「アッシリア・人類最古の帝国」 〜詳細な王朝年代史
パリにあるルーブル美術館、有名な美術品がたくさんあります。筆頭は「モナリザ」でしょうが、「ミロのヴィーナス」「サモトラケ島のニケ」などの彫刻群も有名です。その他絵画も沢山ありすぎて、すべてをここで語ることは無理です。フランス留学中何度も行きましたが、もしこの美術館でもっとも感銘を受けたものを挙げよとなると、私にとってそれは「モナリザ」ではないのです。アッシリアのサルゴン2世の宮殿にあった彫刻群です。特に高さ5 mくらいはある人頭有翼の巨大な雄牛の彫刻は見るひとを圧倒します。近づくとその蹄のデカさに度肝を抜かれます。これらの門を支えた巨大な像からレリーフに至るまで実に壮麗です。
この巨大な彫刻群をみると、大学受験の世界史で学んだアッシリアの歴史を思い出しました。アッシリアは紀元前8世紀にメソポタミア平原北方で急速に勃興した新興帝国だったが、被征服者に対して苛烈な対応をとったため反感をかったこと。その結果わずか100年くらいでアッシリア帝国は崩壊してしまう。受験世界史で教わるアッシリアはその程度です。しかし、これだけの圧倒的印象を与える彫刻をつくった王朝はどんなものだったのか?そういう思いで本書を読みました。
今回本書の感想を書くに当たって調べると、これらのルーブルにある彫刻群はドゥル・シャルキン Dur-Sharrukin の宮殿から来たとわかりました。なるほど。本書でもドゥル・シャルキンはBC8世紀にサルゴン2世が建設をおこなった新首都であることが紹介されています。しかし戦争で不慮の死を遂げたサルゴン2世の後を継いだセンナケリブは、「戦死してしまった前王が建設した都市は不吉」としてドゥル・シャルキンを放棄し、その後アッシリアの首都として知られるニネヴェに移動しました。その結果、ドゥル・シャルキンは2千年以上そのままの状態になり、近代のヨーロッパ各国が発掘調査をおこなうまでイスラム教徒の破壊に遭わず奇跡的に保存されたと言えます。21世紀に入ってもIS(イスラム国)はイラク国内のアッシリアの遺跡破壊をおこなったと本書に出ています。近年欧米諸国が旧植民地を中心に蒐集あるいは略奪した美術品を返還する動きが強まっています。しかし、元の場所にあったために破壊されてしまう可能性を考えると、返還が本当にいいことなのかどうか複雑な気持ちになります。
高校・大学受験で教わるアッシリア帝国は本書で、「古・中・新」と3つに分かれるアッシリアの歴史で、「新王国」なのだと知りました。世界史でサルゴン2世は教わりますが、サルゴン1世は教科書に出て来ません。サルゴン1世はBC19世紀の古アッシリア帝国の王だったのですね。こうなるとアッシリアはメソポタミア平原南部を拠点としたバビロニアの支配で途切れ途切れになってしまったとはいえ、非常に古い歴史の王国だとわかります。記録が粘土板や土器に刻まれた楔形文字で、アッシリアの王朝史は特に新王国ではかなり詳細に判明しているようで、本書でも丁寧に触れられています。周辺のミッタニ王国(高校では「ミタンニ王国」で教わった)、ヒッタイト帝国、そしてエジプト王国などの有力国と外交関係を結び、頻繁に交易やり取りをしている様子がうかがえます。こういう歴史を知ると、思わず当時の日本を考えてしまいます。当時の日本は弥生時代の始まりで、ようやく農耕が始まったくらいです。多くはまだまだ狩猟採取に明け暮れた縄文時代の生活で、竪穴式住居に住むくらいだったでしょう。文字なんてもちろんないです。もしもこの時代にアッシリア人が日本人を見たら、とても同じ人間とは思えずヒトによく似た別種かくらいに思ったかもしれません。奈良時代の日本と唐の文明差どころではない、二ケタ違いくらいの文明格差があります。
本書で惜しむらくは、もう少しアッシリア人の普段の生活を書いてほしかった点です。上記した人頭有翼の雄牛は宗教的な意味が大きかったはずで、アッシリア人がウシを神聖視していたのは間違いありません。ウシがどこでいつ家畜化されたのか調べると、アッシリアからもほど近いトルコ南東部〜イラン北西部が起源となっています。ここで原種のオーロックスを飼い慣らしたのが紀元前8000年頃だそうなので、紀元前3000年に確立したシュメール文明より遥かに前です。麦の栽培など農耕文化から始まったシュメール文明と違い、牧畜文化はアッシリアの成立そのものにも深く関与していたのでないかと私は思いますが、残念ながら本書には言及がありません。これと関係すると思いますが、バビロニアで信仰されたマルドゥク神とは起源が異なるアッシリアのアッシュール神はどのようにして成立したのか知りたかったです。またセンナケリブの時代に刻まれたという周辺地域の征服過程でおこなった苛烈な行為についても、具体的な記載がほしいところでした。
ライオンはこの頃メソポタミアでは普通に棲息していたと思われ、上記のルーブル美術館にあるレリーフにも「ライオン狩り」をおこなうアッシリアの王様が描かれています。レリーフのライオンの描写は非常に精密で、その鋭い爪や大きな手足が怖さを強調しています。
このライオンは、アッシリア人の精神にも相当な影響を与えていたと私は思うのですが、そういう記載もなかったです。
全体としてアッシリアの王朝変遷に記載の多くがあてられていて、その意味では貴重な歴史書です。もう少しアッシリア人の日常生活や巨大でありながら繊細な彫刻群をつくった宗教などを書いてくれたら言うことなしといった感じでした。
ただアッシリアがなぜ突然滅びてしまったのかについては気候変動による可能性に触れています。紀元前7世紀ころから200年近く続いたと考えられる乾燥化です。アッシリア滅亡がどういう理由だったのかはっきりしない中、興味ある仮説です。そして現代にも「アッシリア人」はいるのですね。アラム語を話すキリスト教シリア教会諸派の人々だそうです。現代でも古代語のアラム語を話す民族がいるのか!アラム語は話し言葉としては滅びてしまったラテン語より遥かに古い歴史があります。ちょっと感動ものの話です。
「アッシリア・人類最古の帝国」 山田重郎著 ちくま新書 2024.6.10
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