なんで?ぼく、もう中学生だし恥ずかしいよ」
「いいから、おかあさんが言う通りにしなさい」
「・・・」
想像するとヤバい方向に向かいそうなので、ここで打ち切り!これ実は彼お得意の「はったり」で、本気ではなかったという話ではありますが。


 しかし、石原慎太郎のちんちんへの拘りはこれだけではありませんね。代表作「太陽の季節」のこの部分は有名ですね。
「風呂から出て体一杯に水を浴びながら竜哉は、この時始めて英子に対する心を決めた。裸の上半身にタオルをかけ、離れに上ると彼は障子の外から声を掛けた。
「英子さん」
 部屋の英子がこちらを向いた気配に、彼は勃起した陰茎を外から障子に突き立てた。障子は乾いた音をたてて破れ、それを見た英子は読んでいた本を力一杯障子にぶつけたのだ。本は見事、的に当って畳に落ちた。
 その瞬間、竜哉は体中が引き締まるような快感を感じた。彼は今、リングで感じるあのギラギラした、抵抗される人間の喜びを味わったのだった。
 太線部の後半は男ならよくわかります。この描写、感化されて実際に真似した人、当時結構いたんではないか?(知らんけど)


 ちんちんは石原慎太郎にとって男らしさの象徴です。彼が「自分の逸物」に相当な自信があったのは、間違いありません。もし私が彼が言いたかったことを翻訳すると、「女は男のオスにひれ伏せ!おまえらは男にかしづく存在だ」かな。まさに男根(ファロス)中心主義の権化で、この「私」という男の生涯も自分の「逸物」を誇示し、好みの女を引っかけセックスして征服するエピソードに満ちています。しかも、石原は付き合う相手のおんなが何を思っているかなど、まったく意に介してない。石原は自分と同じくらいの「肉食系」女子が好みだったようで、「抵抗する女」をねじり上げて従わせてます(比喩的な意味で)。ヨットレースでセックスできない間も、過去の不倫セックスを思い出して興奮し妄想にふける。「自分は満足した。充実した人生だった」と散々書いています。不思議なのはそういう身勝手男と喜々としてセックスを続ける不倫女が複数、それも同時にいたこと。東京都知事時代の60代後半になっても20代の女と不倫にふけっています(好色というよりすごい性欲!)。英雄色を好むですが、老いてますますお盛んだったようです。石原慎太郎の恐ろしいところは基本避妊しないらしいこと。何度もいろいろな女を妊娠させ堕胎させています。しかしついにその一人が逆らって子どもを生んでしまっても、認知して手切れ金を渡しただけで自分の子どもと会おうともしない。まさに射精の吐き捨て


 最近、「男女同権」が盛んに言われており、それを否定することはポリティカル・コレクトネスに反する言語道断の犯罪らしい。しかし、正直に申します。石原慎太郎のセックスライフ、男の僕でも「なんだ、こりゃ?」とは思うが、「男女同権なんて本当に存在するのか?」とも思ってます。そうですね、もしできるとすれば男も女も脳から性ホルモンの影響を完全排除できる技術ができた時と思いますが、そうなると人類はセックスしなくなるので絶滅。石原慎太郎の女性関係だけでないのですが、優位に立とうとする男だけが問題でなく、そういう男にひれ伏してしまう女性も問題あると思っています。それを全否定したがる女性がよくいますが、ご自分がそうでないことに自信あったとしても周囲の女が皆そうでないかよく見渡した方がいいのでは。「このオイボレ性差別主義者がぁ!」と怒り心頭の女闘士の方々に、この本のアマゾン書評の抜粋を引用しておきます。

・生前より、石原氏の情報収集、人脈、把握力、それを踏まえた、自論の展開に至るまで、氏の源泉を垣間見た感じがしました!

・赤裸々に語る口調にも、氏らしいプライドと先を見据えた、先見性の一旦をこの書籍を通じ、知る事が出来、大変興味深く拝読しました。

・この書を、世に出版頂いた、幻冬舎 社長にも感謝。

兄弟そろって本当に湘南のやんちゃ坊主だったんだなと、古き良き時代をほうふつとさせる内容です。よく、慎太郎氏の女性問題とかがフィーチャーされますがそんなこと大した問題ではないことが、読んでいるとわかります。かなりスケールの大きな二人のやんちゃ坊主の生きざまがとても生き生きと描かれていて、どこか懐かしい感じがします。

博学でカッコよくて屈託のない笑顔にみんなが惹かれた石原慎太郎という人。今もyoutubeで流れてくる「暴走老人」という表現が好きです。私が不思議に感じていたこと、つまり女性問題が表面化しなかった事の答えがこの本にありました。多くの女性との絡みがあっさりと嫌見無く書かれていて、いかにも慎太郎さんらしい表現、自分がモテルのは仕方がない…と言う本来の自分を知っている事を隠さない。もう少し後に生まれていたら日本の首相にもなり、日本は今とは違う愛国精神あふれる社会になっていたでしょうね。政治家にはルックスと胆力と決断が必要…今の様に小粒でどっちを向いているのか何を考えて居るのか国家観が無く金儲けと嘘に忙しい上辺だけの政治家にはウンザリです。

ね?みなさん、石原慎太郎のおんな扱いに寛大で、その言動・行動になんと好意的なことか。


 石原慎太郎がなぜこんなにモテモテか?理由は僕から見て3つあります。
1 容姿が良いこと
2 頭がかなり良いこと

3 危険な行動をしたがること
以上。「容姿が良く」で「頭がかなり」は重要です。この条件がなかったら、こんな自惚れが強いゴーマン男、だれも寄りつきませんわ。しかし、3も重要です。「危険」はヒトにとって必ずしも避けるべきことでないのです。前も述べましたが、「冒険心」によって人類はアフリカを出て世界中に進出しました。知らない世界には常に予測できない危険がありますが、ヒトは個体の犠牲を払ってもそういうリスクを好むよう遺伝子レベルで進化してきたと思われます。ですから「危険なことをしたがる男」は女にとって「好ましい繁殖相手」に自然となるわけです。石原慎太郎がヨットのレースや航海での数々の危険なエピソードを読むと、それも付き合うおんなにとって魅力だったろうと想像できます。女権拡大運動にも大層関心があるらしい長谷川眞理子などがこれ読んだら、怒髪天を突きそう(笑)。


 そうそう、東京都知事時代、有名な「ババア」発言もしました。
「これは僕がいってるんじゃなくて、松井孝典がいってるんだけど、“文明がもたらしたもっとも悪しき有害なものは「ババア」”なんだそうだ。“女性が生殖能力を失っても生きているってのは無駄で罪です”って。男は80、90歳でも生殖能力があるけれど、女は閉経してしまったら子供を生む能力はない。そんな人間が、きんさん・ぎんさんの年まで生きてるってのは、地球にとって非常に悪しき弊害だって…。なるほどとは思うけど、政治家としてはいえないわね(笑い)。まあ、半分は正鵠を射て、半分はブラックユーモアみたいなものだけど、そういう文明ってのは、惑星をあっという間に消滅させてしまうんだよね。」
この時、怒髪天を突いた女権活動家たちが都知事選に立候補し石原追い落としを画策しましたが、結果は石原氏の圧勝で惨敗しました。ひとは道徳的に正しい行為を尊重するとは限らない。


 おんなの扱いですが、ちょっとびっくりした箇所があります。Nという女で、当時俳優座の研究生。白系ロシア人の血を引く豊満な肉体のこの女も、20代の慎太郎は付き合った上に妊娠させ、堕胎もさせています。しかし、問題はそこでなく、その後このNが神経疾患にかかってしまうこと。Nが当時何歳でいつだったのか記載していませんが、地方公演で向かっていた車で事故に遭います。大した怪我はしなかったようですが、その後書字が片方に歪むようになります。さらにあるとき同乗したタクシーの席から床に崩れ落ちてしまう。のみならず自宅が何処かわからない。また自宅室内でものにやたらぶつかって、転んでしまう。医者に診せると「軽い失認だ」と言いますが、「この後進行して、いずれアルツハイマーになるだろう」と言われます。「いやだ!」と狂乱するNやその家族に焦った慎太郎は「親しい親友」の戸塚宏に相談します。例の戸塚ヨットスクールのオーナーです。当時の戸塚ヨットスクールは不登校などでまともに学校に通えぬ、家族の手に負えない10代を受け入れ、厳しいスパルタ教育で「矯正」できるとしていた学校です。何人もの少年が不審死や行方不明を遂げ、戸塚自身も裁判で有罪となり懲役に服しています。しかしその思想に共鳴する石原は愛人のNをこの戸塚宏に任せるのです。プールでサーフボードに乗せて揺すり、落ちてしまいそうになるストレスを何度も与えて神経回復を図ったそうです。しかし回復はせず、家族はついにNを熊谷の郊外の精神病院に入院させてしまいます(何処の病院か書いてないが、今の「西熊谷病院」でないか?)。入院して2ヶ月後病院にNを訪問した慎太郎は愕然とします。Nはもはや慎太郎を認識できず、虚ろな無表情をするだけ。一瞬意識が戻って「うれしい」とうめきますが、それもほんの一瞬。その後症状はどんどん進み、食事もとらなくなって痩せ細ってしまう。そして53歳にして死去。このNとは「中町由子」という劇団四季の創設メンバーのひとりです。劇団四季の会誌バックナンバーからすると、中町由子が死んだのは浅利慶太が追悼文を書いた2001年前半と思われます。慎太郎とは実に30年ほどの不倫関係があったことになります。実は石原慎太郎、「終幕」という小説を書いています。「長塚明子」という女優が主人公です、

30年来、新劇界に不死鳥の如く君臨してきた美貌の女優・長塚明子。彼女は脳腫瘍に冒され「五本の薔薇」の舞台を最後に、生命の危険を賭けて危険な手術に臨もうとしていた。数時間後に迫った死の影に脅えながら、彼女は愛の多かった自分の半生を、愛を交し合った男たちを思い返し、真の愛の意味を問いつづけ、舞台で使った5本の薔薇を、彼女の最も愛した人に贈ろうと考える。

これ、1963年出版ということは、おそらく石原が中町由子と付き合いだした頃です。後年の中町由子を考えると、実に意味深な小説です。


 話は戻ります。この中町の死に関する記載、時系列がはっきりしませんが、通常のアルツハイマー病とはかなり違う印象です。記憶障害が進むかなり前に重度の空間失認が始まっています。また進行もかなり速い印象です。クロイツフェルド・ヤコブ病のような印象を受けます。どちらにしても石原は「健忘」と「失認」を混同したりして医学的な記載が不正確です。第一、「交通事故が原因でアルツハイマーになった」なんて今から30年前でも医者がそんな事言うわけなかろうが?という記載もあり、石原の記憶も混乱しています。しかし戸塚宏を頼るのか。しろうと療法も極まれりで、わずかな期間だったとしても中町には迷惑な行為だったと思います。善意というより独善を強く感じます。まあしかしこういう男、政治家や財界人に結構いるよね。ついでに言いますが、昨今はやりの脳トレ。あれ認知症に効果あるって、本当か?私は疑念を感じています。


「「私」という男の生涯 」 石原慎太郎著 幻冬舎文庫 2024.1.15