Apple設立につながる電話ハッキングデバイス「ブルーボックス」についてウォズとジョブズ、関係者が語る - GIGAZINE
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Apple設立につながる電話ハッキングデバイス「ブルーボックス」についてウォズとジョブズ、関係者が語る


スティーブ・ジョブズ氏は1977年にスティーブ・ウォズニアック氏らとAppleを創業しますが、2人が初めて出会ったのは1971年のことでした。まだ高校生だったジョブズ氏とウォズニアック氏は、電話回線をハッキングして無料で世界中どこにでも電話がかけられる「ブルーボックス」と呼ばれる装置で大もうけしたと言われています。そんなブルーボックスにまつわるストーリーがムービーで紹介されています。

Before They Created Apple, Jobs And Wozniak Hacked The Phone System | FiveThirtyEight
http://fivethirtyeight.com/features/before-they-created-apple-jobs-and-wozniak-hacked-the-phone-system/

「この写真について説明してもらえますか?」と渡された1枚の写真。これを手にとって語るのは……


Appleの共同設立者、スティーブ・ウォズニアック氏。「これは私とスティーブ・ジョブズの写真で、おそらくジョブズのベッドルームで撮られたものだ。手にしているのは『ブルーボックス』っぽい大きさの装置だが、この写真からではブルーボックスとは断言はできないね」と語ります。


続いてジョブズ氏が映り、「ウォズ(ウォズニアック氏の愛称)と僕が最初に作ったのがブルーボックスだった。ブルーボックスは、世界中どこにでも電話をかけることができるデバイスだった」と語りつつ「でも、違法な物だったと言っておかないといけないね」と、ヤバい装置だったことを話しています。


2人の運命を変えたというのが、男性カルチャー誌「エスクワィア」に掲載されていた「Secrets of the Little Blue Box (小さなブルーボックスの秘密)」という14ページの記事でした。ウォズニアック氏は「この記事は私が目にした記事の中で、最も影響を受けたものだ」と振り返っています。


「この装置は、電話会社に対する『反乱』のような物だ。私はその反乱の一部として加わることに夢中になった」と、ブルーボックスの魅力について語るウォズニアック氏。


一方のジョブズ氏も「2人のティーンエイジャーが組み立てた、わずか100ドル(約1万円)程度の装置が、電話会社が持つ何百億円というインフラをコントロールする……」


「まさに魔法のようなことだよ」と、夢中になって語ります。


作家のフィル・ラズリー氏は「初期の電話は非常にシンプルなものでした。誰かのところに電話をかけたいときは、2人の電話線を直結させることで、電話回線がつながるという仕組みです」と、昔の電話の仕組みを解説。


両者の回線をつなぐのが、『電話交換手』の仕事でした。しかし、1970年代になって電話が普及すると、とても人力で全ての電話回線に対応することが不可能であると明らかになります。そこで導入されたのが、コンピューターを使った電話交換機です。


「電話をかけるときに『ピポパ…』という音が聞こえるが、あの音を聞いたコンピューターが電話番号を認識し……」


「相手の電話に回線をつなぐようになっている」


1960年代前半には、アメリカの電話会社「AT&T」が、音の高さが異なる2つのトーンの組み合わせで番号を認識するDTMF(Dual-Tone Multi-Frequency:いわゆる「プッシュトーン」)の仕組みを発明していました。


この発明をもとに、電話をかけるときに「ピ・ポ・パ」のトーン信号で電話交換機を操作するシステムが実用化されました。


しかし、その仕組みを「ハッキング」することで電話料金をタダにしてしまうという、明らかに問題を含んでいた装置が「ブルーボックス」というわけです。


当時のウォズニアック氏が「このトーンの仕組みを使うことで、世界中どこにでも、そしてどんな経路を経由しても自由に電話をかけることができる」と講演している様子も残されています。事実、アメリカからどこの国へも無料で通話が可能だったほか、ある電話から海外の電話回線を経由して地球を一周し、すぐ隣にある電話と通話するという芸当も可能だったとのこと。


このハッキング方法を発見したのは、1960年代初頭にハーバード大学に在籍していた数名の学生だったとのこと。当時は彼らのことを「フリーク」と呼んでいました。


そんなフリークだった1人、トニー・ロウク氏は「私が電話ハッキングに夢中になったころは、まだまだ電話システムもレベルが低かったんだ」と当時を語ります。


「それでも当時は『最も巨大なコンピューターシステム』などと言われていたんだがね」


「大学に入るとラジオ局に出入りするようになり、そこでチャーリーと出会ったんだ」


ロウク氏が語るチャーリーが、このチャーリー・パイン氏。「ハーバードのラジオ局『WHRB』で電話の研究を始めたんだ」


「そしてそこで、『Notes on Distance Dialing (長距離電話に用いる音)」という1966年の資料に出会った」


「その中には、電話がつながる詳しい仕組みのことや……」


「地域ごとのエリアコード(地域番号)などが書かれていた」


「そこで、『ここに書かれている番号と信号音のことが全てわかったら、自分でも装置を作れるんじゃないか』と思ったわけだ」と、後のブルーボックスにつながる画期的な瞬間を語ります。この行為は「フリーキング」と呼ばれます。


そして実際にトーン信号を生成し、テープに録音して電話口で再生してみると、見事に電話をかけることに成功。


こうして、ブルーボックスは実際に「使える」装置であることが証明されました。


しかし、単なる興味本位で始まったフリーキングでしたが、さまざまな問題を抱えることになります。特に当時はアメリカとソ連による冷戦時代まっただ中だったことから、無料で何の規制もなく海外に電話をかけられるということは「スパイ行為」と同じ意味を持つことになります。こうして、フリーキングは当局からの規制を受けることになったとのこと。


とはいえ、フリーキングはあくまで「好奇心」から生まれたものであり、悪用されるかどうかは別の問題であるとも。ウォズニアック氏は、「フリーキングは当時の最新の技術を使った物で、他の人ができないことを可能にする」という意味合いがあったと振り返っています。


フリーキングが難しくなった頃、なんと口笛で電話をかけるというテクニックが有名になったとのこと。目が不自由だった男性、ジョン・エングレッシア氏は、口笛を「ピピピピ…」と規則的に鳴らすことで、電話をかけることに成功していました。


これは当時の報道でも話題になった模様。


当時のフリークの間でヒーローとしてあがめられていたのが、「キャプテン・クランチ」ことジョン・ドレイパー氏。


キャプテン・クランチが紹介しているのが、特別な音を出すことができる小さな笛です。


この笛を受話器に向けて「ピーッ」と鳴らすだけで、通常の電話ネットワークから離れてどこにでも電話がかけられるようになるという、まさに「魔法の笛」だったわけです。


電話をハッキングすることで無料の長距離通話を可能にしていたフリーキングは、最初は技術オタクの好奇心で始まったものでしたが、次第に別の意図を持つ勢力がこの技術を悪用するようになります。


その勢力とは、ほかならぬ犯罪に手を染める者たち。賭博の胴元や麻薬の密売人がフリーキングを利用するようになったのですが、その理由は「通話料の圧縮」に加え、「通話記録が残らない」という、犯罪には都合のよい特長が備わっていたから。


この対策に、電話会社は何百億円という多額の費用を強いられることになったといいます。


ウォズニアック氏が雑誌「エスクワィア」の記事を目にしたのは、1971年のこと。台所のテーブルにおかれていた雑誌をパラパラとめくっていたら……


「Secret of the Little Blue Box」という魅力的な見出しが目に飛び込んできたとのこと。内容も詳細な技術のことが書かれており、なによりも反逆的な内容に心を奪われたそうです。


ウォズニアック氏がフリーキングに興味を持つきっかけとなった記事を書いたご本人、ロン・ローゼンバウム氏は、巨大な電話会社に立ち向かうフリークという構図を、弱い者が強い敵を倒す逸話「ダビデとゴリアテ」のようなものだと語ります。


ウォズニアック氏はすぐさまジョブズ氏に電話して記事を読むように説得。この仕組みについてジョブズ氏は「非常にパワフルなことだと思った」と振り返っています。


そして2人はスタンフォード大学の図書館でリサーチを開始。


当時としては最先端の「世界初のデジタル式ブルーボックス」を開発するに至ったといいます。完成した装置は機能だけでなく、きちんとしつらえられた外装やボタンのデザインなど、後のApple製品に通じる見た目の良さにも意識が注がれていたとのこと。


実は当時、ウォズニアック氏とジョブズ氏はキャプテン・クランチと会っていたとのこと。


ある日、ウォズニアック氏とジョブズ氏は、ブルーボックスを使ってバチカンに電話をかけ……


アメリカ国務長官を語って「私はヘンリー・キッシンジャーだ。教皇と話したい」と電話をかけたこともあるとのこと。「まだ朝の5時40分だから後でかけ直してほしい」と言われたウォズニアック氏がかけ直して「ヘンリー・キッシンジャーだけど」と話しかけると、電話口の向こうの相手に「さっき、キッシンジャー氏と会って話したばかりですが」と言われて慌てたというエピソードも。


ジョブズ氏はブルーボックスの意味を振り返って「あの経験から学んだのは、アイデアが持つ力というものです」と語ります。


「ブルーボックスがなければ、その後のAppleも存在しなかったでしょう」


「それは、単に製品を作り上げることができる、という自信を得ただけではなく、その製品が世界に大きな影響を与えることができる、と実感できたからです」


その後、ジョブズ氏とウォズ氏はAppleを設立。世界に与えた影響は誰もが知るところ。


キャプテン・クランチことジョン・ドレイパー氏は何とその後、タダで海外に電話をかけた電話料金詐欺の罪で実刑判決を受け、約3年の懲役生活を送ったとのこと。出所後の1978年、ドレイパー氏に再会したウォズニアック氏とジョブズ氏はドレイパー氏をAppleに雇い入れ、ワープロソフト「EasyWriter」の開発を依頼。このソフトはApple IIが大躍進するきっかけになったソフトで、Appleそのものを形づくったといっても過言ではない功績を残しています。

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in ハードウェア,   動画, Posted by darkhorse_log

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